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思わぬ面倒事

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 いろいろ起きた日の翌日。学校に到着し教室へ入ると、三吉と藤野が声をかけてきた。

 「おはよう、斉川さん」

 「おはよー」

 「あ、おはよう…」

 昨日の事が一瞬よぎり身構えたが、何も言ってこなかった。散々盛りあがっていたせいか、もうほとぼりは冷めたようだ。

 碧乃は安堵して、自分の席についた。

 それからしばらくして、小坂も登校してきた。もう始業時間ギリギリだった。彼はクラスの皆と挨拶を交わしながら席につくと、大あくびをしていた。

 あんなに遅くまで起きてるから…。

 人の事は言えないが、思わず呆れてしまった。そしてあくびが移りそうになり、慌てて小坂から視線を外した。





 今日の授業はほとんど来週の試験範囲の確認となっており、比較的楽な内容だった。寝不足の頭でも対応できたので、助かった。

 昼休みになったので、碧乃は飲み物でも買いに行こうと立ち上がった。

 振り返ると同時に、藤野那奈が抱きついてきた。

 「お姉様ー!」

 「!」

 豊満な胸が碧乃の顔に押し付けられる。

 い、息が……。

 「那奈ちゃん、斉川さん死んじゃう」

 「あ、ごめん」

 藤野は慌てて腕の力を緩めた。緩めるだけで解放はしなかった。

 ぷはっ、と碧乃は呼吸を再開させる。彼女とは身長差があるので、正面からまともに抱きつかれると必ずこうなる。いつか窒息死するのではないだろうか。

 それよりも、今『お姉様』って……。

 「ど、どうしたの?」

 碧乃は恐る恐る尋ねた。

 「あ、あのね、昨日は話してばっかりで全然勉強できてなかったから、その、今日もまた教えてほしいなぁって、思って…」

 三吉がおどおどしながら答えた。

 「昨日は時間を無駄にしちゃってごめんなさい」

 まだ碧乃にくっついたままの藤野が謝ってきた。こんな状態なので、本当に反省しているかは分からないが。

 「あ…うん。いいよ」

 三吉の表情を見ていたら、やはり今日も断れなかった。

 「いいの?ありがとう!昨日は本当にごめんね」

 彼女の顔がパッと明るくなった。

 「ありがとー!お姉様優しい!」

 藤野が再び碧乃を締め付ける。正面からではなかったが、胸の圧力は変わらずだった。

 「うあっ!そ、その『お姉様』って、何?」

 藤野の腕から抜け出せないまま、何とか訊いてみた。

 「あ、なんかね、昨日の話でハマっちゃったみたいなの」

 三吉が申し訳なさそうに答えてくれた。

 「斉川さん見てたら、私も小坂君の家庭教師みたいな人が欲しくなっちゃったのー」

 …絶好のセクハラのネタを掴んだという事か。

 ほとぼりなんて冷めてなかった。むしろ更に熱が増していた。

 「や、だからって、お姉様はちょっと…」

 「えー?じゃあ、お姉さん?」

 「いや、そうじゃなくて…」

 ダメだ、もう。

 碧乃では対処できなかった。

 すると、小坂がこちらへ近付いてくるのが見えた。

 「藤野、そのくらいにしてやれよ」

 彼は呆れた顔で話しかけてきた。

 「ひゃっ!こ、小坂くん!」

 小坂の接近に気付いていなかった三吉が、飛び上がって後ろを振り返った。

 「あ、小坂君やっほー!」

 藤野が碧乃に抱きついたまま、小坂に手を振った。

 「やっほーじゃなくて…。いい加減離してあげたら?昨日の話だけど、やっぱ似てなかった」

 どうやら碧乃に救いの手を差し伸べるつもりのようだ。

 「そうなの?」

 「だから、もう離して…」

 「何が似てないって?」

 小坂の後ろから、ひょこっと山内圭佑やまうちけいすけが割り込んできた。

 彼は小坂と一番仲の良い友達で、女の子が大好きなちょっと軽い性格の人だ。

 「あ、こら、入ってくるなよ」

 小坂がいらだって山内を退けようとした。

 「お前が俺を放ったらかしで行っちゃうからだろ。んで、何の話?三吉ちゃん」

 山内は、小坂ではなく三吉に答えを求めた。

 「え、あ、あの、小坂くんの家庭教師の先生と斉川さんがなんか似てるねって」

 小坂の前なので、緊張しながら三吉は説明した。

 「あー、あの美人の女子大生?」

 「でも似てなかったから、訂正しに来たんだよ。ってか、その美人とか何とか言い出したのってお前だよな?」

 小坂の苛立ちが更に強くなった。しかし山内は全く気にしていない。

 「え、そうだっけ?」

 「そうだよ。みんながいる前で言うから、こうやって広まっちゃったんだろ」

 「お前が否定しなかったからじゃないの?」

 「う、それは、しつこく訊くから面倒になったんだよ!とにかく、斉川は関係ないから」

 山内との会話を無理やり終え、藤野に再び話しかけた。

 「そうなんだー。でももう斉川さんは私のお姉様だもんねー」

 「え……」

 碧乃はもう藤野の腕の中でされるがままになっていた。

 しばらく離す気ないな、これ……。

 「なっ…」

 「那奈ちゃん…」

 一向にやめる気配のない藤野に、小坂と三吉は困惑してしまった。

 山内は面白そうにそれを見ている。

 「ねー、飲み物買いに行こう?昨日のお詫びにおごるよ」

 藤野は抱きつくのをやめると、碧乃の腕に自分のそれを絡めて歩き出した。

 「え?あっ、ちょっと」

 碧乃は、抵抗する間もなく引っ張られていく。

 「あ!待って、那奈ちゃん」

 慌てて三吉がその後を追う。

 藤野を先頭に、3人は教室を出ていった。



 §



 光毅は呆然と3人を見送っていた。

 彼の救いの手は見事にはじかれてしまった。

 いつも以上に斉川にベタベタしている藤野を見て、居ても立っても居られず話しかけたのだが、全然ダメだった。

 ここまで面倒な事になるとは。発端はやはり自分だ。今日の夜にでも、また謝っておかないと。

 …にしてもだ。あんな風に抱きついたり、腕を組んだり、女同士ってだけで許されるんだもんな。さすがにちょっと羨ましい……。

 「女同士って羨ましいねぇ」

 「え!」

 圭佑の言葉にドキッとして、横に立つ彼を凝視した。

 「俺も藤野に抱きつかれてみたいわー」

 それを聞いて、光毅は安堵した。

 「なんだ、そっちか…」

 「ん?なんか言った?」

 「言ってない」

 不覚にも彼の前で行動を起こしてしまったが、今後は気を付けないと。

 口が軽いこいつにだけは、斉川との関係も店の存在も絶対に知られたくない。



 §



 「ごめんね、斉川さん」

 机を挟んだ向かい側に座る三吉が謝ってきた。

 「え?」

 謝罪の理由が分からず、碧乃はキョトンとする。

 「私があんな事言ったせいで、那奈ちゃんの今度の標的が斉川さんになっちゃって…」

 「ああ…」

 そのことか。

 今日も3人で放課後の教室にいるのだが、藤野は今トイレに行っている。彼女がいないのを見計らって言い出したようだ。『今度の』と言ったのは、以前にも何人か今の碧乃のような被害者がいたためだ。一度的が定まると飽きるまで狙い続けるので、少々たちが悪い。まさか自分が選ばれるとは思ってもいなかった。

 「萌花ちゃんが謝る事じゃないよ」

 シュンとする三吉に、優しく返した。

 「でも…」

 「私は大丈夫だよ。………多分」

 はっきりとは宣言できなかった。

 「あ、あの、きっとまたすぐに飽きると思うから」

 「うん……わかった」

 本当にすぐだと良いのだが。

 扉がガラッと開いて、藤野が戻ってきた。

 「あ、おかえりー」

 三吉が気付いて声をかける。

 「ただいまー」

 と言いつつ、藤野は碧乃の一瞬の隙をついて間合いに入り込んだ。

 「お姉様ただいまっ」

 碧乃の椅子に強引に腰掛け、するりと腰に手を回してきた。かなり手慣れた素早い動きだった。

 「ひゃあ!ち、ちょっと!」

 逃げ遅れた碧乃は珍しく声を荒げ、回された手を引き剥がした。実はくすぐったがりなので、変な触られ方には弱いのだ。藤野はすでにそれを知っていた。

 「うふふ、相変わらず敏感だなぁ」

 「……」

 この変態め…。

 「那奈ちゃん、斉川さん困ってるでしょ?」

 三吉が怒り気味に言った。

 「だってー。反応が可愛いから、つい」

 「んもう…」

 反省する気のない藤野に、三吉は呆れるしかなかった。

 その後の藤野は、大人しく自分の椅子に座って勉強していた。根は真面目なので、こういう時はあまりふざけない。

 変態のスイッチさえ入らなければ、良い子なんだけどな…。
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