さらさら

ねこうさぎしゃ

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 夜の湿った砂の中に指先を入れ、すくい上げようとしたときだった。
「なにをしているの?」
 不意に、吐息ほどのささやかさで、穏やかな声が降ってきた。優しい微笑を含んだ男の人の声だった。
 誰かに話し掛けられるのは久しぶりだった。そしてこんな風に、ニーナへのあたたかさをにじませた声を聞いたのは初めてだった。ニーナの心は一瞬、大きな海の波にのまれそうになった。
 けれど初めの頃に声を掛けて来たたくさんの人たちのことを、ニーナはよく憶えていた。彼らはいつも吸い寄せられるようにニーナのそばにやって来ては、いろいろな質問をした。そしてニーナがうまく答えられなかったり、彼らの気に入るような返答ができなかったり、あるいはまた彼らがニーナへの興味や関心を失ったりすれば、物も言わず、振り返りもせずに去って行くのだ。
 まるで波と同じ。寄せたり返したり。波打ち際から海へと戻った波は、もう二度とその姿を見せはしないのだ。でもそれでいい。それは自然の当然な姿なのだから。
 人々にとってニーナが景色のひとつであり、海の一部、波のかけらであるのと同様に、ニーナにとっても人々はまた海であり波であるのだ。人々がニーナの近くに寄せては引き返すのも、ごく自然で、当然のことなのだ。だから、ニーナはこの人もまたすぐに引き返すだろうと思った。
 この人──たとえ穏やかな夜の波音と同じくらい、心を鎮める優しい声の人であったとしても──。
 ニーナは砂を撫でる手を止めず、じっとうつむいたまま、何かあやふやな返事をした──さようなら、そんな思いを込めながら。
 でもその人は去らなかった。代わりに優しい囁きでニーナを包んだ。
「さがし物をしているのですね」
 ニーナはその言葉に手を止めた。今まで一度だって、そんな言葉を口にした人はいなかった。

 ──いいえ、きっと夜だからね──ニーナは心の中で首を振った。夜はどんなことも、昼間よりほんの少し、優しくなるのだ。

 ニーナは顔を上げなかったが、さっきよりいくらかはっきりした声で言った。
「ええ、そうです」
 青年が静かに、もっとすぐそばまで近寄って来る気配がした。うつむいたニーナの目の端に、青年の足が映り込んだ。青年は裸足だった。ニーナと同じように。ニーナの足が小さく白いのに対し、青年の足は大きく、夜の闇の中でもブロンズ色に艶めいているという違いがあるだけだ。
「星でしょう」
 青年の微笑を含んだ声が、穏やかな夜の海風と共にニーナの髪を揺らした。ニーナの耳元で、音がする。

 さらさら さらさら……

「あなたはきっと、星をさがしているのですよ」
 ニーナは再びゆっくりと砂に手を入れ、すくい取った。
「そんなこと、考えてもみませんでした」
 ニーナは手の中のひんやりとした砂の感触を確かめるように、何度か強く握った。不思議な、しなやかな、確かな胎動を感じる。今まで、こんなにもはっきりと意思を表す砂に気がついたことはなかった。ニーナはゆっくりと、足元に砂を落とした。

 さらさら さらさら……

 白い砂はまるで無数の星の子のように、ささやかなきらめきを放ちながら滑り落ちていった。
「……そうですね、わたし、きっと星をさがしているのです。昔、遠い遠い昔には、ちゃんと持っていた星。わたし、それをどこかに落として、失くしてしまったのだわ」
 ひとりごとのように呟いてみると、急に心の奥底で、ずっと重石のようにのしかかっていた何かが、砂で作った城のように静かに崩れていった。

 さらさら さらさら……

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