さらさら

ねこうさぎしゃ

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 さがし物というものは、見つければすぐにそれとわかるものだと囁く声が、ふとニーナの耳の奥によみがえった。誰かがいつか、ニーナに教えてくれたことだ。だが何も思い出せない。
 記憶とはなんと頼りないものなのだろう。まるで当てにならない約束のようだ。

 約束──? 

 ニーナはふと、砂をすくう手を止めた。何かが心に引っかかる。しばらくじっとして、心の奥底に降りていく。だが、やはり何もつかめない。
 ニーナは握りしめていた砂を、指のすき間から地面に落とした。砂はすくい上げられたときと寸分違わず、元の場所へと帰っていく。ニーナの手から離れた瞬間から、砂はもう、ひとつの大きな浜辺の砂へと戻るのだ。
 ニーナはだんだんと砂が好きになっていた。尽きることがなく、沈黙しているのに決して無愛想ではない砂。さらさらと指の間から落ちるときに聞こえる音は、砂のひと粒ひと粒が一斉に笑っているか、泣いている声なのだろう。砂に触れ、砂のこぼれる音を聴いていると、ニーナは自分の心を思い出すことができた。
 それに、波の音も好きだった。波はニーナに心臓の鼓動を思い出させた。波音に耳を傾けていると、ニーナは自分が生きているのだと言うことがわかるのだ。
 そうやって幾日かを過ごすうちに、ニーナの足の傷は癒えていった。けれど、さがしものはまだ見つからなかった。とにかく砂はたくさんあった。どんなにすくっても、かきわけても、果てがない。ニーナは永遠にさがし続けなければならない。自分がさがしているものが何かも知らずに。

 いつの間にか太陽はニーナとの距離を縮め、眩しすぎるほどの陽ざしが白い砂浜に反射してはニーナの瞳を強く射るようになっていた。日ごとに暑さを増していく日の光が、昼の間じゅうじりじりとニーナの白い肌と砂浜を焼いた。吹く風は息苦しいほどに熱く湿っている。だがニーナは相変わらず砂の中をさがし続けた。砂の奥深くに手を入れると、ひんやりとした心地良さがニーナの心を慰めた。
 こうしてまた一日が過ぎていく。傾き始めた太陽が、白い砂浜と海を赤く燃え立たせるように染めていく。にわかに湿度を増す風の熱気は和らいでいたが、生ぬるい風はニーナの体にまとわりついてはからかうように通り過ぎた。その風の様子はなぜかニーナの心と体をざわめかせた。

 ──きっと、近いうちに嵐が来るのだわ。

 ニーナはそう思って瞼を閉じた。でも今は嵐ではなく、深く蒼い夜が来るのだ。
 夜は不思議に優しい癒しの手だ。一日一日と地表に近づいてくる太陽によって火照ったニーナの体を、心地良い夜の風が包み込む。昼間あんなにも熱かった砂の表面は、夜の癒し手に撫でられて鎮まり、体にたまった熱ごと冷ましていく。砂の奥深くでは昼間の太陽が、逆にほんのりと心地良い温もりを残し、ニーナから体温を奪いすぎることを防いだ。優しく湿った夜は昼間の強い日差しに焼かれた肌を癒やし、朝がくる頃にはニーナの肌はつやつやとした白さを取り戻しているのだった。
 ニーナは夜を愛した。そして静かで優しい癒しの夜に、いつも心を預けて慰められていた。
 けれど今夜は不思議と落ち着かなかった。それは確かにちょうど嵐の前の気配に似ていた。似ているけれど、わずかに違う。それがなんなのかはわからない。でも、たぶんきっと、嵐が来るのだろう。

 夜、ニーナは暗い砂浜に座ったまま、うつらうつらと夢を見る。けど、そんなときにも砂をすくう手は休まらない。夢うつつ、ニーナの耳ははかない音を聴いている。

 さらさら さらさら……

 誰かのニーナを呼ぶ声みたいな砂の囁き。
 風に乗って海をわたる鳥が来る。
 それはどこかなつかしい匂いも一緒に運んでくるのだろう──。


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