フロイント

ねこうさぎしゃ

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ラングリンド

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「フロイント、お父さん、お昼にしませんか?」
 小鳥のさえずりのように可憐な声を耳にして、フロイントとミロンは光の中に佇むアデライデをゆっくりと振り返った。ミロンは眩しく細めた目でアデライデを見ると、
「そうか、もうそんな時間なのだね」
 感慨深いため息まじりに言って微笑んだ。
 フロイントは森の美しい光の中にいて尚眩しく輝くアデライデの姿を目に映すと、まるで初めてこの森でアデライデを見たときのように、胸を勢いよく掴んで離さない感動が湧き起こるのを感じた。
 自分の生命を清々しく洗い立てる喜びに心が歓声を上げるのがわかった。
 これまでにないほどの強さで歓喜の歌を歌うような自分の心に、フロイントは驚きを隠せなかった。
 思わず目の前に立つミロンを見ると、ミロンはフロイントの心を読んで、祝福を捧げるかのような微笑でゆっくりと頷いた。フロイントの心にはまた新たな感動が生まれた。
 フロイントは再び美しい光に包まれるアデライデに迷いのないまっすぐな視線を向けた。
 ミロンに赦されたという思いがアデライデに対する愛を一層深め、心に芽生えた廉潔れんけつな自覚はまたアデライデを見つめる眼差しに新たな息吹を芽ぐませていた。
 熱心なまでにじっと注がれる視線を受けて、アデライデはほんのりと頬を染めながらフロイントに歩み寄ってきた。
 二人の様子を見つめていたミロンは、木漏れ日のような微笑みを浮かべたまま、二人をそこに残して一人小屋へと向かって歩き出した。
 ミロンのその背中が今はもうこの森に凛然と生い茂る古木たちのように天に向かってまっすぐに伸び、地面を踏んで歩む足取りには力強さが生まれていることを見ると、フロイントは人間というものの精神の霊妙さに、改めて深い感慨が湧き起こり、感嘆の息を吐かずにはいられなかった。
 甘やかな花の蜜のような香りをさせながら、すぐ目の前に立ったアデライデが澄んだ瞳でフロイントを見上げた。
「女王様はゆっくりいらっしゃいとおっしゃってくださったので、皆で食事ができればと思って用意をしたのですが、構いませんでしたか……?」
「──もちろんだ、アデライデ──」
 胸を震わすほどの愛で彩られた眼差しを向けるアデライデをそれ以上の愛でもって見つめ返しながら、フロイントは今はっきりと、自分が人間に生まれ変わったのだと感じていた。その喜びの鼓動は体内をあたたかな血で満たし、フロイントに確かな命の──魂の輝きをもたらした。
「行きましょう、フロイント」
 やわらかな微笑を傾けるアデライデに、フロイントも微笑み返した。
 フロイントが初めて見せた陰りも憂いもない笑顔に、アデライデは我知らず泣き出したいほどの喜びと安心が体中に湧くのを感じた。
 全身を天にまで昇らせるほどの幸福に満たされ、思わずフロイントの体に飛び込むように身を寄せた。
 フロイントの腕の中に小鳥のようにそっと包み込まれたアデライデは、その体から漂う清らかな泉のように清冽な香気に、夢見心地で目を閉じた。
 フロイントの広い胸に顔を埋め、アデライデは生まれて初めて感じる至福の安らぎに深く呼吸を繰り返した。
 ためらうことなく愛を語る腕に抱かれる無上の喜びが得も言われぬ高揚感をもたらす中、色づいた木々の葉と共にフロイントの囁きがそっと舞い降りて来た。
「──愛している、アデライデ」
 アデライデは青い瞳に涙が込み上げるのもそのままに、ゆっくりとフロイントを見上げた。あの館で初めて見たときと同じ色の、だが遥かに深く広がる愛を、力強い炎のように宿した赤い瞳が、まっすぐにアデライデを見つめていた。
「……わたしもです、フロイント。初めて逢った時から、ずっとあなたを愛しています……」
 白くなめらかなアデライデの頬を、森に降り注ぐ太陽の光を吸って金色に染まった涙が伝った。フロイントは指先でその涙を拭い、アデライデの濡れた頬を両手に包んだ。見つめ合った瞳に、互いの姿が映し出されていた。 
 フロイントはゆっくりとアデライデに顔を近づけ、アデライデは朱に染まった瞼を閉じてフロイントの口づけを受け入れた。
 幸福とときめきと恥じらいが一時に押し寄せる胸に、フロイントの魂に命を吹き込んだあの瞬間がよみがえり、アデライデは閉じた瞼の向こうから、また新たな喜びの涙を美しくこぼれさせるのだった。


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