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ラングリンド
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小屋に戻る決心がつかないまま長い時間をとりとめのない考え事に費やしていたフロイントは、ゆっくりとした足取りでこちらに近づいて来る人影に気がついて顔を上げた。
視線の先にまっすぐこちらに向かって歩いて来るミロンの姿を認めると、フロイントの心臓は一瞬ぎくりとし、次第に早くなっていった。
凭れ掛かっていたオークから体を起こして目の前にミロンを迎えると、何かを言おうと口を開いたが、やはり言葉は出て来なかった。
ミロンは穏やかな表情でフロイントを見つめていたが、ゆっくりとした口調で静かに言った。
「娘から、何もかも聞きました」
フロイントは一瞬赤い目を大きく見開いて身を震わした。
「わしも一人の父親として、娘が何かを隠して話しているということぐらいわかります。あなたの雰囲気からも、察するところはありました。けれどこれほどに大切に想ってきた娘を忘れてしまっていたということもショックで、やはりきちんと真実を知りたいと言う思いから、あなたが出て行かれた後、娘を問いただしたのです」
フロイントは俯いて、地面に映る自分の影を見た。一瞬の不安の嵐の後、フロイントはミロンの口からどんな罵りや非難、恨みの言葉が吐かれようとも、すべて受け入れる覚悟を決めた。
だが、ミロンはやはり穏やかな声のまま、
「──まずは、アデライデをあなたの命を懸けて守り通してくださったこと、お礼を言わせてください」
驚いて顔を上げたフロイントに、ミロンは青灰色の慈眼を向け、
「フロイント──そう呼ばせてもらっても構わないでしょうかな……?」
遠慮がちに窺うようなミロンの問いかけに、驚きにとらわれていたフロイントは我に返ると慌てて頷いた。
ミロンはみるみる瞳に涙をにじませていくと、じっとフロイントを見上げながら、
「フロイント……娘を度々の危険と恐ろしい魔の手から守ってくださったこと、ほんとうにありがとうございます。ご自分の身も顧みず、凶悪な魔物の巣窟に飛び込んで娘を取り返して下ったとは、感謝の言葉もありません……」
フロイントは咄嗟に首を振って口を開いた。
「……いや、それもすべては俺の不覚ゆえのことで……。そもそも、そもそも……」
──そもそもアデライデをあなたから奪ったのは俺なのだ──。
その言葉が喉の奥に引っかかって出てこない。フロイントは拳を握りしめた。
ミロンはフロイントの様子に気がつくと、涙の溜まった目元を拭い、
「フロイント、聞いてください。わしは確かにあの子を何よりも大切に想って慈しみ、手塩にかけて育てて来たつもりです。願うことはただひとえにあの子の幸せだけでした。しかしあの子は幼い頃から普通の人間とは違っているようにも思っていました。我が娘ながら、その心の清らかさには常々心を打たれるようで、わしにはもったいない娘であると思っていたのです。わしはだからこそ、アデライデには幸福になってほしかった……。
こんな森の奥にあの子を留め置くのではなく、町の他の娘さんたちと同じように、ささやかなものかもしれませんが、日々の喜びや楽しみを感じられるような年頃の娘にふさわしい人生を送らせてやりたいと思っていました。しかし一方では、そうしたごくありふれた人生をあの子に送らせても良いものか、またあの子自身がそうした人生を望むだろうかと言う懸念があったことも事実です。あの子は誰に対しても公平な思いやりを示し、誰からも愛されていましたが、あの子自身が特別な愛情を誰かに対して抱く様子は見られませんでした。
わしは父親として、娘が人としての美徳にあふれていることを尊いことと思う反面、恋や愛が人生にもたらしてくれる充実や楽しさや、ときには痛み、そしてまたその痛みをも凌駕する喜びを知らないまま一生を終えることになるのではと考えると、不憫に思えて仕方がありませんでした。それにわしは年を重ね、生い先短い……。わしがいなくなってしまった後の娘の身の上を考えると心配で仕方なく、安心してあの子を託すことのできる誰かがこの世のどこかにいはしないかと、長らく思い続けていたのです。
──今わしは、そのわしの心配がすべて解け、父親としての願いが叶えられた安堵と喜びでいっぱいなのです。
あなたのことを語るあの子の顔はどうでしょう。わしはあの子があんなにも深く誰かを愛せるということが誇らしい。深く互いを想い合い、愛し合う二人を前にして、わしはただただ感謝の祈りを口にするだけです。
あの子が試練に耐えて選んだ道は、そっくりそのままわしの道でもあるのです。あの子に教えられるまでもなく、わしにはあなたが清い心を持った立派な方だということが初めからわかっていました。あなたは紛うことなく、一人の若く美しい崇高な魂を持った青年です」
じっとミロンを見つめていた赤い瞳からは、胸のつかえがすべて溶け出すように、滂沱の涙が流れ落ちた。ミロンはフロイントに一歩近づいて、涙に震えるフロイントの背中にそっと手を置いた。
ミロンのあたたかく親愛の情のこもった掌に、罪の意識も思い悩む心も、すべてがゆっくりと氷解していくようだった。
視線の先にまっすぐこちらに向かって歩いて来るミロンの姿を認めると、フロイントの心臓は一瞬ぎくりとし、次第に早くなっていった。
凭れ掛かっていたオークから体を起こして目の前にミロンを迎えると、何かを言おうと口を開いたが、やはり言葉は出て来なかった。
ミロンは穏やかな表情でフロイントを見つめていたが、ゆっくりとした口調で静かに言った。
「娘から、何もかも聞きました」
フロイントは一瞬赤い目を大きく見開いて身を震わした。
「わしも一人の父親として、娘が何かを隠して話しているということぐらいわかります。あなたの雰囲気からも、察するところはありました。けれどこれほどに大切に想ってきた娘を忘れてしまっていたということもショックで、やはりきちんと真実を知りたいと言う思いから、あなたが出て行かれた後、娘を問いただしたのです」
フロイントは俯いて、地面に映る自分の影を見た。一瞬の不安の嵐の後、フロイントはミロンの口からどんな罵りや非難、恨みの言葉が吐かれようとも、すべて受け入れる覚悟を決めた。
だが、ミロンはやはり穏やかな声のまま、
「──まずは、アデライデをあなたの命を懸けて守り通してくださったこと、お礼を言わせてください」
驚いて顔を上げたフロイントに、ミロンは青灰色の慈眼を向け、
「フロイント──そう呼ばせてもらっても構わないでしょうかな……?」
遠慮がちに窺うようなミロンの問いかけに、驚きにとらわれていたフロイントは我に返ると慌てて頷いた。
ミロンはみるみる瞳に涙をにじませていくと、じっとフロイントを見上げながら、
「フロイント……娘を度々の危険と恐ろしい魔の手から守ってくださったこと、ほんとうにありがとうございます。ご自分の身も顧みず、凶悪な魔物の巣窟に飛び込んで娘を取り返して下ったとは、感謝の言葉もありません……」
フロイントは咄嗟に首を振って口を開いた。
「……いや、それもすべては俺の不覚ゆえのことで……。そもそも、そもそも……」
──そもそもアデライデをあなたから奪ったのは俺なのだ──。
その言葉が喉の奥に引っかかって出てこない。フロイントは拳を握りしめた。
ミロンはフロイントの様子に気がつくと、涙の溜まった目元を拭い、
「フロイント、聞いてください。わしは確かにあの子を何よりも大切に想って慈しみ、手塩にかけて育てて来たつもりです。願うことはただひとえにあの子の幸せだけでした。しかしあの子は幼い頃から普通の人間とは違っているようにも思っていました。我が娘ながら、その心の清らかさには常々心を打たれるようで、わしにはもったいない娘であると思っていたのです。わしはだからこそ、アデライデには幸福になってほしかった……。
こんな森の奥にあの子を留め置くのではなく、町の他の娘さんたちと同じように、ささやかなものかもしれませんが、日々の喜びや楽しみを感じられるような年頃の娘にふさわしい人生を送らせてやりたいと思っていました。しかし一方では、そうしたごくありふれた人生をあの子に送らせても良いものか、またあの子自身がそうした人生を望むだろうかと言う懸念があったことも事実です。あの子は誰に対しても公平な思いやりを示し、誰からも愛されていましたが、あの子自身が特別な愛情を誰かに対して抱く様子は見られませんでした。
わしは父親として、娘が人としての美徳にあふれていることを尊いことと思う反面、恋や愛が人生にもたらしてくれる充実や楽しさや、ときには痛み、そしてまたその痛みをも凌駕する喜びを知らないまま一生を終えることになるのではと考えると、不憫に思えて仕方がありませんでした。それにわしは年を重ね、生い先短い……。わしがいなくなってしまった後の娘の身の上を考えると心配で仕方なく、安心してあの子を託すことのできる誰かがこの世のどこかにいはしないかと、長らく思い続けていたのです。
──今わしは、そのわしの心配がすべて解け、父親としての願いが叶えられた安堵と喜びでいっぱいなのです。
あなたのことを語るあの子の顔はどうでしょう。わしはあの子があんなにも深く誰かを愛せるということが誇らしい。深く互いを想い合い、愛し合う二人を前にして、わしはただただ感謝の祈りを口にするだけです。
あの子が試練に耐えて選んだ道は、そっくりそのままわしの道でもあるのです。あの子に教えられるまでもなく、わしにはあなたが清い心を持った立派な方だということが初めからわかっていました。あなたは紛うことなく、一人の若く美しい崇高な魂を持った青年です」
じっとミロンを見つめていた赤い瞳からは、胸のつかえがすべて溶け出すように、滂沱の涙が流れ落ちた。ミロンはフロイントに一歩近づいて、涙に震えるフロイントの背中にそっと手を置いた。
ミロンのあたたかく親愛の情のこもった掌に、罪の意識も思い悩む心も、すべてがゆっくりと氷解していくようだった。
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