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六つめの願い
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フロイントはアデライデの顔がよく見えるよう、その肩に手を置いたまま少しだけ後ずさり、
「いったいどうやって──?」
アデライデは俄かに頬を赤らめ、思わず自分の唇にそっと白い指先を当て、はにかみに目を伏せて答えた。
「あなたにわたしの息を吹き込んだのです。そうすれば、あなたの中で眠っている魂が目覚めると、女王様に教えて頂いたのです……」
その言葉と、白い頬を朱に染めて目を伏せる仕草を見て、アデライデがどうやって自分に息を吹き込んだのかを覚ったフロイントは、自分の頬にも熱い血がのぼって来るのを感じた。
「……そう、だったのか……」
人間の皮膚を得たフロイントの頬に滲む含羞の色は、誰の目にもはっきりと見て取れた。アデライデもまたはにかみと恥じらいに頬を染めたままだったが、フロイントの肌に浮かぶ血の色に、改めてこの信じがたい出来事への驚きと喜びが湧き上がり、感嘆のため息がその花びらのような唇から漏れた。
フロイントは耳にまで熱を感じながらうつむいていたが、しかしすぐに顔を上げると、戸惑ったように言った。
「──しかし、俺の中で眠っていたというその魂は、どうやって俺の中に入ったのだ? それはやはりあなたが──?」
フロイントの問いに、アデライデも女王を振り返って見上げた。
女王は黄金の朝陽にあたためられた空気の中に、煌めく長い髪と衣の裾を揺蕩わせ、微笑に美しい顔を輝かせてゆっくりと首を振った。
「いいえ、それは違います」
「それでは誰が……?」
女王は慈愛のこもった瞳でフロイントを包み込むように見て言った。
「誰も──。あなたの魂は最初からあなた自身の中にありました。──そう、あなたは最初から魂を持っていた──魔物の体に、魂を宿していたのです」
フロイントは驚きに息を呑んで瞠目し、アデライデも思わず胸を押さえて熱い息を吐き出した。
「俺の中に、魂があった──? そんなことはあり得ない。魔物は魂を持たぬ生き物。俺が魂を宿していたなどと──」
フロイントは茫然と首を振った。しかしそれは女王の言葉を否定してというよりは、もはやこの一連の出来事の連続がもたらすショックに思考が追いつかなくなっていためだった。
女王はもう一度、ゆっくりと繰り返した。
「ほんとうのことなのです。あなたは魔物に生まれついていながら、魂を持っていたのです」
フロイントは大きく見開かれた赤い瞳で女王を見上げた。
「あなたは確かに魔物として生を受けました。ですがあなたの魔物の体には、生まれながらに魂が宿っていたのです。けれど厳密に言うならば、それは魂としては機能しない魂──眠れる魂でした。しかしいずれにしてもあなたは魂を持っていました。それがあなたが魔界に馴染めず、また自分自身にも馴染めなかった理由です。あなたが魔物としての力に乏しいと思っていたことも、そこに原因がありました。魔物は通常、影の力を源に力を使いますが、魂を持つ者には影の力を使いこなすことはできません。魂宿りし者は光を根源に力を使う──そしてその力は影を掃う……。だからあなたは強力な影の力を持っていたバルトロークを下せたのです」
女王の言葉はフロイントの内側、最も深い部分に黄金の雫のように滴って波紋を広げた。今この瞬間、フロイントの来し方のすべてがこの荒野を満たす朝の太陽の中に浮かび上がり、言葉にし尽くすことのできない感慨をフロイントに与えた。まるで金色の湖が広がっていくような感覚に身を預けながら、ゆっくりとアデライデに視線を向けると、深い想いを湛えた青い瞳が朝陽に潤んでフロイントを見上げていた。
「わたしにはわかっていました……。わたしは、ずっとあなたの魂を感じていましたもの……」
アデライデの頬を透明な涙の雫がきらきらと光って流れた。フロイントは長い指先でアデライデの頬を拭い、そのほっそりとやわらかな体を再び両の腕で包んだ。アデライデの体のあたたかさと自分の体のぬくもりとが混ざり合った瞬間、触れあっている二人の皮膚が溶けてまるで一つの肉体へと昇華されていくような感覚に貫かれた。その甘美な衝撃に一瞬気が遠のいて、息を呑む。計り知れない強さと同時に恐ろしいほど繊細な深さを持った人間の体というものに対する驚嘆は、もはや賛嘆と呼ぶにふさわしいものだった。
アデライデへの愛おしさが抑えきれないほどの熱を伴って全身を駆け巡り、フロイントはアデライデの存在を全身で感じられる喜びに、涙まじりのため息を吐いた。
フロイントのあふれるばかりの愛を一身に浴びながら、アデライデはその広い胸の中から感謝の眼差しを女王に向けた。
「女王様、それでは先ほどの言葉は、そういう意味だったのですね……。処刑者の鎌ではフロイントの命を絶つことはできなかっただろうとおっしゃったのは、フロイントが魂を持っていたから……」
女王はにっこりと微笑んだ。
「その通りです。魔界の処刑者の振るう鎌は、人に対してはというよりは、魂を持った者に対しては無力であるということなのです。魔王の炎は特別な火──その炎で精錬された刃が魂を持つ者を傷つけることなど有り得ないのです」
フロイントはその言葉に含む部分があることを感じ取った。俄かにバルトロークと戦った際が思い出され、女王をじっと見つめて口を開いた。
「……あのとき、俺はまったく自分の意図とは無関係にあれほど激烈な火焔を撃った。バルトロークはその炎を見て、魔王にしか召喚できないはずの炎だと言った──魔王の城の下に燃えるすべてを焼き尽くす炎だと……。光の妖精女王よ、あなたは今、魔王の炎は特別な火だと言ったが、あの火焔と魔王の火との間には、何か関係があるのだろうか? ──あなたは何か知っているのでは──?」
女王は微笑みを浮かべたまま、暫くの間沈黙してフロイントとアデライデを見つめていた。
二人は女王の静かな微笑みに、憂いとも寂しさともつかぬ色が浮かんだことに気がついた。
女王はやがておもむろに唇を開いた。
「いったいどうやって──?」
アデライデは俄かに頬を赤らめ、思わず自分の唇にそっと白い指先を当て、はにかみに目を伏せて答えた。
「あなたにわたしの息を吹き込んだのです。そうすれば、あなたの中で眠っている魂が目覚めると、女王様に教えて頂いたのです……」
その言葉と、白い頬を朱に染めて目を伏せる仕草を見て、アデライデがどうやって自分に息を吹き込んだのかを覚ったフロイントは、自分の頬にも熱い血がのぼって来るのを感じた。
「……そう、だったのか……」
人間の皮膚を得たフロイントの頬に滲む含羞の色は、誰の目にもはっきりと見て取れた。アデライデもまたはにかみと恥じらいに頬を染めたままだったが、フロイントの肌に浮かぶ血の色に、改めてこの信じがたい出来事への驚きと喜びが湧き上がり、感嘆のため息がその花びらのような唇から漏れた。
フロイントは耳にまで熱を感じながらうつむいていたが、しかしすぐに顔を上げると、戸惑ったように言った。
「──しかし、俺の中で眠っていたというその魂は、どうやって俺の中に入ったのだ? それはやはりあなたが──?」
フロイントの問いに、アデライデも女王を振り返って見上げた。
女王は黄金の朝陽にあたためられた空気の中に、煌めく長い髪と衣の裾を揺蕩わせ、微笑に美しい顔を輝かせてゆっくりと首を振った。
「いいえ、それは違います」
「それでは誰が……?」
女王は慈愛のこもった瞳でフロイントを包み込むように見て言った。
「誰も──。あなたの魂は最初からあなた自身の中にありました。──そう、あなたは最初から魂を持っていた──魔物の体に、魂を宿していたのです」
フロイントは驚きに息を呑んで瞠目し、アデライデも思わず胸を押さえて熱い息を吐き出した。
「俺の中に、魂があった──? そんなことはあり得ない。魔物は魂を持たぬ生き物。俺が魂を宿していたなどと──」
フロイントは茫然と首を振った。しかしそれは女王の言葉を否定してというよりは、もはやこの一連の出来事の連続がもたらすショックに思考が追いつかなくなっていためだった。
女王はもう一度、ゆっくりと繰り返した。
「ほんとうのことなのです。あなたは魔物に生まれついていながら、魂を持っていたのです」
フロイントは大きく見開かれた赤い瞳で女王を見上げた。
「あなたは確かに魔物として生を受けました。ですがあなたの魔物の体には、生まれながらに魂が宿っていたのです。けれど厳密に言うならば、それは魂としては機能しない魂──眠れる魂でした。しかしいずれにしてもあなたは魂を持っていました。それがあなたが魔界に馴染めず、また自分自身にも馴染めなかった理由です。あなたが魔物としての力に乏しいと思っていたことも、そこに原因がありました。魔物は通常、影の力を源に力を使いますが、魂を持つ者には影の力を使いこなすことはできません。魂宿りし者は光を根源に力を使う──そしてその力は影を掃う……。だからあなたは強力な影の力を持っていたバルトロークを下せたのです」
女王の言葉はフロイントの内側、最も深い部分に黄金の雫のように滴って波紋を広げた。今この瞬間、フロイントの来し方のすべてがこの荒野を満たす朝の太陽の中に浮かび上がり、言葉にし尽くすことのできない感慨をフロイントに与えた。まるで金色の湖が広がっていくような感覚に身を預けながら、ゆっくりとアデライデに視線を向けると、深い想いを湛えた青い瞳が朝陽に潤んでフロイントを見上げていた。
「わたしにはわかっていました……。わたしは、ずっとあなたの魂を感じていましたもの……」
アデライデの頬を透明な涙の雫がきらきらと光って流れた。フロイントは長い指先でアデライデの頬を拭い、そのほっそりとやわらかな体を再び両の腕で包んだ。アデライデの体のあたたかさと自分の体のぬくもりとが混ざり合った瞬間、触れあっている二人の皮膚が溶けてまるで一つの肉体へと昇華されていくような感覚に貫かれた。その甘美な衝撃に一瞬気が遠のいて、息を呑む。計り知れない強さと同時に恐ろしいほど繊細な深さを持った人間の体というものに対する驚嘆は、もはや賛嘆と呼ぶにふさわしいものだった。
アデライデへの愛おしさが抑えきれないほどの熱を伴って全身を駆け巡り、フロイントはアデライデの存在を全身で感じられる喜びに、涙まじりのため息を吐いた。
フロイントのあふれるばかりの愛を一身に浴びながら、アデライデはその広い胸の中から感謝の眼差しを女王に向けた。
「女王様、それでは先ほどの言葉は、そういう意味だったのですね……。処刑者の鎌ではフロイントの命を絶つことはできなかっただろうとおっしゃったのは、フロイントが魂を持っていたから……」
女王はにっこりと微笑んだ。
「その通りです。魔界の処刑者の振るう鎌は、人に対してはというよりは、魂を持った者に対しては無力であるということなのです。魔王の炎は特別な火──その炎で精錬された刃が魂を持つ者を傷つけることなど有り得ないのです」
フロイントはその言葉に含む部分があることを感じ取った。俄かにバルトロークと戦った際が思い出され、女王をじっと見つめて口を開いた。
「……あのとき、俺はまったく自分の意図とは無関係にあれほど激烈な火焔を撃った。バルトロークはその炎を見て、魔王にしか召喚できないはずの炎だと言った──魔王の城の下に燃えるすべてを焼き尽くす炎だと……。光の妖精女王よ、あなたは今、魔王の炎は特別な火だと言ったが、あの火焔と魔王の火との間には、何か関係があるのだろうか? ──あなたは何か知っているのでは──?」
女王は微笑みを浮かべたまま、暫くの間沈黙してフロイントとアデライデを見つめていた。
二人は女王の静かな微笑みに、憂いとも寂しさともつかぬ色が浮かんだことに気がついた。
女王はやがておもむろに唇を開いた。
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