フロイント

ねこうさぎしゃ

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六つめの願い

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 偽らざる真実の想いを吐露したことで、心の深い部分に刺さっていた棘がするりと抜け落ち、洗い流されていくような感覚に、フロイントはじっと身を任せていた。
 どこか感に堪えない気配を漂わせて閉じた瞼の歌側から一筋の涙をこぼすフロイントの姿は、アデライデの胸に言い様のない感情を湧き立たせた。だがフロイントの切ない願いの言葉を聞いても驚くということはなかった。アデライデはこの館での生活の中で、フロイントの声にならない願いの言葉をずっと聞いていたように思うのだ。
 初めてこの館の中を見て回ったとき、魔物の館というよりは人間の屋敷と呼ぶにふさわしい作りであると気がついたときにも、また初めてフロイントが料理をしている姿を見たときなどにも、アデライデはどこかフロイントが人間の生活を模倣しているように感じた。フロイントの無意識的な人間への憧れ──人になりたいという想いを、アデライデはずっと感じ取っていたように思うのだ。
 フロイントは静かに目を開き、アデライデを見つめると囁くように言った。
「……アデライデ……これが、俺の願いだ──……。同じ夢を見てくれるか……?」
「フロイント……」
 アデライデは胸にあふれる想いを吐息にして吐き出した。フロイントが魔物であってもなくても、アデライデには──アデライデの愛には関係のないことだった。
 初めてフロイントの赤い目を見たときから、アデライデはもうフロイントを愛していたのだ。その目を見た瞬間、恐ろしい魔物の姿は幻想でしかなくなった。アデライデが見ていたものは、いつもフロイントの美しい心そのものだったのだ。
 けれど、もしも同じ人であったならば──最初から人間の男女として出逢っていたならば、何に妨げられることもなく添い遂げられたかもしれないと思う心もないではなかった。
 アデライデは静かな光を湛えているフロイントの赤い瞳に微笑んで、小瓶を胸に抱きしめた。
「……それこそはわたしの最後の願いと言えるでしょう……。これでもうわたしが苦しい夢を見ることはありません。わたしの願いを叶えてくださってありがとう、フロイント──……」
 フロイントはアデライデの儚い花のような微笑に、もう胸の鼓動は止められたも同じ心持ちだった。如何に処刑者の大鎌が鋭かろうとも、アデライデの透き通るように悲しく美しい微笑みほどにはフロイントを苦しめはしないだろう。
 そのとき突然、部屋の中の暖炉の炎がぼっと勢いよく燃え上がった。驚いて振り返った二人の目に、暖炉の炎はいきなり水をかぶせたようにかき消えた。
 思わず顔を見合わせた目の端に、空の彼方をちらりと瞬く閃光が映った。フロイントは闇に翻る処刑者の大鎌かと息を殺し、勢いよく仰ぎ見た。
 アデライデもまた、まだ明けきらぬ暗い空に光が瞬くのを見ると、咄嗟に小瓶を胸元に隠してフロイントの手を強く握った。俄かに怖れと焦りが湧き起こり、アデライデは悲鳴のような声を出した。
「フロイント、やっぱりわたし……!」
 しかしフロイントは素早く指を動かして、アデライデをラングリンドに送り届けるべく黒雲を呼び寄せようとした。
 その刹那────
 暗い夜空は一瞬にして、目もくらむほどの光によって塗り替えられた。
 フロイントとアデライデは眩しさに思わず身動きを止めて目を閉じた。瞼を閉じて尚、その光の世界の隅々まで照らすかのような輝きを感じて息を呑む。──だがそれはけっして怖れを抱かせ、威圧するような光ではなかった。寧ろすべてを包み込んであたためるような光だった。
 フロイントはその光に覚えがあった。それはバルトロークによって打ち倒されて死にかけていた自分を立ち上がらせた光──その光輝に相違なかった。
 アデライデもまた、まるで自分という存在のすべてを深い慈愛で抱いてくれるような光に、言葉では言い表せないほどの喜びが湧き上がるのを感じていた。まるで命そのもののような光の中、フロイントとアデライデはゆっくりと瞼を開いた。
 目を開けた二人の頭上に、光り輝く美しい顔に穏やかな微笑みをたたえた一人の仙女が浮かんでいた。背中には蝶のそれを思わす透き通る光の翅が生え、揺らめく光の糸のような長い髪の上には、ひときわ眩しく輝く冠が載っていた。神々しい光は仙女を中心に、隈なく四方に向かって放たれて、辺りを真昼よりも明るく照らしていた。
 アデライデはその聖なる光を放つ仙女を見上げ、思わず胸の前で手を組み合わせた。
「光の妖精女王様……」
 フロイントは息をのんでアデライデを振り返り、それから再び光の仙女──妖精女王に目を向けた。
「なんだって? それではあのとき俺を助けたのは……」
「そう、わたくしです──」
 女王の厳かな、しかしやさしい声が周囲に響いた。その声は、確かにあの日フロイントが耳にしたものと同じものだった。


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