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六つめの願い
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「──この数日、俺が思い悩んでいたというのは真実だ。俺は……魔王の裁きが下されるのを待っていたのだ……」
アデライデは大きく目を見開き、フロイントを見た。
「裁き……? でも、いったいどうして……」
言い掛けて、アデライデは次の瞬間さっと顔色を変えた。
「……それは、この前の……あの城での一件が関係しているのですか……?」
アデライデの脳裏に、バルトロークの氷の城に集まっていた魔物たちが、自分を助けにやって来たフロイントを激しく糾弾する姿が過ぎった。
フロイントが曖昧な微笑を浮かべたのを見て、アデライデの体は小刻みに震え出した。
「……ごめんなさい……」
「なぜおまえが謝るのだ。おまえが謝らなければならないようなことなどないではないか」
フロイントは静かな微笑を浮かべたまま言った。
「でも、わたしを助けに来てくださったせいで……」
「アデライデ、おまえには何の非もない。おまえを取り戻すこと、それこそが俺の役目、望みだったのだ。それに俺とても、あれだけのことをしてただで済まされるはずがないことはわかっていた。極刑が下されるだろうことは最初から予想していたことであるし、俺は自分の身がどう処されようとも構わないと思っていた。おまえを無事に救い出せるなら、俺はいくらでも自分の命を差し出す」
アデライデは首を振り、両手で顔を覆い嗚咽を漏らした。フロイントは震えるアデライデの肩にそっと手を置いた。
「バルトロークの毒気に倒れたおまえの病を癒やす間、幸いにも俺の元に魔王の使者が来ることはなかった。だがその後も、いつまで経っても使者は来ず、回復したおまえとの日常が戻って来るうちに、俺の中には惜しむ気持ちが沸いてきた。──命をというのではない。すべてを承知の上で行った俺に、自分の命を惜しもうというさもしさなどはない。……俺が惜しんだのはおまえとの時間だ。表面上は以前と変わらなくも思えるおまえとの日々を過ごすにつれ俺の覚悟が揺らぎ始め、おまえと別れがたく思う気持ちが膨らんだ。おまえと過ごす時間への未練と執着が日ごとに増していく苦しみは、身を切り裂く責め苦も同然だった。しかし自分の苦しみにとらわれるあまり、おまえをそんなに思い詰めさせることになってしまったことは俺の不覚でしかない。──すまなかった、アデライデ……」
アデライデは涙で濡れた顔を上げると、フロイントの胸に倒れるように飛び込んだ。フロイントは激しく泣き始めたアデライデの肩に手を置き、静かに話し続けた。
「──今朝、夜明け前、ついに俺の元に使者が来た。アデライデ、おまえが見た黒い煙と魔獣の叫びのようなあの音は、使者が携えてきた罪状書を燃やした際のものだった。嘘をついてすまなかった。だがおまえにはどうしても話せなかった……。いたずらに不安がらせ、心のやさしいおまえに涙をこぼさせるようなこと、どうしてできるというのだ……。アデライデ、心を乱すことなく聞いてくれ。俺は死罪に処されることが決まった──」
アデライデはフロイントの胸の中で悲鳴のような叫びを上げた。激しく首を振ってフロイントの胸に縋るアデライデの髪をなだめるように梳きながら、フロイントは穏やかともいえる声で言った。
「これでよいのだ、アデライデ。思えば最初からすべてはこうなると決まっていたのかもしれん。おまえとの時間は短かったが、しかし俺には過ぎた幸福だった……」
アデライデは蒼白な泣き顔を上げて悲痛の叫び声を上げた。
「そんなことが……そんなことがどうして起こり得るのですか……!? 何故あなたが咎めを受けなければならなのですか……!?」
「それが俺の生まれた世界のルールなのだ。魔族というものは放縦に見えて、実際には多くの目には見えない鎖に繋がれて生きている。それは俺のように魔物としては半端な立場を取り続けた者であっても例外ではないのだ」
「……できません……わたしには無理です……あなたとお別れするなんて、わたしにはそんなことは考えられません……!」
アデライデは突然声高になると、胸の内に激流のように迸る想いを噴出させた。
「フロイント、わたしはあなたを愛しています……あなたを愛しているのです……!」
その言葉を聞いた瞬間、フロイントの全身を凄まじい力が貫いた。死を目前にした状況下にあって尚、一瞬にして天の高みに押し上げるような歓喜が轟音と共にフロイントの体中を駆け巡っていた。そのあまりの衝撃にフロイントは激しく震え、瞳からは透明な涙が零れ落ちた。それはまるで清い泉から湧いて滴る甘露のように、フロイントのすべてを聖なる光で満たすかと思えるほどの、尊い輝きに満ちた感動の嵐だった。
「──アデライデ……、今この瞬間、俺はもう何もかもを全うしたような気がする……。おまえに愛された──それほどの至福がこの世にあるだろうか。俺にはもう充分すぎる。信じられぬほどの幸福の裡に、俺は死ぬことができる──。……アデライデ、ありがとう……」
アデライデはフロイントの言葉をかき消そうとするように、何度も首を振った。フロイントの広い背中に手を回し、縋りついて泣いた。
アデライデは大きく目を見開き、フロイントを見た。
「裁き……? でも、いったいどうして……」
言い掛けて、アデライデは次の瞬間さっと顔色を変えた。
「……それは、この前の……あの城での一件が関係しているのですか……?」
アデライデの脳裏に、バルトロークの氷の城に集まっていた魔物たちが、自分を助けにやって来たフロイントを激しく糾弾する姿が過ぎった。
フロイントが曖昧な微笑を浮かべたのを見て、アデライデの体は小刻みに震え出した。
「……ごめんなさい……」
「なぜおまえが謝るのだ。おまえが謝らなければならないようなことなどないではないか」
フロイントは静かな微笑を浮かべたまま言った。
「でも、わたしを助けに来てくださったせいで……」
「アデライデ、おまえには何の非もない。おまえを取り戻すこと、それこそが俺の役目、望みだったのだ。それに俺とても、あれだけのことをしてただで済まされるはずがないことはわかっていた。極刑が下されるだろうことは最初から予想していたことであるし、俺は自分の身がどう処されようとも構わないと思っていた。おまえを無事に救い出せるなら、俺はいくらでも自分の命を差し出す」
アデライデは首を振り、両手で顔を覆い嗚咽を漏らした。フロイントは震えるアデライデの肩にそっと手を置いた。
「バルトロークの毒気に倒れたおまえの病を癒やす間、幸いにも俺の元に魔王の使者が来ることはなかった。だがその後も、いつまで経っても使者は来ず、回復したおまえとの日常が戻って来るうちに、俺の中には惜しむ気持ちが沸いてきた。──命をというのではない。すべてを承知の上で行った俺に、自分の命を惜しもうというさもしさなどはない。……俺が惜しんだのはおまえとの時間だ。表面上は以前と変わらなくも思えるおまえとの日々を過ごすにつれ俺の覚悟が揺らぎ始め、おまえと別れがたく思う気持ちが膨らんだ。おまえと過ごす時間への未練と執着が日ごとに増していく苦しみは、身を切り裂く責め苦も同然だった。しかし自分の苦しみにとらわれるあまり、おまえをそんなに思い詰めさせることになってしまったことは俺の不覚でしかない。──すまなかった、アデライデ……」
アデライデは涙で濡れた顔を上げると、フロイントの胸に倒れるように飛び込んだ。フロイントは激しく泣き始めたアデライデの肩に手を置き、静かに話し続けた。
「──今朝、夜明け前、ついに俺の元に使者が来た。アデライデ、おまえが見た黒い煙と魔獣の叫びのようなあの音は、使者が携えてきた罪状書を燃やした際のものだった。嘘をついてすまなかった。だがおまえにはどうしても話せなかった……。いたずらに不安がらせ、心のやさしいおまえに涙をこぼさせるようなこと、どうしてできるというのだ……。アデライデ、心を乱すことなく聞いてくれ。俺は死罪に処されることが決まった──」
アデライデはフロイントの胸の中で悲鳴のような叫びを上げた。激しく首を振ってフロイントの胸に縋るアデライデの髪をなだめるように梳きながら、フロイントは穏やかともいえる声で言った。
「これでよいのだ、アデライデ。思えば最初からすべてはこうなると決まっていたのかもしれん。おまえとの時間は短かったが、しかし俺には過ぎた幸福だった……」
アデライデは蒼白な泣き顔を上げて悲痛の叫び声を上げた。
「そんなことが……そんなことがどうして起こり得るのですか……!? 何故あなたが咎めを受けなければならなのですか……!?」
「それが俺の生まれた世界のルールなのだ。魔族というものは放縦に見えて、実際には多くの目には見えない鎖に繋がれて生きている。それは俺のように魔物としては半端な立場を取り続けた者であっても例外ではないのだ」
「……できません……わたしには無理です……あなたとお別れするなんて、わたしにはそんなことは考えられません……!」
アデライデは突然声高になると、胸の内に激流のように迸る想いを噴出させた。
「フロイント、わたしはあなたを愛しています……あなたを愛しているのです……!」
その言葉を聞いた瞬間、フロイントの全身を凄まじい力が貫いた。死を目前にした状況下にあって尚、一瞬にして天の高みに押し上げるような歓喜が轟音と共にフロイントの体中を駆け巡っていた。そのあまりの衝撃にフロイントは激しく震え、瞳からは透明な涙が零れ落ちた。それはまるで清い泉から湧いて滴る甘露のように、フロイントのすべてを聖なる光で満たすかと思えるほどの、尊い輝きに満ちた感動の嵐だった。
「──アデライデ……、今この瞬間、俺はもう何もかもを全うしたような気がする……。おまえに愛された──それほどの至福がこの世にあるだろうか。俺にはもう充分すぎる。信じられぬほどの幸福の裡に、俺は死ぬことができる──。……アデライデ、ありがとう……」
アデライデはフロイントの言葉をかき消そうとするように、何度も首を振った。フロイントの広い背中に手を回し、縋りついて泣いた。
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