63 / 114
五つめの願い
*
しおりを挟む
フロイントはアデライデのそばを片時も離れず解毒と治癒の術を施し続けていた。
最初の数日間はまったくの予断を許さない状況に、フロイントの不安と怖れも高まった。アデライデの体はときに焼けつきそうなほどの高熱に苛まれ、やっとその熱が引いてきたかと思うと、次の瞬間には氷のように冷え切ってアデライデの体に流れる血を滞らせていることがわかった。
ごく一般的な人間ならばかなり早い時点で死んでいたに違いないが、アデライデの生まれ持った魂の光とフロイントの治癒の術が、なんとか命を肉体につなぎとめていた。
フロイントは昼夜を問わず精神を研ぎ澄ませて治癒の魔術を駆使してアデライデの治療にあたっていたが、通常ならば数日にわたって力を注ぎ込むともなれば相当のエナジーを消耗するものであり、如何に強い魔力を有していたとしても、本来癒しの術をその本分とはしない魔物にとっては、自身の命をも危険に晒す行為にも等しかった。だが、全身全霊をもって自分の命を移すが如くアデライデに術を施していたフロイントは、しかし自分の魔力が汲めども尽きぬ泉のように湧き上がるばかりか、集中してアデライデに癒しの光を注ぐたびにその力が高まる脅威に、内心驚いてもいた。
やがて七日を過ぎる頃には、フロイントの献身が功を奏し、アデライデは危機を切り抜けて小康を得、意識を取り戻した。うっすらと瞼を開けたアデライデは、ぼんやりとした瞳をフロイントに向け、弱々しいが確かな微笑を見せた。フロイントは身を乗り出してアデライデを覗き込み、安堵と歓喜に声を詰まらせた。
「アデライデ……! 気がついたか……! あぁ、よかった……」
「フロイント……」
アデライデはフロイントの涙に濡れる赤い瞳をしばらく黙って見上げいたが、まだ朦朧と霧の中を彷徨うような弱い声で、
「フロイント……ずっとわたしのそばにいてくださいましたね……。眠りながらわたしは、あなたのあたたかい光が全身を満たして癒し、体の奥に巣くっていた黒い影を飲み込んで浄めていくのを感じていました……」
アデライデはまだ力の戻らない指で、フロイントの手を探るような仕草を見せた。フロイントがすぐにその手を取ると、アデライデはほっと安心した笑みを浮かべた。清らかな視線をフロイントに向け、かすれを帯びてはいたが、柔らかく響く声でアデライデは言った。
「……フロイント、あなたは魔族として生まれてきた方かもしれません。でもあなたはどんな高貴な精霊よりも尊く聖なる方です。わたしは今までも、ずっとそう思っていました。あなたは魔物などではありません……」
フロイントはアデライデのその言葉に衝撃を受けた。それはフロイントという一つの生命であるところの土壌に新たな息吹を芽吹かせ、見る間に緑の若葉の萌える大樹へと生い茂らせるようだった。
──否、新たな命というよりは、フロイントの中でずっと芽吹きの時を待っていた大樹の種が、今まさにその時を迎え、地中深くから大地を突き破って顔を出し、明るい日の光に満ちた天に向かって一気に高く聳えたと言った方が正しかった。その感覚は不思議にも、フロイントに郷愁にも似た切なさと喜悦をもたらした。
フロイントはアデライデの柔らかい手を握ったまま、嵐のように泣いた。
アデライデは泣き伏すフロイントの指をやさしく撫で、
「フロイント、ほんとうにありがとう……。わたしをいつも助けてくださって……。あなたはわたしの守り手……。あなたといれば、わたしはいつでも安心していられます……」
フロイントは泣き腫らした目でアデライデを見た。アデライデに伝えたい言葉はフロイントの全身に痛いほどあふれて叫ばれるときを待っていたが、フロイントの喉から声が発せられることはなかった。ただ黙ってやさしく美しい微笑みをたたえるアデライデの青く澄んだ瞳を見つめていた。
アデライデはフロイントの様子に、ふと眉を心配に曇らせると、
「フロイント、疲れてはいませんか……? ずっとわたしのために力を使い続けてくださっていたのでしょう? ひどくお疲れなのではありませんか……?」
フロイントは静かに首を振った。
「俺のことは気にするな。疲れることなどなかった。寧ろずっと魔力は高まり続けていたのだ。それに、おまえが目を開けた今、俺の命は喜びで大いに燃え上がり、ますます力を強めるように感じるのだ」
フロイントの深く響くような声に、アデライデはほっと息をついて眉に宿った曇りを払い、ゆっくりと瞼を閉じた。その頬には赤みが戻りつつあった。
フロイントはアデライデの胸にシーツを引き上げながら、生き生きとした輝きを取り戻したアデライデの滑らかな頬や、閉じた瞼に差すあたたかな色を見つめた。
「……もう少し眠るがいい。次に目覚めたときは、もっと元気になっているだろう」
アデライデは頷くと、フロイントの包み込むような視線の中、すぐに安らかな寝息を立て始めた。
最初の数日間はまったくの予断を許さない状況に、フロイントの不安と怖れも高まった。アデライデの体はときに焼けつきそうなほどの高熱に苛まれ、やっとその熱が引いてきたかと思うと、次の瞬間には氷のように冷え切ってアデライデの体に流れる血を滞らせていることがわかった。
ごく一般的な人間ならばかなり早い時点で死んでいたに違いないが、アデライデの生まれ持った魂の光とフロイントの治癒の術が、なんとか命を肉体につなぎとめていた。
フロイントは昼夜を問わず精神を研ぎ澄ませて治癒の魔術を駆使してアデライデの治療にあたっていたが、通常ならば数日にわたって力を注ぎ込むともなれば相当のエナジーを消耗するものであり、如何に強い魔力を有していたとしても、本来癒しの術をその本分とはしない魔物にとっては、自身の命をも危険に晒す行為にも等しかった。だが、全身全霊をもって自分の命を移すが如くアデライデに術を施していたフロイントは、しかし自分の魔力が汲めども尽きぬ泉のように湧き上がるばかりか、集中してアデライデに癒しの光を注ぐたびにその力が高まる脅威に、内心驚いてもいた。
やがて七日を過ぎる頃には、フロイントの献身が功を奏し、アデライデは危機を切り抜けて小康を得、意識を取り戻した。うっすらと瞼を開けたアデライデは、ぼんやりとした瞳をフロイントに向け、弱々しいが確かな微笑を見せた。フロイントは身を乗り出してアデライデを覗き込み、安堵と歓喜に声を詰まらせた。
「アデライデ……! 気がついたか……! あぁ、よかった……」
「フロイント……」
アデライデはフロイントの涙に濡れる赤い瞳をしばらく黙って見上げいたが、まだ朦朧と霧の中を彷徨うような弱い声で、
「フロイント……ずっとわたしのそばにいてくださいましたね……。眠りながらわたしは、あなたのあたたかい光が全身を満たして癒し、体の奥に巣くっていた黒い影を飲み込んで浄めていくのを感じていました……」
アデライデはまだ力の戻らない指で、フロイントの手を探るような仕草を見せた。フロイントがすぐにその手を取ると、アデライデはほっと安心した笑みを浮かべた。清らかな視線をフロイントに向け、かすれを帯びてはいたが、柔らかく響く声でアデライデは言った。
「……フロイント、あなたは魔族として生まれてきた方かもしれません。でもあなたはどんな高貴な精霊よりも尊く聖なる方です。わたしは今までも、ずっとそう思っていました。あなたは魔物などではありません……」
フロイントはアデライデのその言葉に衝撃を受けた。それはフロイントという一つの生命であるところの土壌に新たな息吹を芽吹かせ、見る間に緑の若葉の萌える大樹へと生い茂らせるようだった。
──否、新たな命というよりは、フロイントの中でずっと芽吹きの時を待っていた大樹の種が、今まさにその時を迎え、地中深くから大地を突き破って顔を出し、明るい日の光に満ちた天に向かって一気に高く聳えたと言った方が正しかった。その感覚は不思議にも、フロイントに郷愁にも似た切なさと喜悦をもたらした。
フロイントはアデライデの柔らかい手を握ったまま、嵐のように泣いた。
アデライデは泣き伏すフロイントの指をやさしく撫で、
「フロイント、ほんとうにありがとう……。わたしをいつも助けてくださって……。あなたはわたしの守り手……。あなたといれば、わたしはいつでも安心していられます……」
フロイントは泣き腫らした目でアデライデを見た。アデライデに伝えたい言葉はフロイントの全身に痛いほどあふれて叫ばれるときを待っていたが、フロイントの喉から声が発せられることはなかった。ただ黙ってやさしく美しい微笑みをたたえるアデライデの青く澄んだ瞳を見つめていた。
アデライデはフロイントの様子に、ふと眉を心配に曇らせると、
「フロイント、疲れてはいませんか……? ずっとわたしのために力を使い続けてくださっていたのでしょう? ひどくお疲れなのではありませんか……?」
フロイントは静かに首を振った。
「俺のことは気にするな。疲れることなどなかった。寧ろずっと魔力は高まり続けていたのだ。それに、おまえが目を開けた今、俺の命は喜びで大いに燃え上がり、ますます力を強めるように感じるのだ」
フロイントの深く響くような声に、アデライデはほっと息をついて眉に宿った曇りを払い、ゆっくりと瞼を閉じた。その頬には赤みが戻りつつあった。
フロイントはアデライデの胸にシーツを引き上げながら、生き生きとした輝きを取り戻したアデライデの滑らかな頬や、閉じた瞼に差すあたたかな色を見つめた。
「……もう少し眠るがいい。次に目覚めたときは、もっと元気になっているだろう」
アデライデは頷くと、フロイントの包み込むような視線の中、すぐに安らかな寝息を立て始めた。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
ミシオン王子とハトになったヴォロンテーヌ
ねこうさぎしゃ
児童書・童話
その昔、天の国と地上がまだ近かった頃、自ら人間へ生まれ変わることを望んだ一人の天使が、ある国の王子ミシオンとして転生する。
だが人間界に生まれ変わったミシオンは、普通の人間と同じように前世の記憶(天使だった頃の記憶)も志も忘れてしまう。
甘やかされ愚かに育ってしまったミシオンは、二十歳になった時、退屈しのぎに自らの国を見て回る旅に出ることにする。そこからミシオンの成長が始まっていく……。魂の成長と愛の物語。
眠れる森のうさぎ姫
ねこうさぎしゃ
児童書・童話
白うさぎ王国のアヴェリン姫のもっぱらの悩みは、いつも眠たくて仕方がないことでした。王国一の名医に『眠い眠い病』だと言われたアヴェリン姫は、人間たちのお伽噺の「眠れる森の美女」の中に、自分の病の秘密が解き明かされているのではと思い、それを知るために危険を顧みず人間界へと足を踏み入れて行くのですが……。
デシデーリオ
ねこうさぎしゃ
児童書・童話
田舎の領主の娘はその美貌ゆえに求婚者が絶えなかったが、欲深さのためにもっと条件のいい相手を探すのに余念がなかった。清貧を好む父親は、そんな娘の行く末を心配していたが、ある日娘の前に一匹のネズミが現れて「助けてくれた恩返しにネズミの国の王妃にしてあげよう」と申し出る……尽きる事のない人間の欲望──デシデーリオ──に惑わされた娘のお話。
エーデルヴァイス夫人は笑わない
緋島礼桜
児童書・童話
レイハウゼンの町から外れた森の奥深く。
湖畔の近くにはそれはもう大きくて立派な屋敷が建っていました。
そこでは、旦那を亡くしたエーデルヴァイス夫人が余生を過ごしていたと言います。
しかし、夫人が亡くなってから誰も住んでいないというのに、その屋敷からは夜な夜な笑い声や泣き声が聞こえてくるというのです…。
+++++
レイハウゼンの町で売れない画家をしていた主人公オットーはある日、幼馴染のテレーザにこう頼まれます。
「エーデルヴァイス夫人の屋敷へ行って夫人を笑わせて来て」
ちょっと変わった依頼を受けたオットーは、笑顔の夫人の絵を描くため、いわくつきの湖近くにある屋敷へと向かうことになるのでした。
しかしそこで待っていたのは、笑顔とは反対の恐ろしい体験でした―――。
+++++
ホラーゲームにありそうな設定での小説になります。
ゲームブック風に選択肢があり、エンディングも複数用意されています。
ホラー要素自体は少なめ。
子供向け…というよりは大人向けの児童書・童話かもしれません。
つぼみ姫
ねこうさぎしゃ
児童書・童話
世界の西の西の果て、ある城の庭園に、つぼみのままの美しい花がありました。どうしても花を開かせたい国王は、腕の良い元庭師のドニに世話を命じます。年老いて、森で静かに飼い猫のシュシュと暮らしていたドニは最初は気が進みませんでしたが、その不思議に光る美しいつぼみを一目見て、世話をすることに決めました。おまけに、ドニにはそのつぼみの言葉が聞こえるのです。その日から、ドニとつぼみの間には、不思議な絆が芽生えていくのでした……。
※第15回「絵本・児童書大賞」奨励賞受賞作。
忠犬ハジッコ
SoftCareer
児童書・童話
もうすぐ天寿を全うするはずだった老犬ハジッコでしたが、飼い主である高校生・澄子の魂が、偶然出会った付喪神(つくもがみ)の「夜桜」に抜き去られてしまいます。
「夜桜」と戦い力尽きたハジッコの魂は、犬の転生神によって、抜け殻になってしまった澄子の身体に転生し、奪われた澄子の魂を取り戻すべく、仲間達の力を借りながら奮闘努力する……というお話です。
※今まで、オトナ向けの小説ばかり書いておりましたが、
今回は中学生位を読者対象と想定してチャレンジしてみました。
お楽しみいただければうれしいです。
子猫マムと雲の都
杉 孝子
児童書・童話
マムが住んでいる世界では、雨が振らなくなったせいで野菜や植物が日照り続きで枯れ始めた。困り果てる人々を見てマムは何とかしたいと思います。
マムがグリムに相談したところ、雨を降らせるには雲の上の世界へ行き、雨の精霊たちにお願いするしかないと聞かされます。雲の都に行くためには空を飛ぶ力が必要だと知り、魔法の羽を持っている鷹のタカコ婆さんを訪ねて一行は冒険の旅に出る。
理想の王妃様
青空一夏
児童書・童話
公爵令嬢イライザはフィリップ第一王子とうまれたときから婚約している。
王子は幼いときから、面倒なことはイザベルにやらせていた。
王になっても、それは変わらず‥‥側妃とわがまま遊び放題!
で、そんな二人がどーなったか?
ざまぁ?ありです。
お気楽にお読みください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる