フロイント

ねこうさぎしゃ

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フロイント

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 フロイントの逞しい足首を握った片手が次第に溶け落ちていくのを見て、バルトロークは早口にまくしたてた。
「ま、まぁ待て、そう結論を急ぐな……! 何よりもおまえはアデライデのことを第一に考えてみるべきだろう。もしここでわたしを殺し、おまえが懲罰を受けることになったらアデライデはどうなると思う……!」
「貴様が死ねばアデライデが貴様と交わした契約は終了する。それぐらい、俺のような下等な魔物でも知っている。だから何としても、俺は貴様を生かしておくわけにはいかないのだ」
 バルトロークはひっと喉の奥を鳴らし、大きく息を吸い込んだ。
「た、確かにそうだが、しかしわたしが言いたいのはそんなことではない。おまえという庇護者を失ったアデライデが、その後どんな目に遭うかを考えてみろと言っているのだ。アデライデは今夜、多くの魔物の目に触れた。どいつもこいつもアデライデを我が物にせんと血眼になっていたぞ。わたしは紳士だが、おまえも知っての通り魔物の中には美しいものをさいなんで悲鳴を聞くことを無上の喜びとする連中もいる。そんな輩におまえの大切なアデライデが捕らえられてもかまわぬと言うのか……!」
「そんなことにはならん」
 フロイントは足首に黒い爪を食い込ませて縋りつくバルトロークを思いきり蹴飛ばした。悲鳴を上げて床の上を転がるバルトロークに、フロイントは静かな、しかし決然とした口調で言った。
「魔王の沙汰が下るまでは俺が全身全霊でアデライデを守る。もし俺が処刑されると決定すれば、アデライデを元いた場所に帰すまでだ。アデライデは光の妖精女王の国、ラングリンドの娘だ。そこに戻れば影の国に生きる魔物どもの邪悪な手が届くことはない」
 フロイントはバルトロークに手を翳した。フロイントの掌の中心に紅蓮の炎の揺らぎが生まれようとするのを認めたバルトロークは、次の瞬間突如として狂ったような叫び声を上げた。
「お、おのれぇぇぇ、許せぬ、許せぬぅぅぅぅ! このわたしが、この大公爵バルトロークが、貴様ごとき下等の劣魔にぃぃぃぃ! さもあらば────!」
 バルトロークはいきなり体を反転させて腹ばいになると素早く片身を蠢かし、未だ目の覚めないアデライデに猛烈な勢いで這い寄ろうとした。
「あの娘の肉ごと魂を食ろうて復活してやるぞぉぉぉ!」
 フロイントの全身に激怒の炎がいきり立った。
「させるものか──!」 
 大声で叫び、紅蓮の烈火をバルトロークめがけて放った。猛炎がバルトロークの体を捕らえて飲み込んだ。断末魔の悲鳴を上げるバルトロークの声は猛火によってかき消された。
 ほのおの舌はバルトロークを飲み込むだけでは飽き足らず、大広間を舐めてそこに転がるすべての魔物どもの死骸を塵と化し、無限の暗黒へと連れ去った。火焔は勝鬨かちどきの声を上げる不死鳥フェネクスのように猛々しい炎の翼を広げ、火の粉を舞い散らせながら高い天井に駆け登ってようやく鎮まった。
 静けさの訪れた大広間の床には、バルトロークの顔の右半分だけがわずかに溶け残っていた。既に魔力の波動は失われていたが、まだ完全に生命活動が停止していないことは、剥き出しになった眼球がぎょろぎょろと動いていることから見て取れた。だがその顔も見る間にどろどろと溶けていき、もはやその原型は命の鼓動と共に完全に失われつつあった。バルトロークは憎悪に燃える右目でフロイントを捉えると、わずかに残った黒い唇の端をぶるぶると震わせながらしゃがれ声を絞り出し、呪いの言葉を吐いた。
「……貴様、このままで済まされるなどと思うな……。必ずや、魔王様の裁きが下る……。貴様の命も終わるのだ……。首を洗って、待ってい、ろ……」
 バルトロークの下卑た嗤い声がフロイントの耳に低く響いた。さもしい魔物の本性を剥き出しにするバルトロークに、フロイントは静かな声で言った。
「もとより承知の上だ。アデライデを救えるならば、俺の命などどうなろうとかまわない」
 フロイントの呟きが終わると共に、バルトロークの肉の残骸は煮立った脂の如く泡立ちながら床の上に溶け広げ、死した魔物が堕ちる永遠の虚無の牢獄へと沈んでいった。


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