フロイント

ねこうさぎしゃ

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バルトロークの城

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「アデライデ、そなたほど魂の光の強い人間をわたしは知らぬ。そなたの魂ひとつは百人の聖人のそれをも凌ぐ価値があるだろう。わたしの毒が効かぬなど、並みの人間にはありえぬことなのだからな」
「……毒──?」
 アデライデは半ば薄れかけた意識の陰からバルトロークの目を見つめた。バルトロークはアデライデの唇を冷たい指先の爪でなぞった。
「そう不安な顔をすることはない。毒とは言っても単なるスパイスのようなものだ。それもほんの微量のな。そなたの傷を舐めたとき、嫌悪と憎しみの感情を生む毒をそなたの体に入れたのだ。そなたがあの下級魔の元を自ら去る手助けをしてやろうとな。しかしそなたの血にわたしの毒は馴染まなかった。そう、このわたしの毒がそなたには効かなかったのだよ。そなたの高貴な魂の光が毒を浄化し、消し去ったのだ。実に驚異である。我が称賛に値する人間などそなたの他にはおらぬ。現に魔族でありながら、あの卑しい輩には効いたのだからな」
「……あの方にも、毒を……?」
 アデライデから遠ざかろうとしていた意識がぴたりと足を止めた。何かがアデライデの心を揺すり、その振動が遠のきかけた意識をも強く揺さぶって正気づかせようとしていた。徐々に焦点の合い始めた瞳に、バルトロークの残忍な笑いが映った。
「ただ治してやるだけではつまらぬだろう。あれにはそう、猜疑心と嫉妬の毒を仕込んでやったのだ」
 アデライデははっと意識を覚醒させると息を呑んだ。あの時分、フロイントの様子が常とは違い、自分に対して拒絶の壁を作っていたように感じたことの原因がバルトロークの毒にあったことを知り、大きく目を見開いた。
 バルトロークは黒い唇に酷薄な笑みを浮かべたまま、背筋を凍らせる声で低く囁いた。
「だが驚嘆すべきはそなたの光があれの毒すら浄化し、消し去ったことだ。アデライデ、なんと麗しく聖なる力に満たされた娘──。なんとしてもそなたの魂を我が手中にしてやろう──」
 アデライデは力いっぱいバルトロークの手を振り払うと、長椅子から飛び起きた。部屋の出入口に駆け寄って扉を開けようとしたが、ノブがどこにも見当たらず、渾身の力で扉を叩いた。
 バルトロークは感に堪えないと言った風情で大声を上げて笑った。
「アデライデ、そなたはなんとわたしを楽しませてくれることか!」
 アデライデはバルトロークを振り返った。その青い瞳には悲しみと憤りが光っていた。バルトロークは興をそそられたように身を乗り出した。
「……あの方と同じ魔族であると言うあなたは、けれどあの方とは全く違っています。あなたはただ自分の欲望のためだけにわたしの魂を欲している。でもあの方は違う。あの方はあの方の魂からわたしを伴侶にと求めてくださった……」
 バルトロークは笑いをこらえるように顔を歪ませた。
「おぉ、無垢なるアデライデ! 我ら魔族は魂を持たぬもの。ましてやあのように卑しき下級魔ごときが魂からそなたを求めるなどと申すとは……。まことい娘だ」
 アデライデの瞳からは涙がこぼれた。震える唇を開き、アデライデは吐息ほどの声で言った。
「でも、わたしにはあの方の魂が感じられるのです。まるで新月の夜のように、そこに月は見えずとも、夜の空の彼方には必ず月があるように、わたしにはあの方の魂が……」
 バルトロークは薄い笑いはそのままに瞳を光らせた。
「アデライデ、戯れもほどほどにせぬと、いかに愛しいそなたといえども許しがたくなってくるぞ」
 アデライデは頬に流れる涙を拭うと、バルトロークに強いまなざしを向けて言った。
「魔族の方に魂がないことは知っています。けれど、少なくともあの方の心はあなたのように凍てついてはおりません……!」
 バルトロークは再び大きな声を上げて笑った。
「凍てついた心か。それはいい。気に入ったぞ、アデライデ」
 バルトロークは傍らの卓から金の杯を取り上げると、冷たい笑いの刻まれた唇を葡萄酒で湿らせた。



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