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四つめの願い
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「アデライデよ……礼を言わねばならないのは俺の方だ。俺は……あの輝かしいラングリンドの森からおまえを一方的に連れ去った。それなのに、おまえはいつでも俺に対してやさしさを示し続けてくれた……」
フロイントは胸にあふれた熱い想いを吐き出すように、深い呼吸をした。
「アデライデ、おまえはこれまでずっと、自分のための願いをしてこなかった。最初は父親の安らぎを祈る願いをし、二番目からは俺を良くするための願いをした……。おまえを見つけるまで、俺は喜びや嬉しさ、幸福というものを知らなかった。すべておまえが俺に教え、与えてくれたものだ。おまえから学んだことはまだ他にもある。俺は正直なところ、人間というものは魔物とさして変わらない存在だと思っていた。異種のものを受け入れず、自分の欲望にのみ忠実で、他者を顧みることもなく、善行も所詮は偽善でしかない……それが人間だと思っていた。だが、おまえは違った。自分に不幸と災難をもたらした相手に対して──つまり、俺のような魔物に対して、慈悲と献身を示せるおまえのような人間がいようなど、俺は思いもしなかった……」
アデライデはフロイントの手を握る指先に力を込めた。
「思いもかけない誉れの言葉をありがとうございます……でも、わたしはあなたのことを不幸や災難をもたらした方だなんて思っていません。むしろその逆だとさえ思っています。……わたしはこれまで、ほんとうに心を許せる方に出会ったことがありませんでした。でも今はあなたといて、とても安らぎを感じるのです。あなたのそばにいると、わたしは安心できるのです。それに、わたしはいつだって自分自身のための願いをしてきました。それがあなたにとっても幸せを呼ぶ結果につながっているとしたなら、わたしはとても……嬉しいと思います」
アデライデの言葉はフロイントの頭にとろけるように響いた。信じられないほどの歓喜に体の奥底は震え、何もかもがフロイントの視界から消え去り、目の前で美しく微笑むアデライデの姿しか目に入らなかった。世界中に自分とアデライデしか存在していないのではないかとさえ思えるほどだった。やさしく自分を見つめるアデライデの微笑が、自分のためだけにあると錯覚してしまいそうだった。
アデライデはふと微笑を引き込むと、目を逸らして長いまつげを伏せた。
「……ほんとうのことを言えば、わたしはずっとこんな日が来ることを待ち望んでいたのかもしれません……」
「こんな日が……?」
フロイントの声はかすれ、かすかに震えを帯びていた。
「あのラングリンドの森で、父とふたり、幸せに暮らしていたのはほんとうです。でも、いつも心のどこかで何かを──誰かを待っていたような気がするのです。こうやってあなたとここで暮らしていると、わたしは自分の心がほんとうに満たされるのを感じます。……わたし、自分がずっと待っていたのはあなただったのではないかと、近頃ほんとうにそう思うのです……」
アデライデの頬に恥じらいの朱がさした。
この瞬間、たった今、フロイントは全身を貫く歓喜のために死んでしまっても構わないと思った。これ以上の幸福がこの世にあるとは思えなかった。自分がこれまで生きて来たのは、アデライデのこの言葉を聞くためだったのだと強く思った。その確信がフロイントの目に新たな涙を込み上げさせた。
「アデライデ……その言葉を聞けただけで、俺は──……」
フロイントは片方の手のひらで両目を覆って泣いた。フロイントの涙に、アデライデの胸は切なさを掻き立てられ、その青い瞳にも涙が浮かんでこぼれた。アデライデはフロイントのたくましい腕にそっと手を置いた。フロイントはアデライデを見、アデライデはフロイントを見た。ふたりはまたワルツを踊り出した。暖炉の炎に照らし出されたふたりの影が、ぴったりと寄り添うように正餐室の絨毯の上に伸びていた。その夜、ふたりは明け方を迎えても、ずっと手を取り合ったまま踊り続けていたのだった。
フロイントは胸にあふれた熱い想いを吐き出すように、深い呼吸をした。
「アデライデ、おまえはこれまでずっと、自分のための願いをしてこなかった。最初は父親の安らぎを祈る願いをし、二番目からは俺を良くするための願いをした……。おまえを見つけるまで、俺は喜びや嬉しさ、幸福というものを知らなかった。すべておまえが俺に教え、与えてくれたものだ。おまえから学んだことはまだ他にもある。俺は正直なところ、人間というものは魔物とさして変わらない存在だと思っていた。異種のものを受け入れず、自分の欲望にのみ忠実で、他者を顧みることもなく、善行も所詮は偽善でしかない……それが人間だと思っていた。だが、おまえは違った。自分に不幸と災難をもたらした相手に対して──つまり、俺のような魔物に対して、慈悲と献身を示せるおまえのような人間がいようなど、俺は思いもしなかった……」
アデライデはフロイントの手を握る指先に力を込めた。
「思いもかけない誉れの言葉をありがとうございます……でも、わたしはあなたのことを不幸や災難をもたらした方だなんて思っていません。むしろその逆だとさえ思っています。……わたしはこれまで、ほんとうに心を許せる方に出会ったことがありませんでした。でも今はあなたといて、とても安らぎを感じるのです。あなたのそばにいると、わたしは安心できるのです。それに、わたしはいつだって自分自身のための願いをしてきました。それがあなたにとっても幸せを呼ぶ結果につながっているとしたなら、わたしはとても……嬉しいと思います」
アデライデの言葉はフロイントの頭にとろけるように響いた。信じられないほどの歓喜に体の奥底は震え、何もかもがフロイントの視界から消え去り、目の前で美しく微笑むアデライデの姿しか目に入らなかった。世界中に自分とアデライデしか存在していないのではないかとさえ思えるほどだった。やさしく自分を見つめるアデライデの微笑が、自分のためだけにあると錯覚してしまいそうだった。
アデライデはふと微笑を引き込むと、目を逸らして長いまつげを伏せた。
「……ほんとうのことを言えば、わたしはずっとこんな日が来ることを待ち望んでいたのかもしれません……」
「こんな日が……?」
フロイントの声はかすれ、かすかに震えを帯びていた。
「あのラングリンドの森で、父とふたり、幸せに暮らしていたのはほんとうです。でも、いつも心のどこかで何かを──誰かを待っていたような気がするのです。こうやってあなたとここで暮らしていると、わたしは自分の心がほんとうに満たされるのを感じます。……わたし、自分がずっと待っていたのはあなただったのではないかと、近頃ほんとうにそう思うのです……」
アデライデの頬に恥じらいの朱がさした。
この瞬間、たった今、フロイントは全身を貫く歓喜のために死んでしまっても構わないと思った。これ以上の幸福がこの世にあるとは思えなかった。自分がこれまで生きて来たのは、アデライデのこの言葉を聞くためだったのだと強く思った。その確信がフロイントの目に新たな涙を込み上げさせた。
「アデライデ……その言葉を聞けただけで、俺は──……」
フロイントは片方の手のひらで両目を覆って泣いた。フロイントの涙に、アデライデの胸は切なさを掻き立てられ、その青い瞳にも涙が浮かんでこぼれた。アデライデはフロイントのたくましい腕にそっと手を置いた。フロイントはアデライデを見、アデライデはフロイントを見た。ふたりはまたワルツを踊り出した。暖炉の炎に照らし出されたふたりの影が、ぴったりと寄り添うように正餐室の絨毯の上に伸びていた。その夜、ふたりは明け方を迎えても、ずっと手を取り合ったまま踊り続けていたのだった。
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