フロイント

ねこうさぎしゃ

文字の大きさ
上 下
3 / 114
アデライデ

しおりを挟む
 ラングリンドという国は、光の妖精の女王が統治する良き光の国だった。女王の光の加護によって、ラングリンドには影が入り込むすき間はなかった。影というのは、この世にあらゆる憂いや不安や心配や争いをもたらす魔物たちのことで、妖精の女王はもう千年もの間ラングリンドをそうした魔物たちから守ってきたが、そろそろ引退の頃合いだと考えていた。
 ちょうどその頃、森の木こりの夫婦に、すばらしく美しい娘が生まれた。この夫婦は長くこどもに恵まれず、念願かなってやっと授かったひとり娘だった。アデライデと名づけられたこの赤ん坊は、その魂に宿した善良さと生まれ持ったやさしさのために光り輝いていた。アデライデの誕生は、森に住む妖精たちを通して女王の耳にも入った。女王はアデライデを一目見るなり、自分の後継者にふさわしいと思って喜んだ。とは言え、普通の人間であるアデライデに、ほんとうにラングリンドの女王が務まるかどうかはわからなかった。そこで妖精の女王は、しばらく様子を見てからすべてを決めることにしようと考えた。
 女王がそんなことを考えていることなど露とも知らないアデライデは、生あるすべての生き物たちの命が輝く森の奥、小さな小屋で日に日に美しく育っていった。幼いうちに母を亡くしてしまったことは不幸だったが、やさしく愛情深い父とふたり、心から慈しみあい、支えあって暮らしていた。
 アデライデが年頃になって来ると、その美しさにはさらに拍車がかかって、もはや光の妖精や仙女の類いと言われても、あっさり信じてしまいそうなほどに光を放って見えるのだった。アデライデをひそかに見守っていた女王は、それでもまだ決断しきれずにいた。アデライデは生きとし生けるものに愛情深く接し、森の獣や妖精たちも彼女を愛していたが、有事の際に魔と戦う力が備わっているかどうかは未知数のままだったのだ。
 決断の時を引き延ばしたままだったが、女王は余生を過ごす準備のためと、疲れた体を癒すため、生まれ故郷である妖精の国に帰ることにした。里帰りの間に充分考えて、アデライデを後継者にするかどうかについて、最終的な決定を下すことにしようと決めたのだ。
 しかし、その女王の不在の間に、アデライデは思いがけない事態に見舞われたのだった。


 その朝、アデライデは緑に燃えるようなラングリンドの豊かな森の中を、腕にさげたカゴに花を摘み入れながら歩き、出がけに父のミロンと交わした会話を思い出していた。父と向かい合っていつものようにささやかな朝食をしていると、父が思い出したように言い出した。
「そういえば、もうすぐ光のお祭りの時期だね。わしらもそろそろ準備をせねば」
「そうね、それじゃわたしはさっそく、今日はジャムにするキイチゴを集めてくるわ」
 ラングリンドでは一年で最も光の強くなる夏の三日間、女王の宮殿のふもとの町で光の祭りが催される。親子は毎年、森に自生するベリーなどで作ったジャムや、前の年の冬から保存しておいた木の実で焼いたクッキー、ミロンの手仕事による木工品のほか、森に咲く珍しい花や薬草などを携えて祭りに参加していた。
「うむ、そうだな……」
 ミロンは頷きながら、目の前に座る美しい愛娘を眺めた。遅くにできたひとり娘であるため、アデライデを愛しく思う気持ちはひとしおだったが、老齢といえる域に差しかかる年齢を迎えつつある今、娘に対する愛情は様々な心配や希望が入り混じって、ミロンの心にいろいろな思いを抱かせていた。
 そんな父の視線に気づいたアデライデは、スープを口元に運ぶ手を止め、青く澄んだ瞳に微笑をたたえ、小首を傾げた。
「なぁに、お父さん?」
「うん、いや、なに……」
 ミロンは日に日に輝きを増していく大切な娘をまぶしく見つめながら、近頃すっかり薄くなった頭に手をやった。
「おまえもすっかり娘らしくなったと思ってな。こんな森の中で、わしと暮らしているのはもったいない。どうだろう、そろそろおまえも結婚を考える頃じゃないかな? ひとつ今度のお祭りのときは、おまえにふさわしい町の若者をさがしてみようじゃないか」
 アデライデは顔を曇らせて首を振った。
「お父さん、そんな話はやめて。わたしは誰とも結婚しないわ。ここを離れるなんて……お父さんと離れて暮らすなんて考えられないわ」
「なに、おまえがどうしてもここで暮らしたいのなら、森で仕事をしてくれる若者を見つけられるように……」
「そういうことじゃないわ」
 思いのほか沈んだ声が出て、アデライデは父を心配させまいと慌てて笑顔を取り繕った。
「わたしには、まだ結婚なんて早いわ」
「しかしなぁ、町の娘さんたちを見れば、おまえの年頃で結婚することはそんなに早すぎるというわけじゃないだろうし……」
「お父さん、わたしはまだ十七年しか生きていないのよ? 結婚に必要なことを、まだ何も知らないわ」
「アデライデ、結婚するのに知っておかなければいけないことなんて、何もないんだよ。ただお互いを心から信頼してさえいればいいんだ」
 ミロンは幼いこどもに教え諭すようなやさしい口調で言ったが、アデライデは黙って俯いてしまった。ミロンは娘の思い悩むような様子に胸を痛めた。早くに母を亡くし、ミロンもその後別の女性を家に向かえるようなことをしなかったために、アデライデには夫婦というものが理解できないのではないだろうかと、内心ではいつも心配していたのだ。
 アデライデはほんとうに美しい娘で、親の欲目を抜きにしても、おそらくはラングリンドでいちばんの美女と言っても言い過ぎではないだろう。実際、アデライデがまだほんの子どもの頃から、あちこちの家からアデライデを嫁にくれないかという申し出を受けてきた。ラングリンドは国の性質上、よその国々とは違って職業や身分による差別や偏見というものはほとんどなかったが、それでも一介の木こりの娘には分不相応ともいえる家柄からの打診も多くあった。それらのすべてを、アデライデはやんわりと拒否し続けてきた。かと言って、誰かひそかに想う相手がいるのかと問うても、そんな人はいないとはっきり否定する。アデライデは結婚というものに関心を示さないというのではなく、嫌がっているようにさえミロンの目には見えた。
「なぁ、アデライデ。そりゃわしだって、ほんとうはずっとおまえと一緒に、この森のなかで暮らしたいと思っているよ。だがわしももう若くはない。いつまでもおまえのそばにいてやれるわけではない。いつか、おまえより先に、わしは死んでしまう。そうなった後で、おまえがこんな深い森の中にたったひとりでいるかと思うと、わしは心配で夜も眠れないんだよ」
「……」
 アデライデは透き通る空のような瞳に悲しげな色を浮かべてミロンを見つめた。その目に、ミロンの心もまた痛むようだった。
「可愛いアデライデや、わしはただおまえの幸せだけを、いつも願っているんだよ……」
 父の愛のこもった言葉に、アデライデは悲しい瞳のまま微笑んだ───

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

記憶がないので離縁します。今更謝られても困りますからね。

せいめ
恋愛
 メイドにいじめられ、頭をぶつけた私は、前世の記憶を思い出す。前世では兄2人と取っ組み合いの喧嘩をするくらい気の強かった私が、メイドにいじめられているなんて…。どれ、やり返してやるか!まずは邸の使用人を教育しよう。その後は、顔も知らない旦那様と離婚して、平民として自由に生きていこう。  頭をぶつけて現世記憶を失ったけど、前世の記憶で逞しく生きて行く、侯爵夫人のお話。   ご都合主義です。誤字脱字お許しください。

〖完結〗私が死ねばいいのですね。

藍川みいな
恋愛
侯爵令嬢に生まれた、クレア・コール。 両親が亡くなり、叔父の養子になった。叔父のカーターは、クレアを使用人のように使い、気に入らないと殴りつける。 それでも懸命に生きていたが、ある日濡れ衣を着せられ連行される。 冤罪で地下牢に入れられたクレアを、この国を影で牛耳るデリード公爵が訪ねて来て愛人になれと言って来た。 クレアは愛するホルス王子をずっと待っていた。彼以外のものになる気はない。愛人にはならないと断ったが、デリード公爵は諦めるつもりはなかった。処刑される前日にまた来ると言い残し、デリード公爵は去って行く。 そのことを知ったカーターは、クレアに毒を渡し、死んでくれと頼んで来た。 設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 全21話で完結になります。

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

兄を溺愛する母に捨てられたので私は家族を捨てる事にします!

ユウ
恋愛
幼い頃から兄を溺愛する母。 自由奔放で独身貴族を貫いていた兄がようやく結婚を決めた。 しかし、兄の結婚で全てが崩壊する事になった。 「今すぐこの邸から出て行ってくれる?遺産相続も放棄して」 「は?」 母の我儘に振り回され同居し世話をして来たのに理不尽な理由で邸から追い出されることになったマリーは自分勝手な母に愛想が尽きた。 「もう縁を切ろう」 「マリー」 家族は夫だけだと思い領地を離れることにしたそんな中。 義母から同居を願い出られることになり、マリー達は義母の元に身を寄せることになった。 対するマリーの母は念願の新生活と思いきや、思ったように進まず新たな嫁はびっくり箱のような人物で生活にも支障が起きた事でマリーを呼び戻そうとするも。 「無理ですわ。王都から領地まで遠すぎます」 都合の良い時だけ利用する母に愛情はない。 「お兄様にお任せします」 実母よりも大事にしてくれる義母と夫を優先しすることにしたのだった。

【完結】婚約者の義妹と恋に落ちたので婚約破棄した処、「妃教育の修了」を条件に結婚が許されたが結果が芳しくない。何故だ?同じ高位貴族だろう?

つくも茄子
恋愛
国王唯一の王子エドワード。 彼は婚約者の公爵令嬢であるキャサリンを公の場所で婚約破棄を宣言した。 次の婚約者は恋人であるアリス。 アリスはキャサリンの義妹。 愛するアリスと結婚するには「妃教育を修了させること」だった。 同じ高位貴族。 少し頑張ればアリスは直ぐに妃教育を終了させると踏んでいたが散々な結果で終わる。 八番目の教育係も辞めていく。 王妃腹でないエドワードは立太子が遠のく事に困ってしまう。 だが、エドワードは知らなかった事がある。 彼が事実を知るのは何時になるのか……それは誰も知らない。 他サイトにも公開中。

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

【本編完結】さようなら、そしてどうかお幸せに ~彼女の選んだ決断

Hinaki
ファンタジー
16歳の侯爵令嬢エルネスティーネには結婚目前に控えた婚約者がいる。 23歳の公爵家当主ジークヴァルト。 年上の婚約者には気付けば幼いエルネスティーネよりも年齢も近く、彼女よりも女性らしい色香を纏った女友達が常にジークヴァルトの傍にいた。 ただの女友達だと彼は言う。 だが偶然エルネスティーネは知ってしまった。 彼らが友人ではなく想い合う関係である事を……。 また政略目的で結ばれたエルネスティーネを疎ましく思っていると、ジークヴァルトは恋人へ告げていた。 エルネスティーネとジークヴァルトの婚姻は王命。 覆す事は出来ない。 溝が深まりつつも結婚二日前に侯爵邸へ呼び出されたエルネスティーネ。 そこで彼女は彼の私室……寝室より聞こえてくるのは悍ましい獣にも似た二人の声。 二人がいた場所は二日後には夫婦となるであろうエルネスティーネとジークヴァルトの為の寝室。 これ見よがしに少し開け放たれた扉より垣間見える寝台で絡み合う二人の姿と勝ち誇る彼女の艶笑。 エルネスティーネは限界だった。 一晩悩んだ結果彼女の選んだ道は翌日愛するジークヴァルトへ晴れやかな笑顔で挨拶すると共にバルコニーより身を投げる事。 初めて愛した男を憎らしく思う以上に彼を心から愛していた。 だから愛する男の前で死を選ぶ。 永遠に私を忘れないで、でも愛する貴方には幸せになって欲しい。 矛盾した想いを抱え彼女は今――――。 長い間スランプ状態でしたが自分の中の性と生、人間と神、ずっと前からもやもやしていたものが一応の答えを導き出し、この物語を始める事にしました。 センシティブな所へ触れるかもしれません。 これはあくまで私の考え、思想なのでそこの所はどうかご容赦して下さいませ。

処理中です...