3 / 15
一年目 ~移民の歌~
2
しおりを挟む
八畳のフローリングの部屋に、実家から持ってきたスーツケースとギター、前もって送っておいた段ボール箱を広げてみたが、中身は思ったよりも少なく、それもクローゼットやキッチンなど、仕舞うべき場所に仕舞うと、部屋はずいぶんがらんとしてしまった。家具店で注文して、明日には届くであろう本棚やベッドはもう一つの部屋を寝室として使ってそこに置くつもりだから、ここにはあと机と椅子を置くくらいだ。
調度品を置くにしたって何を置いていいのかなんて分からないし、そもそもそんなものを買うほどの余裕は僕の財布にはない。余った面積が寂しいので、買ったばかりのギターを置いてみたけれど、部屋の真ん中にぽつんと置かれたギターはとても侘しく、「アアァーアアー!」と唸るはずが「あーあぁ・・・・・・」とため息をついていた。
大学生活が始まれば、きっと嫌でも物は増えるのだろうと納得した僕は、次にキッチンの整理を始めた。ひとり暮らしだから物は少ないが、これからここで生活するのだという意識を高めるには食器の整理が一番だと、母さんが言っていた。
キッチンの整理といっても、そういったことは母さんが全部やってくれていたので何をしていいのかよく分からないけれど、せっかくだからと新しく買い揃えた箸やスプーンを洗うことから始めた。すると、母さんが言った通り、この部屋で生きていくという実感が沸いてきた。
「アアァーアアー」
僕は小声で口ずさんだ。人生の出発点には、まずこの曲である。「移民の歌」というタイトルも、引っ越してきて新しい生活を始める僕にはぴったりな気がした。
実は最初のシャウト以外何を言っているのか分からないけれど、それで十分だ。ロックに必要なのは言葉よりも魂なのだ。口ずさめば口ずさむほど僕のテンションは上がり、魂が熱くなるのを感じる。
アアァーアアー!
何回くらいシャウトしたか分からないが、僕の魂が絶好調に震えていた頃だ。インターフォンが鳴り響く音に、僕は現実世界に引き戻された。
「移民の歌?」
耳に当てた受話器から聞こえてきたのは、さっきまで僕が口ずさんでいた曲のタイトルだった。
「移民の歌だろう?」
返事するのも忘れ、僕は思わず窓を見た。閉まっている。外までは漏れないはずだ。考えられるのは隣の部屋だ。しかし、それほど大きな声でシャウトしていた訳ではない。そもそも、人一倍恥ずかしがり屋の僕が、たとえひとりであっても、大声でシャウトなどできるはずがない。ギターを持つ僕を見た大家さんが「防音は問題ないと思うけど、あんまり大きな音で弾いちゃダメよ」と言っていたから、壁が薄いとも思えない。となると、考えたくはないが、僕の魂のシャウトが防音設備、もしくは窓の限界点を突破したということか。
途端に火がついたように顔が熱くなった。きっと僕のギターくらいに真っ赤になっていると思う。ジミー・ペイジのギターやボンゾのドラムをバックに、ロバート・プラントが叫んでこそ伝説のシャウトだ。僕のはただのおたけびだ。
もし、僕の。努めて冷静に考える。もし僕の部屋の隣に引っ越してきた男が初日から奇妙なおたけびをあげていたら、きっと怖くて仕方ない。そして、今叫んでいたのは僕だから、恥ずかしくて仕方ない。
それでも受話器の向こうでは誰かが返事を待っているのだから、返事をしなければ失礼である。
「はい、そうですが・・・・・・」
怯える僕に相手は涼しい声で畳み掛けてきた。
「いいね、レッド・ツェッペリン。俺も好きなんだ。古いといわれるけど、本当にいいものは色褪せない。それが本物の芸術だと思うんだ。『天国への階段』も『胸いっぱいの愛を』もいいけど、『移民の歌』のシャウトは最高だ。そう思わないか?」
何なのだ、この人は。
「ええ、はい。まあ、そう、思います」
「だからずっと吠えてるんだもんな」
やはり聞こえていたらしい。自然に壁と窓に目が行く。視界がなんだか揺れているのは、僕が恥ずかしさのあまりぷるぷる震えているのだろう。
「今君とレッド・ツェッペリンについて熱く語り合うのも、休日の過ごし方としては悪くないと思うんだが、それよりも今日は引っ越しの挨拶に来たんだ」
僕の他にも引っ越してきた人がいるのだろうか。大学も近いアパートだから、今の時期なら引っ越してきた学生がいても不思議ではない。
「俺は隣に住んでいる戸田っていうんだけど、今日引っ越してくる人がいると聞いたもんでね。インターフォン越しに挨拶というのもなんだし、ドアを開けてくれるとありがたいんだが」
頭の中に「?」が浮かんだ。ほどなくしてその横にもうひとつ「?」が増えた。
まだまだ短いとはいえ、それなりに真面目に生きてきたつもりの僕は、二十年分の常識はあるつもりだ。おそらく挨拶に出向くのは引っ越してきた僕の方であって、今玄関にいる人はおそらく何もしなくてもいい、出迎えて頂ければ幸い、という立場だと思う。とはいえ、僕はまだまだ若干二十歳の小僧であるから、知らないことなど世の中に無数にある。ひょっとしたら東京では誰かが引っ越してきたら挨拶に出向く、というのが普通なのかもしれない。
調度品を置くにしたって何を置いていいのかなんて分からないし、そもそもそんなものを買うほどの余裕は僕の財布にはない。余った面積が寂しいので、買ったばかりのギターを置いてみたけれど、部屋の真ん中にぽつんと置かれたギターはとても侘しく、「アアァーアアー!」と唸るはずが「あーあぁ・・・・・・」とため息をついていた。
大学生活が始まれば、きっと嫌でも物は増えるのだろうと納得した僕は、次にキッチンの整理を始めた。ひとり暮らしだから物は少ないが、これからここで生活するのだという意識を高めるには食器の整理が一番だと、母さんが言っていた。
キッチンの整理といっても、そういったことは母さんが全部やってくれていたので何をしていいのかよく分からないけれど、せっかくだからと新しく買い揃えた箸やスプーンを洗うことから始めた。すると、母さんが言った通り、この部屋で生きていくという実感が沸いてきた。
「アアァーアアー」
僕は小声で口ずさんだ。人生の出発点には、まずこの曲である。「移民の歌」というタイトルも、引っ越してきて新しい生活を始める僕にはぴったりな気がした。
実は最初のシャウト以外何を言っているのか分からないけれど、それで十分だ。ロックに必要なのは言葉よりも魂なのだ。口ずさめば口ずさむほど僕のテンションは上がり、魂が熱くなるのを感じる。
アアァーアアー!
何回くらいシャウトしたか分からないが、僕の魂が絶好調に震えていた頃だ。インターフォンが鳴り響く音に、僕は現実世界に引き戻された。
「移民の歌?」
耳に当てた受話器から聞こえてきたのは、さっきまで僕が口ずさんでいた曲のタイトルだった。
「移民の歌だろう?」
返事するのも忘れ、僕は思わず窓を見た。閉まっている。外までは漏れないはずだ。考えられるのは隣の部屋だ。しかし、それほど大きな声でシャウトしていた訳ではない。そもそも、人一倍恥ずかしがり屋の僕が、たとえひとりであっても、大声でシャウトなどできるはずがない。ギターを持つ僕を見た大家さんが「防音は問題ないと思うけど、あんまり大きな音で弾いちゃダメよ」と言っていたから、壁が薄いとも思えない。となると、考えたくはないが、僕の魂のシャウトが防音設備、もしくは窓の限界点を突破したということか。
途端に火がついたように顔が熱くなった。きっと僕のギターくらいに真っ赤になっていると思う。ジミー・ペイジのギターやボンゾのドラムをバックに、ロバート・プラントが叫んでこそ伝説のシャウトだ。僕のはただのおたけびだ。
もし、僕の。努めて冷静に考える。もし僕の部屋の隣に引っ越してきた男が初日から奇妙なおたけびをあげていたら、きっと怖くて仕方ない。そして、今叫んでいたのは僕だから、恥ずかしくて仕方ない。
それでも受話器の向こうでは誰かが返事を待っているのだから、返事をしなければ失礼である。
「はい、そうですが・・・・・・」
怯える僕に相手は涼しい声で畳み掛けてきた。
「いいね、レッド・ツェッペリン。俺も好きなんだ。古いといわれるけど、本当にいいものは色褪せない。それが本物の芸術だと思うんだ。『天国への階段』も『胸いっぱいの愛を』もいいけど、『移民の歌』のシャウトは最高だ。そう思わないか?」
何なのだ、この人は。
「ええ、はい。まあ、そう、思います」
「だからずっと吠えてるんだもんな」
やはり聞こえていたらしい。自然に壁と窓に目が行く。視界がなんだか揺れているのは、僕が恥ずかしさのあまりぷるぷる震えているのだろう。
「今君とレッド・ツェッペリンについて熱く語り合うのも、休日の過ごし方としては悪くないと思うんだが、それよりも今日は引っ越しの挨拶に来たんだ」
僕の他にも引っ越してきた人がいるのだろうか。大学も近いアパートだから、今の時期なら引っ越してきた学生がいても不思議ではない。
「俺は隣に住んでいる戸田っていうんだけど、今日引っ越してくる人がいると聞いたもんでね。インターフォン越しに挨拶というのもなんだし、ドアを開けてくれるとありがたいんだが」
頭の中に「?」が浮かんだ。ほどなくしてその横にもうひとつ「?」が増えた。
まだまだ短いとはいえ、それなりに真面目に生きてきたつもりの僕は、二十年分の常識はあるつもりだ。おそらく挨拶に出向くのは引っ越してきた僕の方であって、今玄関にいる人はおそらく何もしなくてもいい、出迎えて頂ければ幸い、という立場だと思う。とはいえ、僕はまだまだ若干二十歳の小僧であるから、知らないことなど世の中に無数にある。ひょっとしたら東京では誰かが引っ越してきたら挨拶に出向く、というのが普通なのかもしれない。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
連れ子が中学生に成長して胸が膨らむ・・・1人での快感にも目覚て恥ずかしそうにベッドの上で寝る
マッキーの世界
大衆娯楽
連れ子が成長し、中学生になった。
思春期ということもあり、反抗的な態度をとられる。
だが、そんな反抗的な表情も妙に俺の心を捉えて離さない。
「ああ、抱きたい・・・」
お嬢様、お仕置の時間です。
moa
恋愛
私は御門 凛(みかど りん)、御門財閥の長女として産まれた。
両親は跡継ぎの息子が欲しかったようで女として産まれた私のことをよく思っていなかった。
私の世話は執事とメイド達がしてくれていた。
私が2歳になったとき、弟の御門 新(みかど あらた)が産まれた。
両親は念願の息子が産まれたことで私を執事とメイド達に渡し、新を連れて家を出ていってしまった。
新しい屋敷を建ててそこで暮らしているそうだが、必要な費用を送ってくれている以外は何も教えてくれてくれなかった。
私が小さい頃から執事としてずっと一緒にいる氷川 海(ひかわ かい)が身の回りの世話や勉強など色々してくれていた。
海は普段は優しくなんでもこなしてしまう完璧な執事。
しかし厳しいときは厳しくて怒らせるとすごく怖い。
海は執事としてずっと一緒にいると思っていたのにある日、私の中で何か特別な感情がある事に気付く。
しかし、愛を知らずに育ってきた私が愛と知るのは、まだ先の話。
お兄ちゃんはお医者さん!?
すず。
恋愛
持病持ちの高校1年生の女の子。
如月 陽菜(きさらぎ ひな)
病院が苦手。
如月 陽菜の主治医。25歳。
高橋 翔平(たかはし しょうへい)
内科医の医師。
※このお話に出てくるものは
現実とは何の関係もございません。
※治療法、病名など
ほぼ知識なしで書かせて頂きました。
お楽しみください♪♪
歩みだした男の娘
かきこき太郎
ライト文芸
男子大学生の君島海人は日々悩んでいた。変わりたい一心で上京してきたにもかかわらず、変わらない生活を送り続けていた。そんなある日、とある動画サイトで見た動画で彼の心に触れるものが生まれる。
それは、女装だった。男である自分が女性のふりをすることに変化ができるとかすかに希望を感じていた。
女装を続けある日、外出女装に出てみた深夜、一人の女子高生と出会う。彼女との出会いは運命なのか、まだわからないが彼女は女装をする人が大好物なのであった。
美しいお母さんだ…担任の教師が家庭訪問に来て私を見つめる…手を握られたその後に
マッキーの世界
大衆娯楽
小学校2年生になる息子の担任の教師が家庭訪問にくることになった。
「はい、では16日の午後13時ですね。了解しました」
電話を切った後、ドキドキする気持ちを静めるために、私は計算した。
息子の担任の教師は、俳優の吉○亮に激似。
そんな教師が
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる