上 下
5 / 9

異世界転移は突然に②

しおりを挟む
 異世界転移後、ちとせがいたのは煤けた色の壁をした建物に囲まれた、薄暗い路地裏だった。

『あら、貴女は異世界からの迷い人ね』
『……迷い人?』

 自分の置かれている状況について行けず、混乱しながら路地を彷徨っていたちとせを拾ってくれたのは、黒猫亭のマスターだった。
 グレイ色の髪をまとめて簪を挿し着物を着た初老の女性、それが黒猫亭マスターのマダムフジコ。
 マダムフジコはちとせと同じ世界、昭和初期の時代から此方の世界へ来た転移者だった。

 時空の歪みを感じ取ったマダムフジコは、自分と同じように転移者が現れたことを察知し、ちとせを探していたのだという。
 黒猫亭の奥にある、マダムフジコの私室へ通されたちとせは「異世界転移」というファンタジーな言葉を聞き、茫然自失になった。

『信じられないでしょうね。私が生まれた時代、あの世界では戦争をしていてね。家で母の手伝いをしている時に、落ちてきた爆弾の爆風で吹き飛ばされて……気を失って目を覚ましたらこの世界の荒野にいたのよ。泣いていた私を通りがかった冒険者パーティーが助けてくれて、彼等と一緒に世界中を回ったわ』

 目を細めたマダムフジコは、持っている煙管の口元に口を付けて吸い、甘い香りがする薄桃色の煙を吐き出した。

『元の世界に戻る方法も探したけれど、私には見付けられなかった。冒険者を引退した後、夫と一緒にギルドを創ったの。ちとせが出会ったという女性は、おそらく魔女でしょう。高位の魔女は人の範疇から外れているため、膨大な魔力を後継者に受け渡さなければ死ねないと、昔、魔女の友人から聞いたことがあるわ』
『魔力? そういえば、代替わりとか言われたような気がする』

 俯いたちとせは、小刻みに震える手を見る。
 女性に掴まれた手首は未だに彼女の指の痕が残り、体中に流し込まれた電流のようなものの余韻は残っていた。

『今はまだ混乱していて、受け入れるのは無理でしょう。とりあえず、身の振り方を決めるまでうちのギルドで働いて、この世界のことを知りなさい』

 煙管を灰皿の上に置いたマダムフジコはにっこりと微笑んだ。


 ***


 黒猫亭から十分程歩いた場所に建つこじんまりした借家。
 家族で住むには手狭だが、一人暮らしには十分な広さのあるこの家は黒猫亭のマスター、マダムフジコの所有物であり、ちとせはギルドに登録することを条件に破格の値段で借りていた。

「わんわんわんっ」

 ちとせの帰宅に気が付いた隣人の飼い犬が尻尾を振って駆け寄り、隣家と借家の間に設置してあるフェンスに飛びついた。

「しー、ただいま」

 フェンスの隙間から手を入れて、甘えて来る犬の頭を撫でる。
 一頻りなでた後、借家の扉にはめ込まれている青色の魔石に手をかざし、魔力を流し込む。

 がちゃりっ
 扉に埋め込まれた魔石がちとせの魔力を認識し、扉から開錠音を発する。
 玄関で靴を脱いで室内用スリッパに履き替え、玄関と繋がっているリビングダイニングの椅子の上に、肩から掛けていたトートバッグを置いた。

「はぁ、疲れたな―」

 トートバッグの中から取り出した水筒に口をつけて果実水を一口飲む。
 今すぐ入浴して汗を洗い流したいところだが、この後追加の仕事が控えているから出来ない。

「仕方ないか」

 息を吐いたちとせは、体と服に浄化魔法をかけて身綺麗にする。

(着替えと化粧は……このままでいいか。追加依頼してきたのはあっちだし、特に気にしないだろうし。フジコさんが引き受けたのだから、危ないこと無いでしょう)

 黒猫亭に登録してある基本勤務時間は、朝八時から夕方五時まで。
 王立学園の夜会は仕方がないとはいえ、追加の仕事は完全に勤務時間外だった。

 ソファーに座り、テーブルの上に置いてある手鏡を手にして、ちとせは手鏡に映る自分の顔を凝視する。
 元の世界にいた頃より、規則正しい生活を送っているおかげで顔色も良く、目の下の隈も薄くなっていた。
 この世界では、内包する魔力によって成人後の見た目に変化がでるという。外見が幼くなっているのはちとせの魔力量は多いということ。
 魔力量の多さと転移者だということを知っている者は、マダムフジコと追加依頼をしてくれたアレクシスのみ。
 元の世界に比べて、危険なことが多いこの世界では、自衛しなければ生きていけない。
 念の為、ちとせが内包する膨大な魔力と生活魔法以外の高位魔法を使えることは秘密にしていた。

「あ、そうだった」

 手鏡をテーブルの上に置き、トートバックから受付嬢から渡されたマダムフジコの手紙を取り出す。
 封筒の封を破り中に入っている便箋を開いて、書かれている内容を読んでいくうちにちとせの眉間に皺がよっていく。

(「そろそろ閣下を受け入れてあげたら?」って、どういうこと!? 恋愛関係じゃないって、違うって何度も言っているのに!)

 指先に力が入り過ぎて、破りそうになった手紙を折り畳んで封筒に仕舞い膝の上に置いて、ちとせはテーブルに突っ伏した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

自称ヒロインに「あなたはモブよ!」と言われましたが、私はモブで構いません!!

ゆずこしょう
恋愛
ティアナ・ノヴァ(15)には1人の変わった友人がいる。 ニーナ・ルルー同じ年で小さい頃からわたしの後ろばかり追ってくる、少しめんどくさい赤毛の少女だ。 そしていつも去り際に一言。 「私はヒロインなの!あなたはモブよ!」 ティアナは思う。 別に物語じゃないのだし、モブでいいのではないだろうか… そんな一言を言われるのにも飽きてきたので私は学院生活の3年間ニーナから隠れ切ることに決めた。

英雄は初恋の相手を逃がさない

よしゆき
恋愛
エマは森の中で少年を助ける。守るつもりのない再会の約束を交わし、少年と別れてから十数年後。国の英雄へと成長した彼と再会し、結婚を迫られる話。

壁の花令嬢の最高の結婚

晴 菜葉
恋愛
 壁の花とは、舞踏会で誰にも声を掛けてもらえず壁に立っている適齢期の女性を示す。  社交デビューして五年、一向に声を掛けられないヴィンセント伯爵の実妹であるアメリアは、兄ハリー・レノワーズの悪友であるブランシェット子爵エデュアルト・パウエルの心ない言葉に傷ついていた。  ある日、アメリアに縁談話がくる。相手は三十歳上の財産家で、妻に暴力を働いてこれまでに三回離縁を繰り返していると噂の男だった。  アメリアは自棄になって家出を決行する。  行く当てもなく彷徨いていると、たまたま賭博場に行く途中のエデュアルトに出会した。  そんなとき、彼が暴漢に襲われてしまう。  助けたアメリアは、背中に消えない傷を負ってしまった。  乙女に一生の傷を背負わせてしまったエデュアルトは、心底反省しているようだ。 「俺が出来ることなら何だってする」  そこでアメリアは考える。  暴力を振るう亭主より、女にだらしない放蕩者の方がずっとマシ。 「では、私と契約結婚してください」 R18には※をしています。    

ほらやっぱり、結局貴方は彼女を好きになるんでしょう?

望月 或
恋愛
ベラトリクス侯爵家のセイフィーラと、ライオロック王国の第一王子であるユークリットは婚約者同士だ。二人は周りが羨むほどの相思相愛な仲で、通っている学園で日々仲睦まじく過ごしていた。 ある日、セイフィーラは落馬をし、その衝撃で《前世》の記憶を取り戻す。ここはゲームの中の世界で、自分は“悪役令嬢”だということを。 転入生のヒロインにユークリットが一目惚れをしてしまい、セイフィーラは二人の仲に嫉妬してヒロインを虐め、最後は『婚約破棄』をされ修道院に送られる運命であることを―― そのことをユークリットに告げると、「絶対にその彼女に目移りなんてしない。俺がこの世で愛しているのは君だけなんだ」と真剣に言ってくれたのだが……。 その日の朝礼後、ゲームの展開通り、ヒロインのリルカが転入してくる。 ――そして、セイフィーラは見てしまった。 目を見開き、頬を紅潮させながらリルカを見つめているユークリットの顔を―― ※作者独自の世界設定です。ゆるめなので、突っ込みは心の中でお手柔らかに願います……。 ※たまに第三者視点が入ります。(タイトルに記載)

午前0時の禁断の恋

狭山雪菜
恋愛
20歳の誕生日に義父に告白した娘 お互い朝まで求めあう2人は、母の夜勤でいない日に身体を重ね溺れている そんな2人の1日半の出来事です。 この作品は「小説家になろう」にも掲載しております。

【完結】アシュリンと魔法の絵本

秋月一花
児童書・童話
 田舎でくらしていたアシュリンは、家の掃除の手伝いをしている最中、なにかに呼ばれた気がして、使い魔の黒猫ノワールと一緒に地下へ向かう。  地下にはいろいろなものが置いてあり、アシュリンのもとにビュンっとなにかが飛んできた。  ぶつかることはなく、おそるおそる目を開けるとそこには本がぷかぷかと浮いていた。 「ほ、本がかってにうごいてるー!」 『ああ、やっと私のご主人さまにあえた! さぁあぁ、私とともに旅立とうではありませんか!』  と、アシュリンを旅に誘う。  どういうこと? とノワールに聞くと「説明するから、家族のもとにいこうか」と彼女をリビングにつれていった。  魔法の絵本を手に入れたアシュリンは、フォーサイス家の掟で旅立つことに。  アシュリンの夢と希望の冒険が、いま始まる! ※ほのぼの~ほんわかしたファンタジーです。 ※この小説は7万字完結予定の中編です。 ※表紙はあさぎ かな先生にいただいたファンアートです。

二人の公爵令嬢 どうやら愛されるのはひとりだけのようです

矢野りと
恋愛
ある日、マーコック公爵家の屋敷から一歳になったばかりの娘の姿が忽然と消えた。 それから十六年後、リディアは自分が公爵令嬢だと知る。 本当の家族と感動の再会を果たし、温かく迎え入れられたリディア。 しかし、公爵家には自分と同じ年齢、同じ髪の色、同じ瞳の子がすでにいた。その子はリディアの身代わりとして縁戚から引き取られた養女だった。 『シャロンと申します、お姉様』 彼女が口にしたのは、両親が生まれたばかりのリディアに贈ったはずの名だった。 家族の愛情も本当の名前も婚約者も、すでにその子のものだと気づくのに時間は掛からなかった。 自分の居場所を見つけられず、葛藤するリディア。 『……今更見つかるなんて……』 ある晩、母である公爵夫人の本音を聞いてしまい、リディアは家族と距離を置こうと決意する。  これ以上、傷つくのは嫌だから……。 けれども、公爵家を出たリディアを家族はそっとしておいてはくれず……。 ――どうして誘拐されたのか、誰にひとりだけ愛されるのか。それぞれの事情が絡み合っていく。 ◇家族との関係に悩みながらも、自分らしく生きようと奮闘するリディア。そんな彼女が自分の居場所を見つけるお話です。 ※この作品の設定は架空のものです。 ※作品の内容が合わない時は、そっと閉じていただければ幸いです。 ※執筆中は余裕がないため、感想への返信はお礼のみになっております。……本当に申し訳ございませんm(_ _;)m

ラスト・メダル ~救国の英雄、最後の14日間

アサギリナオト
恋愛
救国の英雄と呼ばれたアベルは帝国との戦に敗れ、帝都の地下牢獄に囚われていた。 彼の処刑まで、あと二週間。 アベルは牢獄の中で幼なじみの少女――エミリアと再会し、彼女に生死の選択を迫られる。 これは名もなき英雄が死に際に遺した最期の物語である。

処理中です...