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第1章

腕の中は檻の中

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 アルブレヒト・アインヴォルフがシャルロット・シャロ・ヒュントヘンに求婚したという事実を目の当たりにした、いわば証人は老若男女に大勢いた。
 なぜならここが当のシャルロットの誕生日を祝う席であったからだ。
 シャルロットを溺愛するヒュントヘン公爵が大勢の貴族を招いたーーそれを、アルブレヒトが利用した、それだけのことだった。
 シャルロットは、公爵家にとっては、国の歴史に残る仔犬姫の再来ーーヒュントヘンの仔犬姫というだけの存在ではなかった。伝説にすぎないものを、あの現実主義者の公爵は重視しない。
 だから、家族として愛されていたとわかってホッとした。シャルロットが笑っていたから、アルブレヒトはシャルロットのなかのシャロに気付いたのだ。
 仔犬姫は、愛犬という言葉は、単なる伝説ではない。アルブレヒトの、ひいては王家の人間にとって、愛犬という存在は運命の相手にも等しいのだ。
 かつてアインヴォルフ王家から枝分かれしたヒュントヘン公爵家だからこそ、わずかならぬ王家の血が流れているからこそ、誰よりもそれを理解していたはずだ。
 8年前のあの日、シャロを喪い、抜け殻のようになっていたアルブレヒトを叱咤し、立ち直らせたのさヒュントヘン公爵だ。彼は誰よりアルブレヒトにとってのシャロをーー王家の人間にとっての愛犬を知っていた。
 だからこそ、産まれたばかりのシャルロットに、シャロ、などと名付けたのだ。
 彼女こそがシャロなのだとわかったから。見た目ではない、声ではなく、魂でもない。彼の血が、シャルロットを王家の愛犬だと位置付けた。
 それでも、公爵を、いいや、公爵一家を見れば、どれだけシャルロットが、末の娘として愛されているかがわかった。
その愛情は義務ではなかった。皮肉にも、アルブレヒトが親の愛を受けなかったからこそ理解できることだ。

「ええ、よろこんで」

 舌足らずな声が気取ってつげた承諾に、アルブレヒトは歓喜し、ヒュントヘン公爵はうなだれた。
 愛犬を求める王家の人間の、その執着心を思ってだろうか。
 かわいそうに、これからシャルロットは二度とアルブレヒトの他を選べない。選択を縛り、視線を固定して、アルブレヒトだけ愛するようにーー他の誰でもなく、アルブレヒトがそう仕向けるのだから。

「私的な場でこんなことをしてすまない。しかし逸る心を抑えきれなかったんだ」

 アルブレヒトから発せられた、シャルロットこそが愛犬という言葉、ヒュントヘン公爵との意味深な会話。それらを聞きたくてウズウズしているだろう、招待客に視線を向ける。
 目を細め、口の端をあげる。しばらく動かしていなかった筋肉がぴり、と痺れる。ああ、こんなにも自分は死んでいたのだな、なんてどこか遠くで思った。
 広がるざわめきは、アルブレヒトの笑顔についてだろう。そりゃあそうだ。アルブレヒトはこの8年、シャルロットに出会うまで、一瞬たりとも笑ったことがなかったのだから。
 すい、と強いるように、視線を招待客に向ける。なりふりなんて構っていられない。早くシャルロットを自分のものなのだと周知したかった。
 誰かがシャルロットをかすめ取ってしまわぬように。

「ご婚約、おめでとうございます、殿下」

 最初に口にしたのは、ティーゼ侯爵だった。目を白黒させた娘をも促し、アルブレヒトに拍手を送る。
 ティーゼ侯爵がアルブレヒトを祝った。それならば、それならば。我先にと手を打ち始める招待客からの、祝福の言葉がアルブレヒトとシャルロットに降り注ぐ。
 18歳のアルブレヒトと、5歳になったばかりのシャルロット。あの氷の王太子に見初められるなんて、かわいそうだ。そう透けて見える目をしたものも何人かいた。

 ヒュントヘンの家族は困惑したような顔をしている。ただ1人、ヒュントヘン公爵だけは、愛娘を生贄に差し出さねばならぬような顔をーーいや、事実そうだろうーーしていた。

 かわいそうなシャルロットは、きょとんとなにが起こったのかわからない顔をして、アルブレヒトを見上げている。
 それが、どうしようもなく愛しくなって、アルブレヒトはシャルロットの小さな小さな身体を抱き上げた。
 閉じ込めるようにぎゅうと抱きしめた、その腕はまさしく檻だ。

「ご主人様……どうしたんですか?」
「……ごめんね」

 これが最後の謝罪だ。そう決めて、アルブレヒトは密やかに呟いた。
 もう離せなかった。それを、誰よりわかっているのは、ヒュントヘン公爵ではなく、実のところ、アルブレヒトなのかもしれなかった。

 ーー冷たくなった亡骸を、よく覚えていたから。
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