上 下
37 / 65

クリスの決意1

しおりを挟む

 クリスがその鐘の音に気づいたのは、エリナの家に通うようになって少ししたときのことだった。
 からん、からんと、鐘の音がするのだ。定期的に、エリナの住むアパートの周辺でだけ、不定期に――そう見せかけて、魔法をかける際に計算される、まじないごとの周期通りに、幾日も、幾日も音がする。

 そう言えば、エリナのアパートで気を失う前に聞いたのもこの鐘の音だった。
 悪意のこもった、鐘の音。
 クリスは、エリナに秘密にしながらも、その音の出どころを探った。
 エリナのアパートから帰る前に、周辺を名残惜しくて歩いているかのように回る。

 そうして見つけたのは、ひとつの魔法陣だった。
 暗がりにわずかに発光しているそれは、魔法の行使が終わった後の、使い捨ての魔法陣。
 消えかけている魔法陣に書かれた紋様を読み取ると、そこには「竜種の番を呪う」という言葉が書かれていた。

 エリナがクリスの番であると知っているものは、クリス以外にはいないはずだ。
 クリスは腹心の部下にもこのことを話してはいなかった。

 それなのに、エリナが竜種の番であることを知っているということは、クリスの跡をつけてきたのだろうか。
 いいや、たとえクリスを尾行してきたとしても、クリスが吹聴していない以上、エリナが番であることを知ることはできない。

 それなのに、この魔法陣は、エリナの暮らすアパートの、エリナの部屋の真下に描かれていた。

 明確にエリナを狙った悪意に、クリスは戦慄した。
 今すぐにアパートに駆け込んでいきたいのをこらえ、魔法の出どころを探る。
 しかし、魔法の行使をした術者の魔力が弱いのか、あるいは隠すのが巧妙なのか、その大元を探り当てることはできなかった。

 次の日に、エリナが作ってくれたシチューに、必要以上に感情を揺らしてしまったのはそれが原因だ。エリナに、エリスティナの真似事なんてさせる気はなかったのに、兎を狩ってまで、エリスティナのレシピでシチューを作らせてしまった。

 エリナのシチューは、そのままそっくりエリスティナのシチューの味がした。
 だから、余計に焦ってしまった。エリスティナの死した瞬間が脳内にフラッシュバックする。
 だから、そう、だから。

「エリー、僕、あなたが好きです」
「――え?」

 まだ、いうつもりはなかったのに、そんな告白までしてしまった。

「エリー、僕、あなたが」
「二度も言わないで、きこえているわ」

 エリナが打ち捨てるように言う。
 それは、クリスの好意を、いとわしく思っている声色だった。

「……ごめんなさい、竜種とは、そういう関係にならないことにしてるの」
「――どうしてか、聞いても?」

 クリスは尋ねた。
 もしかして、と思っていたことだった。いくらなんでも、こんな話を聞いたことはないから。
 番の生まれ変わりが、こんなにも酷似しているなんて、おかしいから。

「……前世って、信じる?私、昔、竜種にひどい目にあわされたの」

 ああ――……。
 クリスは、静かに息を吐いた。
 そうして、やっぱりか、と思った。

 ――エリーは、全部覚えてるんだね。

 エリナは、前世を、過去を、苦しい記憶を、すべて、覚えている。
 だからこんなにもおびえて、こんなにもクリスを拒絶するのだろう。
 クリスが、守れなかったことも、すべて覚えているから、エリナはクリスのことを、クリスだと認識してはくれないのだろう。

 エリナは、自分を守るために、クリスを過去の雛竜だと思わず、クーと呼んで、別人だと思おうとしている。
 クリスは、エリナが逃げるつもりであることを察した。

 このアパートには家具は作り付けで、あんなに生活感があると思っていたのに、実際のところ、エリナの私物は少なかった。
 だから、エリナは逃げようと思えば逃げてしまえるのだ。明日にでも。

 ――それを、許せなかった。
 いいや、許してあげられなかった。
 今エリナが一人でどこかに行ってしまえば、エリナを害そうとする者からエリナを守る手段がなくなってしまう。

 かといって、その理由を正直に告げて、エリナが納得するとは思えなかった。
 そもそも、殺された過去があるのだ、相手もわからぬ恐怖を、エリナに味合わせたくはない。

 これはクリスの勝手だ。もっといい方法だってきっとある。
 けれど、クリスはエリナに自分の正体を――自分が、あの情けなく漸弱であった雛竜であると明かせないし、エリナに迫る危機をエリナに教えることもできはしなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

猛禽令嬢は王太子の溺愛を知らない

高遠すばる
恋愛
幼い頃、婚約者を庇って負った怪我のせいで目つきの悪い猛禽令嬢こと侯爵令嬢アリアナ・カレンデュラは、ある日、この世界は前世の自分がプレイしていた乙女ゲーム「マジカル・愛ラブユー」の世界で、自分はそのゲームの悪役令嬢だと気が付いた。 王太子であり婚約者でもあるフリードリヒ・ヴァン・アレンドロを心から愛しているアリアナは、それが破滅を呼ぶと分かっていてもヒロインをいじめることをやめられなかった。 最近ではフリードリヒとの仲もギクシャクして、目すら合わせてもらえない。 あとは断罪を待つばかりのアリアナに、フリードリヒが告げた言葉とはーー……! 積み重なった誤解が織りなす、溺愛・激重感情ラブコメディ! ※王太子の愛が重いです。

聖女を騙った少女は、二度目の生を自由に生きる

夕立悠理
恋愛
 ある日、聖女として異世界に召喚された美香。その国は、魔物と戦っているらしく、兵士たちを励まして欲しいと頼まれた。しかし、徐々に戦況もよくなってきたところで、魔法の力をもった本物の『聖女』様が現れてしまい、美香は、聖女を騙った罪で、処刑される。  しかし、ギロチンの刃が落とされた瞬間、時間が巻き戻り、美香が召喚された時に戻り、美香は二度目の生を得る。美香は今度は魔物の元へ行き、自由に生きることにすると、かつては敵だったはずの魔王に溺愛される。  しかし、なぜか、美香を見捨てたはずの護衛も執着してきて――。 ※小説家になろう様にも投稿しています ※感想をいただけると、とても嬉しいです ※著作権は放棄してません

辺境伯令嬢の私に、君のためなら死ねると言った魔法騎士様は婚約破棄をしたいそうです

茜カナコ
恋愛
辺境伯令嬢の私に、君のためなら死ねると言った魔法騎士様は婚約破棄をしたいそうです シェリーは新しい恋をみつけたが……

【完】嫁き遅れの伯爵令嬢は逃げられ公爵に熱愛される

えとう蜜夏☆コミカライズ中
恋愛
 リリエラは母を亡くし弟の養育や領地の執務の手伝いをしていて貴族令嬢としての適齢期をやや逃してしまっていた。ところが弟の成人と婚約を機に家を追い出されることになり、住み込みの働き口を探していたところ教会のシスターから公爵との契約婚を勧められた。  お相手は公爵家当主となったばかりで、さらに彼は婚約者に立て続けに逃げられるといういわくつきの物件だったのだ。  少し辛辣なところがあるもののお人好しでお節介なリリエラに公爵も心惹かれていて……。  22.4.7女性向けホットランキングに入っておりました。ありがとうございます 22.4.9.9位,4.10.5位,4.11.3位,4.12.2位  Unauthorized duplication is a violation of applicable laws.  ⓒえとう蜜夏(無断転載等はご遠慮ください)

国王陛下、私のことは忘れて幸せになって下さい。

ひかり芽衣
恋愛
同じ年で幼馴染のシュイルツとアンウェイは、小さい頃から将来は国王・王妃となり国を治め、国民の幸せを守り続ける誓いを立て教育を受けて来た。 即位後、穏やかな生活を送っていた2人だったが、婚姻5年が経っても子宝に恵まれなかった。 そこで、跡継ぎを作る為に側室を迎え入れることとなるが、この側室ができた人間だったのだ。 国の未来と皆の幸せを願い、王妃は身を引くことを決意する。 ⭐︎2人の恋の行く末をどうぞ一緒に見守って下さいませ⭐︎ ※初執筆&投稿で拙い点があるとは思いますが頑張ります!

聖獣の卵を保護するため、騎士団長と契約結婚いたします。仮の妻なのに、なぜか大切にされすぎていて、溺愛されていると勘違いしてしまいそうです

石河 翠
恋愛
騎士団の食堂で働くエリカは、自宅の庭で聖獣の卵を発見する。 聖獣が大好きなエリカは保護を希望するが、領主に卵を預けるようにと言われてしまった。卵の保護主は、魔力や財力、社会的な地位が重要視されるというのだ。 やけになったエリカは場末の酒場で酔っ払ったあげく、通りすがりの騎士団長に契約結婚してほしいと唐突に泣きつく。すると意外にもその場で承諾されてしまった。 女っ気のない堅物な騎士団長だったはずが、妻となったエリカへの態度は甘く優しいもので、彼女は思わずときめいてしまい……。 素直でまっすぐ一生懸命なヒロインと、実はヒロインにずっと片思いしていた真面目な騎士団長の恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、他サイトにも投稿しております。 表紙絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID749781)をお借りしております。

ぽっちゃりな私は妹に婚約者を取られましたが、嫁ぎ先での溺愛がとまりません~冷酷な伯爵様とは誰のこと?~

柊木 ひなき
恋愛
「メリーナ、お前との婚約を破棄する!」夜会の最中に婚約者の第一王子から婚約破棄を告げられ、妹からは馬鹿にされ、貴族達の笑い者になった。 その時、思い出したのだ。(私の前世、美容部員だった!)この体型、ドレス、確かにやばい!  この世界の美の基準は、スリム体型が前提。まずはダイエットを……え、もう次の結婚? お相手は、超絶美形の伯爵様!? からの溺愛!? なんで!? ※シリアス展開もわりとあります。

後悔だけでしたらどうぞご自由に

風見ゆうみ
恋愛
女好きで有名な国王、アバホカ陛下を婚約者に持つ私、リーシャは陛下から隣国の若き公爵の婚約者の女性と関係をもってしまったと聞かされます。 それだけでなく陛下は私に向かって、その公爵の元に嫁にいけと言いはなったのです。 本来ならば、私がやらなくても良い仕事を寝る間も惜しんで頑張ってきたというのにこの仕打ち。 悔しくてしょうがありませんでしたが、陛下から婚約破棄してもらえるというメリットもあり、隣国の公爵に嫁ぐ事になった私でしたが、公爵家の使用人からは温かく迎えられ、公爵閣下も冷酷というのは噂だけ? 帰ってこいという陛下だけでも面倒ですのに、私や兄を捨てた家族までもが絡んできて…。 ※R15は保険です。 ※小説家になろうさんでも公開しています。 ※名前にちょっと遊び心をくわえています。気になる方はお控え下さい。 ※史実とは関係なく、設定もゆるい、ご都合主義です。 ※中世ヨーロッパ風で貴族制度はありますが、法律、武器、食べ物などは現代風、もしくはオリジナルです。話を進めるにあたり、都合の良い世界観となっています。 ※誤字脱字、見直して気を付けているつもりですが、やはりございます。申し訳ございません。

処理中です...