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ミルクのシチュー1

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 目を覚ましたクリスが最初に目にしたのは、エリスティナの魂の匂いのする女性の後ろ姿だった。ことこととシチューの煮込まれる香りが漂って、きて、それだけで腹がきゅうと鳴る。

 長いこと感じていなかった空腹が不思議だ。
 クリスは台所をくるくると動き回って食事の支度をしている女性をぼんやりと眺める。

 部屋は暖かかった。高価なものも何もない、質素な部屋だったが、全体的にやわらかな色でまとめられた調度は、いつかエリスティナと暮らしていた小屋を思い起こさせた。

 クリスが起き上がった気配に気づいたのだろう。
 振り返った赤毛の女性は、エリスティナのそれとよく似た、くるりと丸い緑の目をぱちぱちと瞬いた。

「起きたのね。あなた、そこに倒れてたのよ。ちょっと引きずっちゃったから、ぶつけてるかもしれないけど」

 気まずそうに目をそらしながら、エリスティナの生まれ変わりは指先どうしをつつき合わせた。
 言われてみれば確かに、額が擦り切れているような気がする。だが竜種であるクリスにとって、この程度の怪我は怪我のうちに入らない。数分もしないうちに完全に癒えるだろう。

「起きたならここに座って?古い椅子だけど、クッションは私が作ったの。かわいいでしょ?」

 小さな、一人分だろう食事用テーブルに案内されて、座るように促される。
 座ったクッションは年頃の娘が好むような白い花柄で、彼女は手先が器用なのだな、と思った。
 そういえば、エリスティナも古い布からクリスの服を作ったりしていた。

 そこまで考えて、クリスは静かにかぶりを振る。
 いけない、このひとは、名前も顔も良く似ているけれど、エリスティナではないのに、同一視しようとしてしまう。

 とはいえ、エリスティナの生まれ変わりを見た瞬間におかしくなるような熱に浮かされたりはしなかった。
 番を見た瞬間、それまでのすべてが上書きされてしまうのかと思っていたのだ。それが、こんなに近くにいても、感じるのはエリスティナ――いいや、この人間への素直な好感だけだった。
 それにほっとする。

「もうすぐにできるから、そこで待っていて。おなかすいてるんでしょう?」
「え、あ、はい」
「いい子ね」

 エリスティナの生まれ変わりはそう言って、歯を見せて笑った。
 平民らしい、がさつともいえるような快活さは、エリスティナにはなかったものだ。
 その笑顔を見て、ああ、彼女は幸せに生きているのだな、と――彼女は今、昔のように不幸な生を歩んでいないのだな、と知って、泣きたいほど嬉しかった。

 いい子ね、と言われて、エリスティナを思い出したからこそ、その魂の持ち主が今、笑えていることに安堵する。

 ことことと煮込む音、シチューの匂い。
 少しだけぼんやりしていたクリスは、気が付けば女性の背後に張り付くようにしてその手元を覗いてしまっていた。
 まるで、あの頃エリスティナに甘えていたときみたいに。

「……きゃ!ちょっと、あなた、危ないわよ。火を使ってるんですからね」
「シチュー、ですか?」
「……そうよ。もうすぐできるって言ってるのに。そんなにおなかがすいてるの?」

 はっと気づいて離れようとするが、どうしても離れがたくて、クリスは見たままのことを口にした。時間稼ぎのつもりだろうか。
 そうして、空腹かどうかを尋ねられて、ぐぎゅうう、などと間抜けな音が腹から漏れた。

 思い出した空腹にクリスが顔を熱くすると、エリスティナの生まれ変わりがころころと笑いだす。
 その笑顔は――愛らしかった。けして美人なわけではない。顔の上品さでいえば、エリスティナのほうが上だった。所作も優美なわけではなく、貴族として教育されてきたエリスティナとはまったく違った。

 それでも、その少しだけ荒い所作を、楽しそうに笑う表情を、好もしいと――愛くるしいと思った。
 ……それが、番を求める竜の本能だと思って、クリスはわずかにうつむく。
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