23 / 65
侍女と人間貴族
しおりを挟む
■■■
次に目を目を覚ますと、黒髪の、目元のやさしい女性が沸かした湯をバスタブに流しいれているのが見えた。
眠ったおかげで頭はすっきりとしている。
シーツに手をついて起き上がると、黒髪の女性が起きたエリナに気づいてぱあっと笑顔になった。
「目を覚まされたのですね」
少し目じりにしわの寄ったふくよか女性は、その豊満な体でエリナを抱きしめる。
前世、今世とも――今世に関してはエリナは母の顔も知らない――母と似たところの何もない女性だが、その抱擁には母親の懐かしさを感じた。
「ぷは、ええと、はい。あなたは?」
「ああ、申し遅れました。私はダーナと申します。ダーナ・ウィロウ。竜王陛下にやとわれた、番さまの侍女ですわ」
「侍女」
「身の回りの世話をする女性のことです」
侍女を知らない、というわけではないけれど、平民だから知らないかも、と思われたのだろう。ダーナと名乗った侍女は、にこにこと笑いながら侍女について説明してくれた。
けれどそのまなざしにはただただ優しい色が宿っているのみで、エリナへ対しての蔑みだとか、嫌味だとかはなかった。
「さ、シーツを変えましょうね。その前にお風呂に入りましょうか。服はこのままがよろしければ、急いで洗濯をしてまいります」
「え、あの」
「もちろん、竜王陛下がご用意された素晴らしいご衣裳もありますから、番さまさえよろしければ、そちらをご用意させていただきたいのですが……」
「……まず、番さま、というのをやめてもらえませんか?」
「ああ、慣れない呼び名は気後れしますわよね。ええ、ええ、かまいませんとも。エリナさまとお呼びしても?それから、私は侍女ですから、エリナさまが敬語を使う必要はございませんわ」
「……わかったわ」
エリナに対して、ダーナはひたすらにやさしい。
いつくしむような目は、まるで娘を見るようだった。
「ダーナ、お風呂に入りたいの。手伝ってくれる?」
「ええ、もちろん!」
ダーナに導かれて、湯を張ったバスタブに肩まで浸かる。
ふう、と息をつくと、ダーナがエリナの体をマッサージしてくれる。
バスタブに数滴こぼした香油の香りがふわりと広がって、エリナは頬をほころばせた。
「薔薇の香油です。お気に召すといいのですが」
「ありがとう、とっても気持ちいいわ」
「それはよかったですわ」
エリナが笑顔でお礼を言うと、ダーナも目じりのしわを深めて微笑んでくれる。
「ねえ、ダーナ、聞いてもいい?」
「なんなりと」
「ダーナは、どうして私のわがままを聞いてくれるの?」
「出会ったエリナさまが、とても素敵な方だったからですよ」
ダーナは言って、でも、と付け加えた。
「最初は、竜王陛下のご命令だから、だったのです。もちろん、こうして少しお世話しただけで、エリナさまが愛らしいお方だとわかりましたから、お世話をするのが楽しくて、こうしていますが」
「竜王陛下の?」
「ええ」
「エリナさまの願いはできる限り叶えて差し上げてほしい、大切な、本当に大切な方だから、と、私や、メイド、厨房の人間のような使用人にまで頭を下げて。ご命令、というより、お願いに見えましたわ」
このように、と言って、ダーナは右手を曲げて、手でお辞儀をするような仕草をした。
その表情は、とてもいつわりを言っているようには見えない。
竜王が……この世界の最強の存在が、頭を下げた?
かつての竜王リーハでもそんなことはしなかった。
エリナが怪訝な顔をすると、ダーナはそうですよねえ、と笑う。
「不思議でしょう。最強の竜王陛下が、って。でも、本当なんですよ」
ダーナはエリナの髪を、薔薇の匂いのする髪用石鹸をつけて泡立てながら、少ししわの寄った手でやさしく撫でた。
「エリナさまは本当に愛されておいでですわね」
「そんな、こと……。きっと、番に生まれなければ、そんな風にやさしくされないわ」
人間貴族だったエリスティナ。番でないというだけで虐げられた過去が首をもたげて、ちくちくと今のエリナの胸を刺す。
人間貴族……人間貴族?
ダーナ・ウィロウと名乗ったダーナ。その家名に覚えがあって、エリナはぱっと顔を上げた。
「ウィロウ……って、人間貴族の?侯爵家の、ウィロウ家?」
「まあ、よくご存じですのね。ええ、そうですわ。ウィロウ家は侯爵家です。私はウィロウ侯爵の妻ですの」
人間貴族は竜種の家畜だ。
きっと、ダーナもつらい思いをしてきたのだわ、と痛ましい気持ちになってエリナは目を伏せる。
けれど、ダーナはあっけらかんと続けた。
「もっとも、人間貴族、という言葉は、もう20年も前に廃止されてしまったのですけれど。エリナさまは歴史にも明るくていらっしゃるのですね」
ダーナはそう言って、エリナの髪を桶に張った湯で流していく。
エリナの、深紅より少し薄いような赤い髪が、泡から現れ、その色を濃くしている。
「人間貴族が、廃止?」
「ええ、その通りです。ご存じなかったのですか?」
意外そうにダーナが目を丸くする。
人間貴族という言葉を知っていたのに、廃止されたことを知らない、アンバランスな知識を不思議に思ったらしい。
「今代の竜王陛下が、人間貴族という制度を嫌って廃止なさったのです。私がまだ若い時分のことでしたが、それはもう大騒ぎになって」
「人間貴族は、竜種の家畜、だもの」
「だった、ですわ。エリナさま」
ダーナがエリナの髪をふかふかのタオルで拭う。面白いように水を吸うタオル地は、エリナの知るそれよりずっとずっと高価なのだろう。
次に目を目を覚ますと、黒髪の、目元のやさしい女性が沸かした湯をバスタブに流しいれているのが見えた。
眠ったおかげで頭はすっきりとしている。
シーツに手をついて起き上がると、黒髪の女性が起きたエリナに気づいてぱあっと笑顔になった。
「目を覚まされたのですね」
少し目じりにしわの寄ったふくよか女性は、その豊満な体でエリナを抱きしめる。
前世、今世とも――今世に関してはエリナは母の顔も知らない――母と似たところの何もない女性だが、その抱擁には母親の懐かしさを感じた。
「ぷは、ええと、はい。あなたは?」
「ああ、申し遅れました。私はダーナと申します。ダーナ・ウィロウ。竜王陛下にやとわれた、番さまの侍女ですわ」
「侍女」
「身の回りの世話をする女性のことです」
侍女を知らない、というわけではないけれど、平民だから知らないかも、と思われたのだろう。ダーナと名乗った侍女は、にこにこと笑いながら侍女について説明してくれた。
けれどそのまなざしにはただただ優しい色が宿っているのみで、エリナへ対しての蔑みだとか、嫌味だとかはなかった。
「さ、シーツを変えましょうね。その前にお風呂に入りましょうか。服はこのままがよろしければ、急いで洗濯をしてまいります」
「え、あの」
「もちろん、竜王陛下がご用意された素晴らしいご衣裳もありますから、番さまさえよろしければ、そちらをご用意させていただきたいのですが……」
「……まず、番さま、というのをやめてもらえませんか?」
「ああ、慣れない呼び名は気後れしますわよね。ええ、ええ、かまいませんとも。エリナさまとお呼びしても?それから、私は侍女ですから、エリナさまが敬語を使う必要はございませんわ」
「……わかったわ」
エリナに対して、ダーナはひたすらにやさしい。
いつくしむような目は、まるで娘を見るようだった。
「ダーナ、お風呂に入りたいの。手伝ってくれる?」
「ええ、もちろん!」
ダーナに導かれて、湯を張ったバスタブに肩まで浸かる。
ふう、と息をつくと、ダーナがエリナの体をマッサージしてくれる。
バスタブに数滴こぼした香油の香りがふわりと広がって、エリナは頬をほころばせた。
「薔薇の香油です。お気に召すといいのですが」
「ありがとう、とっても気持ちいいわ」
「それはよかったですわ」
エリナが笑顔でお礼を言うと、ダーナも目じりのしわを深めて微笑んでくれる。
「ねえ、ダーナ、聞いてもいい?」
「なんなりと」
「ダーナは、どうして私のわがままを聞いてくれるの?」
「出会ったエリナさまが、とても素敵な方だったからですよ」
ダーナは言って、でも、と付け加えた。
「最初は、竜王陛下のご命令だから、だったのです。もちろん、こうして少しお世話しただけで、エリナさまが愛らしいお方だとわかりましたから、お世話をするのが楽しくて、こうしていますが」
「竜王陛下の?」
「ええ」
「エリナさまの願いはできる限り叶えて差し上げてほしい、大切な、本当に大切な方だから、と、私や、メイド、厨房の人間のような使用人にまで頭を下げて。ご命令、というより、お願いに見えましたわ」
このように、と言って、ダーナは右手を曲げて、手でお辞儀をするような仕草をした。
その表情は、とてもいつわりを言っているようには見えない。
竜王が……この世界の最強の存在が、頭を下げた?
かつての竜王リーハでもそんなことはしなかった。
エリナが怪訝な顔をすると、ダーナはそうですよねえ、と笑う。
「不思議でしょう。最強の竜王陛下が、って。でも、本当なんですよ」
ダーナはエリナの髪を、薔薇の匂いのする髪用石鹸をつけて泡立てながら、少ししわの寄った手でやさしく撫でた。
「エリナさまは本当に愛されておいでですわね」
「そんな、こと……。きっと、番に生まれなければ、そんな風にやさしくされないわ」
人間貴族だったエリスティナ。番でないというだけで虐げられた過去が首をもたげて、ちくちくと今のエリナの胸を刺す。
人間貴族……人間貴族?
ダーナ・ウィロウと名乗ったダーナ。その家名に覚えがあって、エリナはぱっと顔を上げた。
「ウィロウ……って、人間貴族の?侯爵家の、ウィロウ家?」
「まあ、よくご存じですのね。ええ、そうですわ。ウィロウ家は侯爵家です。私はウィロウ侯爵の妻ですの」
人間貴族は竜種の家畜だ。
きっと、ダーナもつらい思いをしてきたのだわ、と痛ましい気持ちになってエリナは目を伏せる。
けれど、ダーナはあっけらかんと続けた。
「もっとも、人間貴族、という言葉は、もう20年も前に廃止されてしまったのですけれど。エリナさまは歴史にも明るくていらっしゃるのですね」
ダーナはそう言って、エリナの髪を桶に張った湯で流していく。
エリナの、深紅より少し薄いような赤い髪が、泡から現れ、その色を濃くしている。
「人間貴族が、廃止?」
「ええ、その通りです。ご存じなかったのですか?」
意外そうにダーナが目を丸くする。
人間貴族という言葉を知っていたのに、廃止されたことを知らない、アンバランスな知識を不思議に思ったらしい。
「今代の竜王陛下が、人間貴族という制度を嫌って廃止なさったのです。私がまだ若い時分のことでしたが、それはもう大騒ぎになって」
「人間貴族は、竜種の家畜、だもの」
「だった、ですわ。エリナさま」
ダーナがエリナの髪をふかふかのタオルで拭う。面白いように水を吸うタオル地は、エリナの知るそれよりずっとずっと高価なのだろう。
9
お気に入りに追加
2,949
あなたにおすすめの小説
平民と恋に落ちたからと婚約破棄を言い渡されました。
なつめ猫
恋愛
聖女としての天啓を受けた公爵家令嬢のクララは、生まれた日に王家に嫁ぐことが決まってしまう。
そして物心がつく5歳になると同時に、両親から引き離され王都で一人、妃教育を受ける事を強要され10年以上の歳月が経過した。
そして美しく成長したクララは16才の誕生日と同時に貴族院を卒業するラインハルト王太子殿下に嫁ぐはずであったが、平民の娘に恋をした婚約者のラインハルト王太子で殿下から一方的に婚約破棄を言い渡されてしまう。
クララは動揺しつつも、婚約者であるラインハルト王太子殿下に、国王陛下が決めた事を覆すのは貴族として間違っていると諭そうとするが、ラインハルト王太子殿下の逆鱗に触れたことで貴族院から追放されてしまうのであった。
所詮は他人事と言われたので他人になります!婚約者も親友も見捨てることにした私は好きに生きます!
ユウ
恋愛
辺境伯爵令嬢のリーゼロッテは幼馴染と婚約者に悩まされてきた。
幼馴染で親友であるアグネスは侯爵令嬢であり王太子殿下の婚約者ということもあり幼少期から王命によりサポートを頼まれていた。
婚約者である伯爵家の令息は従妹であるアグネスを大事にするあまり、婚約者であるサリオンも優先するのはアグネスだった。
王太子妃になるアグネスを優先することを了承ていたし、大事な友人と婚約者を愛していたし、尊敬もしていた。
しかしその関係に亀裂が生じたのは一人の女子生徒によるものだった。
貴族でもない平民の少女が特待生としてに入り王太子殿下と懇意だったことでアグネスはきつく当たり、婚約者も同調したのだが、相手は平民の少女。
遠回しに二人を注意するも‥
「所詮あなたは他人だもの!」
「部外者がしゃしゃりでるな!」
十年以上も尽くしてきた二人の心のない言葉に愛想を尽かしたのだ。
「所詮私は他人でしかないので本当の赤の他人になりましょう」
関係を断ったリーゼロッテは国を出て隣国で生きていくことを決めたのだが…
一方リーゼロッテが学園から姿を消したことで二人は王家からも責められ、孤立してしまうのだった。
なんとか学園に連れ戻そうと試みるのだが…
【完結済み】婚約破棄致しましょう
木嶋うめ香
恋愛
生徒会室で、いつものように仕事をしていた私は、婚約者であるフィリップ殿下に「私は運命の相手を見つけたのだ」と一人の令嬢を紹介されました。
運命の相手ですか、それでは邪魔者は不要ですね。
殿下、婚約破棄致しましょう。
第16回恋愛小説大賞 奨励賞頂きました。
応援して下さった皆様ありがとうございます。
本作の感想欄を開けました。
お返事等は書ける時間が取れそうにありませんが、感想頂けたら嬉しいです。
賞を頂いた記念に、何かお礼の小話でもアップできたらいいなと思っています。
リクエストありましたらそちらも書いて頂けたら、先着三名様まで受け付けますのでご希望ありましたら是非書いて頂けたら嬉しいです。
前世の祖母に強い憧れを持ったまま生まれ変わったら、家族と婚約者に嫌われましたが、思いがけない面々から物凄く好かれているようです
珠宮さくら
ファンタジー
前世の祖母にように花に囲まれた生活を送りたかったが、その時は母にお金にもならないことはするなと言われながら成長したことで、母の言う通りにお金になる仕事に就くために大学で勉強していたが、彼女の側には常に花があった。
老後は、祖母のように暮らせたらと思っていたが、そんな日常が一変する。別の世界に子爵家の長女フィオレンティーナ・アルタヴィッラとして生まれ変わっても、前世の祖母のようになりたいという強い憧れがあったせいか、前世のことを忘れることなく転生した。前世をよく覚えている分、新しい人生を悔いなく過ごそうとする思いが、フィオレンティーナには強かった。
そのせいで、貴族らしくないことばかりをして、家族や婚約者に物凄く嫌われてしまうが、思わぬ方面には物凄く好かれていたようだ。
家族から虐げられるよくある令嬢転生だと思ったら
甘糖むい
恋愛
目覚めた時、ヒロインをめぐってエルヴィン王子とソレイユ辺境伯が織りなす三角関係が話題の新作小説『私だけが知っている物語』の世界に、エルシャールとして転生してしまっていた紘子。
読破した世界に転生した―ーそう思っていたのに原作にはなかった4年前から話しは始まってしまい……
※8/2 内容を改変いたしました。変更内容並びに詳細は近状ボードをご覧ください。
「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。
あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。
「君の為の時間は取れない」と。
それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。
そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。
旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。
あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。
そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。
※35〜37話くらいで終わります。
転生おばさんは有能な侍女
吉田ルネ
恋愛
五十四才の人生あきらめモードのおばさんが転生した先は、可憐なお嬢さまの侍女でした
え? 婚約者が浮気? え? 国家転覆の陰謀?
転生おばさんは忙しい
そして、新しい恋の予感……
てへ
豊富な(?)人生経験をもとに、お嬢さまをおたすけするぞ!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる