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第四話 邪竜の記憶と愛しい想い②

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 自分の知る聖女は、あの聖女もどきとは比べ物にならないほど美しく、清廉だったのだと思う。そう、今目の前にいる、凛としたこの少女のように。
 そんなことを考えていると、ふいにやわらかなものが自分の頬をぬぐった。それは、聖女の生まれ変わりが差し出した白いハンカチーフだった。

「妹がごめんなさい。こんなことしかできないけれど……。わたしが代わりに謝ります。怪我はしていない?」
「怪我はない。それより、君はいいのか? ハンカチーフが汚れてしまう」
「ハンカチーフ、なんてずいぶん古風な言葉を使うのね。いいの。どうせ『はきだめ』には分不相応なものだったんだもの。白いハンカチなんて、こんないい品はとり上げられて終わりだわ」
「はきだめ?」

 聖女の生まれ変わりが口にした言葉が気になって問い返す。彼女は目を伏せた。銀のまつ毛が陽の光できらきらと輝いている。あまりに美しくて、妖精か何かのようだと思った。

「ええ。あなたも見た通り、今代の聖女様……わたしの妹なんだけど、彼女は素行がよくないでしょ。でも、それは全部わたしのしたことになるの。聖女の名を汚さないために」
「そんなの、あの女が行動を改めればいいだけの話じゃないか」
「こら、あの女、なんて言ってはダメよ。誰かが聞いていたら、聖女様への不敬だって、あなたが罰せられてしまう。……たしかに、わたしも、そう思うわ。でもね、だめなの。父も母も、偉い人もみんな、あの子の嘘を信じるから。……うん、綺麗になったわ」

 すっかり泥が拭われたようだ。大事にしていただろうに、少女のハンカチーフはぐちゃぐちゃに汚れてしまっていた。
 すまない、と、そう口にしようとしたところで、聖女の生まれ変わりが驚いたように目を瞬いて言った。

「まあ、あなた」
「……?」
「あなた、とてもきれいな目をしているのね。あたたかい、暖炉の中の炎みたい」
「──……」

 邪竜だった自分の目は、血の色だと言われていた。
 炎に例えて、しかもあたたかいと言ったのは、自分を浄化した聖女と、目の前の少女くらいだった。
 驚いて固まった自分に、聖女の生まれ変わりは微笑んだ。

「急にごめんなさい。わたしはミリエル。ミリエル・クリスト・フララット。この教会の下働きをしているの。あなたは?」
「自分……僕、は」

 少し考えて、かつての聖女が自分を呼ぶためにつけた名前を思い出した。竜、じゃつまらないでしょ、と言った表情を覚えている。それは、えくぼの浮いたこの少女──ミリエルのものとよく似ていた。

「僕は、ユアン。ユアン・ミーシャ」
「あら。セカンドネーム。あなたは貴族なの?」
「どちらも名前だ。候補を絞れないと言われた」
「名前が二つ? 洗礼名みたいなものかしら。教えてくれてありがとう」

 聖女の生まれ変わり──ミリエルは、ユアンと名乗った自分の手をそっと両手で包んで、祈って言った。

「ユアン、あたたかな炎の瞳のあなたに、神竜様と初代聖女様のご加護がありますように」

 そう言って、ミリエルは顔を上げてにっこりと笑った。
 晴れ渡る空のような青色の目がユアンを映して、その桜色の唇がユアンを呼んだ。
 心臓が跳ねる。なんだこれは、と思った。
 苦しく、甘い。不思議な感覚。頽れそうになるのに、目の前の華奢な体を抱きしめたいという欲求が胸の内をぐるぐると渦巻いている。

 吐きだすように息をして、ユアンはそうか、と思った。
 かつてユアンが聖女に抱いていたものは、友情だったし、憐みだった。助けられたという感謝もあった。
 けれど、今胸にある感情は、そのどれとも違う。

(これが、愛情、か)

 知らなかった感情に思い至って名付ける。しっくりときたその名前を疑うことはなかったが、実のところ、それは少し違った。

 後になって自覚したことだが、ユアンはこの時、恋に落ちていたのだ。邪竜へと堕ちた時とは違う、あたたかな、狂おしい感覚。落ちるというより、溺れる、という方が近いな、とユアンは思った。

「それじゃあ、さよなら」

 立ちあがってユアンに背を向けたミリエルを、ユアンはずっと目で追いかけた。見えなくなっても、その方向を見続けた。
 もう彼女を殺して輪廻の輪に戻そうとは思わない。彼女を、ミリエルを幸せにするために、「人間」になろう。と思った。

 人間のふりをして、彼女のために生きよう、と。
 人間としての地位を得るため、魔物の大侵攻、スタンピードを収束させた。
 竜である自分には苦もないことだった。

 ミリエルとは何度も会って会話して、互いに好意を向けあう仲になった。
 ミリエルから愛を告白されたときは、思わず咆哮して喜びを表したいと思うほど嬉しかった。
 地位と権力を得た。これでミリエルを幸せにできる。
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