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第一話 恋の成就と不穏な足音②
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空に輝く三日月が雲に隠れて、あたりが暗くなる。
何にも見えない中で、ユアンの視線だけをはっきりと感じた。
「それ、は」
「そんなのは嫌だ。君をやっとこの手に抱けたのに、君が砂漠の砂のようにすり抜けてどこかへ行ってしまうなんて耐えられない」
「……だって、あなたは、セレナと、婚約を……」
言い訳のように呟いた言葉は、ユアンの抱きしめる腕の力が強くなったことで返事とされた。ミリエルを離すまいとかき抱くユアンの手に、他に向ける想いなど感じられなかった。
「そんなのとっくに断った。僕が愛しているのは君だけだから。ミリー」
ほろほろと、目のふちから盛り上がった涙がいくつぶも零れていく。
ミリエルが泣き続けているのを知らないはずはないだろうに、ユアンはミリエルを腕の中から解放することはしなかった。
「愛しているんだ、ミリー、君だけを……」
「……でも、あなたもいつか、わたしから離れていくわ。わたしは『聖女のはきだめ』だもの」
はきだめとは、いつも聖女セレナが豪遊をしたとか、男遊びをしたとかの不始末の罪を擦り付けられ、身代わりになるミリエルをさしてセレナが言った言葉だ。
その言葉は今もミリエルの胸に突き刺さって消えない。仲良くなった人々は、みなその罪を信じて離れて行った。
だから愛されることが怖いのではない。手に入れた後、失うのが怖いのだ。
手に入らないと思っていた。それが急に手の中にはい、どうぞと入ってきた。けれど、こうしていながら背を向けられれば、それは何よりもさみしい、悲しいことだ。
「ミリーにそう思わせたのは、あの女だね」
ユアンが、ぞっとするほど冷たい氷のような声を落とす。
ミリエルは否定も肯定もできないまま、ユアンから離れようとユアンの腕をほどき一歩後ずさった。
けれど、その一歩を詰めて、ユアンはより一層強くミリエルを抱きなおす。
離すまいとでもいうように、しかと。
「ユアン、離して。こんなところ誰かに見られたら」
「離さない。君がそう言うのは、これ以上奪われたくないからだ。なら僕は、君からこれ以上、何も奪わせない。なにからも守る。僕のミリエル──僕だけのミリー。そして僕は、ミリーだけのものだ」
ユアンの力強い言葉に、ミリエルが目を見開く。仰いだ拍子にユアンの炎色の目と真っ向から視線が混ざり合う。
その瞳は炯々と輝いていて、ミリエルにユアンの本気を否応なしに理解させた。
「ユアン」
「ミリー、信じて」
そんな風に見つめられて、愛されてしまえば、もうだめだった。溢れそうだった恋心が決壊して、迷いも何もかもを押し流していく。
ミリエルは恐る恐るユアンの胸に手を添えた。その手をしっかりと握られて、ぴたりとユアンの胸に当てられる。
「聞こえる? ミリー、僕の心臓、こんなにドキドキしてる」
「聞こえる……。本当に、わたしを好きなの? ユアン」
ミリエルのおびえた言葉に、ユアンが微笑む。
「ああ」
「わたしは、あなたを好きでいていいの」
「もちろん」
「わたし……」
ミリエルは目を閉じた。頭の中にぐるぐると回るのは、双子の妹、セレナのことや、周りの言葉。でも、今大切なのはきっと、それじゃない。
ミリエルは、荒れ狂う感情が収まるのを待って目を開けた。もう一度ユアンを振り仰いで、そうして、泣きながら、笑った。
「あなたを、愛してるわ、ユアン」
それは、先ほど口にした諦観混じりの声音で塗りつぶされたものではなかった。
未来を見た、希望を抱いた、心からの言葉だと、ユアンにもわかったのだろう。
「ああ、ミリー!」
嬉しくてならない、とユアンがミリエルを抱き上げる。
その拍子に顔が近づいて、ミリエルはあ、と思った。
胸いっぱいにユアンの匂いが広がって、吐息が混ざっているのを理解した。
キスされているのだ。ゼロになった距離で、目に映るユアンの長いまつ毛が幻想的にすら思えた。
だけど、これは幻でも妄想でもない。もちろん、夢でも。
どれだけそうしていただろう。酸欠になったミリエルを解放して、ユアンはその炎色の目をとろりと蜂蜜のように蕩けさせた。
「これで、君はの僕の恋人だ。……僕だけの、宝だ」
「宝……」
ミリエルは、ぼんやりとした酸欠の頭で、ユアンの言葉を繰り返した。
繰り返して、はにかむように笑った。大切なものを胸にしまいこむように、ユアンの言葉を噛み締める。
「ミリー、明日、スタンピードの件で功労者としての受勲式が終わったら、王に君との結婚を願い出るよ。そうしたら、もう君は『聖女のはきだめ』なんてする必要はない」
「うん……うん……ユアン」
「待っていて。ミリー。君には、もう、幸せな未来視か用意しない」
ユアンの優しい言葉が、しんしんと、星の光のように降ってくる。
ふと空を見上げると、本当に星が降っていた。流星群だ。
そうやって降る雪はユアンの言葉のようで、風に押し上げられた雲から現れた月は、ユアンのように優しい光を纏っていた。
──ユアンは、わたしのお月さま。
どこにいてもミリエルを見つめてくれる、ミリエルだけの月……。
今日まで、妹ばかり見る両親と、毎日かぶせられる濡れ衣に、心が壊れかけていた。
でも、もう、ユアンがいれば、この先には幸せがあると信じられる。
幸せだ、本当に、本当に、本当に……。
──…………。
ミリエルが、聖女セレナの暗殺未遂で囚われ、それに抗議したユアンが拘束されたのは、翌日のこと──すべては、ユアンの不在をついた一瞬の隙に行われ、そして、終わった。
何にも見えない中で、ユアンの視線だけをはっきりと感じた。
「それ、は」
「そんなのは嫌だ。君をやっとこの手に抱けたのに、君が砂漠の砂のようにすり抜けてどこかへ行ってしまうなんて耐えられない」
「……だって、あなたは、セレナと、婚約を……」
言い訳のように呟いた言葉は、ユアンの抱きしめる腕の力が強くなったことで返事とされた。ミリエルを離すまいとかき抱くユアンの手に、他に向ける想いなど感じられなかった。
「そんなのとっくに断った。僕が愛しているのは君だけだから。ミリー」
ほろほろと、目のふちから盛り上がった涙がいくつぶも零れていく。
ミリエルが泣き続けているのを知らないはずはないだろうに、ユアンはミリエルを腕の中から解放することはしなかった。
「愛しているんだ、ミリー、君だけを……」
「……でも、あなたもいつか、わたしから離れていくわ。わたしは『聖女のはきだめ』だもの」
はきだめとは、いつも聖女セレナが豪遊をしたとか、男遊びをしたとかの不始末の罪を擦り付けられ、身代わりになるミリエルをさしてセレナが言った言葉だ。
その言葉は今もミリエルの胸に突き刺さって消えない。仲良くなった人々は、みなその罪を信じて離れて行った。
だから愛されることが怖いのではない。手に入れた後、失うのが怖いのだ。
手に入らないと思っていた。それが急に手の中にはい、どうぞと入ってきた。けれど、こうしていながら背を向けられれば、それは何よりもさみしい、悲しいことだ。
「ミリーにそう思わせたのは、あの女だね」
ユアンが、ぞっとするほど冷たい氷のような声を落とす。
ミリエルは否定も肯定もできないまま、ユアンから離れようとユアンの腕をほどき一歩後ずさった。
けれど、その一歩を詰めて、ユアンはより一層強くミリエルを抱きなおす。
離すまいとでもいうように、しかと。
「ユアン、離して。こんなところ誰かに見られたら」
「離さない。君がそう言うのは、これ以上奪われたくないからだ。なら僕は、君からこれ以上、何も奪わせない。なにからも守る。僕のミリエル──僕だけのミリー。そして僕は、ミリーだけのものだ」
ユアンの力強い言葉に、ミリエルが目を見開く。仰いだ拍子にユアンの炎色の目と真っ向から視線が混ざり合う。
その瞳は炯々と輝いていて、ミリエルにユアンの本気を否応なしに理解させた。
「ユアン」
「ミリー、信じて」
そんな風に見つめられて、愛されてしまえば、もうだめだった。溢れそうだった恋心が決壊して、迷いも何もかもを押し流していく。
ミリエルは恐る恐るユアンの胸に手を添えた。その手をしっかりと握られて、ぴたりとユアンの胸に当てられる。
「聞こえる? ミリー、僕の心臓、こんなにドキドキしてる」
「聞こえる……。本当に、わたしを好きなの? ユアン」
ミリエルのおびえた言葉に、ユアンが微笑む。
「ああ」
「わたしは、あなたを好きでいていいの」
「もちろん」
「わたし……」
ミリエルは目を閉じた。頭の中にぐるぐると回るのは、双子の妹、セレナのことや、周りの言葉。でも、今大切なのはきっと、それじゃない。
ミリエルは、荒れ狂う感情が収まるのを待って目を開けた。もう一度ユアンを振り仰いで、そうして、泣きながら、笑った。
「あなたを、愛してるわ、ユアン」
それは、先ほど口にした諦観混じりの声音で塗りつぶされたものではなかった。
未来を見た、希望を抱いた、心からの言葉だと、ユアンにもわかったのだろう。
「ああ、ミリー!」
嬉しくてならない、とユアンがミリエルを抱き上げる。
その拍子に顔が近づいて、ミリエルはあ、と思った。
胸いっぱいにユアンの匂いが広がって、吐息が混ざっているのを理解した。
キスされているのだ。ゼロになった距離で、目に映るユアンの長いまつ毛が幻想的にすら思えた。
だけど、これは幻でも妄想でもない。もちろん、夢でも。
どれだけそうしていただろう。酸欠になったミリエルを解放して、ユアンはその炎色の目をとろりと蜂蜜のように蕩けさせた。
「これで、君はの僕の恋人だ。……僕だけの、宝だ」
「宝……」
ミリエルは、ぼんやりとした酸欠の頭で、ユアンの言葉を繰り返した。
繰り返して、はにかむように笑った。大切なものを胸にしまいこむように、ユアンの言葉を噛み締める。
「ミリー、明日、スタンピードの件で功労者としての受勲式が終わったら、王に君との結婚を願い出るよ。そうしたら、もう君は『聖女のはきだめ』なんてする必要はない」
「うん……うん……ユアン」
「待っていて。ミリー。君には、もう、幸せな未来視か用意しない」
ユアンの優しい言葉が、しんしんと、星の光のように降ってくる。
ふと空を見上げると、本当に星が降っていた。流星群だ。
そうやって降る雪はユアンの言葉のようで、風に押し上げられた雲から現れた月は、ユアンのように優しい光を纏っていた。
──ユアンは、わたしのお月さま。
どこにいてもミリエルを見つめてくれる、ミリエルだけの月……。
今日まで、妹ばかり見る両親と、毎日かぶせられる濡れ衣に、心が壊れかけていた。
でも、もう、ユアンがいれば、この先には幸せがあると信じられる。
幸せだ、本当に、本当に、本当に……。
──…………。
ミリエルが、聖女セレナの暗殺未遂で囚われ、それに抗議したユアンが拘束されたのは、翌日のこと──すべては、ユアンの不在をついた一瞬の隙に行われ、そして、終わった。
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