天使な狼、悪魔な羊

駿馬

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第8章 旅は道連れ

5.リッチな買い物

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私達は目的地であるトラントの首都まであと数日という所にある、ベルチェというとても大きな街に到着した。地図を見ると、規模は大きいが領主ではなく普通の町長さんが治める街だ。

この街の周囲は砂漠のような広いクリーム色の砂地帯が広がっているが、本物の砂漠のように乾燥したり高い気温という過酷な環境ではなく、過ごしやすい穏やかな気候だ。遠くにある山から流れてくる川や、遠くの緑地帯の森から湧き出る水が川となり、この街のずっと先にある湖に向かって何本もの川が流れているので水も豊富だ。
そんな風に流れるいくつもの川のうち、3本の川が接近する場所にこの街があるが、どうしてそんな環境なのにこの周辺には緑が育たないのか不思議に思えるほどだった。


この街を遠くから目にした時に驚いたのが、首都でもないのに街の周囲を高く大きな壁で区切られていることだった。
通常、どこの国も首都は最大かつ最後の防衛拠点であるので、城下町まで含めた一体をグルリと囲むように堅牢で高い城壁に囲まれている。今まで訪れた街でこうして壁が周囲の環境から区切る様にしているのは、大きな軍事拠点のある街だったり、自然災害の多い場所などと言った理由があった。


この街が壁で区切られているのはどんな理由だろうか。
そんなことを考えながら大きな門をくぐると、地面は砂地が見えないほど白いの石畳で整備されていて、街の中に大小様々な水路が引かれたキレイな街並みが広がっていた。
水路では子供が水遊びをしていたり、洗濯物らしき物を洗っている女性たちがいたりと、壁の外に広がる木の一本すらない殺風景とは真逆の、とても穏やかな風景が見られた。


「水路はあるしキレイだし、外とは全然雰囲気違うね。それにしてもあの壁は立派だねぇ。城壁みたい」


「この辺はたまに遠くの山から強烈な吹き下ろしの風が来るから、高くて頑丈な壁で囲まれているらしいぞ。さっき見たら随分とデカイ石が分厚く積まれていたから、城壁と同じくらいの強度がありそうだな」


「へぇ~。そうなんだ」

強風が吹こうとも、これだけ頑丈で高い壁に囲まれていれば外からの砂が街の中に入ることもないだろうし、街の中は全て石畳の地面になっているから砂埃は舞わないだろう。


意外と物知りなレオンは、門をくぐってすぐの所にある地図の前で立ち止まった。
つられるように私とルクトも街の地図を見ると、街の南側には広大な別荘地が広がっていた。「この街に国中の貴族が別荘建てたの?」と思ってしまうほど、別荘地の地図には公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵といった爵位とその家の名前がビッシリと書いてあった。



「街の南は貴族の別荘地か。こっから見てもでけぇなぁ」

レオンにつられて別荘地方向を見ると、街を取り囲む外壁よりは低いが、三階建ての大きな建物が群れを成しているように見える。
その姿を見ると、まるで門の入口にいる私達をジッと見据えて威圧しているかのような印象を受けた。



「別荘って言っても普通のお屋敷と変わらないくらい立派そうだね。流石貴族、お金持ちだ」

普段ならフードを外して満遍なく街の中を歩くが、貴族とはお近づきになりたくないし、屋敷に興味もないので、そっちの方には足を向けなかった。私の訪問は恐らくすぐ耳に入るだろうから、治療して欲しい用があれば治療院に足を運ぶだろう。


大通りを歩き始めると、観光客や身分の高そうな人達がたくさんいて、高級衣料品店や高級宿、高級レストランが軒を連ねていた。



「あ、ちょっとこのお店見たい!」

私は土産物のお店の前で立ち止まり、隣を歩いていたルクトとレオンに声をかけた。



「わぁ!キレイなピンク色!」

私は淡いピンク色と濃いピンク色のグラデーションが綺麗なハンカチを手に取った。
ハンカチはとても軽く、何度も撫でたくなるようなスベスベの触り心地だ。色もキレイだが、布の生地もとても気持ちがいい。


「この色はベルチェピンクと言って、この街でしか出せない色なんだよ。ハンカチの布地にはシルクが少し入っているから、触り心地もとても良いんだよ」


「へぇ~!綺麗だし触った感じも良いですね!」


何気なくハンカチの値段を見てみると、ハンカチ1枚でなんと銀貨5枚!


た、高い……。


少々名残惜しいが、手に持ったハンカチをそっと元の場所に戻した。自分用に使うなら、もうちょっと遠慮なく使えるハンカチが良いので、高級ハンカチは諦めることにした。


お店の人の話によると、街に引き込んだキレイな川の水と、この周辺のクリーム色の砂を利用して染め物が作られるが、何故か染めた物はベルチェピンクと言われる薄桃色になるらしい。
そのベルチェピンクの染め物は、この国だけでなく他国の貴族や王族の間でも人気らしく、流行に敏感なマダムがわざわざ買い付けに足繁く通う街らしい。だからまるで商人街のように、大通りには高級な宿や衣料品店、レストランが並んでいるそうだ。

そして、そんな人気の染め物をいち早く入手するためなのか、国内の貴族はこの場所にこぞって別荘を建てたらしい。



「嬢ちゃんの気になる店でもあったのか?」

土産物屋を後にした私が大通りを歩きながら、とある店を凝視していたのをレオンは気付いたらしい。



「うん。ちょっと買い物したいからお店行ってきていい?」


「構わねぇよ」

私の右隣にいるルクトが短くそう言うと、左隣にいるレオンは無言で頷いた。



「女性物のお店だから、2人はお店の外にいてね。色々見たいものがあるから、少し時間がかかると思うんだ。だからそこの喫茶店でゆっくりしてて」

私は2人にそう言うと、お店の向かいのテラス席のある小洒落た喫茶店を指差した。



「はいはい」

「ごゆっくり」

私は2人をお店の外に残して、パッと見ただけで高級と分かる衣料品店の中に入った。



今回買いたいものはズバリ下着だ。下着売り場は流石に護衛は連れて行けない。
店の出入り口やショウウインドウに近い場所には、ベルチェピンクの染め物で作られた旅装束やローブ、オシャレなワンピース、ドレスなどが置いてあるが、それには目を向けずお客さんで賑わうお店の奥へと歩みを進める。

店の奥にある下着売り場には可愛い色合いの物や、綺麗な色合いの物、レース編み等といった様々な下着が陳列されている。



「えっとどこかな……。あったあった!」

下着がワゴンや陳列棚に並ぶ売り場を素通りし、店の一番奥の目立つ所に堂々とワンコーナー使って陳列されている、ピンクの鳥が目印の棚の前で立ち止まった。
その陳列棚は周囲の下着が置かれた陳列棚よりも、明らかに豪華で上品な感じの装飾が施されている。そんな棚から私はいくつかの下着を手にとって、触り心地やデザインを確認し始めた。


胸を覆う下着は、しっかりした生地で出来たフロントホックだ。肩紐はないが、滅多にずり落ちないほど少しきつめに胸を覆うのが一般的だ。
柔軟性があまりない生地がよく使われていて、背中から胸を包み込むようにして胸の前でホックを留め、下着の上下にそれぞれ通されている紐でベルトのようにさらに締める仕組みだ。胸が当たる場所には、使い古したハンカチなどを切ったお手製のパットを入れるポケットがある。
布で胸を覆い、脇の下と胸の下の2箇所を紐で縛るというなかなかの拘束具合で、初めて身につけた時は痛くて仕方がなかったが、今はもう慣れてしまった。


今のが普通の下着の話だが、高級品は仕組みは同じでも少し違う。

『リッチリッチ』と言うこのブランドは、作りも布地にも紐にもこだわっている。柔軟性は少なくて丈夫な布地なのに、肌触りが良くて、縫製もしっかりしているので長持ちする。
胸が当たる場所のポケットには、クッションのように柔らかなパッドが最初から入っていて、買った時に2枚も予備がついている。
このパッドが胸を優しくもしっかりと包んでくれるので、揺れは気にならないし、汗をかいても吸水してくれる。紐はお洒落な組紐だったり、リボンだったりと可愛さも取り入れられている。

色々と手が込んだ下着である分、値段は高価で上下セットで金貨20枚。

旅人に人気の作りが比較的丈夫な下着が銀貨2枚なので、それに比べて100倍の値段で売られている。



そう、ひゃくばい、である。


その名の通り、リッチにリッチを重ねた超高級品っ!
超高級品だが、普段お金を使わない私はこの下着については躊躇なく使うと決めている。でも、いざ支払いになるとお金を数える私の手が毎回震えてしまうのは、贅沢に慣れていない性分だろう。



このブランドを買い始めたのは、ここ1年ほど前のことだ。
ひょんなことから、このブランドを作った人が来るお茶会に少し参加させてもらったのがきっかけだった。

遠くからその人の話を聞いていたが、「良い下着をつけておいた方が胸の形が綺麗になる!良い下着を身につければサイズは大きくなるし、走っても揺れが気にならない!」とか色々熱弁していたので、騙されたと思って1着買ってみたのが始まりだ。
それからは丈夫な下着と柔らかなクッションが手放せなくなって、ずっと買い続けている。実際、この下着を身につけてから胸が大きくなった気がするし、走っても揺れは気にならない。


ーーよし。今回はこれ買っちゃお!

ベルチェピンクを彷彿とさせるような薄桃色の生地にレースがついた上下のセットと、白地に赤の小さな薔薇が刺繍された上下のセットを手に取ってカウンターへと向かった。



「お会計は金貨40枚になります」



ブルブルブル……。


お財布からお金を取り出す私の手は、ブルブルと小刻みに震えていた。

普通に見ればすごく怪しいお客さんだと思うが、こんなに手が震えていても衛兵を呼ばれないのは、きっとこの『白い渡り鳥』の額飾りのおかげだと思っている。この職業は社会的信用と身分があるので、こういう時はとてもありがたく思う。


会計を済ませると、早速試着室で着替えだ。どちらを着ようか悩んだが、今回は薔薇の刺繍がある方を選んだ。これからはこの2着を着回すことになる。


「これ、処分お願いします」


「かしこまりました」


今まで身につけていた2着の下着は、愛用期間が長かったせいもあり随分とボロボロになってしまった。
名残惜しい気持ちもあるが、試着室の中にあるお店に備え付けの布製の袋に入れて、カウンターの店員さんに渡した。


店員さんは渡した袋を持つと、カウンターの横にあるオシャレな噴水を模した陶器の置物の前に移動した。
置物の中には水が張られているが、中央には水がかからないように上に突き出るような台座がある。そこに袋を置いて、上から油をたっぷりと染み込ませ、燭台のロウソクの火をつけるとそれはあっという間に燃え上がった。


こうして目の前で処分してもらうのには理由がある。

使い古した下着は、自分で燃やしてしまうのが一般的な処分方法だ。でも私は常に護衛が一緒なので、使用済み下着を燃やしているのを見られたくないし、気にして欲しくもない。なので、お店に処分を頼むのだ。
高級衣料品店なら目の前で袋ごと燃やしてくれるので、毎回この方法で処分している。

安い衣料品店だと、こういう処理はせずに「後で処分しますね」と言って預かるだけだ。
世の中には悪い人というのは居て、衣料品店の店主が変態に横流しして小遣い稼ぎをしていることもあると聞いたことがある。
そんなことは断じてお断りである。



「お客様、こちらのカードはいかがしますか?」


「あ、書きます!」


「ではあちらにどうぞ」

店員さんに渡されたのは、所謂『お客様の声』を伝えるカードだ。
このリッチリッチはこうしたサービスをしている唯一のブランドで、買った人にカードを書いてもらうのだ。そのカードに対して返事は来ることはないが、ちゃんと上の立場の人に届くようになっているらしい。



お店から出ると、通りを挟んで向かいの喫茶店のテラス席でルクトは昼間からお酒、レオンはタバコを吸っていた。


「お待たせ!」


「お帰り、嬢ちゃん」


「そんなに待ってない。じゃ、行くぞ」

ルクトはそう言って飲みかけのお酒を全部飲み干して席を立つと、レオンは短くなっていたタバコを灰皿に押し付けて立ち上がった。
テーブルの上には空いたジョッキが2つ、灰皿には吸い終わったタバコが3本あった。2人ともそれなりにのんびり出来たらしい。







衣料品店の出入り口が見える喫茶店のテラス席に座った俺とレオンは、それぞれ酒とタバコを手に持って寛いでいた。


「嬢ちゃん、えらく高級店に入ったな」


「だなぁ。高級店なんか入ってるの初めて見た。何を買うんだか」


シェニカはすぐに店の奥へと入ったから、窓からその姿を見ることはできない。節約志向のシェニカが、こんな高級店で一体何を買いに行ったのか気になる。


「嬢ちゃんは着てるものは普通のもんだから、多分下着じゃないのか?
領主の護衛やってた時に聞いた話だが、旅をする女が下着を買うと、その場で着替えていくことが多いらしい。そういう時は店で処分を頼むらしいぞ」


「なんだそれ。宿に帰ってから着ればいいし、どっか適当な場所で自分で燃やせば良いだろうに」


「買った物を早く身につけたいんだろ。
で、だ。世の中には変わった性癖の奴がいるだろ?そーゆー奴が安い店の店主に小遣い渡すんだよ。
そんで手に入れた物で楽しむらしい。俺には理解不能だ。その点、こういう店だと目の前で処分をしてくれるから、安心らしいぞ」


「へぇ。そうなんだ。女は色々大変だな。でもあいつにそういう事やる奴がいたら、そいつを再起不能にしてやるよ」


「あははは!お前なら本当にやりそうだなぁ。オネエに突き出さずに暗殺しそうな勢いだな」


「当たり前だ。地獄を見せてやるよ。なぁ、ちょっと席を外していいか?」


「あぁ。構わんぞ」

俺は喫茶店を出て、自分の買い物をした後にレオンの元に戻った。レオンが席にまだ1人で居ると言うことは、シェニカはまだ買い物中らしい。



「早かったな」


「あぁ。すぐ終わる用事だったからな。しかし、まだあいつらシェニカを見てやがるんだな」

店から少し離れた建物の物陰に、赤と白の独特の服を着た神官が3人身を潜めていて、時折俺達の方を見ながらも店の方をジッと見ている。
1人は白髪交じりの壮年のオッサンで、正面に白地に赤い十字架が大きく描かれたローブを羽織っている。
残りの2人は美形の若い男で、白地に赤の十字架が腕に大きく描かれた神官服を着ている。

この街に入ってしばらくした頃から後をつけて来て、俺が買い物に行く前にその場所に隠れていたが、今も一歩も動かずにその場所にいる。



「神殿の奴があーやってつけてくるのはトリニスタだけかと思っていたが、トラントに入ってからも行く先行く先、毎回神殿の奴らが見てるな。
トリニスタの時より、この国の奴らの方が位が高い奴がつけてきているみたいだな」


「1人だけローブを着ているオッサンか。場所が違っても毎回あんな風なんだよな。話しかけてくるわけでも、近寄るわけでもない。ただ街にいる間、遠くで様子を見てるだけってのが気味悪りぃ」


「嬢ちゃんになんかあるんだろうな。取っ捕まえるか?」

レオンの提案に俺は首を横に振った。捕まえて何がしたいのか聞き出したくもなるが、それをする訳にはいかない。



「いや、あいつは神殿には関わりたくないって言い切ってるからな。取っ捕まえたいが、そうすれば自動的にシェニカが関わることになるから、見てるだけなら泳がせてる」


「そうか。お前がそう言うならそれが良いな。お。嬢ちゃん、店から出てきたな」


シェニカは手に何も持っていないし、店に入る前と何ら変わらない服装だ。だが、満足気な顔をしているから何か買ったんだろう。
となると、レオンの言う通り下着だろうか。もしそうなら、シェニカはどんな下着を買ったんだろう。

俺の好きな色の赤の下着だろうか。いや、あいつはピンクも似合いそうだな。いや、青も白もいいな。黒も捨てがたい。



あ~。見てみたい。
いや、ベッドに連れ込んで下着だけじゃなくて全部見たい。


シェニカの裸はどんな感じだろうか。



色白だから、きっと……。


………。



俺は痛みで顔をしかめるほどの強さで、思いっきり手の甲を抓った。俺のそんな涙ぐましい我慢なんか知らないシェニカは、無防備な顔をして俺の左手を取った。



「あれ?ルクト。指輪が透明になってる。どっか怪我したの?」


「怪我?してねぇけど」


「ほら、指輪の石が白から透明になってるでしょ?治療魔法が発動した証拠だよ。かすり傷とか切り傷に気付かなかったの?」


そう言われても、怪我した記憶なんて全くないんだが…。
ゼニールを出る時、指輪の石は白かったのは覚えている。でも、今は確かに透明な色になっている。

ゼニールを出てから何があったかと思い返してみると、パケジーの町で治療中ずっと手の甲を抓りまくった結果、手の甲のあちこちに血が滲む抓った痕が残っていた。
宿に戻った時には痛みのことなんて忘れていて、結局レオンに治療してもらわなかったことを思い出した。



どうやら手の甲の抓った傷は、この指輪が治療してくれたらしい。
だが、まさかこいつに「怪我したのは、ベッドで俺とお前がどうこうしているのを想像して、欲求不満になった意識を逸らすため」なんて言えるわけもない。


「はい、治療魔法の補充完了。石の色が変わったら教えてね。ルクトって、怪我に慣れてるの?小さい怪我に気付かないなんて、意外と鈍いんだね」

シェニカが俺の手を取って指輪の石に治療魔法をかけると、透明から白色に変化した。



「……悪かったな」

俺の気持ちに気付かない鈍感なお前に、「鈍いんだね」なんて言われたくない。



「これが毒とか混ざってたら大変だよ?怪我が小さいからって油断しちゃダメだよ。ちゃんと気を付けてね」


「そうだな」

レオンは俺が説教されている様子を見て、肩を震わせて俯いていた。
これからしばらくは表向きドジと言うことで、指輪に魔法を補填してもらいながら、手の甲を抓り続けそうだ。

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