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第18章 隆盛の大国
10.ドライな宰相とホットな王太子
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■■■前書き■■■
更新大変お待たせしました。
今回はトゥーベリアス視点→シェニカ視点です。
■■■■■■■■■
「宰相様、シェニカ様のこの後のご予定はどうなっているのでしょうか」
「こちらをどうぞ」
沈思の間から出ていこうとする宰相様を呼び止めると、胸ポケットから出された紙を受け取った。
独身のこの人は公爵家の跡継ぎだし、王位継承権を持っているから、令嬢たちは熱い視線を送っている。でも、この宰相は舞踏会だろうが祝賀会だろうが、ニコリとも笑わないから、令嬢たちは素っ気ない彼に苦戦し続けている。
流石に国の恩人であるシェニカ様にはそのような態度は取らないだろうと思ったが、いつもどおりの素っ気なさ。どうやら宰相様はシェニカ様狙いではないようだ。
そのことに少し安心しながら手元の紙を見た途端、その内容に驚いた。
「舞踏会はない、のですか?」
「トラントに向かった一部の大臣の要望と、ディスコーニ様から頂いたシェニカ様の意向を踏まえ、そのように決定いたしました」
「一部の大臣が舞踏会を行うことを反対したということですか?」
「反対ではありません。トラントに向かった大臣らは、当然ながら有力貴族の当主ばかり。要職に就く彼らがトラントに行くのは当然のことですので、首都で行われる晩餐会や舞踏会には、その令息や令嬢が名代として出席することになります。
しかし、その場に居合わせる他の貴族は、年齢と経験を積んだ当主達です。そのため、トラントに向かった大臣達からは、『経験が劣る名代だけでは別の貴族に出し抜かれる可能性があるから、どうにかして欲しい』と要望がありました。
まぁ、要約すると、名代達とシェニカ様との時間を別で取ってほしい。もしくは、自分達が戻ってから改めてシェニカ様をお招きして欲しいということです。
ディスコーニ様にご意見を伺ったところ、『シェニカ様と公的な者との接触は、最少人数かつ最低限の回数で』とお聞きしましたし、シェニカ様はフェアニーブに向かう前にオオカミリスの生息地へご訪問されますので、首都に滞在出来る時間は限られています。
国王陛下は、今後シェニカ様を治療のために招くことは基本的に行わない、と仰っていますので、改めてお招きすることもありません。その結果、舞踏会は開催しないことになりました」
たしかにトラントの統治に向かった大臣達だって、シェニカ様と接触出来る場に同席し、自分や子供を売り込みたいだろう。他の貴族に遅れを取らぬように、自分の目の届くところで事を運びたい。
特に、晩餐会よりも自由に動ける舞踏会は、シェニカ様に子供を売り込むにはうってつけだ。
だからこそ、大臣たちが宰相様になんとかして欲しいと要求するのは分かるが、その要望を考慮するとシェニカ様の滞在中のスケジュールがタイトになるし、何よりもこちらの都合よりシェニカ様の意向が最優先に考慮されるべきだ。
ならば『白い渡り鳥』様のもてなしには欠かせない舞踏会は行わない、という結論になるのは誰もが納得せざるを得ないだろう。
「では私はこれで失礼します」
「お引き止めして申し訳ありませんでした」
小さく会釈をすると、宰相様はすぐに扉に向かって歩き始めた。閉じられた扉から気配が去っていくのを確認すると、溜息を吐き出した。
「はぁ、宰相様と話す時は肩が凝るな」
「油断ならぬ人ですから」
手に持っていた紙を自分の後ろにいる腹心のタリュスに渡すと、遠慮がちにそう答えた。
一切の感情を削ぎ落としたような常に冷静沈着な宰相ヴェンセンク様は、喜怒哀楽がはっきりして楽天家、人情味のある王太子殿下とは対照的だ。
彼の父は首都から遠く離れた狭い領地しかない貧乏男爵の次男だったが、美しい字を書く腕前を買われて王宮で働くことを許された。それからは国外に向けて送られる招待状などを書く仕事をしていたが、その時に現王の妹であるセシナ王女に見初められて結婚し、ヴェンセンク様が生まれた。
幼少のころから凄まじく頭が良かったヴェンセンク様は、部屋から脱走しては遊び呆けていた当時9歳のファーナストラ殿下を理詰めで打ち負かした。その話を耳にした陛下は、ヴェンセンク様を4歳上の殿下と並んで家庭教師から同じ内容の授業を受けることを許可し、この2人は兄弟のように育った。
しかし、殿下は従兄弟にあたるヴェンセンク様に強烈な苦手意識があったらしく、「勉強しますよ」と迫るヴェンセンク様から逃げようと、剣の練習をするという口実で筆頭将軍の元に逃げ込んでいたらしい。
成長と共に活発で人懐っこさが増したファーナストラ殿下に対し、ヴェンセンク様は喜怒哀楽のない無表情で冷静沈着。国王陛下にすら愛想のない様子だったが、ファーナストラ殿下のお目付け役として適任と判断した陛下は、将来の宰相にするために、ヴェンセンク様が成人する前から当時の宰相の元で学ばせた。
陛下の唯一の子である殿下に万が一のことがあった場合に備え、ヴェンセンク様にも王位継承権が与えられているが、ヴェンセンク様は悪ガキ王子が成人したら王位継承権を放棄するらしい。
「晩餐会の準備が滞りなく進んでいるのか、見に行くぞ」
「トゥーベリアス様、お待ち下さい」
沈思の間を出て晩餐会が行われる部屋に向かおうとすると、タリュスが慌てたように声を上げた。
「なんだ?」
「場所は中庭と書いてあります」
「中庭?茶会じゃなくて晩餐会だぞ?」
タリュスに預けた紙をもう1度受け取って注意深く読むと、晩餐会の会場は中庭と小さく書いてあった。
「晩餐会が中庭って聞いたことないぞ。誰が考えたんだ」
「おそらくディスコーニ様と宰相様が話し合ってお決めになったと思いますが……」
「奴は何を考えているのだろうか。まぁ、これで失敗したら、今回の功績があるから降格までいかないかもしれないが、今後奴がシェニカ様に近付くことは禁止になる。その時の奴の落胆した顔が見ものだな!」
上機嫌になったトゥーベリアスの一歩後ろを歩く腹心タリュスは、困った顔で小さく溜息を吐いた。
◆
ディズと隣り合って歩いていると、窓の外に白い石畳がキレイな広い庭園が見えた。すぐ近くにはアスレチックのような木製の遊具らしきものがあるけど、そこには子供ではなく3匹の猫と2匹の犬が寝そべって日向ぼっこしている。遠くに薔薇園が見えるし、植木や芝生の手入れをしている人が数人いるけど、猫や犬だけでなく、その人達もお互いの存在を気にしていない。
「王宮で猫や犬を飼ってるの?」
「えぇ。国王陛下を始め、王宮にいる全ての者が可愛がっています」
隣を歩くディズに話しかけたけど、先頭を歩く王太子がそんな風に答えながら窓の前で立ち止まった。
どうしたのだろうと王太子を見上げると、犬や猫が好きなんだろうなと分かる愛情に満ちた穏やかな目をして、窓の向こう側にいる犬や猫たちを見ていた。
「私がまだ幼い頃は、足の踏み場もないほど犬と猫が居たので、王宮内は毎日派手な喧嘩をしている声や、何かが割れる音で騒がしかったんです。
そんな状態だったのであちこちに里子に出されて、今いるのは老いた犬と猫だけなので、こうやって静かなものです」
「そうなんですか。日向ぼっこしてる姿って、ほのぼのして良いですね。ユーリくんは猫や犬は苦手?」
「存在そのものには慣れましたが、仲良しとはいかないようです」
「そっか……」
「オオカミリスにとって猫や犬は敵なので、最初は警戒してポーチや服の中から出てこようとしませんでした。逆に犬や猫にとってユーリの匂いはとても気になるようで、私がこの中庭を歩くと取り囲まれる状況が続いていたのですが。
ある日、服の中に隠れていたユーリが出てきて、興味を示す犬や猫の耳や鼻先に噛み付いたんです。
それ以来、ユーリは果敢に立ち向かって行くようになって、猫や犬達もひるむような攻撃をするようになりました。今では、喧嘩はしなくても、お互い無関心のようです」
「そうなんだ。ユーリくんも強くて勇敢な子だもんね。かっこいいなぁ」
「ディスコーニのオオカミリスは、シェニカ様にも懐いた?」
さっきまで穏やかな顔だった王太子は、真剣な顔になってディズを見ている。どうしたのだろうか。
「えぇ。シェニカ様にはとても可愛がっていただいています」
「いいなぁ。俺には全然顔も見せてくれないのに」
「そうなんですか!?」
私がそう言うと、王太子は身体全体でガッカリと訴えるように大きな溜め息を吐き、小さく首を振った。感情を素直に表現している姿は、王族ではなく、不漁を嘆く漁師さんに見えた。
王族らしい出で立ちなのに、どうしても漁師さんに見えてしまう。
「犬をよく触っているから、匂いがついてしまっているからなんだろうね。はぁ……。俺も間近で可愛い姿を見たいのになぁ」
「殿下、口調が戻ってしまわれていますよ」
ディズが笑顔でそう言うと、王太子は慌てて口に手を当てた。
王太子のその顔は、大物がかかった釣り竿を手繰り寄せ、周囲に釣り上げたぞ!と報告しようと思ったら、糸が切れて大きな魚が水面に真っ逆さま!あぁ、どうしよう!……と言っているような姿に見えてしまって、私は笑いをこらえるために床に視線を落とした。
「あ。頑張って使い慣れない堅苦しい言葉を使っているので、気を抜いた瞬間に戻ってしまいました。シェニカ様、失礼をお許し下さい」
「いえいえ、是非普段どおりの話し方にして下さい。その方が私も嬉しいです」
私がそう言うと、王太子はニカッと白い歯を見せる満面の笑みを浮かべた。
「では遠慮なくお言葉に甘えて。
やっぱり国を挙げて保護している以上、一度は生息地に行きたいって陛下に訴えたらさ、『ただでさえ釣りや狩りばっかりして帰ってこないのに、リスの可愛い姿を見たら絶対帰ってこなくなるだろうが!いい歳して王族らしい振る舞いをしないお前を見てるから、アビシニオンが悪ガキになってるんだぞ!』って烈火の如く怒って許可してくれないんだよな。
あ、アビシニオンっていうのは俺の息子でさ。顔は嫁さん譲りで可愛いんだけど、中身は俺に似て落ち着きのない悪ガキなんだよ!あははは!」
すっかり砕けた口調になった王太子は、どんなに王族らしい服を着ていても、もう漁師にしか見えなくなった。国王陛下には王族らしくないと怒られているようだけど、この自然体の方がとっても似合っていると思う。
「賑やかで楽しそうですね。国王陛下には申し訳ないですが、殿下は釣りや狩りをしている方が生き生きしていそうです」
「だろ?生まれてくる場所なんて選べないから、これも運命として受け入れるしかないんだけど。本当は海の漁師か山の猟師になりたかったんだよなぁ。だから公私混同して、国内視察する時は釣りや狩りばっかりやってるよ」
「殿下のような親しみやすい方だったら、きっと視察先の国民も喜びそうです」
「こんな性格だから、堅っ苦しい貴族より民衆の方と仲良くなってね。視察する時は川や池、湖で地元民参加の釣り大会とかやってるんだけど、あいつら俺が王太子って忘れてるから、気を遣って俺を勝たせてやろうとかしないもんな。あははは!」
「面白そうですね」
民衆の声を実際に聞かなくても、飾りっ気がなく親しみやすいこの方だったら、とても愛されているだろうと容易に想像出来る。王族って堅苦しいイメージだし、大国の王族となれば余計にそうなんだろう思ったけど、こういう王族もいるんだな。
「いやぁ、シェニカ様が砕けた対応オッケーな人で良かった。これなら肩も凝らないし、ヴェンセンクに怒られずに済む!あっはっは!」
王太子はまたニカッと笑うと、窓から離れて廊下の奥へと歩き出した。その後姿に続いて歩き出すと、ふんふん♪という王太子のご機嫌な鼻歌が聞こえてきた。チラッと隣のディズを見ると、とても穏やかな顔で微笑んでいた。
そして廊下を何度か曲がった後、王太子は大きな扉の前で立ち止まった。
「シェニカはこの部屋を、ルクトさんはそちらの部屋を使って下さい。私と殿下は国王陛下のところへ行って来ますが、部屋の外にセナイオルとアヴィスを置いておきますので、何かあったら声をかけて下さいね」
「ありがとう」
「シェニカ様とディスコーニは本当に仲良しなんだ。2人の関係はどうなのさ?」
王太子が悪戯っ子のような顔をして、私とディズの顔を見比べている。何だか、からかわれているような気がして急に恥ずかしくなった。
「お友達です」
「ふーん?ま、色んな友達がいるのは良いことだ。縁は大事にな」
「もちろんです。さ、シェニカはゆっくりしていて下さいね」
「うん」
陽の光で満ちた部屋に一歩入ると、ずっと無言のルクトとディズ、漁師な王太子に見守られながら静かに扉を閉めた。
「壁紙がキラキラだ。すごい」
今まで泊まった高級宿以上に広い部屋の中を見て最初に目についたのは、窓から差し込む陽の光をキラキラと反射する壁紙で、よく見ると金箔や銀箔が入っている。手垢がつかないように恐る恐る触ってみると、サラサラとした手触りが気持ちの良い壁紙だ。高級品なのだろうと容易に想像がついて、用心のために触ったところには浄化の魔法をかけておいた。
「天蓋付きのベッドなんて、王女様になったみたい」
部屋の左側に顔を向けると、天蓋付きの広いベッド、その近くには大きな扉がある。中庭に面した大きな窓とベッドとの間には、赤いビロードが張られた豪華な3人掛けのソファが、黒い木で造られた重厚感のあるローテーブルを挟んで2脚ある。
「あ、あの絵は!!」
右側に顔を向けると、テーブルクロスが敷かれた4人掛けのダイニングテーブル、お酒や豪華なティーカップなどが入った大きな戸棚、彫刻はされていないけど重厚感溢れる黒い扉があった。
ダイニングテーブルに近い壁に気になる絵画があることに気付くと、思わずそっちの方向へと歩いていた。
「ユーリくんは茶色1色だけど、この絵にはお腹辺りや頭、しっぽに白や焦げ茶が混じってる子がいる……。もしかして個体によって柄が違うのかな?」
絵画は私が手を広げたくらいの大きさで、木漏れ日が差す森の中で、太い枝にオオカミリスがズラッと並んでクルミを食べている絵だ。
枝や葉の立体感だけでなく、リスの体毛、おヒゲ、クルミを掴む鋭い爪、齧りつく牙といった細部も緻密に描かれているけど、体毛の色だけでなくクルミを頬張るオオカミリスの表情も微妙に違う。
慌てて食べている姿、頬張って美味しさを味わう姿、もうすぐ食べ終わってしまうリスが隣の子が食べているクルミを凝視している姿。見ているだけでほんわかするこの絵は、きっと作者もオオカミリスが好きなんだなと伝わってくるような名画だと思う。
「この部屋は……。洗面所か。広くてキレイだなぁ」
絵画の近くにある黒い扉を開ければ、そこはガラス扉と木製の扉がある洗面脱衣所だった。そこには大きな丸い鏡があって、洗面台は大理石で造られている。ガラス扉の向こうは広々としたお風呂場があって、扉も浴槽もタイル張りの床も、水垢なんて見当たらないほどピカピカに磨き込まれて眩しいくらいだ。
木製のドアを開けると大人3人は余裕で入れるほど広いトイレで、大きな花瓶にいけられた真っ白な百合の花の香りが広がっている。
洗面脱衣所を出て部屋に戻ると、向かい側の奥にある白いレースのついたベッドまで歩き、その隣にある大きな扉を開けてみた。
「うわぁ……。すごい数のドレス!」
扉の向こうは衣装部屋で、大人が3人は余裕で映る大きな姿見があって、高価なのがひと目見て分かるドレスや綺羅びやかなワンピースが、部屋いっぱいのハンガーラックにかけられている。部屋の奥にあった化粧台の横には、ピカピカのハイヒールやローヒールのお洒落な靴が棚に整然と並べられ、棚の上には宝飾品の入ったガラスケースなどがたくさん置いてある。
「ちょっと触ってみたいけど、何かあったら弁償しないといけないから見るだけにしよう」
自分には縁遠い豪華な衣装を目に焼き付けながら衣装部屋から出ると、ベッドの向う側にあるソファに近寄ってみた。
「はぁ……。ふかふかで気持ちが良いなぁ」
静かに座ってみると、包み込むような程よい弾力に思わず感嘆のため息を吐いてしまった。
向かいにある窓の向こうには、緑の葉を生き生きと茂らせる大きな木があって、その枝には黄色の鳥が並んで、毛繕いをしたり、囀ったりして楽しそうにしているのが見える。
「あれ?絵がある」
ポケットからコンパクトを取り出して、なんとなく自分を眺めていると、背後にある天蓋の内側に絵のようなものが鏡に映った。
座り心地の良いソファから立ち上がって、すべすべの布団が乗ったベッドに近づいてみると、横になった時に真上に見える天板に、大きなキャンバスがピッタリと嵌め込まれていた。
そのキャンバスには、湖のほとりに突き出した岩の上に金髪の女性が座り、胸に手を当てて気持ちよさそうに歌っている姿が描かれている。その女性の肩や岩の上には、歌に惹きつけられたのか白や黄色、青や薄緑色の小鳥がたくさん止まっていて、見ているこちらも聞こえない歌声にうっとりしそうな気持ちになる絵画だ。
「天蓋付きのベッドなんて寝たことないけど、絵を見ながら眠るなんて流石王宮って感じ。何もかも豪華すぎて落ち着かないや」
折角用意してくれたお部屋だけど、1人で使うにはあまりにも広く、豪華過ぎて身の置き所がない。やっぱり私には、安宿の部屋が一番しっくり来るのだとしみじみ思う。
「ぽかぽかで気持ちがいいなぁ」
庭に面した窓の前に立ってキレイな中庭を眺めていると、温かい日差しで身体がポカポカしてきた。窓を開けると、そよぐ風も心地良いから、寝っ転がって日向ぼっこすると気持ちよさそうだ。
「今までの人生で、一番気持ちが良かった日向ぼっこといえば、やっぱり実家の牧場での日向ぼっこかなぁ。今頃、お父さんとお母さんは何してるかなぁ」
神殿に進学する前、お父さんと一緒に放牧に行った時、羊や犬と一緒に駆け回ったら疲れてしまって、木の枝に設置したハンモックで日向ぼっこをしていた。気持良くうたた寝をしていたら、ワンワンとけたたましく吠えるニコに起こされたっけ。
「ニコは元気かなぁ。帰ったら歓迎してくれるかなぁ?」
実家の牧羊犬達の中で、一番若いニコは、なぜだか私に懐いてくれなくて、私が近付くとヴヴヴ~と唸り声をあげ、歯を剥き出しにして威嚇してきた。結局仲良くなれないままだったけど、ニコも歳を重ねた今なら仲良くしてくれるだろうか。
あの頃は、まさか自分が『白い渡り鳥』になると思っていなかったから、両親の牧場を継いでダーファスでのんびり生きていくものだと思っていた。
私が『白い渡り鳥』を引退したら、受け継いだ牧場を可愛い子達でいっぱいのハーレム牧場にしたいと思っているけど、両親が先に天に召されてしまう可能性が十分にある。
もしそうなってしまったら、牧場はどうすればいいだろうか。引退するまで私は1ヶ所に腰を据えることが出来ないから、ダーファスに残っている友人や、親戚、近所の人にお願いして、牧場を維持してもらえるようにすればいいだろうか。
いやいや。今は両親が亡くなった場合じゃなく、元気に長生きしてくれることを願って楽しいことを考えよう。
モコモコな羊や、元気いっぱいに走り回る犬、私の足や手にすり寄ってくる猫。背中に快く乗せてくれる馬、のんびり屋さんな牛。そんなかわい子ちゃん達に囲まれたハーレム牧場はとても幸せだけど、そこには是非とも可愛さ爆発のオオカミリスの子が居て欲しい!
夢の達成のためにはナンパの腕前を上げなければいけないけど、まずはオオカミリスに主人と認めてもらえるように頑張らなければ!
「恋するクルミをあげるだけじゃ主人と認めてもらえないみたいだし……。ご飯で釣るのはダメってことなのかな?どうすればいいかなぁ」
主人と認めてもらえるように、何をすれば良いかと考えていると、ドアがコンコンとノックされた。誰だろうとドアに近付くと、ルクトの声が聞こえた。
「どうしたの?」
「あのさ」
目の前に立つルクトは落ち着かないのか、視線が少し泳いでいる。
言いにくい話があるのかと心配になっていると、ルクトは視線をどこかに向けたまま小さく息を吐いた。
「あのさ。今日じゃなくてもいいから、時間が出来たら城下を見て回らないか?」
「いいよ。何か見たいものある?」
「特にないけど。お祭り騒ぎの首都なんて、滅多にないだろうから。……楽しめるんじゃないかと思って」
「そうだね。見て回るだけでも面白そうね」
「じゃあ……。また」
扉を閉めると、今日ルクトとまともな会話をしたのが今だったと気付いた。
ルクトを避けているわけじゃないけど、私はディズと話すことが多くて彼と話す機会が少ない。
もう少しルクトに話を振って会話した方が良いとは思うけど、ディズがいる時はルクトからは話しかけにくい空気が出ているし、ディズがいない時は相変わらず何を話したら良いか分からない。
でも、レオンが居ればルクトも話し相手が出来るし、きっと私達の間の空気も変わると思う。
「ルクトもレオンと早く会いたいだろうな」
私の小さな呟きは、窓から入ってきた風にさらわれた。
更新大変お待たせしました。
今回はトゥーベリアス視点→シェニカ視点です。
■■■■■■■■■
「宰相様、シェニカ様のこの後のご予定はどうなっているのでしょうか」
「こちらをどうぞ」
沈思の間から出ていこうとする宰相様を呼び止めると、胸ポケットから出された紙を受け取った。
独身のこの人は公爵家の跡継ぎだし、王位継承権を持っているから、令嬢たちは熱い視線を送っている。でも、この宰相は舞踏会だろうが祝賀会だろうが、ニコリとも笑わないから、令嬢たちは素っ気ない彼に苦戦し続けている。
流石に国の恩人であるシェニカ様にはそのような態度は取らないだろうと思ったが、いつもどおりの素っ気なさ。どうやら宰相様はシェニカ様狙いではないようだ。
そのことに少し安心しながら手元の紙を見た途端、その内容に驚いた。
「舞踏会はない、のですか?」
「トラントに向かった一部の大臣の要望と、ディスコーニ様から頂いたシェニカ様の意向を踏まえ、そのように決定いたしました」
「一部の大臣が舞踏会を行うことを反対したということですか?」
「反対ではありません。トラントに向かった大臣らは、当然ながら有力貴族の当主ばかり。要職に就く彼らがトラントに行くのは当然のことですので、首都で行われる晩餐会や舞踏会には、その令息や令嬢が名代として出席することになります。
しかし、その場に居合わせる他の貴族は、年齢と経験を積んだ当主達です。そのため、トラントに向かった大臣達からは、『経験が劣る名代だけでは別の貴族に出し抜かれる可能性があるから、どうにかして欲しい』と要望がありました。
まぁ、要約すると、名代達とシェニカ様との時間を別で取ってほしい。もしくは、自分達が戻ってから改めてシェニカ様をお招きして欲しいということです。
ディスコーニ様にご意見を伺ったところ、『シェニカ様と公的な者との接触は、最少人数かつ最低限の回数で』とお聞きしましたし、シェニカ様はフェアニーブに向かう前にオオカミリスの生息地へご訪問されますので、首都に滞在出来る時間は限られています。
国王陛下は、今後シェニカ様を治療のために招くことは基本的に行わない、と仰っていますので、改めてお招きすることもありません。その結果、舞踏会は開催しないことになりました」
たしかにトラントの統治に向かった大臣達だって、シェニカ様と接触出来る場に同席し、自分や子供を売り込みたいだろう。他の貴族に遅れを取らぬように、自分の目の届くところで事を運びたい。
特に、晩餐会よりも自由に動ける舞踏会は、シェニカ様に子供を売り込むにはうってつけだ。
だからこそ、大臣たちが宰相様になんとかして欲しいと要求するのは分かるが、その要望を考慮するとシェニカ様の滞在中のスケジュールがタイトになるし、何よりもこちらの都合よりシェニカ様の意向が最優先に考慮されるべきだ。
ならば『白い渡り鳥』様のもてなしには欠かせない舞踏会は行わない、という結論になるのは誰もが納得せざるを得ないだろう。
「では私はこれで失礼します」
「お引き止めして申し訳ありませんでした」
小さく会釈をすると、宰相様はすぐに扉に向かって歩き始めた。閉じられた扉から気配が去っていくのを確認すると、溜息を吐き出した。
「はぁ、宰相様と話す時は肩が凝るな」
「油断ならぬ人ですから」
手に持っていた紙を自分の後ろにいる腹心のタリュスに渡すと、遠慮がちにそう答えた。
一切の感情を削ぎ落としたような常に冷静沈着な宰相ヴェンセンク様は、喜怒哀楽がはっきりして楽天家、人情味のある王太子殿下とは対照的だ。
彼の父は首都から遠く離れた狭い領地しかない貧乏男爵の次男だったが、美しい字を書く腕前を買われて王宮で働くことを許された。それからは国外に向けて送られる招待状などを書く仕事をしていたが、その時に現王の妹であるセシナ王女に見初められて結婚し、ヴェンセンク様が生まれた。
幼少のころから凄まじく頭が良かったヴェンセンク様は、部屋から脱走しては遊び呆けていた当時9歳のファーナストラ殿下を理詰めで打ち負かした。その話を耳にした陛下は、ヴェンセンク様を4歳上の殿下と並んで家庭教師から同じ内容の授業を受けることを許可し、この2人は兄弟のように育った。
しかし、殿下は従兄弟にあたるヴェンセンク様に強烈な苦手意識があったらしく、「勉強しますよ」と迫るヴェンセンク様から逃げようと、剣の練習をするという口実で筆頭将軍の元に逃げ込んでいたらしい。
成長と共に活発で人懐っこさが増したファーナストラ殿下に対し、ヴェンセンク様は喜怒哀楽のない無表情で冷静沈着。国王陛下にすら愛想のない様子だったが、ファーナストラ殿下のお目付け役として適任と判断した陛下は、将来の宰相にするために、ヴェンセンク様が成人する前から当時の宰相の元で学ばせた。
陛下の唯一の子である殿下に万が一のことがあった場合に備え、ヴェンセンク様にも王位継承権が与えられているが、ヴェンセンク様は悪ガキ王子が成人したら王位継承権を放棄するらしい。
「晩餐会の準備が滞りなく進んでいるのか、見に行くぞ」
「トゥーベリアス様、お待ち下さい」
沈思の間を出て晩餐会が行われる部屋に向かおうとすると、タリュスが慌てたように声を上げた。
「なんだ?」
「場所は中庭と書いてあります」
「中庭?茶会じゃなくて晩餐会だぞ?」
タリュスに預けた紙をもう1度受け取って注意深く読むと、晩餐会の会場は中庭と小さく書いてあった。
「晩餐会が中庭って聞いたことないぞ。誰が考えたんだ」
「おそらくディスコーニ様と宰相様が話し合ってお決めになったと思いますが……」
「奴は何を考えているのだろうか。まぁ、これで失敗したら、今回の功績があるから降格までいかないかもしれないが、今後奴がシェニカ様に近付くことは禁止になる。その時の奴の落胆した顔が見ものだな!」
上機嫌になったトゥーベリアスの一歩後ろを歩く腹心タリュスは、困った顔で小さく溜息を吐いた。
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ディズと隣り合って歩いていると、窓の外に白い石畳がキレイな広い庭園が見えた。すぐ近くにはアスレチックのような木製の遊具らしきものがあるけど、そこには子供ではなく3匹の猫と2匹の犬が寝そべって日向ぼっこしている。遠くに薔薇園が見えるし、植木や芝生の手入れをしている人が数人いるけど、猫や犬だけでなく、その人達もお互いの存在を気にしていない。
「王宮で猫や犬を飼ってるの?」
「えぇ。国王陛下を始め、王宮にいる全ての者が可愛がっています」
隣を歩くディズに話しかけたけど、先頭を歩く王太子がそんな風に答えながら窓の前で立ち止まった。
どうしたのだろうと王太子を見上げると、犬や猫が好きなんだろうなと分かる愛情に満ちた穏やかな目をして、窓の向こう側にいる犬や猫たちを見ていた。
「私がまだ幼い頃は、足の踏み場もないほど犬と猫が居たので、王宮内は毎日派手な喧嘩をしている声や、何かが割れる音で騒がしかったんです。
そんな状態だったのであちこちに里子に出されて、今いるのは老いた犬と猫だけなので、こうやって静かなものです」
「そうなんですか。日向ぼっこしてる姿って、ほのぼのして良いですね。ユーリくんは猫や犬は苦手?」
「存在そのものには慣れましたが、仲良しとはいかないようです」
「そっか……」
「オオカミリスにとって猫や犬は敵なので、最初は警戒してポーチや服の中から出てこようとしませんでした。逆に犬や猫にとってユーリの匂いはとても気になるようで、私がこの中庭を歩くと取り囲まれる状況が続いていたのですが。
ある日、服の中に隠れていたユーリが出てきて、興味を示す犬や猫の耳や鼻先に噛み付いたんです。
それ以来、ユーリは果敢に立ち向かって行くようになって、猫や犬達もひるむような攻撃をするようになりました。今では、喧嘩はしなくても、お互い無関心のようです」
「そうなんだ。ユーリくんも強くて勇敢な子だもんね。かっこいいなぁ」
「ディスコーニのオオカミリスは、シェニカ様にも懐いた?」
さっきまで穏やかな顔だった王太子は、真剣な顔になってディズを見ている。どうしたのだろうか。
「えぇ。シェニカ様にはとても可愛がっていただいています」
「いいなぁ。俺には全然顔も見せてくれないのに」
「そうなんですか!?」
私がそう言うと、王太子は身体全体でガッカリと訴えるように大きな溜め息を吐き、小さく首を振った。感情を素直に表現している姿は、王族ではなく、不漁を嘆く漁師さんに見えた。
王族らしい出で立ちなのに、どうしても漁師さんに見えてしまう。
「犬をよく触っているから、匂いがついてしまっているからなんだろうね。はぁ……。俺も間近で可愛い姿を見たいのになぁ」
「殿下、口調が戻ってしまわれていますよ」
ディズが笑顔でそう言うと、王太子は慌てて口に手を当てた。
王太子のその顔は、大物がかかった釣り竿を手繰り寄せ、周囲に釣り上げたぞ!と報告しようと思ったら、糸が切れて大きな魚が水面に真っ逆さま!あぁ、どうしよう!……と言っているような姿に見えてしまって、私は笑いをこらえるために床に視線を落とした。
「あ。頑張って使い慣れない堅苦しい言葉を使っているので、気を抜いた瞬間に戻ってしまいました。シェニカ様、失礼をお許し下さい」
「いえいえ、是非普段どおりの話し方にして下さい。その方が私も嬉しいです」
私がそう言うと、王太子はニカッと白い歯を見せる満面の笑みを浮かべた。
「では遠慮なくお言葉に甘えて。
やっぱり国を挙げて保護している以上、一度は生息地に行きたいって陛下に訴えたらさ、『ただでさえ釣りや狩りばっかりして帰ってこないのに、リスの可愛い姿を見たら絶対帰ってこなくなるだろうが!いい歳して王族らしい振る舞いをしないお前を見てるから、アビシニオンが悪ガキになってるんだぞ!』って烈火の如く怒って許可してくれないんだよな。
あ、アビシニオンっていうのは俺の息子でさ。顔は嫁さん譲りで可愛いんだけど、中身は俺に似て落ち着きのない悪ガキなんだよ!あははは!」
すっかり砕けた口調になった王太子は、どんなに王族らしい服を着ていても、もう漁師にしか見えなくなった。国王陛下には王族らしくないと怒られているようだけど、この自然体の方がとっても似合っていると思う。
「賑やかで楽しそうですね。国王陛下には申し訳ないですが、殿下は釣りや狩りをしている方が生き生きしていそうです」
「だろ?生まれてくる場所なんて選べないから、これも運命として受け入れるしかないんだけど。本当は海の漁師か山の猟師になりたかったんだよなぁ。だから公私混同して、国内視察する時は釣りや狩りばっかりやってるよ」
「殿下のような親しみやすい方だったら、きっと視察先の国民も喜びそうです」
「こんな性格だから、堅っ苦しい貴族より民衆の方と仲良くなってね。視察する時は川や池、湖で地元民参加の釣り大会とかやってるんだけど、あいつら俺が王太子って忘れてるから、気を遣って俺を勝たせてやろうとかしないもんな。あははは!」
「面白そうですね」
民衆の声を実際に聞かなくても、飾りっ気がなく親しみやすいこの方だったら、とても愛されているだろうと容易に想像出来る。王族って堅苦しいイメージだし、大国の王族となれば余計にそうなんだろう思ったけど、こういう王族もいるんだな。
「いやぁ、シェニカ様が砕けた対応オッケーな人で良かった。これなら肩も凝らないし、ヴェンセンクに怒られずに済む!あっはっは!」
王太子はまたニカッと笑うと、窓から離れて廊下の奥へと歩き出した。その後姿に続いて歩き出すと、ふんふん♪という王太子のご機嫌な鼻歌が聞こえてきた。チラッと隣のディズを見ると、とても穏やかな顔で微笑んでいた。
そして廊下を何度か曲がった後、王太子は大きな扉の前で立ち止まった。
「シェニカはこの部屋を、ルクトさんはそちらの部屋を使って下さい。私と殿下は国王陛下のところへ行って来ますが、部屋の外にセナイオルとアヴィスを置いておきますので、何かあったら声をかけて下さいね」
「ありがとう」
「シェニカ様とディスコーニは本当に仲良しなんだ。2人の関係はどうなのさ?」
王太子が悪戯っ子のような顔をして、私とディズの顔を見比べている。何だか、からかわれているような気がして急に恥ずかしくなった。
「お友達です」
「ふーん?ま、色んな友達がいるのは良いことだ。縁は大事にな」
「もちろんです。さ、シェニカはゆっくりしていて下さいね」
「うん」
陽の光で満ちた部屋に一歩入ると、ずっと無言のルクトとディズ、漁師な王太子に見守られながら静かに扉を閉めた。
「壁紙がキラキラだ。すごい」
今まで泊まった高級宿以上に広い部屋の中を見て最初に目についたのは、窓から差し込む陽の光をキラキラと反射する壁紙で、よく見ると金箔や銀箔が入っている。手垢がつかないように恐る恐る触ってみると、サラサラとした手触りが気持ちの良い壁紙だ。高級品なのだろうと容易に想像がついて、用心のために触ったところには浄化の魔法をかけておいた。
「天蓋付きのベッドなんて、王女様になったみたい」
部屋の左側に顔を向けると、天蓋付きの広いベッド、その近くには大きな扉がある。中庭に面した大きな窓とベッドとの間には、赤いビロードが張られた豪華な3人掛けのソファが、黒い木で造られた重厚感のあるローテーブルを挟んで2脚ある。
「あ、あの絵は!!」
右側に顔を向けると、テーブルクロスが敷かれた4人掛けのダイニングテーブル、お酒や豪華なティーカップなどが入った大きな戸棚、彫刻はされていないけど重厚感溢れる黒い扉があった。
ダイニングテーブルに近い壁に気になる絵画があることに気付くと、思わずそっちの方向へと歩いていた。
「ユーリくんは茶色1色だけど、この絵にはお腹辺りや頭、しっぽに白や焦げ茶が混じってる子がいる……。もしかして個体によって柄が違うのかな?」
絵画は私が手を広げたくらいの大きさで、木漏れ日が差す森の中で、太い枝にオオカミリスがズラッと並んでクルミを食べている絵だ。
枝や葉の立体感だけでなく、リスの体毛、おヒゲ、クルミを掴む鋭い爪、齧りつく牙といった細部も緻密に描かれているけど、体毛の色だけでなくクルミを頬張るオオカミリスの表情も微妙に違う。
慌てて食べている姿、頬張って美味しさを味わう姿、もうすぐ食べ終わってしまうリスが隣の子が食べているクルミを凝視している姿。見ているだけでほんわかするこの絵は、きっと作者もオオカミリスが好きなんだなと伝わってくるような名画だと思う。
「この部屋は……。洗面所か。広くてキレイだなぁ」
絵画の近くにある黒い扉を開ければ、そこはガラス扉と木製の扉がある洗面脱衣所だった。そこには大きな丸い鏡があって、洗面台は大理石で造られている。ガラス扉の向こうは広々としたお風呂場があって、扉も浴槽もタイル張りの床も、水垢なんて見当たらないほどピカピカに磨き込まれて眩しいくらいだ。
木製のドアを開けると大人3人は余裕で入れるほど広いトイレで、大きな花瓶にいけられた真っ白な百合の花の香りが広がっている。
洗面脱衣所を出て部屋に戻ると、向かい側の奥にある白いレースのついたベッドまで歩き、その隣にある大きな扉を開けてみた。
「うわぁ……。すごい数のドレス!」
扉の向こうは衣装部屋で、大人が3人は余裕で映る大きな姿見があって、高価なのがひと目見て分かるドレスや綺羅びやかなワンピースが、部屋いっぱいのハンガーラックにかけられている。部屋の奥にあった化粧台の横には、ピカピカのハイヒールやローヒールのお洒落な靴が棚に整然と並べられ、棚の上には宝飾品の入ったガラスケースなどがたくさん置いてある。
「ちょっと触ってみたいけど、何かあったら弁償しないといけないから見るだけにしよう」
自分には縁遠い豪華な衣装を目に焼き付けながら衣装部屋から出ると、ベッドの向う側にあるソファに近寄ってみた。
「はぁ……。ふかふかで気持ちが良いなぁ」
静かに座ってみると、包み込むような程よい弾力に思わず感嘆のため息を吐いてしまった。
向かいにある窓の向こうには、緑の葉を生き生きと茂らせる大きな木があって、その枝には黄色の鳥が並んで、毛繕いをしたり、囀ったりして楽しそうにしているのが見える。
「あれ?絵がある」
ポケットからコンパクトを取り出して、なんとなく自分を眺めていると、背後にある天蓋の内側に絵のようなものが鏡に映った。
座り心地の良いソファから立ち上がって、すべすべの布団が乗ったベッドに近づいてみると、横になった時に真上に見える天板に、大きなキャンバスがピッタリと嵌め込まれていた。
そのキャンバスには、湖のほとりに突き出した岩の上に金髪の女性が座り、胸に手を当てて気持ちよさそうに歌っている姿が描かれている。その女性の肩や岩の上には、歌に惹きつけられたのか白や黄色、青や薄緑色の小鳥がたくさん止まっていて、見ているこちらも聞こえない歌声にうっとりしそうな気持ちになる絵画だ。
「天蓋付きのベッドなんて寝たことないけど、絵を見ながら眠るなんて流石王宮って感じ。何もかも豪華すぎて落ち着かないや」
折角用意してくれたお部屋だけど、1人で使うにはあまりにも広く、豪華過ぎて身の置き所がない。やっぱり私には、安宿の部屋が一番しっくり来るのだとしみじみ思う。
「ぽかぽかで気持ちがいいなぁ」
庭に面した窓の前に立ってキレイな中庭を眺めていると、温かい日差しで身体がポカポカしてきた。窓を開けると、そよぐ風も心地良いから、寝っ転がって日向ぼっこすると気持ちよさそうだ。
「今までの人生で、一番気持ちが良かった日向ぼっこといえば、やっぱり実家の牧場での日向ぼっこかなぁ。今頃、お父さんとお母さんは何してるかなぁ」
神殿に進学する前、お父さんと一緒に放牧に行った時、羊や犬と一緒に駆け回ったら疲れてしまって、木の枝に設置したハンモックで日向ぼっこをしていた。気持良くうたた寝をしていたら、ワンワンとけたたましく吠えるニコに起こされたっけ。
「ニコは元気かなぁ。帰ったら歓迎してくれるかなぁ?」
実家の牧羊犬達の中で、一番若いニコは、なぜだか私に懐いてくれなくて、私が近付くとヴヴヴ~と唸り声をあげ、歯を剥き出しにして威嚇してきた。結局仲良くなれないままだったけど、ニコも歳を重ねた今なら仲良くしてくれるだろうか。
あの頃は、まさか自分が『白い渡り鳥』になると思っていなかったから、両親の牧場を継いでダーファスでのんびり生きていくものだと思っていた。
私が『白い渡り鳥』を引退したら、受け継いだ牧場を可愛い子達でいっぱいのハーレム牧場にしたいと思っているけど、両親が先に天に召されてしまう可能性が十分にある。
もしそうなってしまったら、牧場はどうすればいいだろうか。引退するまで私は1ヶ所に腰を据えることが出来ないから、ダーファスに残っている友人や、親戚、近所の人にお願いして、牧場を維持してもらえるようにすればいいだろうか。
いやいや。今は両親が亡くなった場合じゃなく、元気に長生きしてくれることを願って楽しいことを考えよう。
モコモコな羊や、元気いっぱいに走り回る犬、私の足や手にすり寄ってくる猫。背中に快く乗せてくれる馬、のんびり屋さんな牛。そんなかわい子ちゃん達に囲まれたハーレム牧場はとても幸せだけど、そこには是非とも可愛さ爆発のオオカミリスの子が居て欲しい!
夢の達成のためにはナンパの腕前を上げなければいけないけど、まずはオオカミリスに主人と認めてもらえるように頑張らなければ!
「恋するクルミをあげるだけじゃ主人と認めてもらえないみたいだし……。ご飯で釣るのはダメってことなのかな?どうすればいいかなぁ」
主人と認めてもらえるように、何をすれば良いかと考えていると、ドアがコンコンとノックされた。誰だろうとドアに近付くと、ルクトの声が聞こえた。
「どうしたの?」
「あのさ」
目の前に立つルクトは落ち着かないのか、視線が少し泳いでいる。
言いにくい話があるのかと心配になっていると、ルクトは視線をどこかに向けたまま小さく息を吐いた。
「あのさ。今日じゃなくてもいいから、時間が出来たら城下を見て回らないか?」
「いいよ。何か見たいものある?」
「特にないけど。お祭り騒ぎの首都なんて、滅多にないだろうから。……楽しめるんじゃないかと思って」
「そうだね。見て回るだけでも面白そうね」
「じゃあ……。また」
扉を閉めると、今日ルクトとまともな会話をしたのが今だったと気付いた。
ルクトを避けているわけじゃないけど、私はディズと話すことが多くて彼と話す機会が少ない。
もう少しルクトに話を振って会話した方が良いとは思うけど、ディズがいる時はルクトからは話しかけにくい空気が出ているし、ディズがいない時は相変わらず何を話したら良いか分からない。
でも、レオンが居ればルクトも話し相手が出来るし、きっと私達の間の空気も変わると思う。
「ルクトもレオンと早く会いたいだろうな」
私の小さな呟きは、窓から入ってきた風にさらわれた。
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