赤毛の伯爵令嬢

ハチ助

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12.生贄

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 瞼の裏からうっすらと赤い光を感じたクレアは、ゆっくりと瞳を開いた。
 どうやら今のクレアは、自分のベッドで寝ている様だ……。
 ふと傍らに目を向けると、しゃくりあげるようにして泣いている妹のティアラが、クレアの寝ているベッドに突っ伏している。

 その様子にクレアが頭を撫でようと、そっと手を伸ばしてティアラの名前を呼ぼうとしたのだが……何故か急に咳き込んでしまい、涙がジワリと溜まり出す。

「クレアお姉様っ!!」

 泣きはらして真っ赤になった瞳でクレアに呼びかけてきた妹は、この世の終わりの様な表情をしていた。

「ティアラ……。私、一体……」

 やや掠れ気味の声でクレアが呟くと、ティアラがボロボロと大粒の涙を零す。

「ごめんなさい……本当にごめんなさい! わ、私……こんな事になるなんて少しも思わなくて……イアルが……イアルがあんな事をするなんて思わなくて……。お姉様ぁ……本当に、本当にごめんなさい……」

 震える声で何度も何度も懺悔するように謝罪してくる妹の言葉で、朦朧もうろうとしたクレアの頭の中に先程の記憶が徐々に蘇ってくる。

「イアルは!? イアルはどうなったの!?」

 ガバっとベッドから勢いよく体を起こしたクレアだが……すぐに頭がクラクラとしてしまい、片手で顔を覆った。
 よく分からないが、やや吐き気もこみ上げてくる……。

「お、お姉様!」

 そんなクレアをティアラが慌てて支えた。

「大丈夫……。それよりもイアルはあの後、どうなったの……?」
「イ、イアルは……あの後、拘束されて……デバイト家に連れて行かれて……。お父様もそちらに行かれて……。ジェ、ジェラルド閣下が物凄くお怒りで……。お母様も倒れられて……」

 真っ青な顔をしながらティアラが、震える声で断片的に語り出す。

「ティアラ、落ち着いて! ゆっくりでいいから……私が気絶した後、何があったのか順番に話して……?」

 落ち着かせようと、クレアがティアラの背中をゆっくり摩る。

「わ、私がジェラルド閣下と中庭でお茶をしていたら、急にお屋敷の方が騒がしくなって……。それで閣下が様子を見にお屋敷の方へ向かったの……。私も一緒に付いて行ったら、イアルがお姉様の部屋で閣下の護衛の男性に床へ押し付けられるように拘束されていて……。その近くに真っ青なお顔をしたお姉様が座り込んでいて……マリンダが必死に声を掛けていたの……」

 両手を胸の辺りで組んで、ゆっくり語り出したティアラだが……顔色は真っ青で小刻みに震えている……。

「それで……その後は?」
「ジョルジュが呼んできてくれたお医者様が、すぐにお姉様を診てくれて……。イ、イアルの方は、そのまま部屋から連れ出されて、鍵の掛かる部屋に監禁されたわ……。駆け付けたお母様は、お姉様の様子を見てショックで倒れてしまって……お父様はこの事を聞いて、すぐに出先から戻って来たの……。でも……でもその後、ジェラルド様が凄くお怒りになって……。ああっ! 私の所為だわ! 私の所為で、イアルもお姉様も大変な事に……!!」

 そこまで語ったティアラは青い顔のまま声を詰まらせ、両手で顔を覆いながら、またしゃくりあげる様に泣き出してしまった……。
 そんな妹の背中をやっと血色が戻って来たクレアが、優しく撫でる。

「イアルは……もうこの屋敷にはいないのね?」
「ええ……。少し前にお父様と閣下が、デバイト家の方に連れて行ってしまったから……」

 それを聞いたクレアは、唇を噛んだ。
 恐らくイアルは、クレアを手に掛けようとした事への罪を問われ、その後裁きを下されるのだろう……。
 だがあの時のイアルは、正常ではなかった……。
 あの時のイアルは、考えられないくらい精神が衰弱していて、通常の判断が出来ない状態だった事を目の前でその様子を見ていたクレアには、よく分かる。
 虚ろで……まるで物でも見る様にクレアを見つめていたあの光のない瞳……。
 あの瞳からは、イアルの絶望した思いが溢れ出ていた。

 そしてその原因を作ってしまったのは、紛れも無くこの妹のティアラだ……。
 だがティアラは、故意でここまでイアルを追いつめようとした訳ではない。
 昔からティアラは、自分に甘く優しい人間が大好きだ。
 それは純粋な好意の感情なのだが……厄介なのが相手との距離感が掴めず、自分に優しい相手に対しては、遠慮という配慮が出来なくなるのだ……。

『親しき仲にも礼儀あり』

 その加減が分からないのが、ティアラなのである。
 その結果、『イアルなら許してくれる』と軽い気持ちで伝えた言葉が、イアルの心を深く傷つけ、絶望の淵に叩き落すような結果を招いてしまった……。

「ごめんなさい……。本当にごめんなさい……。イアルだけでなく、お姉様にも迷惑を掛けしまって……。どうしよう……私の所為で二人共、もうここにはいられなくなってしまう……」

 その言葉にクレアが、驚きから大きく目を見開く。

「ティア……ラ? それ、どういう事……?」

 イアルに関しては理解出来る。
 精神的に追い込まれた結果……錯乱していたとは言え、クレアを手に掛けようとしていたのだから……。
 だが、それで何故クレアまで、ここにいられなくなるのかが分からない。

「私……お姉様達の事件が起こる前、閣下を凄く怒らせてしまったの……。閣下が、まだ独身でいらっしゃるから『私を婚約者候補にどうですか?』って、冗談めいて言ってしまって……。閣下は初め、笑って聞いてくださっていたけれど、あまりにも私がその事ばかり言ってしまったから、段々不機嫌になられて……。『婚約者がいる身で、他の男性を誘惑するような言動だけでも信じがたい行為なのに、それを公爵相手に過度に行う事は不敬行為だ』って、物凄く怖い顔をされて……。そうしたら、お屋敷の方が騒がしくなって……」
「ティアラ……。あなた何て事を……」

 するとティアラが、再び大粒の涙をボロボロと零し始める。

「わ、私、知らなかったの! 閣下が私とイアルが婚約している事を知っていたなんて! そもそも閣下は、初めは私への面会を希望していたから……だから、そう提案すれば喜んでくれるかと思って……」

 それを聞いたクレアが、大きく深いため息をつく。
 考えが幼い上に浅はかで、自分の都合の良い方向に解釈をしがちなティアラには、ありがちな失敗だ……。
 だが、それで何故クレアがここにいられなくなるのかが、よく分からない。

「それがどうして私がここにいられない原因になるの……?」

 泣きじゃくる妹の背中を摩りながら、クレアが優しく問うとティアラは、更に激しく泣き出してしまった。

「閣下はこの視察の後、お姉様をご自身の補佐役としてお声がけするつもりだったらしいの……。でもこんな事になってしまって……。その原因は、閣下が不敬行為だと指摘した私の振る舞いが原因だと知って、更にお怒りになって……。婚約者がいる身で閣下を誘惑する様な言動をした事は、公爵に対する愚弄行為だって……。他にもお姉様達の話し合いを何度も邪魔してしまった公務の妨害行為……。この二件の私の不敬行為に対して、オーデント家に責任を取るよう要求するって……」
「か、閣下がそのような事を!?」

 するとティアラが、小さくうなずいた。
 確かにティアラの振る舞いは、公爵相手に対する不敬行為と言われても仕方がない……。だが、ジェラルドはティアラがどういう人間か察している様子だった。
 それなのにたったそれでだけで、責任を取れなどと要求してくる様な心の狭い人物ではないはず……。

「それで……お父様はその閣下の要求になんて答えたの?」
「娘の不始末は、親である自分が責任を取るって……。でも閣下は、違う事を要求して来たの……」
「違う事?」
「今回の私の不敬行為に目をつぶる代わりに、お姉様が欲しいって……」

 そのティアラの言葉にクレアが唖然とする。

「か、閣下がそのような事をおっしゃられたの!?」
「私、閣下がお姉様とのご結婚を望んでいるのかと思って、そう伺ったの! だって二人で話している時、閣下はお姉様の事ばかり聞いて来るから! でも…そうじゃないって……」
「それでは……先程の補佐官として私をご所望なのかしら……」

 するとティアラが、絶望するように静かに首を振った。

「確かに閣下はお姉様をご自身の補佐役として要求されたのだけれど、それではお姉様がオーデント家の人間である事で、不都合な事があるとおっしゃったの。だからご自身の叔母である侯爵夫妻の養子手続きをして、お姉様をオーデント家とは無縁の状態にしたいって……」

それを聞いたクレアが、大きく目を見開く。

「ど、どうしてそんな事を……」
「それは多分……お姉様に求められている事が補佐役だけでなく、もっと深い役割も求められているから……」
「もっと……深い役割……?」

 すると再びティアラが、大粒の涙を零し始める。

「私、閣下がお姉様を求める理由は、これじゃないかって思った事があって……。でもそれはあまりにも酷い事だったから、思い切って閣下に直接聞いたの……。『私の姉を閣下の慰み者にするつもりですか!?』って!」

 その話にクレアが赤面しながら、唖然とする。

「ティアラ! なっ……何て事を閣下に聞いているの!!」
「だって! それしか考えられないじゃない! ご結婚はして頂けないのにお姉様を傍に置きたがって……。私の不敬の代償にお姉様を手に入れるのだから! お姉様に何をしたって妹の責任を姉に取らせるという形にすれば、皆そこまで閣下の酷い仕打ちを責めないでしょ!? その証拠にうちとの縁を切らせたがっているじゃない! もしお姉様が閣下のお子を身ごもるような事があっても伯爵家の人間ではなく、侯爵家の人間にしておけば跡継ぎにも出来るもの!」
「ティアラ! それは考え過ぎよ! 大体、閣下がそのような卑俗な事を……」
「でも私がその質問を投げかけると、閣下はハッキリとおっしゃったわ! 『それはあなたには関係ない』って……。もし違うのであれば否定するでしょ!?」

 泣き叫ぶ様にティアラが放った言葉にクレアが、茫然とする。
 正直なところ、自分がジェラルドにそういう目で見られていたなんて、クレアは少しも感じた事がなかった。
 そもそもジェラルドの性格からして、そんな低俗な考えをする訳がない。

「お……お父様はなんて……?」
「お父様は……『そんな娘の未来を奪うよう事はさせたくない。それなら自分が責任を取る』と、何度も閣下にお願いしたわ……。でも閣下はそれを聞き入れてくださらなかった……」
「あの閣下が……そこまで徹底して謝罪の代償を要求されたの……?」

 そう呟いたクレアだが、ジェラルドが『黒髪の冷徹公爵』と呼ばれていた事をふと思い出す。

「でも事の発端は、私がしてしまった閣下に対する不敬行為が原因よ!? だから私、お姉様の代わりに何でもするって……自分でその責任を取ると申し出たの! でも閣下は、私では話にならないって……。何故、顔も見たくない人間を傍に置かなくてはならないとおっしゃって……。私なんかを寄越されたら、詫びる誠意など微塵も感じられないって、私では受け入れて貰えなかったの……」

 そこまで語ると、ティアラは再びクレアのベッドに突っ伏してしまう。

「ごめんなさい……私の所為でお姉様が一生閣下の慰み者に……。本当に……本当にごめんなさい……」

 そのままティアラは嗚咽するようにクレアに向って、何度も何度も謝罪の言葉を繰り返し始めた……。
 そんなこの世の終わりのように泣きじゃくる妹の頭をクレアが、そっと撫でる。

 ティアラは、やや思い込みが激しい……。
 そもそもジェラルドが、そんな私利私欲に満ちた低俗な事を目的とした条件で詫びるよう求めてくるなど、クレアからすると有り得ない話だ……。
 この件に関しては、一度父に詳細を確認した方がいいと判断したクレアは、ジェラルドの要求したティアラの説明内容をこの時は、全く信じていなかった。

 しかしデバイト家から帰宅して来た父セロシスが、悲痛な表情をしながら自分を抱きしめてきた事で、ティアラの話が真実ではと思い始める。
 今にも泣き出しそうな父のその様子に何も詳細を確認出来なくなったクレアは、自分を強く抱きしめる父の背中を優しく撫でる事しか出来なかった……。
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