小さな殿下と私

ハチ助

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【番外編】

制裁が続く殿下と私

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――――――――◆◇◆――――――――――
セレティーナ(懐妊中)とユリオプスのその後の話です。
ユリオプスがひたすら制裁加えられてますが、全く反省してませんので地雷になりそうな方はご注意を。(苦笑)
尚、今回無駄に一万文字越えしてます……。
―――――――――――――――――――――


 とある豪華な調度品に囲まれた一室の長椅子には、窓から差し込む柔らかな日の光に見守られるように艶やかでサラリとした榛色の美しい髪の女性が、優しい笑みを浮かべながら手にしているハンカチに刺繍を施していた。
 半年前にこの国の王太子ユリオプスと婚礼をあげたロベレニー侯爵家の令嬢セレティーナだ。手元のハンカチにルミナエス王家の紋章でもある三日月と薔薇のデザインを一針一針丁寧に刺繍を施し、間もなく完成する状態にまで仕上がっている。

 だが長い間その作業を行っていたセレティーナは、凝り固まった身体をほぐす様に刺繍道具をテーブルの上に置き、両肘を後ろに突き出すように背筋を伸ばし始める。すると、膨らみかけている自身の腹部が視界に入り、セレティーナは愛おしそうにその部分を優しく撫でおろした。

 4年前まで宰相である父とこの国の国王、そして王弟でもあるディプラデニア公爵達によって、婚約者のユリオプスから匿われるように公爵邸で過ごしていたセレティーナ。そんな国内三大トップが結託し匿われていた彼女の居場所を婚約者のユリオプスは4年の歳月をかけて、執念で探し当てた。

 では何故セレティーナは、そのように公爵邸で匿われていたのか……。
 それは当時14歳だったユリオプスが問題児の男爵令嬢の罪を暴く為、ハニートラップに引っ掛かるふりをした際、当時年下の自分を一向に男性として意識してくれなかったセレティーナの気持ちを試そうと婚約破棄を仄めかし、彼女を深く傷付ける行為に走ったからだ……。
 思春期を拗らせ魔が差してしまったとは言え、そんな浅はかな愚行に走った王太子にお灸を据える為、国内三大トップ達は物理的にセレティーナをユリオプスから引き離し、4年に渡る制裁期間を与えた。

 そして最終的に自力でセレティーナを探し当て、何とか和解する事が出来た二人だったが……。婚約期間中に4年間も王太子が社交場に婚約者を伴わなかった状況から、二人の不仲説が出てしまっていた。

 しかしその噂は、いつの間にか6歳年下のユリオプスが、自身が一人前になるまでは最愛の婚約者であるセレティーナとの面会を断ち、自分自身を高める為の苦行を行っていたという美談にすり替わっていた。

 その美談にすり替わった経緯には、ユリオプスが裏で手を廻し情報操作をしているのだが……。この国の王侯貴族はもちろん、国民の殆どがユリオプスの大天使のように恵まれた容姿に騙されてしまっている為、まさか王太子自らが流した噂話だと知っている者は、この城内のほんの一部の人間のみだ。

 そんな偽りの美談も広がり、二人は王侯貴族達の間だけでなく、平民達からも仲睦まじい関係だと認識されている。
 しかし自業自得とは言え、4年間も最愛の婚約者と引き離されていたユリオプスは、かなり大きなトラウマを抱えてしまったようだ。

 その反動からか、4年の歳月を掛けてやっとセレティーナを探し当てたユリオプスは、その日のうちに強引にセレティーナを城へ連れ帰り、僅か三カ月で婚礼準備を整え挙式を決行する。更に挙式から二ヶ月後には、早々にセレティーナを懐妊させるという暴挙にも出ていた。

 今後セレティーナが自分の元から逃げ出す事がないように必死で外堀を埋め、早々に既成事実を作ったユリオプスは、もはや執着を通り越して執念とも言える行動でセレティーナを手中におさめたのだ。
 そんな身勝手な若き王太子に彼の父である国王とセレティーナの父である宰相フェンネル、そしてユリオプスの叔父であるこの国の公爵であるセルノプスは白い目を向けた。

 だがその執着愛を一心で注がれているセレティーナは、ユリオプスから執念とも言える強引な外堀の埋め方をされた事には、一切気が付いていない。セレティーナがユリオプスに抱く印象は、全力で自分に愛情を注いでくれる存在という認識なのだ。
 そんな夫の深い執着愛に気付かないセレティーナは、現在の自分にとって幸福の象徴とも言える膨らみかけた腹部を撫でながら、幸せそうな微笑みを浮かべる。

 だが、そんな穏やかな時間には不相応と思われる威圧的な靴音が徐々に近づき、セレティーナの部屋の前でピタリと鳴りやむ。そして間髪を容れずに扉から短いノック音が鳴り響いた。
 だがノックをしたその人物は、セレティーナからの入室許可を待たずに当然のように入室してくる。

「セレェー……」

 情けない声と共に部屋に入って来たのは、半年前に彼女の夫となった王太子ユリオプスだった。だが何故か虚ろな目をしており、セレティーナが座っている長椅子の隣にヨロヨロと腰を下ろす。そしてそのまま自身の愛妻の腹部に両腕を巻き付けるように抱き付いた。

 そんな年不相応な甘え方をしてきた夫の頭をセレティーナが優しく撫でる。見事なまでのサラサラな夫のプラチナブロンドは、大変撫で心地が良いので、ついこのようにセレティーナ甘やかしてしまう。

「ユリス様、どうかされましたか?」
「聞いてよ、セレ!! 父上とフェンネルが酷いんだ!! 二人共、物凄い量の公務を押し付けて来て……。僕を過労死させようと結託してくるんだよ!?」

 セレティーナの顔を覗き込むように訴えてきた夫の幼い甘え行動から、昔を思い出してしまったセレティーナが笑みをこぼす。そんな愛妻の反応が気に食わなかったのか、ユリオプスが不満げにセレティーナの腰のあたりに更に深く抱き付いた。

「こんなにも酷使されたら、僕は早死にしてしまうかもしれない……。だから今のうちにセレを思いっきり堪能させてくれ……」
「そのような事を口にされては、お腹の中のこの子が『お父上に会えなくなってしまう』と勘違いしてしまいますよ?」

 そう言ってセレティーナは、先程までユリオプスを撫でていた手で今度は自身の腹部を優しく撫でおろす。その手を目ざとくユリオプスが掴み、自身の頬に当てがった。

「セレ……。少しは夫である僕の事も労って欲しいのだけれど……」
「ですが、ユリス様はその膨大な量の公務を迅速かつ的確にこなされていると、父より伺っておりますよ?」
「フェンネルめ……。余計な事を……」

 半年程前までは、この幼少期からのユリオプスの甘え攻撃に屈する事が多かったセレティーナだったが、流石に一児の母となりかけている現状では、夫のこのあざとい甘え方に絆される事は少なくなっていた。
 それでもユリオプスが未だにこの甘え攻撃を続けているのは、状況によってはセレティーナが絆されてしまう事があると知っているからだ。

 だが現状のセレティーナは、ユリオプスよりも優先してしまう存在が出来てしまった。その事を面白くないと感じているユリオプスだが、その存在はユリオプスにとっても大切な存在な為、複雑な感情を抱いている。
 そんな複雑な気持ちを掻き立ててくる存在にユリオプスが話しかけた。

「早く出て来て欲しいのだけれど……」

 そう言って抱き付いているセレティーナの腹部にそっと耳を寄せた。
 膨らみかけているとは言え、胎動を開始していないユリオプスのライバル的存在は、まだ何も反応を見せてこない。それでもつい声を掛けてしまうのは、セレティーナが懐妊してからのユリオプスの日課だ。

「ユリス様、出産予定日はまだ三か月も先ですよ?」
「でもさ、この子が早く出て来てくれないと、僕はセレを全力で愛せないじゃないか……」
「この子が生まれた際は、わたくしではなく、まずこの子に全力で愛情を注いで頂きたいのですが……」
「もちろん、この子は僕とセレの一等大切な愛の結晶なのだから、全力で愛情を注ぐよ? でもね、僕は将来的にセレとの間にたくさん子を儲けたいと思っているから、出来れば次の子の為にも早く生れて来て欲しいんだよね」

 ユリオプスのその不穏な一言にセレティーナが苦笑を浮かべる。
 この第一子を授かるまでの過程を思い出してしまったからだ。
 恐らく出産後は、生まれた子供と共にユリオプスから更に過剰な執着愛を一心に注がれるのだろうと、セレティーナは覚悟を決める。
 やや病的な執着愛ではと周りから言われやすいユリオプスの愛し方だが、セレティーナにとってはその夫の愛情の注ぎ方に幸福を感じてしまう為、ついユリオプスに流されてしまう事が多い。

 そんな甘い時間を過ごしていた二人だが、急にリズミカルに叩かれた扉のノック音によって、その甘い世界が終りを告げた。そしてそのノック音を聴いたユリオプスが、眉間に深く皺を刻む。

 すると、またしても入室許可もない状態でノックをした人物が無断で室内に入って来る。その人物にユリオプスがセレティーナにはけして向けない鋭い視線を注いだ。

「ユリオプス殿下……。また娘の所で油を売っておいでですか? 先程、執務机の上に未承認の書類が山積みになっておりましたよ? 早くお戻りになり、処理されなければ今夜も娘が深い眠りに付いた頃に就寝する事になりますが、よろしいのですか?」

 部屋に入って来たのは、セレティーナの父であり、この国の宰相でもあるフェンネルだった。両手にはユリプスにとって脅威になりそうな書類の山を抱えている。その状態をユリオプスが目を細めて訝しそうに見つめた。

「フェンネル……。その書類の山を一体どこへ運ぶつもりだ……」
「もちろん、殿下の執務室ですが?」
「お前は今朝も僕の所に二回も大量の確認書類と未承認の書類を運んで来たじゃないか!! まだそういう書類があるのか!?」
「今朝お渡しした書類は、陛下よりユリオプス殿下に処理頂くようご指示頂いた書類になります。ですが、こちらの書類の山は私自身が処理した物で殿下に最終承認を頂きたい書類でございます」
「何故、僕から承認を得ようとする!! 宰相であるお前の処理した書類は、本来国王である父上が承認するべきだ!! そもそも僕に承認権限の無い案件まで毎回廻されてくるのは、どういう事なんだ!?」
「はて? そうでしたかね……。どうやら最近、私も耄碌もうろくしたのか、陛下のみが承認権限をお持ちの案件と、殿下でもご対応可能な案件の区別がつかなくなってしまったようで……。いやはや、年はとりたくないものですなー」
「お~ま~え~はぁぁぁぁぁ~!! 確実に故意で僕のもとにそういった類の書類を集中させて持ってきているだろう!!]

 先程までセレティーナに泣き言をこぼしていたユリオプスだが、義父であるフェンネルのワザとらしい態度を目の当たりにして、一気に豹変する。そんな二人のやり取りには、セレティーナもすっかり見慣れてしまっており、毎度お馴染みの光景に苦笑するしかなかった。

 だが、流石に王太子に対して不敬としか思えない父親の態度には、釘を刺した方がよいと感じ、そっと視線を向ける。すると、父フェンネルが穏やかな笑みを娘のセレティーナに返して来た。

「セレナ、あまり殿下を甘やかしてはいけないよ?」
「ですが、お父様……。流石にこうも公務を集中的に押し付けられては、ユリス様もお体を壊されてしまいます……」

 無謀な仕事量を押し付けられている夫を心底心配した様子で、セレティーナは懇願するように父親に上目遣いを向ける。そんな娘からの訴えを受けたフェンネルだが、先程よりも更に目を細め、今度は不満な気持ちを顔中に貼り付けているユリオプスに視線を向け直した。

「この程度の量で殿下がお身体を壊される訳がないだろう? そもそも殿下は、まだ全力を出されていないのだから」

 そう言ってニヤリと笑みを浮かべた義父をユリオプスがセレティーナには、けして向ける事がない凄みのある表情で睨みつける。

「フェンネル……。流石の僕でも朝から晩までセレと食事の時間すら一緒に取れない程、酷使されていたら倒れるからな……」

「娘とお世継ぎを作るお時間があるのであれば、精神的にも体力的にもまだまだ余裕がおありなのかと存じますが?」
「お前……僕がセレと早々に結ばれた事を根に持っているだろう!!」
「まさか! 一国も早いお世継ぎ誕生は、この国にとっては大変喜ばしい事であり、ましてや我が娘がその重要な役割を担うとなれば、父親として大変誇らしい気持ちで満ち溢れております」
「ならば、何故嫌がらせのように僕のところに重要書類だけでなく、雑務的な内容の書類まで回してくるんだ!!」
「これは心外ですな。私は重要な案件のみ殿下にお渡ししているつもりなのですが……」

 白々しい様子で明後日の方向に視線を向けながら答えるフェンネルをユリオプスが、射殺さんばかりの鋭い視線で睨みつける。
 4年前にセレティーナの気持ちを試そうとする愚行に走ったユリオプスだが……未だにその引き離されていた4年間の自分は、被害者だと言う認識なのだ。
 その為、隙があれば自分からセレティーナとの時間を4年間も奪うような画策をしたこの義父や実父と叔父への報復機会を狙っていた。

 しかし現状は、その報復対象の国内三大トップ達から、嫌がらせのように大量の公務を押し付けられ、未だにセレティーナを傷つけた事への制裁を受け続けている……。

 どうやら保護者組の三大トップ達は『たとえ被害者のセレティーナが許したとしても、加害者のユリオプスが行った愚行はまだ許せない』という意見で一致したようだ。

 その為、やっとセレティーナを取り戻したユリオプスだが、回されてくる公務の量が挙式前に比べると3倍以上に増えていた……。
 それでも挙式後は早朝から遅くまで鬼のように公務をこなし、何とかしてセレティーナの就寝時間までには寝室に戻れるように馬車馬のように働いていたユリオプス。
 しかしセレティーナが懐妊してからは、更に回されてくる仕事量が増え、現在では当初の頃と比べると5倍以上の量となっていた。

「フェンネル! いい加減にしろ!! セレはもう僕の妻であり、すでに僕の子まで宿しているんだぞ!? いくら愛娘とは言え、嫁いだ娘への執着が酷過ぎだろう!! いい加減に子離れしろ!!」
「殿下がそれをおっしゃるのですか? そもそも親というものは、どんなに子供が立派に成人したとしても、ずっと幼い子供のままなのです……。ましてやそれが目に入れても痛くもない程の可愛い娘であれば尚更でございます」
「お前はその愛娘の最愛である夫の僕にずっと嫌がらせをしているじゃないか!! それはどういう事なんだ!?」
「それに関しては少々複雑な心境でして……。殿下が娘にとって最愛の夫であっても私からしますと、ただの害虫としか思えないというか……」

 いくら義父とは言え、王太子を『害虫』呼ばわりした宰相にユリオプスが、口をパクパクさせながら小刻みに震え出す。

「が、害虫!? お前……それは王族に対する不敬だと知っての言葉か!?」
「長年、殿下の婚約者として王妃教育に励み、献身的に接してきた娘を自身の恋心を満たす為だけに深く傷つけるような行いをなさった殿下を他にどう称すればよいのでしょうか?」

 人生で最大級でやらかしてしまった愚行を持ち出され、ユリオプスが喉の奥をグッと鳴らし、言葉を詰まらせる。そんなやり取りを義父と繰り広げていると、今度は小気味よいノック音が室内に響き渡った。そのノックした人物は入室許可をするまで室内には入って来なかったのだが、セレティーナにはその人物が誰か予想が付いていた為、早急に侍女に扉を開けるよう指示を出す。
 するとまたしてもユリオプスの天敵の一人である叔父のセルノプスが爽やかな笑みを浮かべながら、室内に入って来た。

「やはりここに逃げ込んでいたか……。ユリス、今日は先日、水害で落ちてしまったウェレンタール領の橋の修繕について、伯爵と話し合うと伝えていただろう。そろそろ伯爵がお見えになる頃だと言うのにこんな所で油を売っているとは、感心出来ないぞ?」

 叔父のその言い分にユリオプスが、こめかみにビキリと血管が浮き出させた。

「それは本来ディプラデニア領の管轄であって、叔父上が対応するべき案件ではないですか!! 何故僕が話し合いに参加する事になっているのですか!?」
「橋の修繕案を出したのはお前ではないか……。発案者が最後まで責任を持って取り組むべきだろう」
「発案者でなくても現場の指揮は、他の者でも支障はないはずです!!」
「いや、言い出したお前が最後まで責任を持って取り組むべきだ」
「そもそもその修繕案に関しては、叔父上が無理矢理僕に最善策を考えろと押し付けられた案件ではないですか!!」
「押し付けるとは人聞きの悪い言い方だな……。私では橋の修繕に関しては最善策が思い浮かばず、聡明なお前に頼るしかなかっただけだ」
「いいえ! 叔父上と父上で話し合えば容易に思い浮かぶ対策案でした! 大体、15年前に同じ状況下でお二人は最善な対策案を出され、対応されてますよね!?」
「そうだったかなー? 最近年を取った所為か物忘れが酷くてな……」
「フェンネルと同じような言い訳で誤魔化さないでください!! そもそも叔父上は、そのような事を言いにわざわざセレの部屋を訪れたのですか!?」
「いや? 共に登城した娘からセレティーナに会いたいとせがまれ、呼びに来ただけだ。そうだ、ユリス。我々は橋の修繕の件で4日ほど城に滞在する予定だ。その間、シボレットがセレティーナと過ごしたいと言っているので、しばらくお前の愛妻を借りるぞ?」
「はぁ!?」

 叔父からのあまりにも一方的な要望を告げられ、再びユリオプスのこめかみに血管が浮き出る。だがそんな甥の怒りに敢えて気付かないふりを決め込んだセルノプスは、セレティーナに近づき手を取った。

「セレティーナ、娘のシボレットが早く君に会いたいと切望していてな……。すまないが、今から娘とのお茶に付き合ってくれないか? なんせあの子は君の淑女教育が終わっていない状態で、どこかの王太子に強制的に終了させられた挙句、慕っていた君と無理矢理引き離され、ずっと塞ぎ込んでいてなぁ……」

 ユリオプスにチラリと視線を向けながら、そう語るセルノプスに再びユリオプスが食って掛かった。

「何が『塞ぎ込んで』ですか!! シボレットは塞ぎ込むどころか、毎月最低2回は嫌がらせのように便箋10枚以上に渡って、私への抗議と悪口を呪詛のように綴った手紙を送りつけてくるではありませんか!!」
「セレティーナ、今のユリスの話を聞いたかい? それだけ娘は君と無理矢理引き離された事に傷ついて……」
「傷ついている人間が、あんな辛辣しんらつな文面で便箋10枚以上の抗議文なんて書いて寄越さないと思いますが?」
「深く傷ついてしまったからお前に対して怒りをぶつけるしか、その悲しみを軽減出来なかったであろうな」
「とてもではありませんが、悲しんでいる人間の行動とは思えませんよ!?」
「お前は私の娘を深く傷付けた事を全く反省してくれないのだな……」
「叔父上達も4年間、私がセレと引き離されて弱りきってゆく姿を楽しんでいらした趣味の悪い報復行為が、やり過ぎだったと全く認識されていないのですね」
「お前は途中から復活していたではないか……」
「明らかに僕の心が折れるギリギリの状態を見計らって、定期的にセレの情報を小出しで僕に与えていた行為は、僕以上に性悪かと思いますが?」
「お前の性悪さに比べたら、私達の報復行動は可愛いレベルだろう」
「どの口でそのような事をおっしゃるのですか!?」
「この口だが?」

 完全に叔父のペースでやり込められているユリオプスの様子にセレティーナが、笑いを堪えようと口元を押さえた。するとその動きにユリオプスが目ざとく気付き、不満げな表情を向けて来た。

「セレェー……」
「も、申し訳ございません……」
「夫の僕がこんなにも理不尽な扱いを受けているのに妻の君は労ってくれないの……?」

 庇護欲を駆り立ててくる表情で下からセレティーナの顔を覗き込む癖は、幼少期からのユリオプスの得意技だ。しかし流石のセレティーナも今現在では、その得意技への耐性が、かなり付いている。
 そんなセレティーナは、にっこりと満面の笑みを浮かべた。

「ユリス様、本日もご公務に励み、一分でも早く寝室にお戻りくださいね?」

 その愛妻の言葉を聞いたユリオプスが、ガクンと項垂れる。
 だがすぐに顔を上げ、鋭い視線で自身の義父と叔父を睨みつけた。

「フェンネル! お前がそこまで僕とセレの幸福な時間の邪魔をしたいという姿勢ならば、僕も全力でお前の妨害行為を撥ね退けるやる! 本日嫌がらせ用に僕に廻そうとしている公務を全部持ってこい!! そして叔父上……。叔父上がそのような態度でいらっしゃるのならば僕にも考えがございます。この件は奥方であるディプラデニア公爵夫人にご相談させて頂きます!!」

 先程セレティーナに甘えるような表情を浮かべていたユリオプスだが、義父と叔父に対しては、敵意剥き出しの表情に一瞬で変化する。
 そんなユリオプスの宣言に宰相フェンネルは、ニヤリと口は端を上げた。
 だが叔父であるセルノプスの方は何故か急に焦り出す。

「待て!! ユリス!! アンリエットは関係ないだろう!!」
「いいえ。公爵夫人は僕がセレと仲睦まじく過ごせる事を望んでくださっている数少ない味方です!! それを夫である叔父上が、このように過剰妨害なさっている事をご存知ない状況は、きっと後々夫人が知ってしまった際に悲しまれると思います。ならば僕から早々にご報告した方が良いかと思いますので」

 心底意地の悪い笑みを浮かべたユリオプスが、挑発するように自身の叔父を煽り出す。そんな生意気な甥の態度にセルノプスが小さく呻く。

「ユリス……お前はいつ、そんなひん曲がった性格を形成したのだ?」
「恐らくセレと引き離されたあの4年の歳月の時でしょうか?」
「どの口がそのような事を言う!! その前からお前の性格は捻じれに捻じ曲がっていただろう!!」
「何を根拠に? そもそもセレは僕の性格が歪んだ時期は、14の頃のあの出来事が切っ掛けだと思っているそうですよ?」
「幼少期の頃のお前は、セレティーナの前では見事に天使の皮を被っていた小悪魔だったからな。だが、その前からお前の性格は歪んでいたはずだ!」
「どちらにしても僕の性格がここまで歪んだ経緯に叔父上達もかなり貢献なさっているかと思えますが?」

 自分の事は棚に上げたユリオプスが、更に意地の悪い笑みを深める。
 そんな勝ち誇った様子の若造な甥に反論しようとセルノプスが口を開きかける。しかし、それはまたしても無断で盛大に開かれた扉の音で遮られる。

「セレナは、こちらにいるかしら?」
「母上……」

 勢いよく部屋に入って来た三人目の人物はユリオプスの母であり、この国の王妃でもあるユーフォルビアだった。

「今ね、シボレット嬢とお茶をしているのだけれど、呼びに行ってくださった公爵がお戻りにならないから、待ちきれなくてわたくし自ら出向いてしまったの。さぁ、お天気もいいし、中庭でお茶に興じましょう? きっとお腹の赤ちゃんも気持ちのいいお日様の光を欲しているわ」

 ほんわかした雰囲気でセレティーナの手を取ったユーフォルビアが、そのまま部屋の外へセレティーナを連れ出そうとした。その母の行動に息子のユリオプスが、待ったをかけた。

「母上、今セレは僕を労うのに忙しいので、そのお茶会は辞退させて頂いてもよろしいでしょうか?」

 母親に白い目を向けたユリオプスが不満そうに訴えると、ユーフォルビアがまるであどけない少女のようにキョトンとした表情を返して来た。とても成人した息子がいるとは思えない現王妃は、小柄で少女のようなフワフワした雰囲気をまとっている。

「まぁ、ユリスもいたの? でもあなた、こんなところで油を売っていて大丈夫? 先程陛下が文官二人にあなたの執務室へ大量の認証書類を運ぶ様に指示をしていたのだけれど……」
「はぁ!?」
「あの書類の量では、またあなたは執務室に寝泊りになると思うから、一刻も早く公務に戻った方がいいのではなくて? そうでないと、またセレナが一人寝で寂しい思いをしてしまうのではないかしら……」

 片頬に手を添えて首を傾げる母の言葉を聞いたユリオプスが、怒りから小刻みに震え出す。

「またですか!? 先程父上から廻された公務を終らせたばかりなのですが!?」
「でも……陛下は文官二人が抱えている書類の山をあなたの執務室に運ぶよう指示していたのだけれど……」

 更に実年齢に不相応な様子で愛らしく小首を傾げる仕草をしながら言葉を続ける母の話を聞いたユリオプスが、怒りを鎮める為に長く息を吐いた。
 そして次の瞬間、勢いよくセレティーナの膝の上から身体を起こし、大股で部屋の出口へと向かい始める。

「セレ! 今日は絶対に日付が変わる前には寝室に戻るから! だから……出来ればそれまで頑張って起きていてね!」
「まぁ! それはダメよ、ユリス! セレナは今身重なのだから、睡眠時間はしっかり取らせないと!」
「そうですよ、殿下。娘の体調不良を誘発するような事を平然と口にしないで頂けますか?」
「お前は愛妻を労うと言う考えはないのか?」

 畳み掛けるように自分とセレティーナとの過ごせる時間を搾取してくる義父と叔父、それに便乗する実母に対してユリオプスが、こめかみに青筋を立てながら殺気だった様子で睨みつける。

「ええ! そうですよね!! この城内には僕の味方などセレ以外、一人もいないですよね!? ですが、僕は屈するつもりはありません!! セレ……すぐに仕事を片してくるから、今夜は絶対に一緒に寝ようね……」

 前半は射殺さんばかりの凄みのある表情で、後半は労わるような柔らかい表情でそう口にしたユリオプスは、そのまま勢いよく部屋を出て行った。
 その様子を保護者三人が呆れた視線を注ぎながら見送る。

「ユリスは4年前の愚行については、未だに反省の色がないのねぇ……」
「『邪魔』ではなく、4年前にセレティーナへ行った行為への制裁を加えているつもりなのだが……」
「まぁ、殿下があのまま反省もせず、被害者だと思い込んでくださっている方が我々としては、大変助かりますからなぁー」
「確かにそうね。あの子は戦う相手が強敵であればある程、燃えるタイプだから。このまま勘違いさせて、スピーディーに公務をこなさせるのも一つの手よね!」
「自分中心で合理的に物事を考えすぎてしまう部分は頂けないが……。それ以外は申し分が無い程、あの甥は有能だからな」

 しみじみした様子で語る保護者組の会話を聞いていたセレティーナだが、流石にユリオプスの扱いが酷いと感じた為、バツが悪そうな笑みを浮かべながら、意見を述べる為ゆっくりと片手を上げてた。その行動で三人がセレティーナに注目する。

「あの……お義母様、そして公爵閣下。4年も前の事ですし、この件に関してはもうお許し頂く流れには出来ないでしょうか……。特にお父様に関しては、少々やり過ぎのような気がして不敬にならないか心配なのですが……」

 困った笑みを浮かべて主張されたセレティーナの意見に公爵であるセルノプスと宰相であるフェンネルが、カッと両目を見開いた。

「セレティーナ、何を言っているのだ! はっきり言うが、ユリスが4年前に君にした仕打ちはそう簡単には許される事ではないんだぞ!?」
「しかも殿下は、もうすぐ父親になるお立場だ。それなのに未だにあの愚行に関して、一切反省なさっていない!! それどころか4年間、お前と引き離された事で被害者面をなさっておられるのだぞ!?」
「今ここで、あの傲慢な甥の鼻をへし折っておかなければ、あやつの性格ではつけ上がる一方だ!!」

 口々にそう叫ぶ男性陣にセレティーナが圧倒され、ポカンと口を開けてしてしまう。
 そんな白熱気味の男性陣を宥めるように王妃ユーフォルビアは、おっとりとした口調で微笑みながら、辛辣な言葉で締めくくる。

「今はそれでもいいのではないかしら? お陰で公務は、とてもはかどるのだから!」

 そんな王妃の言葉にセレティーナ達は、お互いに顔を見合わせながら苦笑を浮かべた。

 4年ぶりに再会した時、ユリオプスはセレティーナにこの三大トップに対して、報復する事を仄めかしていたのだが……。現状は報復どころか、逆にその三大トップから『公務の押し付け』という形で制裁され続けている状況なのだ。

 そんなユリオプスが4年前の愚行を大いに反省するようになるのは、愛妻が宿した子供が生まれた6年後だったそうな。
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