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【番外編:二人の過去とその後の話】

密やかな自覚(後編)

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 やっと魔法制御の練習を終えたリュカスは、ロナリアが待っている部屋へと向かって廊下を小走りしていた。
 だがその間、兄マルクスが言っていた言葉が気になり出す。

『もしそういう時がきたら、きっとリュカから見たロナリア嬢の印象が、ガラリと変わると思うよ?』

 怪訝そうな表情を浮かべながら、先程兄から言われた言葉を思い出したリュカスは、やはりその意味がよく分からなかった。そもそも何故、ロナリアの印象がガラリと変わってしまうと、一緒にいる事に恥ずかしさを感じてしまうのかが、理解出来ない。

「ロナは綺麗じゃなくて、可愛いってイメージなんだけどなぁー」

 兄の言葉を訂正するようにリュカスが独り言として口にする。
 一般的な基準からしても薄茶でミルクティーのような柔らかい髪色と、ペリドットのような明るい黄緑色の大きな瞳を持つロナリアは、人目を惹く可愛さではないが、確実に愛らしいと称される容姿をしている。
 リュカスの母マーガレットも『ロナちゃんは、学生時代の小柄で愛らしい容姿から皆に可愛がられていたレナリアに見た目が、そっくりよね!』と言っていたので、幼馴染としての贔屓目無しでロナリアは可愛い部類に入る容姿のはずだ。

 何よりもロナリアが周りから『可愛いらしい』や『愛らしい』と称されやすいのは、彼女の性格と仕草からでもある。誰に対しても物怖じせず、明るく全力の純粋さで相手に話しかけられる素直さは、無意識とはいえロナリアが持つ最大の魅力だ。

 それ故、ロナリアは何をするにしても無意識に一生懸命な動きをしてしまう為、その動きが周りの人間には、愛らしく映りやすい。まだ二人が幼少期の頃など、母マーガレットはロナリアが一生懸命お茶をフーフーと冷ましている様子を見て『ロナちゃん、可愛い過ぎる!!』と、目を輝かせながら歓喜の声をあげていた。

 そういう部分は、恐らくロナリアの素直過ぎる性格によって、どんな動きをするにしても無自覚で一生懸命を絵に描いたような動きになってしまうのだろう。確かにリュカスから見ても、小さな口を一生懸命モクモク動かしながら、幸せそうにケーキを頬張っているロナリアの様子は、非常に可愛いと感じてしまう。

 だが、ロナリア本人は周りにそう思われている事に一切気付いてはいない。
 それがまたロナリアの魅力である素直で純粋無垢な部分を更に強調しているのだ。
 恐らくロナリアの可愛いと称される部分は見た目だけでなく、内面から滲み出ているものだと思われる。 

 その為、少なくてもロナリアは『美人』という括りではなく『可愛い』という印象を受ける人間が多いはずだ。だがそれはリュカスが思春期に入ると、違った印象に変わるらしい。
 その変化の過程が、どうもリュカスの中では理解出来なかった。

 そんな事を考えながらロナリアの待つ部屋に到着したリュカスだが……そこには何故かいるはずのロナリアの姿はない。

「ロナ?」

 その状況にあまりにも待たせ過ぎてしまった所為で、ロナリアがどこかに行ってしまったのでは……という考えが一瞬過ったリュカスだが、部屋の奥まで歩みを進めると長椅子の背もたれの影になって見えなかったロナリアの姿が確認出来た。

「ロナ? 寝ているの?」

 やや呆れ気味な表情を浮かべたリュカスの目の前には、長椅子に上半身だけ横たわるようにして眠るロナリアの姿があった。恐らく待っている間に出されたケーキやお茶菓子を堪能した後、お腹が満たされた事で眠くなってしまったのだろう。クッションを抱き枕にして気持ちよさそうに眠っている。
 そして目の前のテーブルの上には、ロナリアの読みかけと思われる少年少女達が主人公の子供向けな冒険小説が置いてあった。

 正直なところ、今のロナリアの状態は淑女としてはあるまじき姿だ……。
 だが、あまりにも至福な表情を浮かべ眠っている為、思わずリュカスが苦笑する。
 そんな至福の時を堪能するように眠っているロナリアだが、もし誰かに見られてしまえば「行儀が悪い!!」と咎められてしまう状況でもある。その為、かわいそうだがリュカスは、声をかけてロナリアを起こしにかかる。

「ロナ、待たせてごめん。でもこんなところで寝ていちゃダメだよ?」

 そう言って、ロナリアの顔を覗き込むように長椅子の傍らにしゃがみ込んだ。
 すると開け放たれていた部屋の窓から、ふわりと風が舞い込む。
 その風は細い毛質のサラサラなロナリアの髪を優しく舞いあげた。
 その所為でロナリアの顔に横髪が掛かってしまう。

 すると眠っているロナリアが一瞬だけ顔を顰めたので、しゃがみ込んでその様子を見ていたリュカスは、その髪をロナリアの顔から払いのけてあげようと、そっと手を伸ばした。しかし、それと同時にまたしても窓から優しい風が吹き込み、再びロナリアの髪をふわりと舞いあげる。

 その瞬間、リュカスの中で何かが弾けた。

 舞い上がったロナリアの細くサラサラの毛先は、伸ばしかけていたリュカスの指先を優しく撫でる。それとほぼ同時に髪を払いのけようとしていたリュカスの指先がロナリアの頬に到達した。
 すると、その柔らかな頬の感触と共に目の前のロナリアの閉じられた睫毛が小さく震え出した。そしてくすぐったそうに少しだけ身動きをした後、ロナリアの唇がゆっくりと柔らかな笑みを深めるように弧を描く。

 ほんの一瞬――――。
 その瞬間だけは、まるで時間の速度が異常な程ゆっくりと感じ、その光景をリュカスの視界に刻みつけた。

 窓から差し込む夕刻に向かう前の柔らかさを感じさせる眩い日の光。
 まるでロナリアを優しく撫でるように舞い込んで来た風。
 それらを堪能するようにゆっくりと至福の笑みを浮かべて眠るロナリア。

 その瞬間から、何故か急に目の前のロナリアが色鮮やかな存在としてリュカスの瞳に映り始める。
 そのいきなり印象がガラリと変わってしまったロナリアの様子に驚いたリュカスが、信じられないとでも言いだけに大きく目を見開いた。

 そしてまるで吸い寄せられるように先端だけで触れていた指を頬に滑らせ、今度は手のひら全体でロナリアの頬に優しく触れる。ほんのり薄ピンク色に色づいているその頬から柔らかさと温か味を感じたリュカスは、何故か心臓の辺りがキュッと締め付けられる感覚を抱いた。
 同時にもっと触れたいという欲求が溢れてしまい、今度は手の甲でロナリアの頬を優しく撫で下ろす。

 するとロナリアが鬱陶しそうに眉を顰め、一瞬だけ小さく息を吐いた。
 その反応にリュカスが慌てて手を引っ込める。
 だが、ロナリアはすぐに気持ちよさそうに寝息を立て始めたので、リュカスはホッと胸を撫でおろした。

 だが、現状の自分が矛盾した反応をしている事に気付く。
 つい先程までロナリアを起こそうとしていた自分。
 だが今は目を覚ましそうな反応をされた途端、このまましばらくはロナリアには目を覚まさないで欲しいと願ってしまっていたからだ。

 その願いが届いたからなのか、再び眠りに落ちて行ったロナリアの頬を今度は起こさないようにリュカスが優しく控え目に何度も撫でる。
 すると再びロナリアの口元に薄っすらと笑みが浮かんだ。

 その反応に再びリュカスは目が釘付けとなってしまい、視線を逸らせなくなる。心臓は何故か早鐘を打ち、全身の血が一気に沸騰したように熱を帯び始めた。だが、何故そのような症状が自分に出てしまっているのか、リュカス自身は全く理解が出来ない。

 だが一つだけハッキリしている事があった。
 それはこの瞬間から、ロナリアはリュカスにとって何故か誰よりも色鮮やかに見える存在になってしまったと言う事だ。その影響で、今まで気にしていなかったロナリアの色々なところが、やけに目を惹き始める。

 触り心地の良かった頬が、ほんのり淡く色づいている事も。
 小さな口は、微笑むとその薄い唇に艶やかさが増す事も。
 閉じられた瞳を囲む薄茶色の睫毛が意外と長い事も。
 ロナリアの仕草や行動が、全てリュカスに甘く切ない感情を与えてくる事も。

 それらは何故かリュカスに『もっとたくさん触れたい』という欲求を掻き立ててくる。
 そしてその欲求に抗えないリュカスは、何度もロナリアの頬の柔らかさを堪能した後、顔に掛かっていた髪を彼女の耳にかけた。

 すると幸せそうに眠るロナリアの顔左側部分が更に露わになる。
 そんな露わになったロナリアの左頬に何故だが分からないが、リュカスは吸い寄せられるようにそっと自分の唇を寄せた。

 その瞬間、ブワリとリュカスの中に歓喜に近い感情が駆け巡る。
 同時に何故か大量の魔力も流れ込んできた。
 その事に驚いたリュカスは、勢いよくロナリアの左頬から自身の唇を離した。

 しかし、今自分が無意識でやってしまった信じられない行動を改めて自覚してしまい、羞恥と焦りから、顔が火でも出ているような勢いで火照り出した。

「~~~~~~っ!!」

 そして動揺から思わず小さく息を詰まらせた後、その密やかに触れてしまった自身の唇を右腕で覆い隠す。そのリュカスの大袈裟な動きで、長椅子で気持ちよく眠っていたロナリアが目を覚ましてしまったようで、ゆっくりと瞳を開いた。

「んふ……。あれ? リュカ……?」

 まだ眠気眼の状態のロナリアが片目をこすりながら、ゆっくりと身体を起こす。
 だがリュカスの方は、先程まで閉じられていたロナリアの淡い黄緑色の大きな瞳に囚われるような感覚を抱き、そのまま小さく息を呑んだ。いつも明るくキラキラ輝いているその瞳は、何故か今は妙に艶っぽい光を宿していたからだ。

 本能的にその艶やかな光を見てはいけないとリュカスは危機感を抱いたが、その魅惑的な瞳の光は何故かリュカスに視線を外す事を許さないと言わんばかりに光をチラつかせて来る。

 その状況にまたしても動揺してしまったリュカスが声を詰まらせていると、目覚めたばかりのロナリアが不思議そうに小首を傾げた。まるで理性を根こそぎ奪いにくるようなロナリアの仕草にリュカスが、更に勢いよく息を呑む。

「リュカ? 魔法制御の練習はもう終わったの?」
「え……? あ、うん……」
「ごめんね。私、いつの間にか寝ちゃっていたみたい」
「う、うん。そうだね。凄く……気持ちよさそうに眠っていたね……」

 動揺から自分でも信じられないくらい歯切れの悪い返答をリュカスがしてしまうと、ロナリアが何かに気付いたように口をポカンと開ける。

「もしかして……リュカって、もっと前からこの部屋に戻っていたの!?」
「え、えっと……今から3分前くらいには戻って来ていたかな?」
「ええ~!? 何ですぐに起こしてくれなかったの!?」
「だ、だって! ロナが凄く気持ち……よさそうに眠っていたから……」

 最後は先程自分がやってしまった行動の後ろめたさから、リュカスの返答が尻すぼみになる。だが、その事に気付かないロナリアは、すぐに起こしてくれなかった事への不満を訴え始めた。

「もぉ~! それじゃぁ、私は長椅子にお行儀悪くお昼寝していた姿をしばらくリュカに見られていたって事だよね!? 物凄く恥ずかしいから、早く起こして欲しかったんだけど!!」
「でも、あんなに気持ちよさそうな寝顔をされたら、僕だって起こしづらいよ……」

 プリプリと抗議してくるロナリアの相手をしている内にリュカスの動揺も少しずつおさまってきた。しかし、先程一変してしまったロナリアが色鮮やかに見える現象は、そのままだ……。
 その所為で目の前でプリプリしている様子までもが、いつもの三倍増しでリュカスには可愛い動きに見えてしまう。そんないきなり起こってしまったロナリアに対する謎現象は、リュカスに漠然とした不安を与え始めた。

 よく分からないけれど、僕の目は絶対におかしくなっている気がする……。

 そんな不安を抱き始めたリュカスだが、ふと先程兄マルクスに言われた言葉が、頭の中に蘇ってきた。

『もしそういう時がきたら、きっとリュカから見たロナリア嬢の印象が、ガラリと変わると思うよ?』

 その瞬間、リュカスは大きく目を見開いた後、盛大に肩を落とした。
 対してロナリアは、急にリュカスが落胆し始めたので焦り出す。

「ご、ごめんね! 私、リュカがそんなに落ち込むまで責めたつもりはなかったのだけれど……。もしかして言い方がきつかった?」
「これは違うんだ……。ロナの所為ではないというか、ある意味ロナが切っ掛けというか……」
「私が切っ掛けでそんなに落ち込んでいるの!? わ、私そんなにきつい言い方した!?」
「いや、本当にそうじゃなくて……。何というか、これは僕の心構えの問題と言うか……」
「心構え?」

 頭の上に疑問符が浮き出てそうな表情のロナリアが、再び小首を傾げる。
 その愛らし過ぎる仕草を目の前で見せつけられたリュカスは、再び深くため息をついた。
 現在のロナリアは、どんな動きをしても『全力で愛でたい』という衝動をリュカスに与えてくるのだ。

「兄様とハインツさんが言っていたのって、この事かぁ……」

 ロナリアには聞こえないくらいの小さな声でリュカスは呟き、しゃがみ込んだ姿勢から膝を抱えている両腕に顔を埋めながらうずくまってしまった。

「リュ、リュカ、大丈夫? もしかして具合が悪いの?」
「そうじゃないのだけれど……。もういっそ今の僕は、具合が悪くなった方がいい様な気がする……」
「ええ!? 何で!? そ、そんなのダメだよ!!」

 再びリュカスの体調を心配し始めたロナリアとは違い、リュカスの方は今後の自分自身の身の振り方が心配になってきていた。恐らくこの後の自分は、ロナリアに言い出せない事や相談出来ない事がたくさん出てくるのだろうと。

 だからと言って、ハインツが言っていた照れ隠しで、ロナリアを避けるような行動をして傷付ける事は絶対にしたくはない。先程の兄やハインツの話では、どうやら『思春期』に入ると、気になる異性の行動で一喜一憂してしまう自分自身の反応が恥ずかしくなり、相手に冷たい態度をとってしまう行動をしがちのようだ。

 現状、リュカスのクラスメイトにも何人かそういう行動を取ってしまっている令息がチラホラ出て来ており、自身の婚約者に冷たい態度を取っている光景を何度か見かけた事がある。
 今までは、そういう無駄に婚約者を傷付ける行動を取っていた令息達の気持ちが全く理解出来ず、リュカスもお節介なロナリアと一緒になって、そういう令息達の行動を咎めていたのだが……。

 実際に自分自身にも成長段階で訪れるこの自尊心が強くなる時期にぶち当たり始めると、そういう行動をとってしまっていた彼らの気持ちが、痛い程よく分かる。確かに今のリュカスの状況は、常にロナリアに目が行ってしまい、ロナリアに触れたい衝動に駆られるが、それをあからさまに出してしまって嫌われたらどうしようという不安と、自分がそのような欲望を抱いている事をロナリアに知られ、拒絶されるかもしれないという恐怖を抱えている状態なのだ。

 何よりもここまで自分が誰かに心酔してしまっている状態を周りに知られてしまう事は、非常に恥ずかしい……。

 だが、自分の自尊心を守る為に他の令息達のように婚約者であるロナリアを拒絶したり試すような態度をとる事は、絶対に間違っている。
 ならばもう開き直って、友人面をしながら全力で自分の欲求を満たす方向に走った方が自分も満たされるし、ロナリアも傷付けないで済むという考えに至ったリュカスは、この後のロナリアに対する接し方の方針を決めた。

 そんな決意を固めているリュカスの状況など全く知らないロナリアは、まだリュカスの体調を気にかけており、心配そうに顔を覗き込んでくる。

「リュカ……本当に具合は大丈夫なの?」

 すると開き直ったリュカスが、邪さなどを一切感じさせない笑みを浮かべた。

「うん。本当に大丈夫だよ。それより……ロナ、長椅子で寝ていた所為で髪の毛がクシャクシャになっているよ? 直してあげるからおいで?」
「う、うん。ありがとう……」

 そう言ってリュカスは、差し出されたロナリアの後頭部にここぞとばかりに触れ、その幸福に満たされる撫で心地のよい感触を全力で堪能した。

 その後、リュカスは急激な成長期に入り、たった二ヶ月で一気に10cm以上も身長が伸びて、あっという間にロナリアとの差がついてしまう。その半年後には声変わりの兆候も出始め、中等部に入った頃には美少女顔の少年から、線の細い美青年へと変貌していた。

 しかし、ポーカーフェイスが得意な事をいい事にロナリアと一番の親友という立場を利用して、無自覚を装いながら自分の中での控え目な範囲で、ロナリアに触れる事や接する事を全力で堪能し始める。

 だが……この6年後、まさか控え目だと思っていたロナリアの愛で方が、傍から見たら全力の溺愛行動でしかなかった事には、一切気付けなかったリュカス。
 その事でロナリアを追いつめてしまい、しばらくの間距離を置く事態が発生する未来が来ようとは、この時のリュカスは全く予想する事が出来なかった……。


――――――【★ご案内★】――――――
これにて番外編『密やかな自覚』は終了です。
次話は卒業後に就職したロナリアのお話になります。
引き続き『二人は常に手を繋ぐ』の番外編をお楽しみください。
―――――――――――――――――――
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