女神様の赤い糸

ハチ助

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10.贈り物

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 やっと気になっていたエルネスト家自慢の書斎に案内して貰ったシャーロットだが、ここ最近の胸のざわつきは、一向に治まる気配がなかった。

 そして姉の方は、クラウスから借りてきた本を何度も読み返している。
 余程面白いのかと思い、試しにシャーロットもこっそり読んでみたのが……案の定、三分もしない内に眠気に襲われ、あっさりと断念した。
 文章が堅い上に情景描写が細かく、登場人物の心理描写があまりにも複雑過ぎて、ちっとも話の展開が頭の中に入って来ない……。
 姉もクラウスも何故、こんな堅い文章の小説をサラリと読めるのだろうか。
 その事を実感してしまうと、更にあの二人に自分が置いて行かれているような気分になる。

 そもそも何故、姉のこの良い変化に不安を抱いてしまうのか……。
 ずっとその事を考えないようにしてきたシャーロットだが、本当はその理由には、とっくに気が付いている。
 姉がエルネスト家に訪れる事を楽しみにしているように……シャーロットもその事を楽しみにしてしまっているのだ。

 出される素晴らしいチーズケーキが堪能出来る事はもちろん、何よりもシャーロットが楽しんでしまっているのは、クラウスと過ごす時間だ。
 姉が書斎に籠ってしまっている間、クラウスは屋敷内だけでなく、その周辺のちょっとした場所へシャーロットを何度か案内してくれた。

 シャーロットが乗馬を嗜んでいると分かれば遠乗りに連れ出し、港町の市場に行った事がないと言えば連れて行ってくれた。
 他にも領内の織物工房などの見学も連れて行ってくれたのだ。
 ずっと屋敷内で過ごす事に飽きてしまわないようにクラウスは、シャーロットを外に連れ出してくれる。

 しかしその間、姉セルフィーユは何故か例の書斎にこもっていた。
 余程、姉好みの本が揃い過ぎているのか、エルネスト家に訪れると姉は前半を書斎で過ごす。
 そして帰りの一時間前になると書斎から出て来て、楽しそうにクラウスとその日読んだ本の話で盛り上がる。
 毎回エルネスト家に向かう際、姉の気合の入った身支度の様子からすると、何故クラウスと過ごせる時間を読書の方に回してしまうのか、シャーロットには不思議で仕方なかった。

 しかし、その姉の書斎ごもりのお陰でシャーロットは、クラウスに楽しいもてなしをして貰えているのだ。
 もしかしたら姉は、良縁をダメにせざるを得なかった妹に気を使い、自分の気持ちを押し殺してでもシャーロットが、クラウスと過ごせる時間を作ってくれているのかもしれない。
 あの気遣いに長けた優しい姉なら、考えそうな事だ。
 そんな事を考えてしまったシャーロットは、そっと自分の左手の小指に結びついている赤い糸を眺める。

 出会い始めの印象は最悪だったクラウスだが、今ではそのクラウスと過ごせる時間をシャーロットは、楽しみにしてしまっている。
 そしてクラウスの方も三人の時よりもシャーロットと過ごしている時の方が、素の自分でいられるからか、どことなくリラックスしている。
 そんな自分達の距離の縮まり方が、この赤い糸の効果かは分からない。
 だが、もしこの赤い糸の効果であれば、クラウスに惹かれてしまっている姉の気持ちは、どうなってしまうのだろうか。

 そもそもクラウスも出会い始めは、姉の方に好印象を抱いていたはずだ。
 だが現在では、三人で過ごしている時よりもシャーロットと二人で過ごしている時の方が、笑っている事が多いような気がする。

 その考えに達した時、シャーロットにある罪悪感が生まれた。
 クラウスに対して好印象を抱くようになったシャーロットの気持ちの変化だが、それはクラウスに対しても言える事ではないかと……。

 初対面の際、クラウスの方もシャーロットに対しては子供っぽい面倒そうな令嬢という印象が強かったはずだ。だが現状のクラウスは、かなりシャーロットを気遣いながら、好意的に接してくれている。
 その自分達の気持ちの変化には、この赤い糸の影響が大きく関わっているのではないかと、シャーロットは考えたのだ。

 それでは当初クラウスが姉に抱いていた感情は、どこに行ってしまったのか。
 それはこの赤い糸の効果により、かき消されてしまったのではないだろうか。
 まるで自分達二人の感情が、この赤い糸に操られるように変化していると感じてしまったシャーロットは、更に姉の気持ちの事も考えてしまう……。

 姉はエルネスト家を初めて訪問する際、かなり憂鬱そうな表情をしていた。
 しかし、クラウスに会った日を切っ掛けに急に浮かれ出した。
 そしてそその初訪問の日、シャーロットは姉の事でクラウスから確認されたある内容も思い出す。

『もしかしてセルフィーユ嬢には、誰か意中の相手がいるのでは』

 だがそんな話を一切聞かされた事のないシャーロットが驚き、何故姉はその事を自分に相談しなかったのかと疑問を感じた。
 すると、その時のクラウスが、ある二つの仮説を言い出した。
 一つは、姉の意中の相手が、誰にも相談出来ない立場の人間ではという事。
 もう一つが、相談したくても意中の相手の詳細が全く分からないという事。

 姉に限って、立場上問題がある人物に好意を抱く事はありえない。
 そうなると、意中の相手がどこの誰か分からずにいた事になるのだが……。
 もしかしたら、その人物はクラウスだったのでは……という可能性にシャーロットは行きついてしまったのだ。
 それならばクラウスに面会後、急に姉が変化を見せた事への説明がつく。

 恐らく姉は、シャーロットが参加していない夜会等で、クラウスと接する機会があったのではないだろうか。
 娘が二人いるアデレード家だが、そのエスコート役を出来る人間は父のみだ。
 その為、社交関係への参加は、まず長女のセルフィーユが優先される。
 そうなると姉が一人で夜会に参加する機会は、多かったはずだ。

 その際にクラウスと接する機会があり、好意を抱くも一瞬の交流だった為、クラウスがどこの誰かまでは分からず、ずっと探していたのではないだろうか。
 そう考えれば、姉がずっと縁談や婚約の申し入れを断り続けていた事や、エルネスト家への訪問を切っ掛けに急に前向きになった事への説明が付く。

「やはりお姉様は、クラウス様の事が……」

 シャーロットがポツリと呟くと、自室の扉がノックされる。

「シャル? もう支度は出来た?」

 そう言って部屋に入って来た姉は、今日も気合の入った編み込みの髪型に明るめのターコイズブルーの外出用のドレスが、よく映えていた。

「ええ。今、下に降りようと思っていたの」
「それじゃあ、一緒に降りましょう。下で馬車も待っているし」

 そう言って、大切そうに前回クラウスから借りた本を抱えている。
 その様子に再びシャーロットは、罪悪感に襲われた。
 現状クラウスが姉の事をどう思っているのかは、分からない。
 だが今の姉の気持ちを考えると、急に見えてしまったあの赤い糸が姉の失恋を招いているのではと、考えてしまうのだ。

 だがその罪悪感は、姉に対するクラウスの気持ちが、まだはっきりしない状況だからこそ、生まれる物だ。
 しかし、もしクラウスの方も姉に惹かれているような状況が確認出来てしまったら……この赤い糸は、シャーロットにとって呪いの糸となる。
 それこそアウレス神話の女神ユリネラが、戯れで結び付けた赤い糸説が濃厚だ。

 姉と一緒に馬車に乗り込んだシャーロットは、エルネスト家に続くように小指から垂れ下がっている赤い糸に目をやる。
 そしてこの糸の先が、クラウスと繋がっている事に複雑な思いを抱く。
 そんな自分の横で、姉が愛おしそうにクラウスから借りた本の表紙を撫でた。

「お姉様。その本、そんなに気に入られたの?」
「ええ。とっても素敵なお話だったから……」
「それは……クラウス様のオススメのご本だったの?」
「そう、ね。切ないけれど、とても綺麗なお話だからと勧めてくださったの」

 そう言って、何とも愛おしそうに姉が再びその本へと視線を向ける。
 その後、移動中の馬車の中でその小説の話を軽く聞いたシャーロット。
 しかし悲恋物という事もあり、シャーロットにはその話の良さが、あまりよく分らなかった。

 そんな会話をしていたら、あっという間にエルネスト家に到着する。
 いつも通り、執事のロワンズに客間に通され待っているとクラウスが現れる。

「セルフィーユ嬢、本日はまずは読書の方から楽しまれますか?」

 毎度お馴染みとなった姉へのもてなしをクラウスが笑顔で確認する。
 すると姉は、少し頬を赤らめて小さく頷いた。
 そのまま部屋を出て行こうとした二人だが、ふとクラウスが立ち止まる。

「シャーロット嬢。申し訳ないのですが、姉上を書斎にご案内後、私には少し所用がありまして……。よろしければロワンズにまだご案内していない温室の方を案内させますので、20分程、少々お待ち頂いてもよろしいですか?」
「分かりました。では温室見学をしながら待たせて頂きます」

 そして再び姉セルフィーユを扉へと促し、客間を出て行く。
 そんな二人の様子をシャーロットは、観察するようにジッと見つめた。

 すると執事のロワンズが、シャーロットを丁寧に温室に案内し出す。
 温室には、白いガーデン用のテーブルセットが二か所ほど設置されており、シャーロットはその一つのテーブルへと案内された。
 その後、ロワンズが温かいお茶を出してくれる。
 温室には見た事もない大きな葉の植物がたくさん生い茂り、奥の方には丸池が二つ程並び、スイレンの花が美しく咲いている。
 これならば一人で20分など余裕で時間を潰せそうだと感じたシャーロット。

「ロワンズさん、私の事は構わず、どうぞお仕事にお戻りください」
「ですが……」
「このような見事な温室ならば見学していれば20分など、あっという間です」
「かしこまりました。シャーロット様、お心遣い誠にありがとうございます」

 そう言って一礼し、執事のロワンズは温室を出て行った。
 一人きりになったシャーロットは、スレインを鑑賞しながら、先程の二人の様子を思い出す。

 最近、姉を書斎に送り届けに行ったクラウスの戻りが遅い……。
 エルネスト家に通い出してから、もう二か月以上も経つので、シャーロットだけでなく、姉の方も大分クラウスと打ち解けているはずだ。
 恐らく姉を書斎に案内した際、二人は少し談笑でもしているのだろう。
 今までそんな事など気にする事がなかったシャーロットだが、ここ最近は二人が書斎に向かった後、何故か不安と苛立ちを抱いてしまう。
 そしてその原因に薄っすら気付いているので、自己嫌悪に陥ってしまう……。

 そんな事を考えてしまって、やや暗い気持ちになりながら上の空でスイレンを眺めていると、後ろから人が近づく気配を感じて振り返る。

「シャーロット嬢。お待たせして申し訳なかったね」

 もうお馴染みとなった砕けた口調のクラウスが近づいてきた。
 だがその手には、何故か小さな小箱を携えている。

「実は渡したい物があって……そこの席に着いて貰えるかな?」

 そう言ってお茶を出されたテーブル席に座るよう促された。

「渡したい物って……その小箱?」
「うん。よければ開けてごらん?」

 シャーロットがその小箱を開けると、中からペリドットがあしらわれたピンクのリボンの髪飾りが姿を現わした。

「あ、あの……これ……」
「本来ならば、縁談の話を持ち掛けた側の僕の方が訪問するべきなんだけど、君らアデレード家の姉妹には、僕の我儘で毎週末この屋敷に足を運んで貰っているからね。そのお礼だよ?」
「で、でも! ペリドットって貴石だから高価な物では……」

 その事に気付いたシャーロットは、かなり困惑してしまった。
 そんなシャーロットの様子を見て、クラウスが満足げに笑みを浮かべる。

「この国ではそうだね。でもこの髪飾りは、二週間前に隣国のルリジアに行く予定のある友人に代金を渡して買って来て貰った物なんだ。ほら、あの国は宝石鉱山が多いから、ペリドットは半貴石扱いで少し手頃だろ? だから、そんなに気にしなくていいよ?」
「もしかして、ルリジアに行かれたご友人って……」
「第三王子のアルフレッド殿下」
「やっぱり! 王族におつかいを頼むなんて……どういう神経しているの!?」
「いいんだよ。だって僕は寄宿学校時代、殿下にはかなり貸しがあるから」
「いくらご学友とは言え……それは王族に対して不敬になるのでは……」
「ならないよ? だって僕、プライベートだと殿下を敬称なしで呼んでいるし」
「そ、そんなに親しい間柄なの!?」
「うん。一応、親友と呼べるくらいには親しいかな?」

 とんでもない事をサラリと言うクラウスにシャーロットが唖然とする。
 そのシャーロットの反応に更にクラウスが、満足げに笑みを深める。

「セルフィーユ嬢にも同じように髪飾りを差し上げたから、君も遠慮しないで受け取って?」

 そう言ってニコニコしながら、シャーロットにその小箱を差し出してくる。
 確かにこんな素敵な贈り物は嬉しい。嬉しいのだが……。
 シャーロットには、一つ気がかりな事があった。

「お姉様も……このピンクのリボンの髪飾り?」
「いいや? セルフィーユ嬢にはアクアマリンが装飾された銀の髪飾りだね」
「どうして私は、こんな可愛らしいピンクのリボンなの!?」
「可愛らしいならいいじゃないか」
「良くないわ! だってこの髪飾りを身に付けるのならば、ドレスも子供っぽいピンク色にしなければならないじゃない!!」
「それを狙って、その色のリボンの髪飾りにしたのだけれど……」
「何でよ!! それならオレンジの方がまだ良かったわ!!」
「シャーロット嬢。君が好きな色はオレンジかもしれないけれど、君に一番似合う色は、絶対に可憐で柔らかい色合いのこの薄ピンク色だと思うよ?」
「そんな色のドレスを着たら、ますます幼く見えてしまうじゃない!」
「それが可愛いんじゃないか……」
「私が目指しているのは可愛いじゃなくて、綺麗なの!!」
「それは、ちょっと難しいんじゃないかなぁー」

 童顔で身長の低いシャーロットは、自身の子供っぽい容姿を結構気にしている。
 対して姉は、平均的な身長だがスラリとした細身の美しいシルエットだ。
 胸囲の方も成長の兆しが絶望的なシャーロットとは、大違いである。
 現状タダでさえ、姉とクラウスの距離感が気になってしまっているのに思わず比較されてしまうような事を言われ、シャーロットが不機嫌そうな顔をする。
 それに気付いたクラウスが、やや苦笑気味でフォローしてきた。

「姉上と比べても仕方ないと思うよ? 君には君の。姉上には姉上の。二人共持っている魅力の種類が全く違うのだから」
「でも私は、お姉様のように綺麗って言われる方がいいわ……」
「可愛いでいいじゃないか。本当に可愛いのだから」
「そうやって子供扱いしないでください!」
「そもそもそれ、アルフレッド殿下が持ち帰った物だから、使わない方が王族に対しての不敬になると思うよ?」
「信じられない! それ、絶対狙って殿下にお願いしたでしょう!!」
「まぁね」

 プリプリしながら抗議すると、絶妙なタイミングで執事のロワンズが、新しいお茶とクリームチーズケーキを持ってきてくれた。
 それを食べながら、二人はクラウスの寄宿学校時代と第三王子の話題で盛り上がっていった。

 しかしこの時のシャーロットは、この後に姉とクラウスの衝撃的な現場を目撃するとは、微塵も思っていなかった。
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