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9.ざわつく心
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屋敷の方に戻ると、執事のロワンズが出迎えてくれた。
「シャーロット嬢、申し訳ないけれど先に客間に行って貰ってもいいかな? 僕はセルフィーユ嬢を呼んで来るから」
「それなら私も……」
「あー……。実は書斎の場所、二回の一番端の部屋で、ここからは結構距離があるんだ。だから一緒に来てもらうのは申し訳ないから。ロワンズ、シャーロット嬢を客間にご案内してくれ」
「かしこまりました」
そのままロワンズに促され、シャーロットは客間へと案内された。
「シャーロット様、少々お待ちくださいませ」
そう言って部屋を出て行ったロワンズの後ろ姿を見つめながら、シャーロットは少し引っ掛かっている事について考える。
クラウスは、何故か姉の読書好きを優先させるような対応をする。
それをもてなしと言えば、そうなのかもしれないが……それにしたって、先週ここを訪れてからの姉の変わり様には、かなり疑問を感じる。
そうなると一番気になるのは、クラウスが姉を書斎に案内している時間帯だ。
あの間にクラウスは一体、どのように姉へ接しているのだろうか……。
そんな事を考えていたら、静まり返った部屋にノック音が響き渡る。
その後、姉を後ろに連れ立ったクラウスが入室して来た。
すると、姉が大事そうに一冊の本を抱えているのが目に入る。
「お姉様、その本は……」
「クラウス様が、ご厚意で貸して下さったの」
そう言って少しはにかみながら、姉が愛おしそうに本を抱きしめる。
その姉の様子にシャーロットの心がざわついた。
「そ、そんなに面白いお話なの?」
「ええ。でもシャルは、あまり好きな展開のお話ではないかも……」
「どうして?」
「これは悲恋物のお話なの」
「悲恋物……」
ハッピーエンドが殆どのロマンス小説好きなシャーロットには、確かに好みの合わない展開だ。だが、その本を大切そうに姉は抱きしめている。
「クラウス様もお読みになったの?」
「ええ。確かに悲しい結末ではありましたが、とても美しい終わり方をするお話で、大変心を揺さぶられる作品でした」
穏やかな口調で、そう答えるクラウスに姉がうっとりしながら深く頷く。
その姉の反応が小説に対してなのか、クラウスに対してなのか判断が付かない。
するとメイド達がお茶を配り始め、二人はその小説の話で盛り上がり出した。
そんな二人の様子を出されたクリームチーズケーキを食べながら、シャーロットは静かに見つめていた。
このようにエルネスト家を訪れた際は、別々の場所でそれぞれの時間を過ごしていたシャーロット達。
その間セルフィーユの方は、訪問回数が増えれば増える程、生き生きとした変化を見せていたが、シャーロットの方は何故か胸の中にチリチリした思いが生まれ、不安ばかりが募っていった。
その原因がクラウスに姉を取られそうになっているからなのか、自分とクラウスが謎の赤い糸で繋がっているからなのか、シャーロットにはよく分からない。
そしてその原因が、そのどちらでもない事をシャーロットは薄々勘づいていた。
だがシャーロットは、敢えてその原因を考えないようにしていた。
クラウスは父親への反発心から、アデレード家との縁組はあまり望んでいない。
例えそれに抗えないとしても父親であるエルネスト伯爵の希望は、長女のセルフィーユではなく、家業に疎い次女シャーロットとの縁組だ。
いくら姉がクラウスに熱を上げたとしてもエルネスト伯爵が、姉とクラウスの婚約を簡単には受け入れるとは思えない。
同時にクラウスからは、姉に好意を持っているという感じがあまりしない。
確かにシャーロットに対する接し方と比べれば、紳士的で丁寧な対応をしているが、それは本当に当り障りのない対応という感じなのだ。
その為、このままの状態が続くと姉は失恋する可能性が高い。
だがここ一カ月半で元から美しかった姉は、更に美しくなっていった。
エルネスト家を訪れる週末以外のシャーロット達は、社交界での情報収集や交流の為、お茶会や夜会等にも参加していたのだが……。
その際、いつも気配を消すように暗い影を落していた姉が、クラウスと交流するようになってからは、人前でも明るい表情を見せるようになり、以前見せていた心苦しそうな雰囲気は、かなり薄れていた。
そんな姉の変化に周りの令嬢達が、嫉妬で目くじらを立てるのではないかと心配していたシャーロットだったが、アデレード家にエルネスト家からの縁談話が上がっている噂が出回っていた為、姉に攻撃的な態度の令嬢はあまりいなかった。
逆にその事で、シャーロットが姉の当て馬的扱いをされていると、嘲笑っている令嬢達はいたが、幼少期から姉と比べられる事に慣れているシャーロットは、あまり気にならなかった。
そんな事より、ますます魅力的になっていく姉の事の方が気がかりだ……。
元々目を見張る様な美しさの姉が、本来隠し持っていた穏やかで幸福そうな表情を浮かべていたら、たっぷり蜜を含んでいる美しい花にしか見えない。
そうなると、その蜜を得ようと集まってくる害虫の数も増える。
その害虫駆除にシャーロットは、意気込んでいたのだが……。
しかし、そのシャーロットの見せ場は、あまり訪れなかった。
姉は誘われるように集まってきた令息達を自分自身で優雅にやんわりと、あしらってしまったのだ。
中にはしつこい令息もいたが、姉がエルネスト家の名を出すと一瞬で退散した。
いくらアデレード家の爵位があまり高くはないとは言え、現在進行中の縁談相手の家柄が上位の伯爵家ともなれば、相手も引かざるを得ない。
ましてや、シャーロット達が参加する夜会やお茶会には、織物業関連を特産にしている領地の令息達が多く参加している。
そんな状態で、王家より代々織り機の性能向上を任されているエルネスト家に睨まれてしまえば、家業に大きな支障が出てしまう。
姉はその事を知っている上で、あまりにもしつこい令息達をエルネスト家の名前を使って、追い払ったのだ。
そうなると、シャーロットの番犬としての役目もお役御免となってしまう。
そんな最近の姉の前向きな変化を喜ばしく思わなくてはならないシャーロットだが、何故か不安ばかりが募っていく。
シャーロットは姉の急激な変化を目の当たりにして、ますます自分が姉に置いて行かれるような気持ちになっていたのだ。
それとは別に何故か苛立ちも感じてしまっている。
その元凶が今、目の前にいるこの令息だ……。
「あのさ、シャーロット嬢。最近やけに僕に対して冷たくないかい?」
「そんな事はございません」
「いいや。絶対に冷たい……」
「気のせいです」
「一体、何が原因かな? もしかして新手の反抗期?」
「家族でもない方に反抗など致しません」
「でも、ほら。年齢的に僕は君の兄でも通る歳だし」
「あなたのような方は、兄とは思えないです」
「奇遇だね。僕も君のような手の掛かる妹を持つのは、ごめんだ」
「なら、そのような事を言わないでください」
「やはり反抗期なのでは? ほらシャル、悩みがあるならお兄様に遠慮なく話してごらん?」
「勝手に人を愛称で呼ばないでください!」
キッとクラウスを睨みつけた後、不機嫌そうな様子でティーカップに口を付ける。
現在、二人はエルネスト家自慢の中庭でお茶をしているところだ。
だが、今ここには姉のセルフィーユの姿はない。
一応、クラウスが呼びに行ったのだが、手に取ってしまった本の続きが気になるらしく、姉はお茶の申し出を辞退し、そのまま書斎に引きこもっているのだ。
ただその間、シャーロットは15分以上客間に一人取り残されていた。
姉を呼びに行くだけで何故かクラウスは、なかなか戻ってこなかったのだ。
その二人の時間が、ますますシャーロットに不安を抱かせる……。
その不安が姉の身の安全を心配しての物なのか、それとも全く別の事なのか、自分でもよく分からず、それが更にシャーロットの心を苛立たせる。
そんなシャーロットの様子にクラウスが、深いため息を吐いた。
「年頃のお嬢さんの扱いは、本当に難しいなぁ……」
「サラリと子供扱いしないでください」
「だったら、子供っぽい振る舞いは、やめてくれないかなぁー」
「そんな事はしていません!」
そう言って、シャーロットは出されたチーズケーキタルトを無心で食べ始めた。
その様子にクラウスが呆れ気味に更に盛大なため息をつく。
エルネスト家に通い出してから、すでに二カ月経っていたシャーロットは、すっかりクラウスと話す事に慣れ、更に砕けた態度をするようになってしまっていた。
そもそもここへ訪れると、姉が書斎に引きこもってしまうので、残されたシャーロットは、毎回のようにクラウスに相手をして貰う状態になるのだ。
だがその後に三人でお茶をする際は、いつもクラウスと姉が、あの書斎にある本の話題で盛り上がってしまう。
その時、初めて姉が異性と楽しそうに話している事にも気付いた。
その事が更にシャーロットの心をざわつかせる……。
そんな不機嫌そうなシャーロットの状態にクラウスが、ついに音を上げた。
「シャーロット嬢。流石の僕でも君が何故、苛立っているのか理由を教えて貰わないと分からないよ?」
「苛立ってなんか……」
「本当に?」
見据えるようにクラウスが、ジッと顔を覗き込んできたので、シャーロットは思わず視線を手元のチーズケーキタルトに落してしまった。
「書斎に……」
「書斎?」
「私だけ、まだ書斎に案内して貰っていないから……」
そう拗ねるようにポツリと呟くシャーロットにクラウスが、大きく目を見開く。
だが次の瞬間、その表情がクシャリと少し困った様な笑みを作った。
「ああ、そうか。それで自分だけ除け者にされていると感じてしまったのか」
「ち、違うわ! ただ、その……何だか二人が、故意に私の事を書斎に行かせないようにしているみたいだったから……」
するとクラウスが、何故か少し嬉しそうな雰囲気で苦笑する。
「それだけで拗ねてしまったの? 可愛いなぁー。頭、撫でていい?」
「絶対にやめてください!!」
ニコニコしながら手を伸ばして来たクラウスから逃れようと、シャーロットが椅子の背もたれの方へと素早く体を引く。
すると、クラウスが少し残念そうに微笑み、上着の内ポケットに手を入れた。
そこから銀色の懐中時計が姿を現し、クラウスがカチリと蓋を開く。
それが日暮れの気配をほんのり感じさせる強い西日の光をキラリと反射させ、一瞬だけシャーロットの目をくらませた。
「そろそろ君らを帰さなければいけない時間だね。それじゃ、これから一緒に書斎へ姉上を迎えに行こうか?」
そう言って、パチンと懐中時計の蓋を閉じる。
その一言にシャーロットが目を見開く。
「私が書斎に行っても……いいの?」
「構わないよ? ただ連れて行かなかったのは、あそこには君が楽しめる物が無さそうだったから、案内しなかっただけだよ。なんせ、あそこには読み始めたら、三分以内で君が睡魔に襲われてしまうような本しかないからね」
以前、姉がポロリとこぼしたシャーロットの話を思い出したクラウスが、赤い糸の結ばれた左手を口元に当て、笑いを堪える仕草をする。
その様子にシャーロットがムッとした。
「折角だから、姉上を迎えに行くついでに書斎を見せてあげるよ」
そう言ってクラウスは、シャーロットを屋敷の方へと誘導し始める。
その提案にシャーロットの心が少しだけ軽くなった。
そして屋敷に入ってすぐの階段から二階の方へ案内され、クラウスの言っていた一番端の部屋へと辿り着く。
クラウスが扉をノックすると、中から姉の美しい声で返事が返ってきた。
「セルフィーユ嬢、読書をお楽しみのところ失礼致します」
「まぁ! シャルまで……。一体どうしたの?」
「それが……姉上が恋しくなられたのか、書斎の方をご覧になりたいと……」
「ち、違うの!! そろそろ帰る時間だから、お姉様を迎えに来たの!」
「あらあら。そうだったの? ありがとう、シャル」
何故か微笑ましいという表情を浮かべた姉が、シャーロットの頭を優しく撫でてきた。
その状況を招いた自分の隣にいる人物をシャーロットは睨みつける。
しかしクラウスは、それに気付かないふりをして、笑顔で受け流した。
「セルフィーユ嬢、もし今回も借りられたい本があれば、是非どうぞ!」
「ですが……お兄様の蔵書を勝手に……」
「構いませんよ。王都に滞在中の兄には、先週手紙で了承を得ているので」
「では、お言葉に甘えて、こちらの本を……」
そう言って姉は、先程まで読んでいたと思われるサイドテーブル上の本を愛おしそうに手に取る。重厚な装いのその本は、恐らくシャーロットが読んだら三分で眠りに落ちそうな雰囲気を醸し出していた。
それを切っ掛けにシャーロットは、入った書斎を改めて見回す。
書斎と言うには少し広い部屋で、入り口側の壁以外には全て本棚が備え付けられている。よく見ると本棚は二重になっており、更に奥にも本が収納されていた。
父の書斎の5倍くらいの本が、ここには収納されていそうだ。
これならば、確かに姉にとってはお宝部屋になるだろう。
しかし今、目の前で借りようとしている本の話題で盛り上がっている二人の様子を見ると、姉が浮かれてこのエルネスト家を訪れる目的は、この書斎だけではない可能性が高い。
その事を考えてしまったシャーロットは、何故か胸がざわついた。
そしてそのざわつく原因は、翌週ある光景を目撃することで明白となる。
「シャーロット嬢、申し訳ないけれど先に客間に行って貰ってもいいかな? 僕はセルフィーユ嬢を呼んで来るから」
「それなら私も……」
「あー……。実は書斎の場所、二回の一番端の部屋で、ここからは結構距離があるんだ。だから一緒に来てもらうのは申し訳ないから。ロワンズ、シャーロット嬢を客間にご案内してくれ」
「かしこまりました」
そのままロワンズに促され、シャーロットは客間へと案内された。
「シャーロット様、少々お待ちくださいませ」
そう言って部屋を出て行ったロワンズの後ろ姿を見つめながら、シャーロットは少し引っ掛かっている事について考える。
クラウスは、何故か姉の読書好きを優先させるような対応をする。
それをもてなしと言えば、そうなのかもしれないが……それにしたって、先週ここを訪れてからの姉の変わり様には、かなり疑問を感じる。
そうなると一番気になるのは、クラウスが姉を書斎に案内している時間帯だ。
あの間にクラウスは一体、どのように姉へ接しているのだろうか……。
そんな事を考えていたら、静まり返った部屋にノック音が響き渡る。
その後、姉を後ろに連れ立ったクラウスが入室して来た。
すると、姉が大事そうに一冊の本を抱えているのが目に入る。
「お姉様、その本は……」
「クラウス様が、ご厚意で貸して下さったの」
そう言って少しはにかみながら、姉が愛おしそうに本を抱きしめる。
その姉の様子にシャーロットの心がざわついた。
「そ、そんなに面白いお話なの?」
「ええ。でもシャルは、あまり好きな展開のお話ではないかも……」
「どうして?」
「これは悲恋物のお話なの」
「悲恋物……」
ハッピーエンドが殆どのロマンス小説好きなシャーロットには、確かに好みの合わない展開だ。だが、その本を大切そうに姉は抱きしめている。
「クラウス様もお読みになったの?」
「ええ。確かに悲しい結末ではありましたが、とても美しい終わり方をするお話で、大変心を揺さぶられる作品でした」
穏やかな口調で、そう答えるクラウスに姉がうっとりしながら深く頷く。
その姉の反応が小説に対してなのか、クラウスに対してなのか判断が付かない。
するとメイド達がお茶を配り始め、二人はその小説の話で盛り上がり出した。
そんな二人の様子を出されたクリームチーズケーキを食べながら、シャーロットは静かに見つめていた。
このようにエルネスト家を訪れた際は、別々の場所でそれぞれの時間を過ごしていたシャーロット達。
その間セルフィーユの方は、訪問回数が増えれば増える程、生き生きとした変化を見せていたが、シャーロットの方は何故か胸の中にチリチリした思いが生まれ、不安ばかりが募っていった。
その原因がクラウスに姉を取られそうになっているからなのか、自分とクラウスが謎の赤い糸で繋がっているからなのか、シャーロットにはよく分からない。
そしてその原因が、そのどちらでもない事をシャーロットは薄々勘づいていた。
だがシャーロットは、敢えてその原因を考えないようにしていた。
クラウスは父親への反発心から、アデレード家との縁組はあまり望んでいない。
例えそれに抗えないとしても父親であるエルネスト伯爵の希望は、長女のセルフィーユではなく、家業に疎い次女シャーロットとの縁組だ。
いくら姉がクラウスに熱を上げたとしてもエルネスト伯爵が、姉とクラウスの婚約を簡単には受け入れるとは思えない。
同時にクラウスからは、姉に好意を持っているという感じがあまりしない。
確かにシャーロットに対する接し方と比べれば、紳士的で丁寧な対応をしているが、それは本当に当り障りのない対応という感じなのだ。
その為、このままの状態が続くと姉は失恋する可能性が高い。
だがここ一カ月半で元から美しかった姉は、更に美しくなっていった。
エルネスト家を訪れる週末以外のシャーロット達は、社交界での情報収集や交流の為、お茶会や夜会等にも参加していたのだが……。
その際、いつも気配を消すように暗い影を落していた姉が、クラウスと交流するようになってからは、人前でも明るい表情を見せるようになり、以前見せていた心苦しそうな雰囲気は、かなり薄れていた。
そんな姉の変化に周りの令嬢達が、嫉妬で目くじらを立てるのではないかと心配していたシャーロットだったが、アデレード家にエルネスト家からの縁談話が上がっている噂が出回っていた為、姉に攻撃的な態度の令嬢はあまりいなかった。
逆にその事で、シャーロットが姉の当て馬的扱いをされていると、嘲笑っている令嬢達はいたが、幼少期から姉と比べられる事に慣れているシャーロットは、あまり気にならなかった。
そんな事より、ますます魅力的になっていく姉の事の方が気がかりだ……。
元々目を見張る様な美しさの姉が、本来隠し持っていた穏やかで幸福そうな表情を浮かべていたら、たっぷり蜜を含んでいる美しい花にしか見えない。
そうなると、その蜜を得ようと集まってくる害虫の数も増える。
その害虫駆除にシャーロットは、意気込んでいたのだが……。
しかし、そのシャーロットの見せ場は、あまり訪れなかった。
姉は誘われるように集まってきた令息達を自分自身で優雅にやんわりと、あしらってしまったのだ。
中にはしつこい令息もいたが、姉がエルネスト家の名を出すと一瞬で退散した。
いくらアデレード家の爵位があまり高くはないとは言え、現在進行中の縁談相手の家柄が上位の伯爵家ともなれば、相手も引かざるを得ない。
ましてや、シャーロット達が参加する夜会やお茶会には、織物業関連を特産にしている領地の令息達が多く参加している。
そんな状態で、王家より代々織り機の性能向上を任されているエルネスト家に睨まれてしまえば、家業に大きな支障が出てしまう。
姉はその事を知っている上で、あまりにもしつこい令息達をエルネスト家の名前を使って、追い払ったのだ。
そうなると、シャーロットの番犬としての役目もお役御免となってしまう。
そんな最近の姉の前向きな変化を喜ばしく思わなくてはならないシャーロットだが、何故か不安ばかりが募っていく。
シャーロットは姉の急激な変化を目の当たりにして、ますます自分が姉に置いて行かれるような気持ちになっていたのだ。
それとは別に何故か苛立ちも感じてしまっている。
その元凶が今、目の前にいるこの令息だ……。
「あのさ、シャーロット嬢。最近やけに僕に対して冷たくないかい?」
「そんな事はございません」
「いいや。絶対に冷たい……」
「気のせいです」
「一体、何が原因かな? もしかして新手の反抗期?」
「家族でもない方に反抗など致しません」
「でも、ほら。年齢的に僕は君の兄でも通る歳だし」
「あなたのような方は、兄とは思えないです」
「奇遇だね。僕も君のような手の掛かる妹を持つのは、ごめんだ」
「なら、そのような事を言わないでください」
「やはり反抗期なのでは? ほらシャル、悩みがあるならお兄様に遠慮なく話してごらん?」
「勝手に人を愛称で呼ばないでください!」
キッとクラウスを睨みつけた後、不機嫌そうな様子でティーカップに口を付ける。
現在、二人はエルネスト家自慢の中庭でお茶をしているところだ。
だが、今ここには姉のセルフィーユの姿はない。
一応、クラウスが呼びに行ったのだが、手に取ってしまった本の続きが気になるらしく、姉はお茶の申し出を辞退し、そのまま書斎に引きこもっているのだ。
ただその間、シャーロットは15分以上客間に一人取り残されていた。
姉を呼びに行くだけで何故かクラウスは、なかなか戻ってこなかったのだ。
その二人の時間が、ますますシャーロットに不安を抱かせる……。
その不安が姉の身の安全を心配しての物なのか、それとも全く別の事なのか、自分でもよく分からず、それが更にシャーロットの心を苛立たせる。
そんなシャーロットの様子にクラウスが、深いため息を吐いた。
「年頃のお嬢さんの扱いは、本当に難しいなぁ……」
「サラリと子供扱いしないでください」
「だったら、子供っぽい振る舞いは、やめてくれないかなぁー」
「そんな事はしていません!」
そう言って、シャーロットは出されたチーズケーキタルトを無心で食べ始めた。
その様子にクラウスが呆れ気味に更に盛大なため息をつく。
エルネスト家に通い出してから、すでに二カ月経っていたシャーロットは、すっかりクラウスと話す事に慣れ、更に砕けた態度をするようになってしまっていた。
そもそもここへ訪れると、姉が書斎に引きこもってしまうので、残されたシャーロットは、毎回のようにクラウスに相手をして貰う状態になるのだ。
だがその後に三人でお茶をする際は、いつもクラウスと姉が、あの書斎にある本の話題で盛り上がってしまう。
その時、初めて姉が異性と楽しそうに話している事にも気付いた。
その事が更にシャーロットの心をざわつかせる……。
そんな不機嫌そうなシャーロットの状態にクラウスが、ついに音を上げた。
「シャーロット嬢。流石の僕でも君が何故、苛立っているのか理由を教えて貰わないと分からないよ?」
「苛立ってなんか……」
「本当に?」
見据えるようにクラウスが、ジッと顔を覗き込んできたので、シャーロットは思わず視線を手元のチーズケーキタルトに落してしまった。
「書斎に……」
「書斎?」
「私だけ、まだ書斎に案内して貰っていないから……」
そう拗ねるようにポツリと呟くシャーロットにクラウスが、大きく目を見開く。
だが次の瞬間、その表情がクシャリと少し困った様な笑みを作った。
「ああ、そうか。それで自分だけ除け者にされていると感じてしまったのか」
「ち、違うわ! ただ、その……何だか二人が、故意に私の事を書斎に行かせないようにしているみたいだったから……」
するとクラウスが、何故か少し嬉しそうな雰囲気で苦笑する。
「それだけで拗ねてしまったの? 可愛いなぁー。頭、撫でていい?」
「絶対にやめてください!!」
ニコニコしながら手を伸ばして来たクラウスから逃れようと、シャーロットが椅子の背もたれの方へと素早く体を引く。
すると、クラウスが少し残念そうに微笑み、上着の内ポケットに手を入れた。
そこから銀色の懐中時計が姿を現し、クラウスがカチリと蓋を開く。
それが日暮れの気配をほんのり感じさせる強い西日の光をキラリと反射させ、一瞬だけシャーロットの目をくらませた。
「そろそろ君らを帰さなければいけない時間だね。それじゃ、これから一緒に書斎へ姉上を迎えに行こうか?」
そう言って、パチンと懐中時計の蓋を閉じる。
その一言にシャーロットが目を見開く。
「私が書斎に行っても……いいの?」
「構わないよ? ただ連れて行かなかったのは、あそこには君が楽しめる物が無さそうだったから、案内しなかっただけだよ。なんせ、あそこには読み始めたら、三分以内で君が睡魔に襲われてしまうような本しかないからね」
以前、姉がポロリとこぼしたシャーロットの話を思い出したクラウスが、赤い糸の結ばれた左手を口元に当て、笑いを堪える仕草をする。
その様子にシャーロットがムッとした。
「折角だから、姉上を迎えに行くついでに書斎を見せてあげるよ」
そう言ってクラウスは、シャーロットを屋敷の方へと誘導し始める。
その提案にシャーロットの心が少しだけ軽くなった。
そして屋敷に入ってすぐの階段から二階の方へ案内され、クラウスの言っていた一番端の部屋へと辿り着く。
クラウスが扉をノックすると、中から姉の美しい声で返事が返ってきた。
「セルフィーユ嬢、読書をお楽しみのところ失礼致します」
「まぁ! シャルまで……。一体どうしたの?」
「それが……姉上が恋しくなられたのか、書斎の方をご覧になりたいと……」
「ち、違うの!! そろそろ帰る時間だから、お姉様を迎えに来たの!」
「あらあら。そうだったの? ありがとう、シャル」
何故か微笑ましいという表情を浮かべた姉が、シャーロットの頭を優しく撫でてきた。
その状況を招いた自分の隣にいる人物をシャーロットは睨みつける。
しかしクラウスは、それに気付かないふりをして、笑顔で受け流した。
「セルフィーユ嬢、もし今回も借りられたい本があれば、是非どうぞ!」
「ですが……お兄様の蔵書を勝手に……」
「構いませんよ。王都に滞在中の兄には、先週手紙で了承を得ているので」
「では、お言葉に甘えて、こちらの本を……」
そう言って姉は、先程まで読んでいたと思われるサイドテーブル上の本を愛おしそうに手に取る。重厚な装いのその本は、恐らくシャーロットが読んだら三分で眠りに落ちそうな雰囲気を醸し出していた。
それを切っ掛けにシャーロットは、入った書斎を改めて見回す。
書斎と言うには少し広い部屋で、入り口側の壁以外には全て本棚が備え付けられている。よく見ると本棚は二重になっており、更に奥にも本が収納されていた。
父の書斎の5倍くらいの本が、ここには収納されていそうだ。
これならば、確かに姉にとってはお宝部屋になるだろう。
しかし今、目の前で借りようとしている本の話題で盛り上がっている二人の様子を見ると、姉が浮かれてこのエルネスト家を訪れる目的は、この書斎だけではない可能性が高い。
その事を考えてしまったシャーロットは、何故か胸がざわついた。
そしてそのざわつく原因は、翌週ある光景を目撃することで明白となる。
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※2021/12/25 改題しました。(旧題:没落貴族一歩手前でしたが、先祖の遺産が見つかったおかげで持ち直すことができました。私を見捨てた皆さん、今更掌を返してももう遅いのです。)
【完結】山猿姫の婚約〜領民にも山猿と呼ばれる私は筆頭公爵様にだけ天使と呼ばれます〜
葉桜鹿乃
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小さい頃から山猿姫と呼ばれて、領民の子供たちと野山を駆け回り木登りと釣りをしていた、リナ・イーリス子爵令嬢。
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ずっと過去を忘れなかった公爵様と、山猿姫と呼ばれた子爵令嬢の幸せ婚約物語。
※小説家になろう様でも別名義にて連載しています。
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