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第二部 第三章
告解
しおりを挟む木漏れ日がきらきらとアデルの体に降り注いでいる。誰もいない林の中で向かい合っていると、二人だけがこの場所に閉じ込められているようだった。
目の前のアデルは顎に手を当てたまま何か考え込んでいる。怒りを見せるのではないかと思ったが、その様子は感じられない。
考えがまとまったのか、アデルが顔をあげた。
確認を取るように、アデルが尋ねる。
「シシィ、まぁこれが事実かどうかはわしにはわからんが、それよりも、シシィ、このことが原因であまり元気がなかったのか?」
「え?」
「いや、町でスコーレムさんに会って、そこで話を聞いてそうやって結論に至ったのであろうと思う。傭兵王の魔女がどうとか言っておったが、それがシシィの母上どのなのであろう」
「そう」
「ふむ、そうか。なるほどのう。そういう可能性も考えられるわけじゃな……」
アデルは視線を上に向けて、顎を指先で掻いた。
直接尋ねるのは恐ろしかったが、シシィはそれでも口を開く。
「あなたは、わたしに対して憎しみを覚えないの?」
「ん? うむ、まずはシシィの不安をどうにかせねばならんな。もしかしたら、シシィはわしが怒るかもしれんと思っておったのじゃろうが、わしはシシィに怒りなど感じておらんよ」
「ほ、本当に?」
「怒っておらんよ」
アデルはあっけらかんとした様子でそう言った。俄かには信じがたくて、シシィはアデルの顔を凝視してしまう。
見たところアデルが嘘を吐いているようには思えないが、本当にそう思っているのかは疑問だった。
シシィはまだ考えがまとまらないうちに唇を動かした。
「でも、あなたの父は、わたしの母に殺された。あなたが母に対して恨みや憎しみを持つのは当然のことだと思う。そして、その娘であるわたしにも」
「いやいや、シシィ、落ち着いてくれ。確かにそう思う人もおるじゃろうが、これはもう十年近く前のことじゃぞ。しかも戦で起こったことではないか。なら、わしの親父もシシィの母上どのを殺そうとしていたことになる。シシィの母上どのだけ責められるのはおかしかろう」
「……信じられない」
「そもそも、シシィの母上どのが直接わしの親父を殺したなどという証拠は無いであろう? 確証も無いのに手を下した本人ではなく、その娘に憎しみを向けるなどわしには出来んよ」
アデルが嘘を吐いているようには見えなかった。ただ当然のことを、当たり前のように話しているだけに見える。
シシィは予期していた反応とはあまりに違っていることに衝撃を受けた。もし、アデルが自分を憎く思っていないのであれば、自分はまだアデルの傍にいられるのだろうか。
そうだとすれば、これほど嬉しいことはない。
張り詰めていた神経の糸が支えを失って急激に緩む。安堵の気持ちはまだ湧かなかったが、シシィはアデルの本心を少しずつ理解していった。
アデルは憎しみに囚われるどころか、怒りすら見せない。肉親の死に関する事実を突きつけられたというのに、動揺すらしていないようだった。
理解しがたいことだったが、憎しみを向けられるよりは遥かによい。
アデルは右手をゆっくりと伸ばし、シシィの左肩をぽんと叩いた。
「シシィ、あんまり気に病むでない。大体、母のしたことに娘がそこまで責任など感じなくてもよかろう。わしの親父だって嫌々ではあったが戦争に出かけた。人も殺したかもしれん。しかし、それが原因でわしが恨まれても正直困る。だからシシィもそんなことを気にするでない。そもそも本当かどうかもわからんではないか」
アデルは明るい笑みを浮かべてそう言った。シシィは胸の中に暖かな石でも放り込まれたような気分になった。その熱がじんわりと柔らかい暖かさを胸の中から溢れさせている。
温もりがゆっくりと体に広がっていった。
目の前の愛しい人は、自分の父のことを聞かされてもそれに動揺しなかった。それどころか、こちらに対して気遣いを見せている。
こちらが罪悪感を覚えないように、暗い気持ちにならないように、アデルはその明るい笑顔で暗さを払拭しようとしていた。
どうしてそんなことが出来るのか、理解が出来なかった。
父の死についての事実を聞かされたにも関わらず、それを話しているこちらの感情に目を向けてくれたのだ。
嫌な気分になっているのではないか気にかけてくれた。
シシィは両手を胸の前で合わせた。祈りを捧げるかのように手を合わせて、俯く。
溜まっていた感情が言葉の形になって口からこぼれた。
「よかった……、あなたは、そうやって……」
それ以上言葉が続かなかった。横隔膜が自分の意思を離れて小刻みに痙攣する。その動きに合わせて息が漏れた。
顔が熱くなり、血液が目の周りに集まってくる。
アデルはシシィの肩に置いた手で、もう一度シシィの肩を叩いた。その柔らかい刺激がシシィの心に安らぎをもたらそうとしている。
足元の土をジャリッと一度鳴らし、アデルが姿勢を整えた。それから優しい声音で言う。
「のうシシィ、わしはシシィに、本当に、シシィを尊敬してしまう。こんなこと、黙っておればよいではないか。わしが怒るかもしれんと思いつめて、それでも話したのであろう? なんという誠実さかと、本当に驚いてしまう」
「わたしは、あなたのことが好きだから。好きな人に、秘密にしたくなかった。それに、あなたには父のことについて知る権利があると思ったから」
「本当に誠実で、高邁じゃのう。本当に、素晴らしいと思う。シシィのような人がいてくれることを、本当に嬉しく思う。それに比べてわしなど不誠実もいいところで、このように想いを告げられているにも関わらず、まぁなんじゃ、フラフラとしておる」
シシィがゆっくりと首を振る。
「あなたは、誠実な人だと思う」
「そうかのう? 今のわしの気持ちを知れば、シシィもわしに呆れるかもしれんぞ」
「聞かせて」
「わしはな、シシィがこの村を出て、どこぞでもっと良い男と巡りあってもよいのではないかと思っていた。しかし今は、シシィに対して誠実になれんにも関わらずじゃ……、つまり、シシィを手放したくない。シシィが他の男のものになるのが嫌でたまらん」
アデルはそう言ってから、こちらにも聞こえるような大きな音を立てて息を吸った。
「シシィのような素晴らしい人を、この愚かな農夫が独占しようなど実にけしからんことじゃと思うが……」
そこで言葉を切ってから、アデルはシシィの肩に置いた手をゆっくりと背中側へと滑らせた。それから半歩前に進み、シシィの体を上から抱きしめる。
シシィの背中を手の平で優しく撫でながら言った。
「シシィ、もうどこにも行かないでくれ」
耳元でそう言われて、シシィは目を見開いた。肌という肌の上をぴりぴりとした刺激が駆け抜けてゆく。腰が熔けてしまいそうになった。
アデルはさらに耳元で声を出してくる。
「このように誠実で清廉な人を、しかもこれほど美しく可憐な女を、好きにならずにはいられん。シシィがわしを好きだと言ってくれたことも、わしのために色々と考えてくれたことも、すべてが嬉しくて、幸せで、なんじゃ、なんと言ってよいのかわからんが、もう、シシィがいなくなるのは嫌じゃ。わしの傍にいてくれ、ずっと」
耳から酒精を流し込まれているような気分だった。シシィの思考から文字や数字が失われ、押し寄せてくる感情の波に飲み込まれてゆく。
頭がくらくらとして、もはやこの大地に足をつけて立っているのかすらよくわからなかった。もし倒れこんだとしても、きっとアデルが受け止めてくれるはずだ。
アデルはシシィの背中をさらに強く引き寄せて、小さな体を抱きすくめた。シシィの胸のうちに喜びの炎が灯る。その喜びは体中を焦がしてしまうのではないかと思うほどに強烈で、同じ体勢でいることに耐えられなかった。
シシィはアデルの背中に手を回して、それから自分の体をアデルに擦りつけた。顔をアデルの胸に押し当てて、そこに自分の頬を押し付けて密着させる。鼻から息を吸い込むと、アデルの匂いが鼻腔を満たした。
脳が蕩けてゆく。肌からもたらされる熱が、シシィの体を熱くする。
両脚から力が抜けたとしても、アデルに体を委ねればいい。そうやって、自分の体を、心を、この人に委ねたいと思った。
アデルは子どもをあやすかのようにシシィの背中を優しく叩いた。
「シシィ、これからもわしと一緒にいてくれ。そして、ソフィの味方でいてほしい」
その言葉に、シシィがアデルの胸の中で頷く。その反応を得て、アデルがシシィの背中を優しく撫でた。
「ありがとうシシィ、本当に嬉しい。わしは幸せ者じゃな」
アデルの低い声を聞いていると、シシィは自分がふわふわとした幸福感に包まれているのを実感できた。
大好きな人に抱きしめられている。伝わってくる暖かさが心地よくて、シシィはうっとりした心地でアデルに体を委ねた。
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