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第二部 第三章
魔法使いと幼女魔王
しおりを挟むソフィは小さな口をぽかんと開けたままシシィの頭上に現れた炎の鷲を眺めた。その鷲が翼を広げた長さはソフィの身長よりも長く、頭の大きさもソフィのものより大きいようだった。
粘り気を含んでいるかのような赤い炎が、鷲の形を保ってシシィの頭上に浮かんでいた。鷲が羽ばたく度に火の粉が舞い、周囲に熱を撒き散らす。
「おお……」
ソフィは炎の鷲を眺めながらしばらく呆然としていた。
どうしてシシィがこんな鷲を出したのかがわからず、その理由について考える。さきほど、シシィは自分をどうにかするとか言っていたような気がする。
その発言の後でこのような魔法を繰り出してきた。
ソフィは何かに気づいたように瞼を跳ね上げ、眉を上げた。
「ハッ?! まさか妾を亡き者にするつもりか?! なんと、おぬしは邪魔者を排除してアデルと結ばれようというのじゃな?! なんの、そうはいかんのじゃ」
ソフィはスカートをめくりあげて、太腿の外側に挟んでいた杖を引き抜いた。シシィが首を傾げる。
「違う、何か誤解している」
「なんじゃと?! 妾をどうにかすると言ったばかりではないか、妾はどうにかなどされたくないのじゃ!」
「落ち着いて。わたしはあなたに危害を加えるつもりはない」
シシィはそう言ったが、ソフィは杖を左手に持ったまま半身でシシィに対して身構えた。
「妾は亡き者になどならん!」
「落ち着いて、わたしは危害を加えるつもりはない。そのつもりなら森に入った後に会話をする必要がない」
「いや、そんなことを言っておるが、妾にアデルを諦めるように言うつもりであったに違いない」
「違う」
シシィの表情は変わらない。それを見ているソフィは眉を吊り上げ、左手で杖をぎゅっと握り締めた。
この魔法使いを相手に勝てるのかわからない。自分には強力な魔法があるにしても、それらを有効に使うのは上手くはない。
シシィが小さく溜息を吐き、それから軽く杖を振った。それと同時に炎の鷲が消え去る。
「ソフィ、わたしはあなたにこの魔法を教えようと思う」
「はぁ? な、なんじゃ?」
「今出した鷲の王は、魔法使いとしての弱点を埋めるためのもの。あなたにとっては非常に有用だと思う」
「いやいや、話が見えんのじゃ!」
「ソフィはやはり優れた魔力、魔法がある。それらは普通の魔法使いとは一線を画している。とはいえ、高等魔法を使おうと思えばソフィと言えども集中力を要するし、止まった状態で詠唱をしなければならない」
「む、うむ」
普通の魔法であればどんな状況でも出せるのは確かだが、強力な魔法となると呪文を唱えないといけない。集中力がいるのも事実だった。
シシィがさらに説明を続ける。
「この魔法はその弱点を埋めるためのもの。つまり、この鷲の王を出してそれに戦わせたり、身を守るための盾にする。そうやって時間を稼いでいる間に詠唱呪文を使用する。リディアがいる時はリディアがわたしの前で戦ってくれたけど、そういう状況に無い時はとても便利」
「ふむ……」
「この鷲の王自体も非常に強力な魔法で、吐き出す炎は渦を巻きながら対象を切り裂き焼き尽くす。この鷲の王を敵の集団に突っ込ませて戦わせたりも出来る。そうやって時間を稼いだり、自身の身の安全を確保してから他の魔法を使用すれば戦いで負けることはない」
「しかし、シシィはリディアに負けっぱなしではないか」
ソフィの言葉に、ぴたりとシシィの動きが止まる。それからシシィはゆっくりと首を振った。
「あれを判断の基準にしてはいけない。リディアのように強い相手はもうこの世にいない。大体、リディアは規格外の怪物、あれに勝つことを考えるより、まずは他の相手に負けないようにすることを考えるほうがいい。それに、わたしがリディアに負けたと言っても今のところはに過ぎない、いずれ勝つ」
「ふむ……。ふんわりとした顔をしておる癖に負けず嫌いじゃのう」
どうやら負けたことを気にしているらしい。
シシィはこほんと咳払いをして、杖を胸の前に掲げた。
「顕現せよ、雪白虎!」
その言葉と同時に、シシィの目の前に冷たい空気が凝集する。その冷気が形を纏い、虎へと変わる。牛のような巨体が現れて、ソフィはつい一歩下がってしまった。
「おお、虎じゃ。本物は見たことがないが、虎というのは恐ろしい顔の猫なのじゃのう」
「本当は黄色と黒の縞模様をしているけれど」
シシィはそう言ってから虎へと視線を移した。その体表からは冷気が立ち上っていて、細かな水滴が霧のように溢れている。
巨大な口の中には鋭い牙が見えた。ソフィは目を細めてその凶悪な顔面を眺める。
シシィが虎に視線を向けた。
「この雪白虎は大地を凄まじい速さで駆けることが出来る。さらに氷の刃を含んだ竜巻を発生させることで、多くの敵を足止めできる。もっとも、広い場所でないと上手く使えないけれど」
「ふむ、なんぞ凄そうじゃのう」
「これもソフィには使えるようになってもらう」
「そんな軽い調子で言われてもじゃな……」
確かにこういう魔法が使えれば、これを戦わせている間に時間のかかる詠唱魔法も使えるだろう。そういう意味では肉体的には劣る自分であっても、かなりの強敵を倒せるはずだ。
虎はやることが無いと判断したのか、地面に腹をつけて丸まった。そんなに大きな体をしているくせに、やっていることは猫と変わらない。
ソフィはそんな虎からシシィに視線を移す。
「しかしじゃな、妾は別に何者かと戦うつもりはないのじゃ。一体どこに敵がおるというのじゃ」
自分は強力な魔法使いではあるが、戦場になど出るつもりもないし、誰かと戦うつもりもない。
シシィはこくりと小さく頷いた。
「確かに戦う必要はない。ただ、この魔法や他の訓練によってあなたの魔法はさらに強力になる。ソフィは自身の高い魔力に頼って、少し魔法の使い方が雑なように見える。もっと上手く使えるようになれば、日常生活でも便利になる。つまり、器用に魔法を使いこなせる」
「ふむ、しかし妾は人前で魔法を使うことが無いのじゃ」
「いずれ使わなければならなくなる」
「なにゆえに?」
「例えば、あなたの知り合いが、リーゼが大怪我をしたとする。その時、ソフィが杖を持っていれば回復魔法を使うと思う。魔法使いだと知られたくないがために放置するというのなら別だけど」
「う、うむ……」
「わたしがソフィの魔法使いとしての力量を見抜いて指導しているということにする。そうすればソフィは魔法使いであることを隠す必要はないし、日常生活でも気兼ねせずに魔法を使える」
「それは便利じゃのう」
ソフィは顎に指を当てて視線を上に向けた。木々の葉が日光を遮ってくれているおかげで、森の中はそれほど暑くはない。
白い虎は座り込んで退屈そうにしている。シシィはその頭を撫でながら続けた。
「さらに、わたしはあなたに知識を与えることが出来る。都会でもなければ得られないような教育を与えられる。医学、法学についての知識を学び、あなたには医者になってもらう」
「いやちょっと待つのじゃ。勉強すること自体はまったく問題無いが、何故妾が医者になる必要があるのじゃ」
「医者は常に需要がある。つまり、お金になる」
「それは、そうかもしれんが」
「幅広い知識を得て、この村の誰よりも稼げるようになり、何者にも負けない魔法使いになる。あなたがそこに達することが出来たなら、あなたはもう一人前の大人になる」
「なんと?!」
「そう、誰もが称賛する立派な大人になる。多くの人から尊敬され、誰もが認めざるを得ないほどの大人になる。もう誰もあなたを子ども扱いしない」
「本当か?!」
シシィが大きく頷いた。
この話は確かに魅力的に思えた。ソフィは自分が医者になった姿を想像しようとしたが上手くいかなかった。そもそも、医者についてはあまり知らないし、医者の知り合いもいない。
医者というのは偉くてみんなから尊敬される人だというのは知っているが、具体的にどういう仕事をしているのか、どうやって治療しているのかまでは知らない。
ソフィはシシィを見つめながら尋ねた。
「しかしシシィよ、何故また妾にそのような知識や魔法を授けようというのじゃ」
勉強するにしても、より良い教育を受けようと思えばお金がかかる。それを自分に無償で与えようというのだから、シシィは懐が深いとしか言いようがない。
シシィが平坦な口調で言う。
「あの人はソフィが一人前になるまで結婚しないと言っていた。なので、あなたには早く大人になってもらう。そうすればあの人はわたしを見てくれる」
「私利私欲じゃとっ?!」
「心配しないで、あの人のことはわたしが面倒を見るから」
「アデルは老人ではないぞ」
「ともかく、あなたはあの人が心配しないほどの大人にならなければいけない」
「いやそれはそうかもしれんが」
自分をどうにかするというのは、自分に知識を与えてさっさと大人になってもらうという意味だったらしい。紛らわしい言い方はやめてほしい。
この娘は自分が自明だろうと思ったことを端折ってしまうのかもしれない。そっちはそれでいいかもしれないが、この娘の言っていることを理解するのは他の人にとっては難しいだろう。
アデルを明け渡すかどうかはともかく、魔法の訓練や勉強については興味はある。この娘が一体どういう知識を持っているのかはわからないが、魔法に関してはその優れた能力を存分に見せ付けられた。
医者になってお金を稼ぐというのも魅力的だ。お金があれば本が沢山買える。
ソフィは少し考えてから、大きく縦に首を振った。
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