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第二部 第二章
幼女魔王、勇者になれと言われる
しおりを挟む杖を持って、ソフィはリディアについて歩いた。夏の日差しに軽く肌が汗ばむ。道の上を歩くリディアは足早で、ソフィは小走りにならなければ追いつけなかった。
本人は別に急いでるつもりも無いのだろうが、歩みの速さを合わせてくれる気はないようだ。
やがて林の中へ入る。この辺りならば誰にも見られないということだろうか。日差しは針葉樹の細い葉たちに遮られて、ソフィはわずかな涼しさを感じた。油分を含んだ木々から溢れる芳香が鼻の奥を突き刺す。
リディアが立ち止まり、ふむ、と頷いた。
ソフィが尋ねる。
「なんじゃ、ここで何かするのか?」
「まぁここでいいんじゃない。あんまり遠くまで行くのも面倒だし。それよりあんた、なんかもっと動きやすい服持ってないの?」
「持っておらん」
確かにこの黒い服は動きやすいとは言いがたい。体を動かすのであれば、この服は向いてなかったかもしれない。
リディアが腕を組み、ひとつ唸った後で言う。
「まぁ動きやすい服はそのうち用意すればいいわね。今日は別に疲れるようなことをするつもりもないし」
「ふむ」
リディアは剣も帯びていない。一方で自分は杖を持っている。あの魔法使いもあっさりと杖を返したし、一体何を考えているのだろう。丸腰でも自分など相手にならないと思っているのか、それとも攻撃されるようなことを心配していないのだろうか。
剣を持っていないからといって、この勇者を相手に勝てる気はしなかった。魔法を放っても一瞬で避けるだろう。
足元の石をひとつ拾って、リディアが言う。
「さて、と。あんたがまずやらなきゃいけないのは、体と心を強くすることなわけだけど、その前にひとつ心構えというか、基本的なことを教えておくわ」
「ふむ」
ようやく講義が始まるらしい。リディアは拾った石を軽く上に投げて弄びながら続けた。
「あの男が心配してるのはね、あんたが危険な目に遭わないか、怪我をしたりしないか、傷ついたりしないか、そういうことがあんたに降り掛からないかってこと。つまりね、あんたに不幸になって欲しくないわけよ」
「うむ……」
「そこであんたがどうするべきかというと、つまりそういう危険を避けるだけの冷静な判断力と知識を手に入れることと、危険に対処する方法を学ぶことよ」
「なるほど」
「あんたが自分で危険を避けられるとあの男が思ったら、あんたのことを信用するようになるし、今みたいに過保護にならないし、あんたも成長できるわけよ」
「おお……」
戦いが終わってからは変なところばかり見ていたが、やはり歴戦の勇者だけあって言っていることは間違っていないように思えた。あまり期待していなかったが、この女からは大切なことを学べるかもしれない。
ソフィは真剣な面持ちでリディアの言葉の続きを待った。
「危険を避ける、ってのがまず前提ね。つまり、危険なことに関わらない、危険な場面から逃げることが何よりも大事なのよ。危険を察知するだけの能力、知識を手に入れて、さらに危険に対処するための強い心を持つ。これがあればあの男だけじゃなくて、他の人だってあんたを信用するようになるわ」
「うむ、なるほど」
「例えばあんた、あの木を見て何かわかる?」
リディアが一本の木を指差した。
ソフィの首の高さあたりで、その木の樹皮は丸く剥がれていた。確かにあんな傷がついているのは妙だと思えたが、その理由はわからない。ソフィは素直に答えた。
「わからんのじゃ」
「ま、そうでしょうね。あれはね、鹿が傷つけたのよ。他にも鹿がいた痕跡があるのよ、ほら、そこの草むらのあたり、丸く剥げてるでしょう。あれは鹿の尿で草木が枯れたの」
「ほう……」
「まぁ鹿くらいなら人間に近寄ってこないからいいけど、もしこれが狼や熊みたいな獣だったら、この場所にいるのは危険なわけでしょ」
「う、うむ」
ソフィが神妙に頷く。リディアは手に持った石をぽんぽん放りながら話を続ける。
「今、こんな知識を手に入れたことで、あんたは今後、木についた傷を見て何かしらの獣がいるかもしれない。その獣は自分の手に負えない可能性がある。よってその場から離れて帰る、っていう選択肢を持つことが出来るわけよ。今までのあんただったら、この先に熊が出ようが鹿が出ようが、突然出たって思ったでしょうね。でも痕跡に気づいていればそれは突然じゃなくなるわけよ」
「おぉ、なんと」
「危険っていうのには何かしらの予兆なり、痕跡なりがある場合が多いのよ。それが自然災害だったとしても、人間の社会であってもね。やっぱり悪人の多い場所っていうのは目や耳から得た情報から判断できる場合も多いし、そういう場所があったら行かないようにするとかね」
「なるほど、勉強になるのじゃ」
ソフィは大きく頷いて勇者の言葉を深く胸に刻み込んだ。
「つまり悟性というものじゃな。妾は他の人と同じものを見ておっても、そこから同じだけの情報を得られるとは限らぬ。自身が危険を察知することが出来るよう、情報を得ることが出来るようになり、さらに対処できるようにならねばならんわけじゃ」
「まぁそんなところね。理解が早くて助かるわ。ところであんた、防御魔法とかは使えるんでしょ?」
「うむ、使えるのじゃ」
「じゃあちょっと使っておきなさい」
「な、何をするつもりなのじゃ?」
「いいから」
言われた通りに防御魔法を使っておく。回りから見れば何も変わっていないように見えるかもしれないが、これで十分に自分の身を守れる。アデルの攻撃でさえ防ぐほど堅い。
リディアが頷き、それから話を続けた。
「例えば、あんただって小さな子が暖炉に手を突っ込もうとしてたら止めるでしょ?」
そう尋ねられてソフィが頷いた。
「うむ、以前もチビの一人が熱いフライパンに触ろうとしておったので止めたことがあるのじゃ」
「へーぇ、そういうわけでね、知識のあるなしで危険かどうか色々と差が出るわけよ。普通は成長しながら色々学んでいくわけだけど、あんたは自分の目的のためにちょっと頑張って大人と同じくらいにならなきゃいけないわけ」
「なるほど、さすがじゃのう。実に良いことを言う」
おっぱいがどうこうとか言っていたあの変態だとは思えないほど、リディアのことが格好良く見えてしまう。ソフィは心の奥が疼くような興奮を感じた。アデルからでは学べないことを、学べるかもしれない。
その結果がよければ、アデルは自分を信用してくれるようになるだろう。手のかかるチビなどではなく、一人の女性として見てくれるはずだ。
リディアが石をきゅっと軽く握った。
「ま、そんなわけで次は別のことを学んでもらうわけだけど……」
リディアの肩がふっと動き、その腕が一瞬消え去ったように見えた。同時に自分の肩のあたりでバチバチッと音がして、ソフィは驚きで叫んだ。
「ぎゃあああっ?! な、なんじゃ?!」
自分の肩を見ると、防御魔法が反応して石が弾かれているのがわかった。弾かれた石が地面に落ちるよりも早く、リディアがソフィの眼前に迫っていた。突如その影に飲まれてソフィの血流が一瞬止まる。
氷の板を叩き割るような音がしたと思ったら、ソフィは首元をリディアに捕まれた。何が起こったのかは解らなかった。突如訪れた恐怖の感情にソフィは息すら出来ずリディアの顔を見る。あの戦いの中で見たのと同じ、剣のような武人の鋭い視線があった。
膝がかくんと抜けて、ソフィが倒れこみそうになる。その体を支えて、リディアがソフィの体を軽く持ち上げた。
ソフィの肩をぽんぽんと叩いてなんでもないように言う。
「ま、こんなもんよね」
「ななな、なにをしゅるのじゃ!!」
「はいはい、落ち着きなさい。怪我なんかしてないでしょ」
「怪我はしてはおらんが、怖いではないか!」
リディアはソフィの額を指先で軽く弾いて、一歩ほど離れた。ソフィは額を手で押さえたまま、涙目で抗議する。
「いきなりこんなことをされて、一体何事かと思ったではないか!」
「そう、それよ、あんたは突然のことにビックリして動けなくなったわけでしょ」
「そんなもの仕方ないではないか」
「それは解るわよ、でも、落ち着きなさい。今説明するから」
リディアは片手を挙げて落ち着くように指示した。
「今、あんたに感じてもらったのは三つ、つまり、驚き、恐怖、怒りよ。突然の攻撃に驚き、あたしが眼前に迫ったことで恐怖を感じ、それから怒った。この三つがね、戦いの中では邪魔になることが多いの」
「ふ、ふむ……」
「驚きも恐怖も怒りも、冷静な思考を鈍らせるもの。戦いの場ではそれは好ましくないわけ。つまり、制御できなくちゃいけないの」
「なるほど」
突然何をするのかと思ったが、こうやって説明されると確かにその三つの感情をこの一瞬のうちに味わったことが自分でもよく理解できた。
リディアは一歩離れてからさらに続ける。
「まぁ生きてる人間がこの三つの感情から自由になるのは難しいから別にいいとしてもよ、自分の命が危険に晒されてる時にこういうのに囚われると困るのよ」
「うむ、しかしこれらを克服するのは難しいと思えるのじゃ」
「そりゃそうよ、多少の訓練を積んだ人でも戦いの中で恐怖を感じるし、冷静さを保つなんて難しいんだもの」
リディアが少し長く息を吐く。
片手を挙げて、リディアが人差し指を立てた。
「怒りは攻撃性に変わって、攻撃をしてしまう方に向かいがちで、恐怖は萎縮や逃走に向かう。こういう感情もね、身を守るためには大事なのよ。何かの危険に対して恐怖を感じないとしたら、それはそれで問題よ」
「うぅむ、確かに」
「こういう感情を抑えるための技術っていうのもあるのよ」
「それはどういうものなのじゃ?」
「まぁ色々あるけど、例えば兵士っていうのは普段とは違う格好をする、つまり戦いのための装束、化粧なんかをすることで日常とは切り離されてると実感するわけね。それで、みんなが似たような格好をすることで集団の中に溶け込んで、怖いのは自分だけじゃないと思ったりとか、他の人にみっともない姿を見せたくないと思ったりとか」
「ふむ……」
そういえば兵隊というのは似たような格好をしている。
リディアは人差し指だけでなく中指も立てて続けた。
「なんでも、みんなバラバラの格好してるよりも同じ格好して同じ装備揃えたほうが強いらしいわよ。試したことないからあたしにはわかんないけど、そう聞いたことがあるわ」
「ほぅ……」
「で、他に簡単な方法があって、それは声を出すってことね」
「声?」
「そう、驚きも恐怖も怒りも、大きな声が出るでしょ。声を出すことで呑まれにくくなるのよ。それを逆手にとって、先に大きな声を出しておくの。突撃する時なんかでも大体は大声出しながら行くことが多いし、剣の稽古でも声を出したりするわ」
「ほう、なんとそんな手段があったとは」
心底感心して、ソフィは唇を半端に開いた。こうやって説明されると、納得できる部分が多かった。
そして、突然訪れるような恐怖や怒りに対しても、それを制御するだけの方法があるというのにも驚いた。
リディアは手を降ろし、そして腰に両手を当てた。胸を張って言う。
「恐怖を克服してその時に最も良い行動を起こす気持ちのことを、勇気というのよ。そして、誰かの為に怒り、恐怖を超えて戦う者を勇者というの」
ソフィの顔をまっすぐに見て、リディアが言った。
「ソフィ、あんたは勇者になりなさい」
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