名も無き農民と幼女魔王

寺田諒

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第二部 第三章

老人の長い話

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 美しさの隣には恐怖と似た感情があるのかもしれない。村長はテーブルを挟んで座るリディアを見てそう感じた。
 リディアは意図的に表情を変えないようにしているのか、彫像のように静止したままこちらを見据えている。

 例え表情から感情が読めなくても、そうやって無表情を装っている時点である程度は内心を察することは出来る。この美人はこちらの話を面白いとも思っていないし、余計なことを言えばさらに機嫌を悪くするかもしれない。

 当世最強の武人からすれば、自分のような老人など枯れ枝にしか見えないだろう。
 これ以上何かを言うと、暴力を背景にした脅しが目の前に突きつけられるかもしれない。今思えば、机を軽々と持ち上げて見せたのも牽制のようなものだった可能性がある。
 余計な口を挟んで欲しくはないのだろう。

 この美人の望み通り、話を終わらせることも出来る。そうすれば何事も無かったかのように余生を過ごせるかもしれない。
 もう十分長く生きたのだから、最後は心労とは無縁の生活で穏やかに過ごしたいとは思う。

 だが、この美人が機嫌を悪くしたとしても言うしかないだろう。アデルにも深く関わることであって、アデルの今後をも左右しかねない問題だ。
 村長はゆっくりと息を吸い込んだ。


「アデルに惚れたその三人の女は酷い甘ったれでのう。全力でアデルにしがみついて、ぶら下がっておった」
「ふーん」

 自身の男に関する話題だというのに、リディアは詰まらなさそうに返事をした。過去のことは過去のことと割り切っているのかもしれない。
 それでも続ける。

「三人に共通しておったのは、アデルを逃げ場所として選んでおったことじゃな。アデルなら自分を裏切ることが無いだろうと、アデルに何もかもを委ねるフリをして、アデルを縛り付けておった」
「そんな女たちのことなんて知らないわよ。ねぇ村長、そんな話ならよそでやってちょうだい」
「いや、おぬしに言わねばならん。アデルがまた刺されては困るのでな」
「刺されたりなんかしないわよ」
「どうだか……、いずれにせよアデルが馬鹿なことをしようとしておるのなら、ワシは止めねばならん」

 勇者も魔法使いも優れた人物なのだろうが、この村には必要ない。こんな僻地に留まるよりは、より大きな世界で活躍するほうが世の為にもなる。
 それに、アデルに必要なのは甘えてくれる存在などではない。

 アデルも薄々は気づいているのだろう。ソフィのような女の子を養ってはいるが、ソフィには自立した立派な大人になって欲しいと願っている。
 そのために少なからぬ出費をしてまでソフィのために本を買い、ソフィがいつか自分の元から巣立ってゆく時のために金まで貯めている。

 アデルは自分の愚かさを克服しようとしている。ソフィはそんなアデルを支えるために、色んなことを学んだり実践したりと躍起になっている。
 その一方で、この勇者はアデルに甘え、アデルに可愛がられる子どもに帰ろうとしている。
 ただ子どもに帰るだけではない。大人のずる賢さと狡猾さで、アデルを意のままに操ろうとしている。

 村長は溜め息を吐いた。

「ワシの予想じゃが、アデルはあれじゃろう、おぬしのような美人に迫られても一度は断ったのじゃろ」
「……昔のことよ」
「どういう手口を使ったのかは分からんが、おぬしはそんなアデルの意志を変えてしまった」
「愛が通じたのよ、ただそれだけ」
「物は言いようじゃな」

 リディアの視線は次第に鋭くなっていた。内心の不満を隠そうという気も無くなっているようだ。
 老人の話など長いし説教臭いし面白くなどないだろうが、この美人に伝えておかなければいけないことがある。

「ワシは、アデルにはおぬしのような甘えん坊はどうにも合わんように思えてならん。それに、この村ではみんなで働いてみんなで生き抜いて行く必要がある。村に貢献しないのであれば、それはアデルの負担にしかならん」
「これから働くわよ、あたしだっていつまでもアデルの世話になりっぱなしじゃ悪いと思ってるし」
「ふむ、本当かのう?」
「本当よ」
「しかしおぬしは農民の仕事や生活がどんなものか知らんじゃろ。糸を紡いだり機織をしたり、家畜の世話をしたり料理をしたり、日々やるべきことは沢山ある」
「これから覚えるわ」

 軽い調子でそう言っているが、果たして出来るのかどうかは疑問だった。
 華々しい活躍を遂げ、多くの人から賞賛されるような人物に、農作業のように地味な作業は面白いものでもないはずだ。
 剣を振るって生きるほうがよっぽど儲かるだろうし、より多くの賞賛を集められるはずだ。

「そのまま騎士として生きればよいのに、何故こんな田舎で正体を隠して生きてゆこうと思っておるんじゃ?」
「もう勇者でなんていたくないわ。あたしはね、静かに、穏やかに、大切な人と生きていきたいの」
「ふむ……」

 理由については詳細に語る気が無いようだったが、この村で生活したいという思いは本物のようだ。そのために今まで積み上げてきた名声も捨て去ろうとしている。
 ただ、村での生活が穏やかかと言えばそうでもない。不作が続けば飢えることもあるし、戦争が起これば巻き込まれて被害を受けかねない。
 日々を平穏に生きるためには、その陰で誰かが神経を尖らせている。

 とはいえ、そのような役割は村の男たちが担うものだ。
 村長はテーブルの上に置いていた帽子を被り、リディアに向かって言った。

「ではリーゼに村の仕事を教わるといい。この冬の間に色々と覚え、アデルに養われるだけではなく、アデルの生活を支えるだけの女になってもらう。農民などというのは、女も働かなければならんのでな」
「わかったわ」
「今の時期は少々慌しくてリーゼにも暇が無い。冬までの間に料理でもいくらか覚えたり、家事を覚えたり、色々とやってもらう」
「わかってるわよ、ちゃんとするし」
「そういうことをアデルに言われんかったのか?」

 この言葉にリディアは黙り込んだ。その反応だけでは、アデルが何かを言ったのか言っていないのかはよく読み取れない。
 どちらにしても、アデルはアデルでこの美人を随分と甘やかしているようだ。そんな甘さが過去に悲劇を引き起こしたというのに、アデルもあまり成長していない。

「まぁよい、ワシのお小言など誰もこれ以上聞きたくないじゃろうからな」
「自覚があるなら言わなきゃいいのに」
「何もかも上手く行っておるなら言わん。しかしこの村の将来に関わる以上は口を挟む。よいか、アデルはこの村に多くの貢献をするじゃろう。アデルに惚れたというのであれば、そんなアデルの支えになってもらわねばならん、それを証明してもらわねば」
「……わかってるわよ」

 リディアは鬱陶しそうにそう言って眉をひそめた。
 この美人は何を間違ったのかアデルに惚れてしまい、その上あの魔法使いもアデルに惚れてしまったのだという。さらに二人ともアデルの子を産もうとまで考えているようだ。
 そんなものが上手く行くとは思えないが、この美人の決意はどうにも固すぎる。

 村長は椅子から立ち上がり、立てかけていた杖を手に取った。
 少し話しただけだというのに、老齢の体には疲れが現れてしまう。

 まさかアデルのような農民が、あの伝説の勇者さまとどうにかなろうとは夢にも思わなかった。
 昔から問題ばかり起こすような子どもだったが、大人になった今でもこんな状況を引き起こしている。

 村長は杖をしっかりと握り締め、それからリディアのほうへと視線を向けた。

「……まぁアデルの阿呆も、さすがに身を固めれば無茶なことはせんようになるか」
「何よ無茶って」
「少しは自分の身を大事にするということじゃ、少なくとも、自分から軍に加わろうとはせんじゃろう」
「アデルって徴兵されたんじゃないの? あんまり詳しくは知らないけど、自分からってどういうこと?」
「ふむ……、それはワシが話すことではないな」

 話したいことでもない。あの時は、失敗してしまった。アデルを守らなければいけなかったのに、自分に力が無いせいでアデルはしなくていい苦労を背負い込んでしまった。
 軍が壊滅したという報せを聞いた時は、アデルを行かせてしまったことをどれだけ悔やんだことか。
 年老いた自分が生き残り、アデルのような若者が死んでしまった。もっと他に方法は無かったのかと、後悔だけが枯れ枝のような体に重く圧し掛かった。

 ただ、そのアデルは何事もなかったかのようにひょっこり帰ってきた。
 アデルからすれば、多くの人に裏切られ、見捨てられたも同然の扱いを受けたにも関わらず、恨み言のひとつも言わずにのんびりと暮らしている。

 アデルがそうやって日々を過ごせているのは、きっとソフィがいるからだろう。
 ソフィは世話になった上官の遺児だとアデルは説明していたが、どこまで本当なのかはわからない。おそらく貴族の庶子か何かだろう。ソフィの着ていた服も、受けたであろう教育も、平民ならば手が届くものではない。
 気になることは色々あったがが、アデルもソフィも穏やかに生活している以上、詳しい事情などどうでもいい。
 村人たちにもソフィについて余計な詮索はしないように伝えてある。


 村長は白いヒゲを指先で撫でながら扉のほうへと向かった。

「長々とすまんかったのう、歳をとると話が長くていかん」
「長いのは寿命だけにしといたらいいのに」
「そんなものも、いずれ近いうちに尽きる。ワシが死ねば、ロルフやアデルのような若者に村のことを色々と託さねばならん。心配にもなる」
「で、そんなアデルを支えなさいって言うんでしょ、わかったわよ、安心してちょうだい」
「……そういうことじゃ」

 本当にわかっているのだろうか。ただ、言いたいことは大体伝えておいた。その後がどうなるかは、この美人とアデル次第だろう。
 しかし、この美人はよくわからない。愚かなように見えて狡猾で、鈍いようで妙な鋭さを持っている。美しさを差し置いても、アデルの手に余る女なのではないかと思えた。

 もうこれ以上何かを言っても、この美人の耳には届かないだろう。
 家の扉に手をかけて、ゆっくりと開く。外の眩しさが目に突き刺さり、村長は細い目をさらに細めた。
 爽やかな風がヒゲを揺らして流れ去ってゆく。

 村長は別れの挨拶を述べてアデルの家を後にした。 




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