名も無き農民と幼女魔王

寺田諒

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第二部 第三章

紅に染まる

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 太陽は薄く青い空の中央を目指して高く昇り、家の外では秋の爽やかな風が音もなく流れてゆく。陽光がじりじりと茅葺屋根を暖めているものの、その光はアデルの家の中にまでは届いていなかった。
 薄暗い室内で、ベッドの上のアデルはリディアの顔を見下ろした。微かな光がリディアの美しい顔に陰影を作り出している。
 神が自ら造型したのではないかと思うほど、リディアの顔立ちは美しい。その中で、リディアの瞳が潤んで光を帯びていた。

 瞳の輝きの中に、うっすらと自分の顔が見える。アデルはベッドの上でリディアの体に覆いかぶさったまま、腕の力で自分の体を支えていた。
 胸のすぐ下にはリディアの細い体があり、リディアの手はアデルのわき腹に添えられている。

 リディアの唇は血と乳を混ぜたかのような鮮やかさで、わずかに開いていた。唇の奥から、リディアの息が漏れ出てくる。
 どこにでもあるような空気でさえ、リディアの口から出たというだけでどんな香水よりも高価なもののように思えてしまう。

 アデルはごくりと唾を飲み込んだ。
 まっすぐにリディアの顔を見てしまうと、自分の体が言うことを聞かなくなりそうだった。
 この美しい女を、自分の思うように抱き締めることが出来る。真珠で飾った豚にでもなった気分だった。

 自分とリディアでは釣り合わないこと甚だしい。最近はあまり意識していなかったが、やはりこうやって見ているとリディアの容姿に息を呑んでしまう。
 だが、いつまでもこうやってリディアを押し倒している場合ではない。

 今から、この美人の服を剥ぎ取り、そして、孕ませるのだ。そういう行為をしようとしている。
 リディアもそれを望んでいる。だから何も問題などない。いや、リディアが望んでいるからなどと思うのは間違っているかもしれない。

 今、ここでこの自分がリディアを抱くことを望んでいるのだ。
 こちらが動かないでいると、リディアはわずかに唇を動かした。

「あのね、あたし、初めてだから、だから、優しくしてね」

 リディアの頬にかすかな朱色が灯っていた。目を逸らし、やや恥ずかしげに睫毛を震わせている。
 心臓が握り潰されているのではないかと思うほど、胸に強い痛みを感じた。リディアが今頃になって見せた表情は、普段とは似つかわしくないほどに可愛らしく、心をぐりぐりと押しつぶしてくる。

 余裕を保たなければいけないのに、脳が溶け落ちてしまいそうになる。雄の本能が牙を剥き、アデルの理性を食い散らかそうとしていた。
 呼吸はしているはずなのに、段々と息苦しくなってくる。心を落ち着かせなければいけないのに、心臓はごりごりと血を体中に巡らせていた。

 アデルは顔の位置を下げて、リディアの体に覆いかぶさった。リディアの耳元に唇を寄せて、低く掠れた声で言う。

「リディアの可愛さのせいで、危うく理性を失うところであった」
「あたし、可愛い?」
「うむ、それはもう……。わしの可愛いリディア、これからわしは、リディアが大事にしてきた場所に、リディアが大事にしているところに、リディアの弱くて、柔らかくて、傷つきやすい場所に、触れようと思う」
「うん……、触って、いっぱい」

 そう言いながら、リディアがわき腹を撫でてくる。肌がふつふつと沸き上がってしまいそうだった。大したことのない刺激なのに、それがリディアからもたらされたというだけで、体は喜びに震えてしまう。
 アデルはリディアの耳に小さな声で囁いた。

「リディア」

 言葉が出てこなくて、アデルはリディアの耳に唇を当てた。その微かな刺激でリディアの唇から淡い声が漏れ出る。
 アデルはリディアの耳の下に口を付け、軽く吸った。そのままゆっくりとリディアの肩のほうへと顔を下ろしてゆく。リディアはその小さな口付けに声を漏らしながら、わずかに顎を反らせた。
 軽く体を起こして体重を膝で支え、アデルは右手でリディアの左肩に触れた。手の平でリディアの鎖骨を撫でながら、手をリディアの頬に添える。

 リディアの耳を指先で軽くくすぐりながら、アデルは自分の服に左手を伸ばした。ここは男の自分が先に上を脱いだほうがいいだろう。
 左手だけでボタンを外していたその時だった。


 コンコンコン。


 急に扉が叩かれて、アデルは体をびくりと震わせた。どうやら誰かが来たらしい。アデルは思わず体中が燃えるような怒りに襲われた。
 一体誰が来たのかは知らないが、何もこんな時に来なくてもいいだろう。無視してやろうかとも思ったが、勝手に入ってくる可能性もある。

 どこの誰だか知らないが、早々にお引取り願うしかない。
 アデルは苛立ちが顔に出ないよう、表情を引き締めた。それからリディアに向かって囁く。

「すまぬ、少々待っていてくれ」
「うん……」

 リディアも突然の客に戸惑っているようだった。アデルはベッドから降りて靴を履き、扉に向かって声を上げた。

「はいはい、ちょっと待ってくれ! 今出る!」

 それからアデルは扉のほうへと歩いてゆく。誰であろうとさっさと退散してもらうしかない。
 アデルは扉を開けて、素早く外へと出た。
 外にいたのは村長だった。いきなりアデルが出てきたので驚き、小柄な体を後ろに反らしている。

「うおっ、なんじゃアデル、いきなり出てきおって」
「村長か、何の用じゃ?」

 村長は持っていた杖を地面に突いた。どうやらその杖で扉を叩いていたようだ。
 何の用で来たのかはわからないが、今のところは早く帰って欲しい。
 村長はこちらの事情など知るわけもなく、のんびりした様子で話し始めた。

「うむ、ソフィちゃんも町に行っておるようじゃし、あの魔法使いさまもどこぞに出かけてしまったようじゃな」
「ああ、それがどうかしたのか?」

 アデルは内心の苛立ちが顔に出ないよう努めながら、村長に先を促した。こちらは用件を尋ねているのに、村長は今の状況から話し始めている。回りくどいことをせずに、用件からズバッと切り出してほしい。
 村長は白く長いヒゲを手で撫でながら、枯れた声で言った。

「そこでじゃな、ワシもそろそろあの勇者さまと話をせねばならんと思っておる。色々と延び延びになってしもうたが、さすがにそろそろ話をせねばならんじゃろう」
「なるほどのう、しかし折角来てもらったのは悪いが、リディアは少々体調を崩しておってのう。また今度にしてくれんか」

 もちろん嘘だが、ここは譲れない。村長には悪いが、今日のところは引き上げてもらわないと困る。
 こちらの言葉を聞いて、村長はじろりと見上げてきた。何故かは知らないが、村長はこちらの言葉に疑いを持ったようだった。長い付き合いだから、村長が不信感を覚えているのは見て取れた。
 しかしここは譲れない。村長には早く帰ってもらわなければいけない。

 何か言おうと思ったその時、後ろの扉が開いた。そこからリディアが顔を覗かせている。

「なに? 村長があたしに用事なの?」

 何故出てくる。アデルは表情を変えずに後ろへと顔を向けた。

「これリディア、今日はゆっくりと休んでおれ」
「え?」

 リディアはやや首を傾げてこちらを見てきた。お願いだから察して欲しい。
 村長はやや声の高さを下げて言った。

「おいアデル」
「いや村長、待て」
「もうよい、お前が何を考えておるのかはわかる。まったく、いいご身分じゃのう」

 村長の言葉に、思わず脂汗が浮かびそうになってしまう。村長を相手に色々と誤魔化すのは難しい。アデルは冷静さを失わないように努めながら、何を言うべきか考えた。
 だがそれよりも早く、村長がリディアに向かって尋ねた。

「今日は勇者さまに話があってのう。ワシもアデルから色々聞いてはおるが、やはり村の長として話をせねばならんと思ってな」
「ちょっと村長、その呼び方やめてよ。リディアでいいわよ、っていうかそうじゃないと困るし」
「む……、うむ、ではそうしよう」
「まぁいいわ、話があるんだったら入って。あたしも村長とお話しなきゃって思ってたし」
「ならば都合が良い、では」

 リディアが扉を大きく開けたので、村長はそれに従って家の中へと入った。アデルは泣き出したい気持ちを抑えつつ、自分も家に戻ろうとした。
 そこで扉の前に立っていた村長がこちらを睨み上げてくる。

「アデル、お前は仕事じゃ」
「なぬっ?!」
「まだやることは沢山残っておる。ロルフも悪戦苦闘しておるようじゃし、手伝って来い」
「い、いや村長、リディアに話があるのであれば、わしも同席してじゃな」
「長い話になるかもしれん、お前は働いておれ」
「ぬぅ……」

 なんということだ。アデルはがっくりと肩を落とした。本当なら今頃はリディアとベッドの上で肌を重ね合わせていたかもしれないのに、村長がやってきたことで状況が変わってしまった。
 こちらが落ち込んでいると、リディアが扉のほうまでやってきてアデルの肘に触れた。

「ほらほらアデル、心配しなくても大丈夫よ」
「う、うむ……」
「みんなのために頑張ってね」
「お、おう……」

 リディアは明るい笑顔でそう言ってくれたが、こちらの心はまったく晴れてくれない。
 さすがにこれ以上ごねても無駄だろう。色々と不満は残るが、こうなってしまったものは仕方が無い。

「うむ、ではリディア、わしはちょいと行ってくるでな」
「うん。いってらっしゃい」

 リディアの声に見送られて、アデルは歩き出した。脚がいつもより重たく感じられて、歩くのが嫌になりそうだ。
 名残惜しくて溜め息が出そうになり、アデルは首を振った。







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