名も無き農民と幼女魔王

寺田諒

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第二部 第三章

成長

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 空は完璧に晴れ上がっていた。青空には白い染みはひとつもなく、澄んだ肌を晒している。山の合間にある村は、朝が来るのが遅い。
 今もまだ太陽は山の向こうに隠れていて、その姿を拝ませてはくれなかった。気温の低さは谷底にあるかのようで、肌を刺す冷気には容赦が無い。

 アデルは長椅子に腰掛けたまま、せわしなく足を揺すっていた。

「うーむ……」

 今日も豚を屠る仕事がある。昨日と同じように河原に来て作業をすることになっているのだが、今日はカールとジェクの二人の提案によって内容が変わった。
 ヤンが大柄な体で鷹揚に構え、豚を見下ろしている。

 そのヤンが低い声でカールに訪ねた。

「本当に大丈夫なのかい?」
「は、はい……」

 カールは少し上ずった声で返事をした。カールの表情はこわばっていて、横たわる豚に視線を固定している。わずかに上がった肩に緊張の色が見えた。



「ううむ……」
「アデル、少しは落ち着けよ。足がうるさい」
「む?」

 長椅子の隣に座るロルフに文句を言われた。そこで気づいたが、自分はどうやら貧乏ゆすりをしていたらしい。寒さのせいにしようかと思ったがやめた。
 
「しかし、二人だけで豚を解体しようなどとは、うーむ。大丈夫かのう」
「さぁ? でもまぁ良い経験になるだろ」
「うーむ、しかし……。心配じゃ」
「心配性だなぁ。もっとどっしり構えてればいいじゃないか」
「どっしり……。しかしロルフよ、ロルフも昨夜は若い娘さんに囲まれて縮こまっておったではないか」
「そ、それはまた別のことだろ」

 ロルフはそっぽを向いてしまった。黒々としたヒゲが寒風に揺れている。ロルフはその大柄な体で泰然としているが、自分はカールが本当にうまくできるのかどうかが気になって仕方がない。
 しかも、カールが豚の首を刺す役割なのだという。それはつまり、豚を殺すということだ。

 カールは心優しい少年に育った。むやみやたらに命を奪うことに抵抗感はあるだろう。
 そのカールが今こうやって豚を殺そうとしている。自分たち農民は家畜を屠らなければいけないこともある。
 だから、カールがこうやって命と対峙しているのは良いことのはずだ。

「だからアデル、貧乏ゆすりやめろって」
「む? あいにく貧乏でのう」

 足の動きを止める。それからため息を吐いた。白い息が空中へ消えていく。
 周囲ではもうみんな仕事を始めているようだ。あちこちから豚の汚い鳴き声が聞こえてくる。
 カールの隣にはジェクという少年が付き添っている。こちらにはツンツンした態度を取ってくるが、カールにはそうではないようだ。
 ジェクはカールの肩をポンと叩いた。

「俺たちだけでやるぞ」
「……うん」

 子ども二人で豚の解体などできるのかどうかはわからない。二人でやるといっても、もちろんヤンの指導を受けて技術を学ぶのだから、完全に二人に任せるというわけではなかった。
 それでも、おそらくジェクはほとんどの作業を二人でやりたがるだろう。あれはそういう少年だ。

 ジェクが桶を持って豚の側で待機する。ヤンはさすがの体格を活かして完全に豚を抑え込んでいた。

「よし、カールくん。教えた通りに」
「はい」

 カールはまだ緊張しているようだが、それでも決心を固めたようだ。ナイフを握り、豚の首を睨む。そこを一突きすれば、頸動脈そ切断できるはずだ。
 

 強張った表情をしていたカールだが、ふと顔をくしゃりと崩した。

「ごめんね」

 そう言ってから再びナイフを握り直し、その鋭い切っ先を豚の首へと突き刺した。豚が悲鳴をあげて暴れる。ヤンが険しい表情で豚を抑え込んだ。
 血まみれのナイフを引き抜くと、豚の首から鮮血が吹き出した。隣で待機していたジェクがすかさず血を桶で受ける。あの血もソーセージの材料として使うことができるのだ。ただ地面にこぼすわけにはいかない。

 カールの表情は強張っていた。青い瞳はまっすぐに豚へ注がれている。


「はぁ……、はぁ……」


 カールはまるで一生懸命走った後のように肩を上下させている。まるで己の血も流したかのように血の気の引いた顔で、豚を見下ろしていた。散々足掻いた豚だったが、どうやらついにその命は消え果ててしまったようだ。
 細かな痙攣の後で、すっかりと動かなくなってしまった。
 ジェクの持つ桶から、もうもうと白い湯気が上がっている。血の温度が舞い上がる。いずれ尽きてしまうだろう。




 その後の作業はジェクとカールの二人が悪戦苦闘しながら進めていくことになった。ジェクは慣れているのかと思いきや、実際はそうでもなかったようでナイフで肉を切り分けるのに苦労していた。
 自分とロルフは、血や内蔵などを女たちの作業場に運んだり、湯を沸かしたりとお手伝いに徹する。



 やはり慣れていないのもあって、かなり時間がかかってしまっている。
 まだ解体しなければいけない豚は残っていた。

「のうロルフ、これではまずいのではないか。残りが終わらんかもしれん」

 ロルフは青空を見上げた。太陽に目を細めている。どうやら時刻を測っているようだ。

「今日中は無理っぽいな。まぁいいよ、俺、今日もここに泊まってくから」
「む?」
「アデルはソフィちゃんのことがあるし、今日の昼過ぎにはもう帰ってくれていいから」
「う、うーむ……」

 確かに連絡もなく帰ってこないとなると、家で待つ三人が心配するだろう。帰らないわけにはいかない。
 ロルフは黒いヒゲをなでながら続けた。
 
「俺はまぁ明日帰ればいいし、カールももう一泊していけばいいんじゃないか」
「うーむ……、間に合わねばそうするよりほかないか。わしがカールの親父さんにもう一泊すると伝えておけばよいのじゃな」
「ああ」

 時間はどうだろう。もう日が落ちるのが早いから、ゆっくりしていられない。しかもここは谷だ。左右にそびえる高い峰はすぐに太陽を隠してしまうだろう。

「終わるかどうかわからんが、全力でやるとするかのう」

 その後、自分とロルフとヤンの三人で豚を屠り続けた。本当はヤンから技術を教わるべきなのだが、自分たちがすでにそれなりの技術を持っていることもあって、ヤンは特に口を挟んでこない。
 ヤンもまた作業に没頭している。そのおかげもあって次々と作業は進んだ。
 側を流れる川はさらさらとした清い音を立て続けている。冷たい空気も、今は火照った体に清涼さを与えてくれた。
 底抜けの青空は太陽を一片たりとも遮らず、眩い光に満ちていた。あちこちから豚の鳴き声が聞こえてくる。
 何度も繰り返していると、特に教わったわけでもないのに技術が向上していくのがわかる。
 どのあたりを切ればいいのか、どこが切りやすいのかも判断がつくようになってきた。

 なかなか面白くなってきたが、さすがにもう時間が時間だった。

「すまぬ、ロルフ、カール、ジェク、そしてヤンさん。わしは帰らねばならぬ。後少しだけじゃし、わしも最後まで付き合いたいが、家に帰って夕食の用意もせねばならんでのう」

 申し訳ない気持ちはあったが、ヤンもロルフもカールも特に気にすることなく送り出してくれた。ジェクはそもそもこちらに興味はなさそうだ。
 




 足早に谷を下る。体は熱をもって汗を流していた。空気は十分に冷たいはずだが、もっと冷たい空気が欲しくなってしまう。
 太陽はすでに傾き始めていた。もう少しで太陽の光を横から受けることになるだろう。眩しさに目を細める。
 冬の太陽は夏と違った眩しさがある。美しくて、嫌いではないが、今は厄介だ。
 背負った荷物が少し重くなったように感じられた。
 あの三人はどうしているだろう。

 一日くらいで何か変わるわけもないが、心配性なせいかつい心配してしまう。
 こんな心配も家に帰ればすぐに解消してしまうだろう。

 そう思っていた。
 家にたどり着くまでは。










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