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第二部 第三章
困難な解体
しおりを挟むヤンが朗らかに声を発した。
「さぁて、続きを始めようか」
その声に従って、まずは毛を焼くことからはじめた。頭と血はジェクとカールの二人に女たちの元へと運んでもらう。その間に藁を束ね、先端に火をつけて豚の毛を焼いていく。
豚の毛も加工すれば使えないこともないが、そこまでするほどの価値があるのかどうかは難しいところだ。
それと、ヤンは皮付きのまま豚を解体したいようだった。皮をつけておいたほうが肉は長持ちする。それに腿などは燻製にする時、皮付きのほうが上手くいきやすい。
そういうわけでまずは火をつけた藁束を使って表面の毛を焼き、その後で熱湯を回しがける。そうすることで毛はかなり抜けやすくなり、皮をナイフでゴシゴシと削ればどんどん毛を抜くことができた。
この仕事はカールとジェクの二人にも手伝ってもらう。カールはまだ不慣れで、おっかなびっくりという様子だったが、ジェクは意外にも達者に毛を落としていった。
「うんうん、こんな感じでいいよ。毛が残ってるとこだけもう一回炙ろうか」
取り切れなかった箇所を再び焼いて、大方の準備は完了した。後は豚の内蔵を抜いて、解体していくだけだ。
今回は吊るさずに豚の腸を抜き出すのだという。一体どういう手法を使うのかはわからない。
ヤンはナイフを机の上に置いた後で、パンパンと手を叩いた。
「さてと、仕事にかかる前に一回ノミとかダニがいないか全員調べようか。一応、豚も泥で虫を落としてるかもしれないけど、念の為にね」
確かに、豚はその毛の中に様々な虫を持っていることがある。その中でも、ダニは厄介だ。全員でお互いの体をハタキで叩いていく。もし虫がいれば落ちるはずだ。
自分も調べてみたが、とりあえず問題は無さそうだった。
まずは臓物を出す必要がある。その仕事に取り掛かろうとした瞬間、遠くから豚の酷い鳴き声が響いた。豚の中で役に立たないのは鳴き声だけなどと言われることがある。
小汚い中年の断末魔の声があるとすればこんな音になるのだろう。しかもその鳴き声は強烈なまでにうるさい。耳に張り付く鳴き声に眉をひそめていると、ヤンが声をあげた。
「ああっ! ありゃまずい、牙でやられた! すまん、ちょっと行ってくる。後はやっといてくれ」
ヤンが小走りで走っていった。どうやら他の班で問題が発生したらしい。こちらから見ていても、騒動が大きくなっていくのがわかった。男たちが怒声をあげて、豚を押さえにかかろうとしているが、上手くいっていない。
一応縄で繋いではいるが、豚の力があまりに強くて押さえきれていない。しかもどうやら誰かが怪我をしたらしい。
周りの男たちも豚を押さえようとしているが、豚の暴れっぷりが凄まじくて近づけていない。
縄に繋いであるとはいえ、このままでは縄が千切れてしまうだろう。そうなれば被害が大きくなるかもしれない。
「ロルフ、わしらも行ったほうがよいかのう」
「いや、大丈夫だろ。ヤンさんが押さえこんだし」
朗らかな表情しか見せていなかったヤンだが、今はその顔を険しいものにしていた。鋭い目つきで豚を睨み、豚の前足を取って豚を仰向けにひっくり返した。
上手い手付きだ。しっかりと豚の関節を握って横に引っ張りつつ、豚に蹴りを入れていた。それで豚は腹を天に見せることになった。
その隙に他の男がナイフを豚の首に突き立てる。鮮血が豚の喉から、鼻から溢れた。豚はまだ鳴き声を上げている。これが断末魔の鳴き声になるだろう。
ようやく豚は死んだようで、ついに動かなくなってしまった。血は食材になるはずだったが、河原の土がすべて吸い込んでしまった。
「誰か怪我でもしたようじゃのう」
若い男がうずくまっていて、その周りに数人が集まっていた。周囲の男たちに慌てた様子が無いので、それほど酷い怪我というわけではないようだ。怪我をしたと思しき男は立ち上がり、近くにあった長椅子に腰掛けた。
どうやら腕を怪我したらしく、腕を腹の前で抱くように背中を丸めている。
やがてヤンが戻ってきたが、とんでもないことを言い放って去っていってしまった。
「ごめんよ、ちょっとの間あっちを手伝ってくるから、二人でこいつだけバラシといてくれないか。道具は好きに使っていいから」
これには自分もロルフも驚いた。指導を受けに来たはずなのに、指導をしてくれる人がいなくなったのだ。
「アデル、どうするんだ?」
「これは困ったのう」
ロルフは黒々としたヒゲを撫でさすりながら細い目をさらに細めた。
どうしたものかと悩んでいると、ジェクが声を上げた。
「フン、豚の解体などどうということはない。オレがやってやる」
「いやいやいやジェク、豚の解体は別に問題ない。わしらが問題にしておるのは、豚を吊るせんということじゃ。ヤンさんは豚を平たい台の上で解体するつもりでおったようじゃが、わしらはその方法を知らん。臓物を抜くことができん」
「臓物など引きずり出せばいい」
「そうは言うが、臓物など持ち上がるものではないぞ。羊を解体したことがあるんじゃろ。腸を抱えて持ち上げようとしても、なかなか無理があるのはわかるじゃろ。そりゃ取り除くだけなら横にしてナイフを入れていけば取れるが、そんなことをしては食材にはならん」
そう言うと、ジェクはただでさえ狭い眉間をさらに狭めた。臓物を上に引っ張り上げる場面を想像しているのかもしれない。
臓物も食材になるが、臓物ほど汚染された部分もなかなかない。出せばいいというものではなく、無傷で出さなければいけないのだ。
この後どうしようか悩んでいると、ロルフが声をあげた。
「よしアデル、豚を担いでくれ。辛くなったら交代で」
「は?」
「だから、豚と背中合わせになって、こう、豚を背負うような感じにするんだって。両手で豚の後ろ足を掴んで、担いで、それでそのうちに俺がわたを抜くから」
「うーむ……」
確かにそれが一番手っ取り早いかもしれない。ヤンが言うには、豚を吊るさずとも一人で解体できる方法があるらしいが、そんな方法は思いつかない。
ロルフの提案が今のところ現実的に思えた。
「よしわかった。ロルフ、頼んだぞ」
「ああ、二人にも手伝ってもらうから大丈夫」
その二人がどれほど頼りになるのかはよくわからない。
背負う前にもう一度心臓を押して豚の血が垂れないようにし、それから尻尾を落とす。
肛門周りをナイフで繰り出して腸が抜けるようにした。
一度革のエプロンを外し、それからエプロンを肩から背中を覆うようにかけた。それからロルフに手伝ってもらい、豚の後ろ足を掴み、一気に担ぐ。
豚の重さは今のところどうということはないが、持ち重りしてくるかもしれない。早く仕事を済ませてもらうしかないだろう。
「よし、アデル、困ったことになった」
「なんじゃ?」
「お前の背が高すぎて二人には届かない」
「ふむ、ならばロルフ一人でさっさとやってくれ」
「いやお前がその机に座れば高さがちょうど合うし、アデルも楽になるんじゃないか」
「なるほど、頭が良いのう」
豚の位置を落とすために膝を曲げるようなことはしたくなかったから、ロルフの提案は助かる。
ロルフはちょうど良いと思ったのか、二人に指示を出した。
「ジェク、カール、まずは桶を豚の下に持ってきてくれ」
それで内臓を受け止めることになる。
ロルフは素早く豚の腹を縦に切り裂いた。あらかじめ肛門の周りは切ってあったので、ロルフが引っ張るだけで内臓がダラリと豚の体から溢れた。臓物は赤子の二倍はありそうな体積だ。
しかしこれだけではまだ足りない。胃の上に横隔膜があり、それによって臓物がくっついたまま落ちないようになっている。ロルフは豚の体の中にナイフを入れて、横隔膜を切り剥がしにかかった。
それから胸骨を縦に割る。それによって横隔膜の上にある肺、それと心臓が外れるようになった。
首の軟骨を気管ごと切断し、ようやく臓物は桶の中へと落ちた。
「おっ、軽くなったのう」
臓物が抜けて豚は随分と軽くなった。
「凄いなアデル、こんな重いもの背負ったままで。途中交代しようかと思ってたけど、いけたな」
「ハッハッハ、わしにかかればこんなもんなんということはない」
「さすがだな。よし、じゃあ後は机の上に置いて、枝抜きだな」
「おう」
「あ、ごめん。腎臓抜くの忘れてたからちょっと待っててくれ」
「ぬ?」
「これで終わりっと……」
ロルフがすべての臓物を抜いたことで、豚を背負う仕事は終わった。後は豚の体を部位ごとに切り分けていく作業に入る。しかし、この方法にも色々と流儀があるらしい。
豚を背負っていたせいか、腕にじんじんとした痛みが出た。ずっと豚の足を握り込んでいたから、前腕が少し痺れている。体が少し熱かったが、ひんやりとした空気が癒やしてくれた。
爽やかな天気が心地よい。周りでも豚の解体は進んでいるようで、騒々しい声が聞こえてきた。
「さて、続きにとりかかるとしようかのう。って、おい、どうしたんじゃ?!」
見ればカールはうずくまって口元を押さえていた。その隣にジェクが寄り添っている。ジェクはカールの背中を撫でさすりながら、横から声をかけていた。
カールの顔色は青い。そしてそのカールの目の前には、さっき落とされたばかりの豚の臓物があった。桶の中の臓物は未だに蒸気を放っていて、熱が宿っているのが見てわかる。
「これはいかん、カール、大丈夫か?!」
すぐにカールの隣から顔を覗き込んだ。蒼白だ。今にも吐き出してしまいそうだ。
口元を押さえていたカールだったが、急に立ち上がって川辺へと駆け出した。そこでカールは吐いた。
胃の中にあったものを吐き出してしまったようだ。
ジェクがすぐさま駆け寄ってカールの隣から話しかけていた。それから川の水を掬ってカールの口元を洗ってやった。
あんなぶっきらぼうな少年だが、カールに対してはかなり篤い友情を感じているようだ。
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