97 / 586
第二部 第二章
魔法使いを閉じ込める
しおりを挟む自分の家に入って、アデルは寝巻きといくらかの布を持って再び外に出た。どうやら魔法使いは大人しくしていてくれたらしい。
アデルは井戸から水を汲み、傍に立て掛けてあったタライに水を流し込んだ。
「さて、女子二人の前で肌を晒すのもなんなので、二人とも目を閉じておれ。わしの体は今血まみれでのう、いくらか乾いたとはいえ酷い。先にこれだけやらせてくれ」
ソフィがアデルに背を向ける。出来ることなら、ソフィには自分の体を見られたくはない。今は血まみれだし、傷もあちこちに残っている。
「……これ、可憐な魔法使いシシィよ、おぬしも目を閉じておけ。わしの裸なぞ見たところで面白くはないぞ」
「わたしは気にしない」
「アホか、わしが気にするわい。目を閉じるのが怖いのはわかった、もう目を閉じろとは言わんからどこぞ遠くでも見ておけ」
べっとりと血のついた服をすべて脱ぎ、アデルは体を水で洗った。服も洗わないといけないが、それはまた今度にしよう。ソフィを差し置いて自分が先に身奇麗にするのもどうかと思ったが、血というのは体にまとわりつくと結構な気持ち悪さがある。
おそらく人の心は血というものを恐れ、何かの異常とみなさずにはいられないのだろう。
「あなたは、軍人なの?」
魔法使いがこちらを見て尋ねてきた。
「ん? わしか? いやいや、見ての通りたたの農民じゃ。働き者の農夫アデルと言えば、ここらではわしのことよ。まぁちょいと軍役に就いておったこともあったが、わしのような下っ端は重たいもの運んでおっただけよ」
「……農夫の体つきではない」
「これこれ、男の裸なぞじろじろ見るものではないぞ。まぁわしは元々力持ちじゃったからな、結構な筋肉じゃろ」
「傷だらけ」
「うむ、昔から魔物と戦っては怪我をしておったからのう。この男前の顔に傷をつけたのはおぬしが初めてじゃがな」
「……」
「そこで黙るのはやめてほしいんじゃが……」
しかし、こうやって縛られ、これから何が起こるかわからない状況で尋ねることがそんな下らないことだというのは少し驚いた。他に尋ねるべきことは山ほどありそうな気はするが、この少女の内心などわかるはずもない。
もしかするといつでも逃げられるような秘策でもあるのだろうか。他の仲間がこちらに向かっている可能性も否定はできない。
色々と尋ねておかなければいけないことはあるが、さすがに体のほうがついていかない。靴を脱いで足を洗い、ブントシューに履き替える。粗末な革を足に巻くだけもので、靴と呼べる代物ではないがとりあえずこれで間に合わせるしかない。靴にも血が溜まっていたから、これも洗わなければいけない。
家に帰ってきてもやることは山積みだった。
着替え終わったアデルは、ソフィにも手を洗わせたり身奇麗にさせたりして、その後でシーツ一枚とランタンを持ってこさせた。魔法の道具だというランタンは、火をつかわなくても明かりを灯すことが出来る。そのランタンの明かりを頼りに、アデルは自宅の近くに立つ蔵に魔法使いと共に入った。
農具や荷物を寄せて、魔法使いが座れる場所を用意する。ちょうど長い箱があったので、アデルはそこに魔法使いを座らせた。
ソフィが蔵の入り口でこちらの様子を伺っている。
「これソフィ、もう夜も遅い、おぬしはもう寝ておけ」
「何を言うのじゃ! その魔法使いから目を離せというのか!」
「そうは言うが、ソフィも随分眠たそうじゃしのう。わしも眠い。この魔法使いもおそらくそうであろう。とにかく、今日はこれで終わりにしておこう。わしはもう頭が回らん」
「むむ……、確かに妾は疲れてはおるが……」
「そうじゃろ、とりあえず寝ておけ。わしはこの魔法使いの見張りをするでな」
「なんと! 二人きりになるつもりか!」
「アホか、何を邪推しておるのじゃ。とにかく、もう本当に疲れた。もう問答はやめよう、わしが倒れてしまう」
「むむむ……」
納得いかない様子ではあったが、ソフィは自宅へと戻っていった。お子様だし、疲れもあるだろうからベッドで横になればその瞬間に眠ってしまうだろう。
アデルは魔法使いから少し離れた場所に座り、何も言わずにしばらく俯いていた。
ちらりと顔をあげると、魔法使いがまっすぐにこちらを見ているのがランタンのか細い光の中で見えた。見れば見るほど可憐な容姿をしている。少し垂れ目な瞳は大きく、瞳の色は翡翠のような緑だった。小さな唇はぎゅっと結ばれている。ふわふわとした金髪は肩の高さあたりまでしかなく、女にしては相当短い。
沈黙がさらさらと流れてどれくらいの時間が経っただろう。
これから何が自分の小さな体に訪れるのか、この魔法使いにはわからないはずだ。そんな中でも、毅然とした態度を保っている。
「おぬしは実に気丈じゃのう。おぬしを捕えてから一度も命乞いすらされておらん」
「殺したいならさっさと殺せばいい」
「ふむ、そのように言うとは、さすが勇者の仲間だけあって実に立派な覚悟が出来ておるようじゃな」
こちらが何かをするよりも、沈黙で迎えられるほうが怖いはずだと思った。何が起きるのかわからないから、想像だけが膨らむ。その想像は自身に恐怖をもたらし、冷静さを失わせるはずだった。しかし、この魔法使いは未だに取り乱す様子がない。
まだ希望を持っているのか、諦めているのか、表情からは読み取ることが出来なかった。
仲間が他にいるのだとすれば、こうやって平静を保つ意味がわからない。取り乱したふりをして、自分がいかに追い詰められているかを示したほうがこちらの油断に繋がるだろう。こうやって冷静だと、こちらが疑心暗鬼に陥ってしまう。もしかしたら何かこの窮地から脱する手段を持っているのではないのか、仲間がすぐに助けに来るのではないのか、アデルはさっきからそれを考えずにはいられなかった。
仲間が来る可能性は低いと踏んではいるが、実際はどうなのかわからない。
魔法使いの正面に座ったまま、アデルは大きく長く息を吐き出した。肺の底に溜まった倦怠感を吐き出し、埃っぽいが新鮮な空気で肺を満たす。
本当はもう自分だって眠ってしまいたいが、そうはいかない。
アデルは顔を上げて、じっと魔法使いの瞳を見つめた。
「さて、シシィさんよ。お子様も眠ってしまったであろうし、二人きりじゃな。大人の話をしようか」
「……」
魔法使いは表情を変えなかったが、少しだけ歯を強く噛み締めたように見えた。
さて、これからが肝心だ。アデルは弛みつつあった気を引き締めた。
蔵の中は薄暗い。魔法ランタンが淡く灯され、光の中に可憐な容姿の少女が浮かび上がっている。歳は十六か十七くらいに見えた。金色の髪に、翡翠のような瞳、おそらく殆どの男がころりと参ってしまうような顔をしている。一度でもはにかめば、男の心など夏に降る雪のようにすぐさま溶けてしまうだろう。
そのような容姿の少女だったが、普通では考えられないほど強力な魔法を使う魔法使いだった。戦いの果てにようやくその自由を奪うことが出来たが、まだすべてが終わったわけではない。
アデルは目の前の魔法使いに向かってゆっくりとした調子で話しかけた。
「わしはあの子の前ではちょいと気張っておってのう、出来るだけ上品であろうと努めておる。こんな馬鹿な男から妙なことを学ばれては困るでな。腹減ったとも言えず、このような男がお腹が空いたなどと言っておるのじゃぞ。おかしいであろう?」
魔法使いは黙ったままだった。少しは反応してくれないと、自分ひとりだけこんな調子では馬鹿のようで少し悲しくなる。
「はぁ、やれやれ。まぁ、とにかくじゃな、二人きりなのでそういうお上品なことはちょっと横に置かせてもらう。そんなわけで、とりあえず色々と尋ねたい。無論、話したくないのであれば黙っていてもよいし、答えたくないのなら答えたくないと言ってくれればよい。おぬしは頭が良いじゃろうし、沈黙が常に良い返事でないことを知っておるじゃろうし、熟慮の上で口にした言葉がどのように受け取られるかも想像がつくであろう。なに、あんまり難しく考えず、アホな農民の話に付き合ってくれればよい」
魔法使いが少しだけ目を細めた。疑っているのだろうか。
「おや? 返事がないのう、どうした、眠いのか? 眠いのであれば話を切り上げて眠っても良いのじゃぞ。体を丸めれば横になれる」
「違う」
「ふむ、それは話をしようという意味で受け取ってよいのか?」
「それでいい」
「そうか、ならば良かった。ではお互いによく知らんであろうし、まずは自己紹介をさせてもらおう。わしの名はアデルという、気軽にアデル兄さんと呼んでくれて構わんぞ」
「わたしの名前はシシィ」
「……あ、うん。知っておるが、わしの冗談は無視か。まぁ構わんが、なんかおぬしのような可愛い女子に冷たい反応されると思ったより傷つくものじゃな」
アデルは顎をさすりながら唇をむにゅむにゅと動かして言葉を濁した。
0
お気に入りに追加
253
あなたにおすすめの小説
倒したモンスターをカード化!~二重取りスキルで報酬倍増! デミゴッドが行く異世界旅~
乃神レンガ
ファンタジー
謎の白い空間で、神から異世界に送られることになった主人公。
二重取りの神授スキルを与えられ、その効果により追加でカード召喚術の神授スキルを手に入れる。
更にキャラクターメイキングのポイントも、二重取りによって他の人よりも倍手に入れることができた。
それにより主人公は、本来ポイント不足で選択できないデミゴッドの種族を選び、ジンという名前で異世界へと降り立つ。
異世界でジンは倒したモンスターをカード化して、最強の軍団を作ることを目標に、世界を放浪し始めた。
しかし次第に世界のルールを知り、争いへと巻き込まれていく。
国境門が数カ月に一度ランダムに他国と繋がる世界で、ジンは様々な選択を迫られるのであった。
果たしてジンの行きつく先は魔王か神か、それとも別の何かであろうか。
現在毎日更新中。
※この作品は『カクヨム』『ノベルアップ+』にも投稿されています。
スキルガチャで生き抜く?
ぱぱん
ファンタジー
29歳サラリーマン 九宝 直人(くほう なおと)。どうやら異世界に飛ばされた様です。スキル有り魔法有り、命の価値はひたすら軽い世界を生き抜く異世界ファンタジー。
R15に変更しました。
生まれる世界を間違えた俺は女神様に異世界召喚されました【リメイク版】
雪乃カナ
ファンタジー
世界が退屈でしかなかった1人の少年〝稗月倖真〟──彼は生まれつきチート級の身体能力と力を持っていた。だが同時に生まれた現代世界ではその力を持て余す退屈な日々を送っていた。
そんなある日いつものように孤児院の自室で起床し「退屈だな」と、呟いたその瞬間、突如現れた〝光の渦〟に吸い込まれてしまう!
気づくと辺りは白く光る見た事の無い部屋に!?
するとそこに女神アルテナが現れて「取り敢えず異世界で魔王を倒してきてもらえませんか♪」と頼まれる。
だが、異世界に着くと前途多難なことばかり、思わず「おい、アルテナ、聞いてないぞ!」と、叫びたくなるような事態も発覚したり──
でも、何はともあれ、女神様に異世界召喚されることになり、生まれた世界では持て余したチート級の力を使い、異世界へと魔王を倒しに行く主人公の、異世界ファンタジー物語!!
転生したら赤ん坊だった 奴隷だったお母さんと何とか幸せになっていきます
カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
転生したら奴隷の赤ん坊だった
お母さんと離れ離れになりそうだったけど、何とか強くなって帰ってくることができました。
全力でお母さんと幸せを手に入れます
ーーー
カムイイムカです
今製作中の話ではないのですが前に作った話を投稿いたします
少しいいことがありましたので投稿したくなってしまいました^^
最後まで行かないシリーズですのでご了承ください
23話でおしまいになります
転生させて貰ったけど…これやりたかった事…だっけ?
N
ファンタジー
目が覚めたら…目の前には白い球が、、
生まれる世界が間違っていたって⁇
自分が好きだった漫画の中のような世界に転生出来るって⁈
嬉しいけど…これは一旦落ち着いてチートを勝ち取って最高に楽しい人生勝ち組にならねば!!
そう意気込んで転生したものの、気がついたら………
大切な人生の相棒との出会いや沢山の人との出会い!
そして転生した本当の理由はいつ分かるのか…!!
ーーーーーーーーーーーーーー
※誤字・脱字多いかもしれません💦
(教えて頂けたらめっちゃ助かります…)
※自分自身が句読点・改行多めが好きなのでそうしています、読みにくかったらすみません
狙って勇者パーティーを追放されて猫を拾ったら聖獣で犬を拾ったら神獣だった。そして人間を拾ったら・・・
マーラッシュ
ファンタジー
何かを拾う度にトラブルに巻き込まれるけど、結果成り上がってしまう。
異世界転生者のユートは、バルトフェル帝国の山奥に一人で住んでいた。
ある日、盗賊に襲われている公爵令嬢を助けたことによって、勇者パーティーに推薦されることになる。
断ると角が立つと思い仕方なしに引き受けるが、このパーティーが最悪だった。
勇者ギアベルは皇帝の息子でやりたい放題。活躍すれば咎められ、上手く行かなければユートのせいにされ、パーティーに入った初日から後悔するのだった。そして他の仲間達は全て女性で、ギアベルに絶対服従していたため、味方は誰もいない。
ユートはすぐにでもパーティーを抜けるため、情報屋に金を払い噂を流すことにした。
勇者パーティーはユートがいなければ何も出来ない集団だという内容でだ。
プライドが高いギアベルは、噂を聞いてすぐに「貴様のような役立たずは勇者パーティーには必要ない!」と公衆の面前で追放してくれた。
しかし晴れて自由の身になったが、一つだけ誤算があった。
それはギアベルの怒りを買いすぎたせいで、帝国を追放されてしまったのだ。
そしてユートは荷物を取りに行くため自宅に戻ると、そこには腹をすかした猫が、道端には怪我をした犬が、さらに船の中には女の子が倒れていたが、それぞれの正体はとんでもないものであった。
これは自重できない異世界転生者が色々なものを拾った結果、トラブルに巻き込まれ解決していき成り上がり、幸せな異世界ライフを満喫する物語である。
スライムと異世界冒険〜追い出されたが実は強かった
Miiya
ファンタジー
学校に一人で残ってた時、突然光りだし、目を開けたら、王宮にいた。どうやら異世界召喚されたらしい。けど鑑定結果で俺は『成長』 『テイム』しかなく、弱いと追い出されたが、実はこれが神クラスだった。そんな彼、多田真司が森で出会ったスライムと旅するお話。
*ちょっとネタばれ
水が大好きなスライム、シンジの世話好きなスライム、建築もしてしまうスライム、小さいけど鉱石仕分けたり探索もするスライム、寝るのが大好きな白いスライム等多種多様で個性的なスライム達も登場!!
*11月にHOTランキング一位獲得しました。
*なるべく毎日投稿ですが日によって変わってきますのでご了承ください。一話2000~2500で投稿しています。
*パソコンからの投稿をメインに切り替えました。ですので字体が違ったり点が変わったりしてますがご了承ください。
もふもふで始めるVRMMO生活 ~寄り道しながらマイペースに楽しみます~
ゆるり
ファンタジー
☆第17回ファンタジー小説大賞で【癒し系ほっこり賞】を受賞しました!☆
ようやくこの日がやってきた。自由度が最高と噂されてたフルダイブ型VRMMOのサービス開始日だよ。
最初の種族選択でガチャをしたらびっくり。希少種のもふもふが当たったみたい。
この幸運に全力で乗っかって、マイペースにゲームを楽しもう!
……もぐもぐ。この世界、ご飯美味しすぎでは?
***
ゲーム生活をのんびり楽しむ話。
バトルもありますが、基本はスローライフ。
主人公は羽のあるうさぎになって、愛嬌を振りまきながら、あっちへこっちへフラフラと、異世界のようなゲーム世界を満喫します。
カクヨム様にて先行公開しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる