名も無き農民と幼女魔王

寺田諒

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第二部 第二章

魔法使いを閉じ込める

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 自分の家に入って、アデルは寝巻きといくらかの布を持って再び外に出た。どうやら魔法使いは大人しくしていてくれたらしい。
 アデルは井戸から水を汲み、傍に立て掛けてあったタライに水を流し込んだ。

「さて、女子二人の前で肌を晒すのもなんなので、二人とも目を閉じておれ。わしの体は今血まみれでのう、いくらか乾いたとはいえ酷い。先にこれだけやらせてくれ」
 ソフィがアデルに背を向ける。出来ることなら、ソフィには自分の体を見られたくはない。今は血まみれだし、傷もあちこちに残っている。

「……これ、可憐な魔法使いシシィよ、おぬしも目を閉じておけ。わしの裸なぞ見たところで面白くはないぞ」
「わたしは気にしない」
「アホか、わしが気にするわい。目を閉じるのが怖いのはわかった、もう目を閉じろとは言わんからどこぞ遠くでも見ておけ」


 べっとりと血のついた服をすべて脱ぎ、アデルは体を水で洗った。服も洗わないといけないが、それはまた今度にしよう。ソフィを差し置いて自分が先に身奇麗にするのもどうかと思ったが、血というのは体にまとわりつくと結構な気持ち悪さがある。
 おそらく人の心は血というものを恐れ、何かの異常とみなさずにはいられないのだろう。

「あなたは、軍人なの?」

 魔法使いがこちらを見て尋ねてきた。

「ん? わしか? いやいや、見ての通りたたの農民じゃ。働き者の農夫アデルと言えば、ここらではわしのことよ。まぁちょいと軍役に就いておったこともあったが、わしのような下っ端は重たいもの運んでおっただけよ」
「……農夫の体つきではない」
「これこれ、男の裸なぞじろじろ見るものではないぞ。まぁわしは元々力持ちじゃったからな、結構な筋肉じゃろ」
「傷だらけ」
「うむ、昔から魔物と戦っては怪我をしておったからのう。この男前の顔に傷をつけたのはおぬしが初めてじゃがな」
「……」
「そこで黙るのはやめてほしいんじゃが……」

 しかし、こうやって縛られ、これから何が起こるかわからない状況で尋ねることがそんな下らないことだというのは少し驚いた。他に尋ねるべきことは山ほどありそうな気はするが、この少女の内心などわかるはずもない。
 もしかするといつでも逃げられるような秘策でもあるのだろうか。他の仲間がこちらに向かっている可能性も否定はできない。

 色々と尋ねておかなければいけないことはあるが、さすがに体のほうがついていかない。靴を脱いで足を洗い、ブントシューに履き替える。粗末な革を足に巻くだけもので、靴と呼べる代物ではないがとりあえずこれで間に合わせるしかない。靴にも血が溜まっていたから、これも洗わなければいけない。
 家に帰ってきてもやることは山積みだった。


 着替え終わったアデルは、ソフィにも手を洗わせたり身奇麗にさせたりして、その後でシーツ一枚とランタンを持ってこさせた。魔法の道具だというランタンは、火をつかわなくても明かりを灯すことが出来る。そのランタンの明かりを頼りに、アデルは自宅の近くに立つ蔵に魔法使いと共に入った。
 農具や荷物を寄せて、魔法使いが座れる場所を用意する。ちょうど長い箱があったので、アデルはそこに魔法使いを座らせた。
 ソフィが蔵の入り口でこちらの様子を伺っている。

「これソフィ、もう夜も遅い、おぬしはもう寝ておけ」
「何を言うのじゃ! その魔法使いから目を離せというのか!」
「そうは言うが、ソフィも随分眠たそうじゃしのう。わしも眠い。この魔法使いもおそらくそうであろう。とにかく、今日はこれで終わりにしておこう。わしはもう頭が回らん」
「むむ……、確かに妾は疲れてはおるが……」
「そうじゃろ、とりあえず寝ておけ。わしはこの魔法使いの見張りをするでな」
「なんと! 二人きりになるつもりか!」
「アホか、何を邪推しておるのじゃ。とにかく、もう本当に疲れた。もう問答はやめよう、わしが倒れてしまう」
「むむむ……」

 納得いかない様子ではあったが、ソフィは自宅へと戻っていった。お子様だし、疲れもあるだろうからベッドで横になればその瞬間に眠ってしまうだろう。
 アデルは魔法使いから少し離れた場所に座り、何も言わずにしばらく俯いていた。

 ちらりと顔をあげると、魔法使いがまっすぐにこちらを見ているのがランタンのか細い光の中で見えた。見れば見るほど可憐な容姿をしている。少し垂れ目な瞳は大きく、瞳の色は翡翠のような緑だった。小さな唇はぎゅっと結ばれている。ふわふわとした金髪は肩の高さあたりまでしかなく、女にしては相当短い。

 沈黙がさらさらと流れてどれくらいの時間が経っただろう。
 これから何が自分の小さな体に訪れるのか、この魔法使いにはわからないはずだ。そんな中でも、毅然とした態度を保っている。

「おぬしは実に気丈じゃのう。おぬしを捕えてから一度も命乞いすらされておらん」
「殺したいならさっさと殺せばいい」
「ふむ、そのように言うとは、さすが勇者の仲間だけあって実に立派な覚悟が出来ておるようじゃな」

 こちらが何かをするよりも、沈黙で迎えられるほうが怖いはずだと思った。何が起きるのかわからないから、想像だけが膨らむ。その想像は自身に恐怖をもたらし、冷静さを失わせるはずだった。しかし、この魔法使いは未だに取り乱す様子がない。
 まだ希望を持っているのか、諦めているのか、表情からは読み取ることが出来なかった。

 仲間が他にいるのだとすれば、こうやって平静を保つ意味がわからない。取り乱したふりをして、自分がいかに追い詰められているかを示したほうがこちらの油断に繋がるだろう。こうやって冷静だと、こちらが疑心暗鬼に陥ってしまう。もしかしたら何かこの窮地から脱する手段を持っているのではないのか、仲間がすぐに助けに来るのではないのか、アデルはさっきからそれを考えずにはいられなかった。
 仲間が来る可能性は低いと踏んではいるが、実際はどうなのかわからない。


 魔法使いの正面に座ったまま、アデルは大きく長く息を吐き出した。肺の底に溜まった倦怠感を吐き出し、埃っぽいが新鮮な空気で肺を満たす。
 本当はもう自分だって眠ってしまいたいが、そうはいかない。

 アデルは顔を上げて、じっと魔法使いの瞳を見つめた。

「さて、シシィさんよ。お子様も眠ってしまったであろうし、二人きりじゃな。大人の話をしようか」
「……」

 魔法使いは表情を変えなかったが、少しだけ歯を強く噛み締めたように見えた。
 さて、これからが肝心だ。アデルは弛みつつあった気を引き締めた。











 蔵の中は薄暗い。魔法ランタンが淡く灯され、光の中に可憐な容姿の少女が浮かび上がっている。歳は十六か十七くらいに見えた。金色の髪に、翡翠のような瞳、おそらく殆どの男がころりと参ってしまうような顔をしている。一度でもはにかめば、男の心など夏に降る雪のようにすぐさま溶けてしまうだろう。
 そのような容姿の少女だったが、普通では考えられないほど強力な魔法を使う魔法使いだった。戦いの果てにようやくその自由を奪うことが出来たが、まだすべてが終わったわけではない。

 アデルは目の前の魔法使いに向かってゆっくりとした調子で話しかけた。

「わしはあの子の前ではちょいと気張っておってのう、出来るだけ上品であろうと努めておる。こんな馬鹿な男から妙なことを学ばれては困るでな。腹減ったとも言えず、このような男がお腹が空いたなどと言っておるのじゃぞ。おかしいであろう?」

 魔法使いは黙ったままだった。少しは反応してくれないと、自分ひとりだけこんな調子では馬鹿のようで少し悲しくなる。

「はぁ、やれやれ。まぁ、とにかくじゃな、二人きりなのでそういうお上品なことはちょっと横に置かせてもらう。そんなわけで、とりあえず色々と尋ねたい。無論、話したくないのであれば黙っていてもよいし、答えたくないのなら答えたくないと言ってくれればよい。おぬしは頭が良いじゃろうし、沈黙が常に良い返事でないことを知っておるじゃろうし、熟慮の上で口にした言葉がどのように受け取られるかも想像がつくであろう。なに、あんまり難しく考えず、アホな農民の話に付き合ってくれればよい」

 魔法使いが少しだけ目を細めた。疑っているのだろうか。

「おや? 返事がないのう、どうした、眠いのか? 眠いのであれば話を切り上げて眠っても良いのじゃぞ。体を丸めれば横になれる」
「違う」
「ふむ、それは話をしようという意味で受け取ってよいのか?」
「それでいい」
「そうか、ならば良かった。ではお互いによく知らんであろうし、まずは自己紹介をさせてもらおう。わしの名はアデルという、気軽にアデル兄さんと呼んでくれて構わんぞ」
「わたしの名前はシシィ」
「……あ、うん。知っておるが、わしの冗談は無視か。まぁ構わんが、なんかおぬしのような可愛い女子に冷たい反応されると思ったより傷つくものじゃな」

 アデルは顎をさすりながら唇をむにゅむにゅと動かして言葉を濁した。
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