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第二部 第三章
魔物たち
しおりを挟む太陽はまだ寝ぼけているのか、低い位置から気だるげに黄色い光線を地上に投げかけていた。その弱々しい光は大地を温めるにはまだ足りない。
朝靄もいまだに消え失せない中、ソフィは死の森を訪れていた。今日はリディアとシシィのお手伝いをするということで、森に来ることになってしまった。
「さ、寒いのじゃ……」
随分と歩いてきたはずだが、体はまったく温まらない。頬を突き刺すような冷気は、隙さえあらば服の中へと潜り込もうとしてくる。
乙女の柔肌を守るために、ぎゅっと腕を抱いて身を縮こまらせた。
「何よそんなに寒がっちゃって」
「寒がっておるのではない、寒いのじゃ」
リディアのほうは寒さなどまったく気にかけた様子がない。紅の長い髪は後頭部でクルクルと丸められていて、そこに何か棒のようなものが横にいくつか突っ込んである。
それで髪を留めているようだ。そんなわけのわからない方法で髪をまとめるとは、他に誰も見ていないからといって随分だらしがない。
「しかし妾など来ても大して役に立つ気がせんのじゃ」
「心配いらないわよ、魔法が使えるんだもの」
「無論使えるが、シシィほどではないのじゃ」
リディアが言うように、自分ほどの魔法使いであれば色々と役立つことは確かだ。しかし、一方でシシィも優れた魔法使いであり、その実力は魔王である自分をも遥かに越えている。
そのようなシシィがいるのであれば、自分は別に必要が無いのではないかと思えた。
「あらソフィ、あたしはね、ソフィの力が絶対に必要になると思ってるわ。シシィも凄い魔法使いだけど、シシィにだってできないことはあるもの」
「そうかのう」
森の中を歩きながら首をひねった。話題になっているシシィはというと、厚着をしてモコモコした体をスタスタと前へ進めている。
シシィはリディアと違って寒さを感じるらしく、厚着をしていることが多い。しかし、胸が大きいせいで、厚着をしているとなんだか小太りに見えてしまった。
やはり胸が大きすぎるというのも困ったものなのかもしれない。
やがてリディアたちが作業している場所へとたどり着いた。そこで見た光景に驚いてしまう。
「おお、なんと、これほどまでに木材があるとは」
森の中に広い区画に、巨大な丸太が何十本と転がっている。すべてリディアが切り倒したものなのだろう。
丸太はまだ樹皮を剥がれてはいないが、上下は切り捨ててある。他には、いつのまにか小さな屋根付きの小屋があった。どうやら建材はすべて木材で、作りは粗雑なようだ。柱の下部を土の中に突き刺してある。たしか掘っ立て小屋とかいうものだ。
ただ、壁は三方にしかない。その中には麻袋がいくつかあった。中身は見えないが、周囲に落ちている黒い粉から察するに木炭だろう。
それから、自分の身長ほどの高さの窯らしきものがあった。あれはシシィが作ったのだろうか。一体何を焼くための窯なのかはよくわからない。
「なんという進み具合じゃ」
自分が以前に来た時とは比べ物にならなかった。あの二人が黙々と働けばこういうことになるのか。
そんなところに来て、自分が一体なんの役に立つのだろう。
リディアとシシィは小屋の近くにあった板に、持ってきたものを置いた。板というか、机のようだ。おそらく木材を適当に切って作ったのだろう。
リディアが持ってきたのは家で一番大きなノコギリや剣、シシィは何を持ってきたのかよくわからない。
何だろうと確かめようとしたところで、リディアが声をかけてきた。
「そろそろね、木材を家に運びたいのよ」
「ふむ?」
「それでね、やっぱりさすがのあたしもこんなの担いだり引きずっていくわけにはいかないでしょ。だから、エクゥとアトに引っ張ってもらうのが一番だと思うのよね」
「うむ、あの二匹は力も強そうなのじゃ」
「で、その前にあれよ、森の外側までソフィの魔物で持っていけないかと思ってるの」
「魔物じゃと?」
「そう」
ここで意外な話が出てきた。
「ほらソフィって魔物を使役できるじゃない。それってシシィにもできない凄いことなのよ。ああいう魔物をね、労働力として使えたらすっごく楽になるんじゃない?」
「う、うーむ……。魔物をそのように」
確かに魔物を出せるのは自分だけだ。そして魔物に言うことを聞かせられるのも自分だけだろう。そして労働力として実に役に立つというその考えはわからないでもない。
しかし問題がある。
「リディアの言っておることはわからんでもないのじゃ。しかし、それは……、誰かに見られると困るのじゃ」
「大丈夫よ、誰もいないわ」
「それはわかる。しかし万が一ということもあるのじゃ。この森に人が入っておると言ったのはリディアではないか」
「大丈夫よ、あたしとシシィの二人がいて人が近づいてるのに気づかないわけがないもの」
「それは確かに説得力があるが」
もし魔物を使役しているところを見られたら相当困る。今、この世から魔物は消え失せているはずだ。それにも関わらず、魔物がいて、しかも何やら言うことを聞いて仕事をしている。
そんな光景を見た人はどう思うだろう。あの女たちが魔物を操っていると思うはずだ。そうなった時、どんな言い訳をすればいいのかわからない。そもそも、そんな光景を信じないのだろうか。そんな話を聞いた人も、信じたりしないかもしれない。
「うーむ」
「ソフィ心配しなくても大丈夫よ。今日はちょっとお試しって感じでね、使えるかどうか見るだけ。ほら、引っ張る道具とか持ってきてないでしょ」
「うーむ……」
悩む。ここはシシィの意見を聞くべきだろう。そう思ってシシィに目を向けると、シシィの足元から光る羽根が四枚も飛び出していた。
「な、なんじゃシシィ」
「周囲に誰もいないか確かめる。現状、わたしもリディアも人の気配を察知していないから、ほぼ誰もいないと思われる。ただ、念には念を入れる」
「なんと!」
シシィは返事も待たずにビュンッと音を立てて上空へと飛び上がった。シシィの姿は空の中で一点の光となってしまい、その顔をすらも伺うことはできなくなってしまった。
しかし今の態度でシシィの考えは読めた。おそらくリディアとシシィは自分の持つ魔物を労働力として使えないか前々から相談していたのだろう。
どちらが言い出した案かはわからないが、二人は考えを同じくしたようだ。シシィにいたっては、自分が断ることなどまったく考えていないのだろう。
少し呆れてしまう。
シシィとリディアにとって、周囲に人がいるかいないかを察知するのはまったくもって難しいことではないのかもしれない。だから、誰かに見られるという心配はもはや慮外であったのだろう。
自分はそうでないから、少しばかり恐怖心がある。しかし、もうこうなった以上は二人を信頼して、力になるしかないかもしれない。
「ふーむ、では仕方がない、やるとするのじゃ」
「さっすがソフィ、頼りにしてるわよ」
リディアとシシィが見つめる中、巨大なゴーレムは丸太を持ち上げようと両手を丸太の下へと差し込んだ。丸太とはいえ、太さは自分の肩のあたりまで合って、相当な重量があるのが見てとれた。
ゴーレムの身長は人の三倍近くあり、その表面は茶色の煉瓦で組み上げられているようだった。
リディアの頼みで、魔物を呼び出すことになった。この世で魔物を使役できるのは魔王だけと言われている。
現状では、自分しか魔物を操ることはできないはずだ。
「さぁ、持ち上げるのじゃ!」
そう指示すると、ゴーレムは重そうな体をズモモモと動かして両腕をあげようとした。しかしそこで意外なことが起こった。
ゴーレムの両腕が根本からちぎれたのだ。重たい腕が地面にドサッと落ちる。
「のわっ?! な、なんと、腕が折れたのじゃ」
「あらまぁ……、意外に弱っちいのね」
リディアが暢気にそう言葉を添える。
両腕が取れてどうしたものかと考えている時だった。ゴーレムは両腕が取れたせいか、光の粒となって消え去ってしまった。
「なんと! 消えてしまったのじゃ!」
「あんな見た目のくせに力は弱いし体も弱いなんて、なんなのかしら。もっとしっかりしてほしいわね」
「うーむ……。見掛け倒しもいいところなのじゃ」
あんなゴーレムだからきっと力が強いに違いないと思ったのだが、丸太を持ち上げることはできなかった。
こうなってくると、他の方法を考えるしかない。
少し思案していると、シシィが声を上げた。
「持ち上げるのではなく、引きずらせるか、転がすか、それかゴーレムの数を増やすかで対処できると思う。それから、人形のゴーレムに頼るのではなく、牛や馬の形をした魔物を使うほうが森の中を抜けやすいはず」
「ふむ……」
シシィの言っていることはもっともな気がする。そういうわけで今度は馬や牛の形をした魔物を呼び出すことにした。
魔物を呼ぶには、魔物が出てくるための扉を魔法で出す必要がある。ゴーレムよりも背の高い扉が地面の上に屹立している。その奥は完全な闇となっていて、一体何があるのかはわからない。
「むむ、では出てくるのじゃ」
そう声をかけると、闇の奥から牛と馬がゾロゾロと現れた。とりあえず五頭ずつ呼び出してみたのだが、魔物というだけあって角が随分と禍々しいし、目も赤くて爛々と輝いている。
こんな魔物と一緒にいるところを見られたら、どう思われるのかわかったものではない。リディアは野性的な巻で周囲に人がいるのかいないのかを察知できるようだ。しかしシシィはそこまで敏感ではないらしい。
今のところは、リディアが何も言わないので周囲に人はいないはずだ。
シシィは現れた牛と馬の魔物を見て満足そうにうなずいた。
「とりあえず、どれくらいの力があるのか調べるために魔物にあの丸太を後ろから押させてみるのがいいと思う」
「力が知りたいならそんなことしなくても大丈夫よ。あたしが正面から押してみたらわかるもの。ソフィ、とりあえずこの牛に思いっきりあたしに突っ込んでくるように命令してみて」
リディアがとんでもないことをいい出した。
「これリディアよ、いくらリディアが強いとはいえ、こんな重そうな牛が突っ込んできては大怪我をしかねんのじゃ」
「大丈夫よ、魔物なんて見た目ほど重くはないもの。この牛だって本物の牛よりは軽いんじゃない?」
「ふーむ」
この牛が軽いとは思えない。地面には蹄ががっつりと食い込んでいるし、首を軽く動かすその様を見ていても本物の牛のようにしか見えなかった。
本当に軽いのだろうかと牛の横に回ってグッと押してみた。
「重たいではないか!」
全力で押したのに、牛はまったく動かない。これならアデルとロルフより重たいはずだ。
「大丈夫よ、力を調べるだけなんだから。とりあえず、あたしが牛を前から頑張って押すから、牛に押し返すように命令してみて」
「なぬ?!」
リディアはまったく恐れることもなく巨大な牛の魔物の前へと進み、それから牛の角を正面から両手で掴んだ。
「いくわよ!」
リディアが体を前傾させた。その瞬間、リディアの足元がわずかに沈み込んだ。どうやら地面にとんでもない力がかかっているらしい。
その力に押されて、なんと牛が後退しだした。
「ほらソフィ、押し返すように命令してみて」
「わ、わかったのじゃ。これ牛よ、リディアを押し返してみるのじゃ」
そう言うと、牛はブモーッと重たい音を立てた。それから蹄でがっしりと地面を掴んで、リディアを押し返そうと体をこわばらせている。
こんなことをされては、体重の軽いリディアなど吹き飛んでしまうのではないかと思ったが、リディアは涼しい顔で耐えている。
「いい感じよ、結構力があるわね」
「それに耐えておるリディアのほうがおかしいのじゃ」
「これだけ力があったら大丈夫そうね。後は引っ張るための道具とか揃えないといけないけど」
軽い調子で声を出しながら、リディアはなんと牛を押し始めた。牛は負けてはなるまいと蹄で地面をひっかくのだが、滑ってしまっている。
リディアが一歩一歩前へと進んでいった。正直なところ、信じがたい光景だった。
「な、なんということじゃ。リディアよ、牛を押し返すなど」
「だって魔物だもの、本物の牛ほど重たくはないわ」
「いやそれでもじゃな」
「はい、いい感じよ。これだけ力があれば絶対役に立つわ。ソフィ、お手柄よ」
そう言ってから、リディアは角を掴んだ両腕を一気に回した。それと同時に牛の頭がまわり、牛が真横に転がった。牛の足が何度か空を切り、それから牛はどうにか立ち上がる。
「信じられん。なんとも凄まじいのじゃ。リディアよ、実はおぬしは牛より重いのではあるまいな」
「そんなわけないでしょ。ソフィでもおんぶできるくらい軽いわよ」
「うーむ……」
重たいものと軽いものが押しあったら、重いものが勝つに決まっている。それにも関わらず、リディアは牛と押し合いをして勝ってしまった。一体どうなっているのだろう。
その後、シシィの提案で牛と馬に丸太を転がすように指示を出したり、再びゴーレムを何体か出して力仕事をさせてみたりした。
ゴーレムは石材を持ち上げることに関しては非常に役に立ちそうではあった。背が高く力もあるので、石を森の外まで運ぶ分には役に立ってくれることだろう。
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