562 / 586
第二部 第三章
エルナの家2
しおりを挟むエルナの屋敷は随分広いようで、人が居ない場所まで行くのに迷うほどだった。暖炉から離れたことで冷たい空気が体にまとわりついてきたが、屋敷の中なのでそれほど寒さは感じない。むしろ冷たさが肌に心地よいと思えるほどだった。
ソフィはエルナの背を押して屋敷の端のほうへとやってきた。どうやら台所が近いらしく、煮込み料理の匂いが漂ってくる。
「これエルナよ、しっかりするのじゃ」
エルナは意気消沈している。それもそのはずだろう。想い人のカールはエルナにまったく興味が無かったのだ。カールもぶどう踏みの場面をしっかり見ていたはずだが、自分の隣にエルナがいたことに気づいていなかったらしい。
あの男、注意力も記憶力も無いようだ。
「これ、しっかりするのじゃ」
「しっかりしてますわ」
エルナは気を取り直したようだ。歯を食いしばり、眉の間に皺を作ってこちらを睨んできた。まったくどうしてそれほど喧嘩腰なのだろう。
ここは大人としてエルナを宥めてやらなければいけない。
「エルナよ、そう怒るでない。いや、そもそも妾に怒っても仕方がないのじゃ」
「もうっ、なんなんですのあなた!」
「妾か、妾はソフィという。カールと同じ村に住む可愛い村娘なのじゃ。エルナと友達になりにきたのじゃ」
「友達? ハンッ」
思いっきり鼻で笑った。この女はなぜこんなに性格が悪いのだろう。これと友達になりきたのが間違っていたような気がしないでもないが、しかしこういう勝ち気な部分は嫌いにはなれない。
きっと、友達にするならこうやって遠慮の無い女のほうが良い。
今の自分には対等に付き合える相手がいない。村のみんなは自分より年上か年下だし、カールはあんな可愛い顔だが男の子だ。
みんな優しくて親切だが、それに甘えていては自分はきっと自分の姿を見誤ってしまう。 自分にはエルナのような女が必要なのだ。
やはりエルナをもう少し落ち着かせるべきだろう。気丈に胸を張ってはいるが、瞳は小さく揺れていた。やはりカールに興味を持たれていなかったことに衝撃を受けている。
どうすればいいだろう。回りくどいことはやめて正面から切り出したほうがいいのかもしれない。
「エルナよ、大切な話があるのじゃ」
「はぁ?」
「妾が思うに、エルナよ、おぬしはカールのことを好いておるのではないか?」
「は、はぁ?! な、なにをいきなり、そ、そんな」
「うろたえずともよい、妾にはわかっておるのじゃ。態度を見ておればわかるのじゃ」
最初に気づいたのはリディアだったが、そのことは内緒にしておこう。リディアに指摘されなければ自分はなかなか気づかなかったかもしれない。
エルナがカールを好いているかもしれないと知ってからこうやって接していると、あまりにも露骨だった。
「わたしは別に、カールくんのことを」
「なんじゃ嫌いなのか。ならばカールにそう伝えてくるのじゃ」
踵を返して去ろうとすると、後ろからガシッと肩を掴まれた。
「誰がそんなことを言いましたかこのおバカさん!!」
「そんなに大声を出すでない」
肩に置かれた手を払い除けて、もう一度エルナのほうへと向き直る。
好きなら好きと認めてしまえばいいのに、どうして隠そうとしているのかさっぱりわからない。
「やはりカールに好意を抱いておるのではないのか? 妾から見れば火を見るよりも明らかなのじゃ」
「あ、あなた、まさか」
「なんじゃ?」
「あなた、カールくんのことが好きなのでは?!」
「全然そんなことはないのじゃ」
「そんなことを言ってわたしを騙そうとしても無駄ですわ」
「いやなぜ騙さねばならんのじゃ。大体、妾にはもう決まった男がおる。つまり、妾にはすでに夫となる男がおるのじゃ」
「は、はぁ? あなた、その歳で」
「妾はこう見えてそれなりに大人なのじゃ。恋愛についてもそんじょそこらの小娘よりよく知っておる」
そうだ、自分はリディアやシシィより先にアデルのことを好きになった。あの二人だって恋を知ってから日は浅い。それに比べて自分は一年以上前からアデルのことを好いていた。
その間に色々な経験をしてきた。いわば先達なのだ。
エルナは疑わしげに目を細めている。こちらの一挙手一投足まで見逃さないといった様子だ。
もう少し言葉を重ねてエルナの誤解を解いたほうがいいかもしれない。
「そもそも、妾がカールのことを好いておるのであればどうしてカールを連れてエルナのところへ来る必要があるのじゃ」
「はっ、確かに……。好きな男の子をわたしのような可愛い女の子の前に連れてくるなんて普通では考えられませんわ」
「なんじゃその自信は」
思わず文句が口から出たが、エルナは特に気にしなかったようだ。エルナは自身のことを随分高く評価しているらしい。
そのことについては今は触れなくていいだろう。
「さて、エルナよ、本題はここからなのじゃ。妾はカールと同じ村に住んでおって、カールと話す機会もそこそこあるのじゃ」
「なんですのそれは、自慢ですの?!」
「いや自慢ではないのじゃ。今のどこが自慢に聞こえるのか妾にはさっぱりわからんのじゃ」
「ならなんですの」
「うむ、妾はエルナのような者が妾の友であったらと思っておるのじゃ。妾は同世代の女の友達がおらん。しかし、ぶどう踏みで争ったエルナならと思ったのじゃ」
「はぁ?」
実に愛想の無い返事だった。エルナは自分に興味が無いらしい。それは別に構わない。エルナにそこまでの人格を期待してはいなかったし、そこで気を利かせてくるような相手ではいずれ甘えてしまうだろう。
「うむ、妾と友達になってくれたら、こうやってカールを連れ出してエルナに引き合わせてやるのじゃ」
「親友ですわ!」
いきなり右手をガッと掴まれたかと思ったら握手された。結構強い力で握られたので手が痛むが、ここは我慢しておこう。
とりあえず、親友ができた。喜びは無かった。
「さて、我が友エルナよ。さらに妾はカールとエルナがもっと仲良くなって、カールがエルナを好きになってくれればと思っておるのじゃ」
「な……」
そう言うとエルナは目を輝かせた。それから優しげに微笑み、こちらの肩にポンと手を置いた。
「わたし、あなたのことを誤解していましたわ。変な子だと思って……、今も思ってますけど、とにかく、性格は悪くないようですわ」
「妾は変な子ではないのじゃ。なんと失礼な」
「でもどうしてそこまで協力を? わたしと友達になったからといって、わたしの家の財産で美味しい思いはできませんわ」
「そんなものはいらんのじゃ。妾は同世代の友がおらん。色々な人と付き合ってゆかねば、妾の世界は狭くなる。これからは色々な体験をして、人として大きく成長するつもりなのじゃ」
「まぁそれはどうでもいいとして、ともかく、協力していただけるんですね」
「どうでもいいとはなんじゃ。まったく、なんと良い性格をしておるのじゃ」
さすがに呆れて溜息が出た。
屋敷の端のほうとはいえ、お手伝いさんが何度か廊下を通っていった。自分はその度に道を譲ったのだが、エルナは屋敷の主人の子だからか、まったく道を譲ろうとしない。
この辺りはあまり見習わないほうがいいだろう。
「ともかくじゃ、エルナよ、重大なことを伝えねばならん。よいか、他言無用なのじゃ。約束できねば話すことはできん」
「なんですの?」
「エルナよ、今は黙って聞いてほしいのじゃ。誰にも言ってはならん、約束してほしい」
「はぁ……、別に構いませんが」
エルナは不審そうだが、そうなる気持ちはわからないでもない。自分でも少し重々しい言い方だったと思う。
ここはもう少し軽い口調で言ったほうがいいかもしれない。
「うむ、実はカールは男が好きなのじゃ」
「……は?」
「カールは妾のよく知る逞しい男に惚れておるのじゃ」
「あわわ……、そ、そんなわけありませんわ! あなたわたしのことを騙そうとしてますわね!!」
エルナの両手が伸びてきて、こちらの胸元を掴んだ。そしてエルナが引っ張ってくる。
「これエルナ! 引っ張るでない、服が伸びるのじゃ!」
「はっ?!」
エルナも正気に戻ったのか、目を大きく見開いて動きを止めた。エルナの手を払い、それから服を整えた。喉の調子を整えるために一度咳払いをする。
「こほん、うむ、エルナが動揺する気持ちもわかるのじゃ。しかし落ち着いて聞いてもらわねば困る」
そう言ってちらりとエルナを見ると、エルナが眉を寄せて唇を強く結んでいるのが目に入った。おそらく信じがたいのだろう。そう思う気持ちはわからないでもない。
ここはエルナに信じてもらうためにもう少し話したほうがいいかもしれない。
とりあえず、ここ最近のカールの言動について話してやった。カールがアデルという逞しい男についてどのような態度をとっていて、どのようなことをしているのかなど。
さらにカール自身の口からアデルのことを好きだという言葉を聞いたことも話した。
「そ、そんな……、カールくん」
エルナはようやく信じる方向に傾いたらしい。小さく震えているのは受けた衝撃の余震なのだろう。とりあえず、このあたりでエルナに問わなければいけないことがある。
「エルナよ、このようなことを聞いてまだカールのことを好いておると言えるのか?」
「も、もちろんですわ!」
「その言葉が聞きたかったのじゃ」
大きく頷いてみせた。エルナがここでカールに興味を無くすようではこちらが困るのだ。
「よいかエルナよ、男が男を好きだというのはよくないと聞いておるのじゃ。カールもこのようなことが知られてしまえば、多くの人に責められてしまうに違いない」
「それは、確かに」
エルナも神妙な顔で頷いた。実際のところ、男が男を好きになることがどれほど悪いことなのかはよく知らない。ただ、そういうことは間違ったことだとは聞いたことがある。
こうやってエルナも同意しているところを見ると、概ね間違っていなかったようだ。
ここでようやく本題に入ることができる。
「我が友エルナよ、ここはじゃな、エルナの魅力でカールをメロメロにしてじゃな、それでカールに男よりも女のほうが良いと教えるのが良いと思うのじゃ」
「なるほど……、わかりましたわ」
「そうすれば、カールは女を好きになり、エルナはカールに好きになってもらって、カールが妾の知る男を諦めてと、実に良いことづくめなのじゃ」
「あなた、なかなか頭が良いようですわね」
「うむ、妾は頭が良いと村でも評判なのじゃ」
エルナは少し胸を張り、鼻からフンと勢いよく息を吐いた。
「とにかく、わたしがやるしかないようですわ」
「その通りじゃ、エルナよ、おぬしの魅力でカールを虜にするのじゃ」
「そうと決まれば善は急げですわ、さぁ戻りますわよ!」
エルナは突然大股で歩き出した。肩をいからせて歩く様は後ろから見ているとやる気が十分なのはよく伝わる。ただ、そのやる気に見合うだけの策を持ち合わせているのかどうかわからなかった。
しかし、ここまで来たらエルナに賭けるしかない。
自分も出来るかぎりエルナの手伝いをして、エルナの魅力をカールに伝えてやればいい。
「エルナの魅力……?」
エルナは自分を放ってずんずん歩いていく。するとエルナが立ち止まり、こちらに向かって声をあげた。
「ソフィさん、何をしてるんですの! 早く行きますわよ!」
「む? うむ、わかったのじゃ。そんなに慌てるでない」
自分もエルナのほうへ向かって歩き始めた。
今のところエルナの魅力は自分にもよくわからないが、友達になったのだからこれから探していけばいいだろう。
そう考えながら大股で歩くエルナの後ろ姿に続いた。
0
お気に入りに追加
253
あなたにおすすめの小説
蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる
フルーツパフェ
大衆娯楽
転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。
一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。
そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!
寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。
――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです
そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。
大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。
相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。
貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた
佐藤醤油
ファンタジー
貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。
僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。
魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。
言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。
この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。
小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。
------------------------------------------------------------------
お知らせ
「転生者はめぐりあう」 始めました。
------------------------------------------------------------------
注意
作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。
感想は受け付けていません。
誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。
ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?
音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。
役に立たないから出ていけ?
わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます!
さようなら!
5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!
婚約破棄と領地追放?分かりました、わたしがいなくなった後はせいぜい頑張ってくださいな
カド
ファンタジー
生活の基本から領地経営まで、ほぼ全てを魔石の力に頼ってる世界
魔石の浄化には三日三晩の時間が必要で、この領地ではそれを全部貴族令嬢の主人公が一人でこなしていた
「で、そのわたしを婚約破棄で領地追放なんですね?
それじゃ出ていくから、せいぜいこれからは魔石も頑張って作ってくださいね!」
小さい頃から搾取され続けてきた主人公は 追放=自由と気付く
塔から出た途端、暴走する力に悩まされながらも、幼い時にもらった助言を元に中央の大教会へと向かう
一方で愛玩され続けてきた妹は、今まで通り好きなだけ魔石を使用していくが……
◇◇◇
親による虐待、明確なきょうだい間での差別の描写があります
(『嫌なら読むな』ではなく、『辛い気持ちになりそうな方は無理せず、もし読んで下さる場合はお気をつけて……!』の意味です)
◇◇◇
ようやく一区切りへの目処がついてきました
拙いお話ですがお付き合いいただければ幸いです
僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?
闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。
しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。
幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。
お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。
しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。
『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』
さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。
〈念の為〉
稚拙→ちせつ
愚父→ぐふ
⚠︎注意⚠︎
不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。
チートな幼女に転生しました。【本編完結済み】
Nau
恋愛
道路に飛び出した子供を庇って死んだ北野優子。
でもその庇った子が結構すごい女神が転生した姿だった?!
感謝を込めて別世界で転生することに!
めちゃくちゃ感謝されて…出来上がった新しい私もしかして規格外?
しかも学園に通うことになって行ってみたら、女嫌いの公爵家嫡男に気に入られて?!
どうなる?私の人生!
※R15は保険です。
※しれっと改正することがあります。
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる