名も無き農民と幼女魔王

寺田諒

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第二部 第三章

エルナの家

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 朝が訪れてからも太陽の輝きは薄いものだった。十分な高さを保てず、墜落寸前の鳥のように地上を離れない。陽光が長い影を作る。カールは自分の影を置き去りにするかのような勢いで走った。

「あっ、いけない」

 息が上がってしまっている。体は暖かくて、ちっとも寒くなかった。このまま裸になっても平気だろうと思えた。
 昨日もこうやって体を動かし、アデルにレスリングの稽古をつけてもらった。アデルに思い切りぶつかっても、全然ビクともしない。自分もあんな強靭な体になりたいが、まだまだ難しいようだ。

 アデルの家へと向かう。速度を落として歩きだした。アデルの家に着くまでの間に呼吸を整えなければいけない。喜んで走り回ってきたとソフィに思われてしまったら困ったことになる。
 もちろんその通りなのだが、そういうことを悟られてはいけない。


「ふぅ、いい天気だなぁ」

 空には雲がひとつも無かった。薄い青に彩られていて、とても高い。太陽に力が無いのだけが残念だが、季節のことだから仕方がないだろう。
 それより考えなければいけないことがある。


「ソフィちゃんから誘われちゃった」


 今日はソフィと一緒に町へ出かけることになっている。今朝、鶏に会いに行った時、ソフィが町に行こうと誘ってきたのだ。一旦家に帰ってから大急ぎで朝食を食べ、小綺麗な服に着替えた。母の鏡を借りて熱心に自分の姿を確かめたが、鏡があまり良いものではないのでよくわからない。
 多分大丈夫なはず。


 呼吸も段々落ち着いてくると、今度は速歩きになってしまった。あまり逸ってはいけない。男ならドッシリ構えるのが良いに違いない。ロルフを見ているとそう思う。
 自分があんな貫禄を手に入れるのは難しいかもしれないけれど、やっぱり男だったら何があっても頼れるような強さと落ち着きが無いといけないと思う。

 残念ながら今の自分にそれは無いが、これからもっと自分を鍛えていけばきっと強い男になれるはずだ。





 しばらく歩いてアデルの家の前へと立った。木製の扉は古びてはいるが、決して汚い感じはしない。扉には鉄の鋲が所々に打ってあり、さらに細長い鉄が補強の為に左右に何本か走っていた。
 その扉をコンコンと叩く。

「あ、しまった」

 走ったせいで髪が乱れたかもしれない。手ぐしでササッと直していると、家の中からアデルの声がした。
 アデルが扉を開けて顔を覗かせた。その顔の位置が高いので、見上げなければいけなかった。


「おおカールか、早いのう」
「なぬっ?! カールめ、もう来おったのか。妾の準備がまだ済んでおらんのじゃ」
「ははは、カール、早く来てもらって悪いが、我が家のお姫様はまだお出かけの準備ができておらんようじゃ」
「う、うん、ごめん、僕、早く来すぎたかも」

 いけない。女の子は出かけるための準備に時間がかかると聞いたことがあったのに、すっかり忘れてしまっていた。こんなことでは良い男にはなれない。
 少ししょげていると、アデルが外に出てきて言った。

「なに、気にするでない。それよりカール、鶏のエサのことじゃが、少し聞いてくれんか」
「え? うん、僕に答えられることだったらなんでも」
「そうか、ではモルゲンくんでも眺めながら話そうではないか」
「うん!」


 アデルと一緒になって鶏小屋のほうへと向かった。









「いかん、少しゆっくりしすぎたのじゃ」

 そう言ってからさっさと着替えを済ました。家の中は少しだけ煙っぽい。さっき、リディアがやってきてウィンナーを焼いていたのだが、どうやら脂が少しこぼれてしまったらしい。
 その脂が火で熱せられて煙を上げたのだ。結局、アデルがその後を引き継いで調理を終わらせた。

「あらソフィ、今日はおめかししてるわね」
「うむ、今日は町へ行くのじゃ」
「カールちゃんに連れてってもらうの?」
「妾がカールを連れてゆくのじゃ」

 決して逆ではない。髪をくしけずりながら、鏡の中を覗き込む。本物の鏡よりも魔法で出した鏡のほうが綺麗に映るのだが、間違ってカールに見られてはまずい。
 
「もう寒いんだからちゃんと暖かくしなきゃダメよ」
「わかっておるのじゃ」

 リディアは平たく切った黒パンの端にかぶりついている。実にはしたない仕草だが、リディアがやっていると何故かそれが正式な作法のように思えてしまう。
 薄く切ったパンの上には、さっきアデルがフライパンで溶かしたチーズが載っている。そのチーズがとろりと長い糸を引いた。ウィンナーから出た脂で溶かしたチーズはほどよく肉の旨味を含んでいる。
 そこに荒く挽いた胡椒をわずかに加えてある。

 さっき朝食を終えたばかりだというのに、リディアが食べるところを見ていると腹が減ってしまう。目を逸したほうがいいに違いない。そうやって目を逸した先にシシィがいた。
 シシィはどうやら眠いようで、暖炉の前で椅子に座ってまったく動かない。もしかしたら本当に寝ているのだろうかと思い、その顔を覗き込んだ。


「寝ておる。なんと、早起きしたかと思えば朝からまた眠るとは、たるんでおるのじゃ」
「そっとしといてあげなさい。そのうち起きるでしょ」
「む? まぁよい、妾ももう準備は終えたのじゃ」

 最後に魔法の杖をスカートの中に隠す。こんなものが必要になることは無いと思うが、念のためだ。
 
「さて、では妾はでかけてくるのじゃ」
「気をつけなさいよ。危ない人とかに近づいちゃダメよ」
「わかっておるのじゃ。妾もそんな子どもではない」
「本当かしら」

 リディアは少し眉を寄せてこちらに視線を向けた。

「まったく問題無いのじゃ。妾も子どもではない。行きも帰りもユーリのところへ顔を出すのじゃ」
「そう、だったら大丈夫ね」


 そうやって自分の移動した痕跡を残しておけば、もし何かあった時に自分の所在を探す手がかりになる。以前そんなことを学んだ。信用されていないようで少し腹も立つが、それでアデルが安心するのであればやるしかないだろう。

「うむ、では行ってくるのじゃ」
「いってらっしゃい。日が暮れるのも早いから、ちゃんと早く帰ってくるのよ」
「わかっておる」

 町に行くくらいでそこまで心配する必要は無いはずだ。しつこいと感じてしまうが、かといってあまり無碍にするのもよくないだろう。
 ここはしっかりと無事に帰ってくるのが信用を得るための一番良い方法に違いない。









 家の外に出ると急な寒さに顔がピリッと固まったような気がした。少し目を細めてその固さをほぐす。唇を開き、鶏小屋の近くにいるカールに声をかけた。

「待たせたのじゃ」
「あ、ううん。全然待ってないよ」

 カールは明るい顔でそう言った。すぐ傍にいたアデルと一緒になってこちらへと歩いてくる。アデルは穏やかな笑みを浮かべ、頷いていた。

「二人ともあまり遅くならんようにな。もう日が暮れるのも早いでのう」
「わかっておるのじゃ、なんじゃリディアといいアデルといい、心配のしすぎではないのか。少し町へ行くだけなのじゃ。それに、あまり頼りにならんがカールもおるのじゃ」
「まぁ大丈夫じゃと思うが……、気をつけるに越したことはない」
「ふん、心配性すぎるのじゃ」
「ははは、自覚はしておるが、性分じゃからのう。そういうわけで、カール、頼んだぞ。ソフィの面倒を見てやってくれ」
「うん!」
「何がうん! じゃ! 妾はカールに面倒を見られるような女ではないのじゃ!」

 腹の立つ。

「あ、いや、僕はその、やっぱり男だから、いざとなったらソフィちゃんの助けに」
「そんなイザという事態などこの平和な田舎で起こりはせんのじゃ」

 そう言うと、カールは少し目を泳がせて困ったように唇をもごもごと動かした。きっと言葉が見当たらないのだろう。そうやっている仕草はまるで可愛い女の子のようだ。
 あのお姉さん、マリエがカールを女の子と間違えたのも無理はない。そんな可愛いカールを見て、アデルは穏やかな笑みを浮かべて頷いている。

 その様を見ているとまた腹が立った。

「ええいカール、こんなところでグダグダしておってはいかん、行くのじゃ!」
「あ、うん!」

 足早に歩きだす。外で立ち止まっていても寒いだけだ。早く町へ行こう。
 しばらく歩いていると後ろのほうからアデルの声が届いた。

「気をつけるんじゃぞー!」

 カールだけがその声に応えた。























 太陽から光の束が幾条も伸びていた。その光線は地上を横薙ぎに払い、長い影を残す。太陽に夏の明るさは無いが、その光が目に飛び込んでくるとあまりに眩しくて目を細めてしまった。
 風は無いが、空気の冷たさは静まり返った石のように冷たい。
 ソフィが速歩きで町へと向かいながら、片手で太陽光を遮った。

「まったく良い天気なのがかえって仇になっておるのじゃ」

 空には雲がひとつも無い。好天ではあったが、おかげで太陽光から逃れることは出来なかった。街路樹もすでに葉を落としきっていて、禿げた体を寒風に晒している。
 歩く度に乾いた土が軽く舞い上がった。霜で濡れたりしなかったのか、それともすぐに乾いてしまったのかはよくわからない。

 ちらっと後ろを振り返る。肩越しにカールの顔が目に入った。町へ行くから少し良い服を着るように伝えたので、カールも普段とは違う装いだ。
 どうやら何枚か重ね着をしているようだが、間に羊毛を編んだ服を着ている。その羊毛の中には染色されたものもあるようで、ベージュの中に模様が入っていた。それだけでも暖かそうだが、その上にまた農民らしくジャケットを羽織っている。
 それは革製らしく、茶褐色ではあったが表面は艷やかだ。なかなか丈夫そうに見える。

 カールは少し紅潮した顔をしていた。どうやら家に来るまでの間に少し汗をかいたらしい。
 あんな暖かそうな格好をしていればそうなるのも仕方がないだろう。カールと視線が合った。カールは少し驚いたように目を見開いてから、視線を一瞬外した。
 
 そんな仕草を見ているとつい苛立ってしまう。カールがそうしていると、本当に可愛い女の子にしか見えなくなってくる。夏空のように青い目は油で濡れたガラス玉のように輝いていた。金色の髪は太陽の光を受けて光の粉を撒き散らしているかのようだ。


 この男はアデルを好いている。あんな可愛い顔でアデルと半裸でくんずほぐれつしたというのだから、なんとも抜け目が無い。
 聞くところによると、男が男を好きになるようなことは間違っているらしい。他の誰かに知られてしまえば、カールはきっと酷い目に遭わされたり、心無い言葉をかけられたりするのだろう。
 
 アデルもカールに好意を向けられていると知れば驚くに違いない。アデルがこの事実を知ってどのような反応をするのかはわからない。アデルのことだからカールが傷つかないように配慮はするだろうが、それでも限度はあるだろう。


「うーむ」

 やはりカールを正しい道に戻してやらなければいけない。女のほうがいいのだということを教え込んでやれば、カールもアデルに向けていた好意を無くすだろう。
 
「ソ、ソフィちゃん、その格好、似合ってるね」
「うむ、知っておる」
「……そ、そうだよね」

 カールが急に変なことを言ってきたが、今はそんなことに気を使ってはいられない。
 とりあえず、第一の目的地へ急ごう。










 ジル親方のパン屋は町の中の広場に面している。小さい町とはいえ、昼間ともなれば広場には憩いを求めて人が集まってくるようだ。長椅子に腰掛けてお喋りに興じる人たちもいるし、自分と同じくらいの年頃の少年たちが遊び回っているのも見えた。
 影が長いせいで、広場の殆どはすでに影の中にあった。歩いたにも関わらず体はそれほど暖まっていない。

「さて、カールよ、まずはジル親方の店に行くのじゃ。妾たちがこの町に来たことを報告せねばならん」
「うん」

 パン屋はガラス貼りの窓があったが、今は曇っていて中を伺うことはできない。パン屋の扉をゆっくりと押して中へと入った。その途端に暖かな空気がムワッとこちらの冷たい体を包んだ。

「おお、あったかいのじゃ」

 こんなに暖かいのなら早く扉を閉めないといけないだろう。後ろを見ると、カールがゆっくりと扉を閉めているのが目に入った。どうやらカールも同じようなことを考えたらしい。

「あら、ソフィちゃん!」

 柔らかい声に顔を上げると、美しい女性の顔が目に入ってきた。明るい笑みを浮かべたこの人は、ジル親方の奥さんで名前はユーリと言う。旦那のジル親方はまるで熊のような容貌だが、奥さんのユーリはまるで女神様のように美しい。
 しかもまるで瓜でも入っているかのような乳房を持っている。ゆったりとした服にエプロンをしてはいるが、その体つきがふっくらとしているのは見てとれた。
 そんな体を見ていると、リディアが抱き心地だとか女性らしさと言っていた意味がわかるような気もする。ユーリのような女性に抱きしめられたらさぞ心地よいことだろう。

「ソフィちゃんいらっしゃい」
「うむ、いらっしゃったのじゃ。今日は買い物ではなく、ただ挨拶に来ただけなのじゃ」
「まぁ、今日も町で遊ぶの?」
「そんなところなのじゃ。しかし暖かいのう」

 パン屋だから火を使うのは当然かもしれない。聞く所によると、パン窯の余分な熱でお湯を沸かしたりすることもあるのだという。
 詳しくはわからないが、パン窯の熱をこちらにも持ってきているのかもしれない。

 厨房はここからは見えないが、その入口は見える。その入り口からヌッと大きな人影が現れた。まるで熊のようにのっしのっしと大股で歩いてくる。
 親方の口はカールの拳であれば二つくらい入るのではないかと思うほど大きい。その口の周りを真っ黒なヒゲが覆っている。本当に熊のようだ。
 親方は大きな口を開き、明るく大きな声を上げた。

「おお、ソフィちゃん! いらっしゃい!」
「いらっしゃったのじゃ。親方も相変わらず元気そうなのじゃ」
「おうよ、元気元気、ガハハハハ!」

 何が面白いのか親方は大声で笑った。

「うんうん、ソフィちゃんの可愛い顔を見てたら値下げしたくなってきたぞ」
「いや、今日は挨拶に来ただけなのじゃ。行きと帰りに寄るつもりでおった」
「なるほど、前と一緒か。うんうん、何回でもいつでも寄ってくれ」
「そう言ってもらえると助かるのじゃ。まったく心配性を心配させぬようにするのも大変なのじゃ」
「ガハハハハハ、あの女ったらしのことか」
「うむ、女どころか男もたらしこむのじゃ」
「えっ?」

 こちらの言葉に反応したのはユーリだった。細い眉を上げて目を大きく開けていた。軽く口を開いたままパチパチと瞬きをしている。

「なんじゃ?」
「い、いえ……」

 ユーリは口ごもりながら視線を逸した。その顔に陰りが差している。
 その様子は気になるが、しかし今はここでゆっくりしている場合ではない。冬の日は短いのだ。

「さて、妾たちはここでお暇させてもらうのじゃ」
「なんだなんだ、もっとゆっくりしてもいいのに。なんか温かいもんでも用意しようか?」
「うむ、親方の好意はありがたいが、妾たちは他に用事があるのじゃ」
「そう言われたら引き止められないな。まぁなに、帰りも寄ってくれ。その時は温かい飲み物用意しとくから」
「それは助かるのじゃ」

 何の飲み物を用意してくれるのかはわからないが、何にしても暖かい飲み物を胃袋に入れておけば帰り道の寒さは少し和らぐはずだ。





 二人に別れを告げて外へと出た。暖かいところから外に出たものだから、冷たい空気で顔が固まってしまう。
 カールがついてきているのを確認してから歩き出す。

「さて、ここからが本番なのじゃ」
「う、うん」

 独り言のつもりだったのだが、カールが相槌を打ってきた。カールは小走りで横に並んでくると、真剣な面持ちで切り出した。

「あの、アデル兄ちゃんに聞いたんだけど、美味しい料理、えっと、パンの間に肉を挟んだ料理を出してるお店があるんだって」
「この町にそんな店があるとは知らんかったのじゃ。まぁそれはともかく、さくさく行くとするのじゃ」
「え? 行くって?」
「ついてくるがよい、目的地はこっちなのじゃ」
「あれ? どこに行くか決めてたんだ」
「うむ、決めておる」


 カールには女の良さを教えてやらなければいけない。そのためにうってつけの人物がいる。
 その人物の家へ向かってさらに歩調を速めた。











 その暖炉の基調色は白だった。石灰を塗っているのではなく、使われている石材自体が白い。まぐさ石には細かな浮き彫りが施されている。立体的な人物や怪物がかすかな明かりを受けて影を作っていた。
 暖炉の中では太い薪が炎を身に纏っている。暖炉からはパチパチと薪の悲鳴じみた声が生まれた。

「立派な暖炉なのじゃ」

 椅子に座ったままそう声を漏らすと、一人の女の子が苛立たしげに声を上げた。

「暖炉を見に来たんですの?」
「いやそうではないのじゃ」
「いきなりやってきて、人の家の暖炉を眺めて、わけがわかりませんわ」

 金髪の少女、エルナは機嫌悪そうに眉間に皺を作った。
 せっかくそこそこ可愛い顔をしているのだから、そうやって皺を作るのはやめたほうが良いのではないかと思う。いつかその皺が深くなってしまいかねない。
 エルナは肩にかかっていた金髪の長い髪を払い、それから椅子の背もたれにもたれかかった。

 ここはひとつ釈明をしておいたほうがいいだろう。

「うむ、突然訪れたのは悪かったのじゃ。しかし、約束を取り付ける間が無かったのじゃ」
「まったく、いきなり来るだなんて」

 エルナが何かぶつぶつ言おうとしたその時、カールが口を開いた。

「ごめんねエルナちゃん、急に来ちゃって」
「い、いえそんな。カールくんが謝ることではありませんわ!」

 眉間の皺は一瞬で無くなり、エルナは顔を綻ばせた。エルナの横顔を見ているだけで、その瞳がキラキラと輝いているのがわかる。窓から差し込む陽光と、暖炉の炎に照らされて、エルナの顔は血色が良いものに見えた。
 
「カールくんだったら、いつでも」

 エルナは恥ずかしそうに視線を落としながら小さな声で呟いた。
 その様子を見ているだけではっきりと理解できる。エルナはカールのことが好きなのだ。


 リディアは、エルナがカールを好いているのではないかと言っていた。その時はそれが本当なのかどうか分からなかったが、今こうやってエルナを見ていると容易に理解できた。
 エルナはカールに好意を持っている。



 ならば、その好意を利用しない手は無い。



 カールにとっても、アデルより女を好きになるほうが良いに違いない。

「ふふふ、すべては妾の計画通りなのじゃ」

 一人そう呟くと、エルナが眉をしかめながらやや見下すようにこちらを見てきた。まったく困った小娘だ。しかしここは自分が大人の貫禄を見せつけてやらなければいけない。
 さて、後は計画を実行するだけだ。






 





 暖炉の口は大人でも飲み込めそうなほどに大きく開いている。その口の中で炎がチロチロと舌を薪の上に伸ばしていた。薪の食われる音がパチパチと鳴る。
 エルナの家は町の外れにあり、そして他の家とは違って随分と広い。庭だけでも子どもが何十人と遊び回ってもまだ余裕がありそうだった。
 家も大きい。自分の村だと一番大きな建物は村長の家かロルフの家だろう。それと比べてもまだ大きいかもしれない。

「うむ、実に立派な家なのじゃ」

 そう言ってみたが、エルナは冷たく眉をしかめるだけだった。もう少し親しみを見せてもよさそうなものだが、エルナにそのつもりはないようだ。
 一体どうしてだろう。やはり、ぶどう踏み乙女の大会でエルナが負けてしまったからだろうか。

 あの大会では、エルナと自分だけが本気で勝負に臨んでいた。エルナは前半は力を残しつつ、後半で一気に追い上げるという作戦に出ていたのだ。一方自分はといえば、何も考えずに最初から全力でぶどうを踏み潰しにかかった。

 どうにか逃げ切ることができたが、もっと長い時間競い合うことになっていたら負けていたかもしれない。
 全力でぶつかりあったのだから、お互い友達になるのが良いのではないかと思う。


 そう思っているのだが、エルナはまだ気にしているようだ。
 ここはどうするべきだろう。やはりまずエルナの敵愾心をなだめてやらなければいけない。そうでなければエルナと友人になることはできないだろう。


「エルナよ、あの大会で妾に負けたことをいつまでも気にしてはいかんのじゃ。それよりお互いに切磋琢磨した仲ということで妾と友誼を結ぶべきなのじゃ」
「はぁ?」

 まるで寒風のように冷たい対応だった。何を言っているのかわからないと言った様子で、エルナは目を細めている。
 いけない、どうやら根は深いようだ。こんなことではエルナと仲良くなることはできない。どうすればいいだろうか。

 何か案は無いかと考えていると、カールが明るい声をあげた。


「そうだよね、頑張ってたの、僕すぐ近くで見てたから」
「カールくん……」

 カールは別に大したことなど言っていないのに、エルナは嬉しそうに笑みを見せている。この対応の差は一体何なんだと思わないでもない。
 しかし、こうやってエルナを見ていると、エルナがカールに惚れているのがよくわかった。


「うむ、妾もカールが前にいたことに気づいておったのじゃ。カールよ、応援の言葉は届いておった」
「え? そうなんだ!」

 今度はカールが嬉しそうに顔を綻ばせた。確かあの大会でカールは応援の言葉を投げかけていたような気がする。
 ふとエルナを見ると再び機嫌悪そうに唇を尖らせていた。いけない、エルナはカールに惚れているのだから、他の女に応援の言葉をかけていた事実は面白くないに違いない。

「そういえばカールよ、エルナもがんばっておった。それはカールも見ておったはず」
「えっと、うん……、多分」

 カールが視線を逸した。なぜ目を逸したのかはわからない。もしかしてカールはそれほどエルナのことを見ていなかったのだろうか。
 こんな反応をするものだから、エルナの顔から感情が失われていた。暖炉の炎に照らされた顔にはズーンと重たい影がぶら下がっている。
 これはまずい。もしかすると、カールはエルナに対しては特に興味が無いのかもしれない。しかしそれではエルナが傷ついてしまう。
 ここは小粋な冗談で場を和ませよう。

「はっ、さてはカール、おぬしエルナの可愛さに見とれておったのじゃな」
「ち、違うよ! 僕は全然、そんな! 見とれてなんかないよ!」

 カールがぶんぶんと首を横に振っている。カールがそんな反応をするものだから、エルナは目を見開いて固まっていた。
 いけない、エルナが完全に気落ちしてしまっている。
 このままだと、自分はわざわざ町にやってきてエルナを傷つけに来ただけの嫌な奴だ。


「いやカールよ、そうやってムキになって否定せんでもよいのじゃ。そうやってムキになるほどエルナを意識しておったのが丸わかり」

 そう言うとエルナが少し顔を上げた。どうやら少し持ち直したらしい。この方向で行こう。相手が否定すれば否定するだけまるで本当であるかのようにする。実に不愉快な手口で、カールにとってはたまったものではないが、ここはエルナの精神のためにそうしておくべきだ。

「いやいやカールよ、隠さずともよい。エルナのような可愛い娘を見るのは実に自然なことなのじゃ。妾の隣で一生懸命になっておるエルナが気になっておったのじゃろう」
「そ、そんなことは」
「うむ、仕方がないことなのじゃ。まったく、カールもお年頃なのじゃ」
「違うよ! だって僕、エルナちゃんがソフィちゃんの隣にいたこと、今初めて知ったし!」

 カールの大きな声がした瞬間、ガターンと大きな音がした。見ればエルナが椅子から転げ落ちている。

「なんと?! エルナよ、これエルナ! しっかりするのじゃ!」
「エルナちゃん?! どうしたの? 滑ったの?!」
「こりゃ! おのれカールめ! 妾の苦労を台無しにしおって!」
「え?」

 きょとんとしているその可愛い顔に腹が立つ。椅子から立って、床に崩れ落ちたエルナの肩を揺らす。

「これエルナよ、起きるのじゃ」
「ふ、ふふふ……、カールくん、わたしに全然、興味が無かったなんて」
「これエルナよ、ぶつぶつ言っておる場合ではないのじゃ!」

 エルナはあの大会で一生懸命頑張っていたのに、カールはまったく見ていなかったのだから衝撃を受ける気持ちはわからないでもない。無神経なカールにも腹が立つが、今はカールに怒りをぶつけている場合ではなさそうだ。

 とりあえず頑張ってエルナの体を引っ張り上げた。

「うぬぬ、お、重いのじゃ」
「重くありませんわ!」

 そこに反応するとは思わなかった。とにかく、エルナは多少回復はしたようで、自分の足で立ってくれた。ここは少し席を外してエルナと二人きりで話をしたほうがいいかもしれない。

「エルナよ、少々妾と話をしようではないか。女同士気兼ねなく」
「あなたと話すことなんて何もありませんわ」

 歯をむき出しにしてエルナがこちらを睨んでくる。敵意をまったく隠そうともしていない。友達になりに来たはずなのに、どうしてこんな風に睨まれなくてはいけないのだろう。
 とりあえず責任はすべてカールに押し付けておこう。
 しかし今はカールに文句を言う場面ではない。

「いやそういきり立つでない。妾と少し話をすれば、きっとすべては良い方向へ向かうのじゃ」
「はぁ? あなた何を言ってますの」
「いや、よいから少し外すとするのじゃ。これカールよ、妾とエルナはお花を摘んでくるのじゃ、カールはそこでぬくぬくしておくがよい」
「僕も手伝うよ」
「手伝わんでよいわ!」

 くわっと目を見開いて怒鳴ると、カールがたじろいだ。この男、乙女二人を一体何だと思っているのだろう。少しばかりこの男の将来が心配になったが、今はカールにかまけている場合ではない。
 嫌がるエルナの背をグイグイと押して、部屋の外へと出た。





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