名も無き農民と幼女魔王

寺田諒

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第二部 第三章

不安

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 蔵の中の冷たい空気は指先からじわじわと感覚を奪ってゆく。ソフィは両手を握ったり開いたりしながら血流を促した。膨らむ期待感でそわそわしてしまう。
 リディアという剣の達人から稽古を受ければ、カールなど簡単に倒せるほどに強くなれるはずだ。もちろんカール相手に本気で戦うようなことはしない。
 向こうが本気でかかってきたとしても、こっちは軽くあしらえるほど強くなっているはずだ。

 カールは自分が負けたことで悔しがるだろうし、村のおチビちゃんたちは鮮やかな勝利を収めた自分に尊敬の念を抱くだろう。

 そんな近い未来のことをに思いを馳せていると、リディアが自分のベッドのほうへと向かうのが目に入った。
 何をするのかと思ったら、ベッドの傍に立てかけてあった剣を手に取った。鞘に収められたままの剣を持ってテーブルのほうへと戻ってくる。

 リディアは鞘を掴んだままソフィに声をかけた。

「ほらソフィ、立ちなさい」
「うむ」

 椅子から降りて、リディアと正面から向かい合う。リディアはまだ呆れているのか、それとも面倒くさいのかあまり気合が入っていないようだった。
 しかし、こちらがやる気を見せればリディアのことだからきっと乗り気になるだろう。

 リディアは鞘の端を掴み、軽く振りながら述べはじめた。

「この剣はね、公爵家に代々伝わる宝剣で、名前はピリマカスっていうの。ものすっごく高い剣だから、傷とかつけないでよね」
「ほう、さすがリディアじゃのう。そんな剣を持っておるとは」

 ここぞとばかりに褒め言葉を発してみるが、リディアはまったく喜んだ様子もない。
 ソフィはリディアの持つ剣に目を向けた。

「しかしリディアよ、宝剣というが、あまり高そうには見えんのじゃ」

 鞘はどうやら木製のようで、黒い塗料のようなものが塗られていた。鞘全体には何条もの皮の帯が巻き付けてある。剣の鍔に近いところには金具などが取り付けられていて、剣帯で吊り下げたりする時に使うもののように思えた。
 華美な装飾の類はまったく無く、宝剣と言われても素直には信じがたい。

 リディアは鞘に視線を向けて、少し難しそうな顔をした。

「本当は立派な鞘があったのよ。宝石だとか金細工だとか色んなのがあって、とんでもなく豪華だったわ」
「ふむ、それはどうしたのじゃ?」
「邪魔だから使わなくなったのよ。だって、あの鞘だと馬に乗った時に剣が抜けそうになるんだもの。しかも鞘が馬に当たって、馬が嫌がるし。柄もなんか滑りやすいから色々とやってみたりとかしたわ」
「なるほど……」
「ルゥにめちゃくちゃ怒られたけど」
「無断でやったのか?!」


 リディアは昔のことを懐かしんでいるのかどこか遠くへと視線を向けた。しかしすぐに気を取り直してこちらに目を向けてくる。
 いよいよリディアによる剣の稽古が始まるのだ。ソフィは若干の緊張を覚えて唾をごくりと飲み込んだ。

 リディアは鞘の剣先部分を左手で掴むと、ゆっくりと柄をソフィのほうへと向けた。

「とりあえず持ってみなさい。剣は鞘から抜けないようになってるから大丈夫よ」
「ふむ」

 ソフィは両手を伸ばして柄に両手をかけた。金属の冷たさが両手の平に伝わってくる。差し出された剣の柄をぎゅっと握り締めた。
 リディアが気だるそうに言う。

「はい、ちゃんと持ってなさいよ」

 その言葉のすぐ後に、ソフィは思い切りつんのめった。リディアが鞘を持っていた手を突然離したのだ。同時にソフィの両手に剣の重みがずしりとのしかかる。
 リディアが軽々持っていたから軽いのだとばかり思っていたが、その剣の重みはソフィの細腕では支えきれないほどだった。

「のわっ?!」

 剣先がぎゅんと下がって地面を叩こうとした瞬間、リディアの足がすっと伸びてきてその剣先が地面に当たるのを防いだ。おそらくこうなることを最初から予想していたのだろう。
 リディアは右足の甲で鞘の先を支え、呆れたように溜め息を吐いた。

「何やってるのよ、ちゃんと持ちなさいって」
「ぬ、ぬぐぐっ」

 ソフィは両腕に力を入れて、剣先をどうにかリディアの足先から持ち上げた。しかし、剣を持っているだけでふらふらとしてしまう。
 体の先にその剣先を持ってくることが出来ない。ソフィはどうにか剣先を高く上げて、剣が垂直になるところまで持ち上げた。これで重心が自分の体に近づき、その重みを支えるのも楽になる。

 想像以上の重さにソフィは心臓がばくばくと激しく動き出すのを感じた。剣を前に向かって伸ばすようなことはまったく出来そうにない。

「な、なんじゃこれは、重たすぎるのじゃ」
「当然でしょ、鋼の塊なんだから。はい、終わり」

 リディアの手がすっと伸びてきて、鞘を掴んだ。そのまま軽く引っ張られただけで、ソフィの両手から剣が抜ける。急に重たいものを取り上げられて、ソフィは思わず後ろに転びそうなった。
 思わず瞬きの回数が増えてしまう。そうやって固まったまま、ソフィはリディアのほうへ視線を向けた。もう稽古は終わりとばかりに、リディアは取り上げた剣をベッドの上に横たえている。

 ソフィは呆けていたが、やがて気を取り直した。今ので終わりというのはあまりにも酷い。
 あの重さには少々驚いてしまったが、それも最初だからそうなっただけで、予め剣が重いことを伝えられていればなんとかなったはずだ。
 ソフィがわずかに眉を吊り上げ、リディアへと鋭い目を向ける。

「待つのじゃリディア! それで終わりとはどういうことじゃ」
「何言ってるの、剣も持てない相手に何を教えろっていうのよ。攻撃とか考える前にちゃんと体を動かせるようにならなきゃ」
「む……」

 話は終わったとばかりにリディアは再び椅子に腰掛けようとしている。確かにリディアの言うことは筋が通っているだろう。足し算のわからないイレーネに代数学を教えたとしても無駄になる。それと同じように、剣すら持てない相手に何か教えるのは不可能に違いない。
 しかし、リディアの態度はそれとは何か違うような気がしてしまう。

 リディアの教え方はどちらかといえばちゃんと段階を踏んで進むものだった。それなのに、そういった段階を急に飛ばした。こちらが剣を持てないこともちゃんと予想していただろう。
 だからこそリディアは鞘の先が地面に落ちないよう自分の足で止めたのだ。

 そうなると考えられることはひとつしかない。ソフィは椅子に腰掛けようとしているリディアをキッと睨みつけた。

「リディアよ、確かに妾は未だに非力ではある。しかし、剣だけでなく他にも攻撃手段があるではないか。それに、本物の剣からではなく木の棒で練習するなど、色々と手が考えられるはずじゃ。色々言ってはおるが、妾に攻撃を教えたくないだけではないのか?」
「そうよ」

 なんでもないようにリディアはそう言って椅子に座った。その態度を見ていると段々と腹が立ってきた。
 しかし怒りをそのままぶつけようとするのは間違っている。リディアは必要もないのに無償で教えてくれているのだ。それを不義理だと責めるのは筋違いだろう。
 ソフィは自身を落ち着けるために一度大きく首を振った。

「なにゆえ妾に教えることを拒むのじゃ? 妾にはわからん。リディアに考えがあるのなら、妾はそれを知りたいのじゃ」
「……ソフィ、そんなに深く考える必要なんて無いわよ。物事には段階があるんだから、ソフィが今それを望むのは早すぎるってだけ」
「どうも、妾にはそれは違うような気がしてならんのじゃ」
「もう、ソフィったら。そんなに頑固で負けず嫌いじゃ将来大変なことになるわよ」
「む……」

 確かに否定はできない。リディアは呆れたように片手を肩の高さにまで上げて手のひらを開いた。

「いいソフィ、お姉ちゃんはソフィがちゃんとした大人になって、ちゃんとアデルと愛し合えるようになることを望んでるの。そのためにこっちも色々考えてるんだから、運動とか勉強とかやってる時みたいに素直に言うことを聞いておきなさい」
「ぬ……、確かにその分野ではリディアとシシィは妾の先達、素直に言うことを聞くことが間違っておるとは思わん」
「ほらそうやって素直になればいいのよ。あたしもシシィもソフィより人生経験豊富で、色んな人と触れ合ってきたのよ。今のソフィにはわからないかもしれないけど、大人になればあたしの言ってたことがわかるわ」
「しかしそれも教わらねばわからんのじゃ」
「心配しないの、何もかも上手く行ってるじゃない。ソフィも素直ないい子になって、我が家のお父さんのためにみんなで協力しなきゃ」

 リディアの言い分に対してはっきりとした反論が出てこない。リディアの言うことはそれなりに筋が通っているようにも思えた。しかし、見えない何かがその論理に覆われているようにも思えてしまう。
 それを推測することが出来なくて、何を言えばいいのかわからない。
 リディアはこちらがまだ何か言おうとしているのを察したのか、制するように言葉を並べた。

「いいソフィ、本当だったらね、お勉強とか運動とかよりもまず家のことを覚えなきゃいけないのよ。料理とか洗濯とか掃除とか、女だったらそういうのを覚えなきゃ。アデルは優しいからソフィの好きなようにさせてるけど、いつまでもそれに甘えてちゃダメよ。あたしも一緒に頑張るから、ソフィもそういうこと頑張って覚えていかないと」
「ぬぅ……」

 リディアの言葉にたじろいでしまう。確かに、アデルは何の役にも立たない女の子のために一生懸命働いている。家事をしようと申し出たこともあったが、あまりやらせてはくれない。
 料理をしようにも、火や包丁を勝手に使わないよう命じられている。

 そういった分野を覚えることはもちろん必要だとは思えた。だからこそ、リディアの言い分も理解できる。
 しかし何かが引っかかって素直に納得できない。けれどそれが何なのかがわからなかった。

 今のところ、何もかもがリディアが望んでいるように進んでいるように思えてならない。
 リディアはアデルに恋をした。アデルにとってたった一人の女になれなかったが、それでもアデルの愛を勝ち取るだけの成果を出した。
 争いを避けるために、リディアはアデルが三股をしてもよいとまで言った。
 リディアは家を建てることを望み、アデルはそれを引き受けた。

 リディアの望みはまだ終わっていない。優しいことに、リディアは自分のような未だ幼い女がアデルに愛されることをも望んでいる。
 もしリディアが望むような方向に進んだとしても、それは果たして喜べるのだろうか。
 アデルがリディアの説得を受けて自分を愛するようになったとしても、それは与えられただけのものではないのか。


 形にならない不安がソフィの心中でじくじくと広がってゆく。こちらが不安気な表情をしていたからか、リディアは明るい表情で言った。

「もう、ソフィったらそんなに心配しなくても大丈夫よ。あたしも料理はそんなに得意じゃないけど、ソフィに教えるくらいのことは出来るわ。大丈夫、お姉ちゃんに任せなさい」

 リディアが胸を張って笑みを見せた。 
 そういえば、この家に住む三人の女を姉妹と称し始めたのもリディアだったような気がする。


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