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第二部 第三章
教わりたい
しおりを挟む「なんということじゃ! まったく信じられんのじゃ!」
蔵の中でソフィは怒りに任せて声をあげた。この蔵には暖炉も無いので、気温は外と殆ど変わりがない。それほど寒くはないと思っていたが、運動を終えてから随分時間が経ったせいで体は冷え始めていた。
秋と冬のせめぎ合いは冬のほうが優勢になってきているようだ。空は青く澄んで気持ちのよい天気だったものの、外を流れる空気はひんやりと冷たい。
村の周りをうろつく風は蔵の中の小さな隙間を見つけ出し、そこでカタカタと音を立てながら図々しく蔵の中に入り込んでくる。
シシィは蔵の掃除をしていたと言っていたが、まだ掃除の途中のようだった。シシィのベッドのあたりは珍しく散らかっていて、服や本がベッドの上で横になっている。
ソフィは蔵の中で椅子に座り、腕を組んでさらに文句を続けた。
「なんということじゃ、まさか客人に家を追い出されることになるとは思わなかったのじゃ」
どう考えてもリーゼが家の住人である自分を追い出すのはおかしいはずだ。なんて図々しく押しが強いのだろう。
もちろん、リーゼの図々しさにも、押しの強さにも今まで何度か助けられたことはあった。この村に来てから何度も世話になったし、助けてもらったこともあった。
あのグイグイやってくる性格も時には助けになる。しかし、今度は少しばかり腹が立った。
しかもリーゼはちゃっかり暖炉の傍でぬくぬくとしているのだ。その薪もこの家のもので、リーゼが勝手に使っていいものではない。
思い返しているとまだ腹の虫がブンブンと暴れ始めた。
「うぬぬ、おのれリーゼめ。寒いのじゃ」
そんなことをぶつぶつ言っていると、リディアも呆れて溜め息を吐いているのが目に入った。二人とも出て行ってなどと言われたから、リディアも追い出されてしまった。
もちろん頑固に抵抗すれば居座ることも出来たかもしれないが、リーゼにグイグイ押されてポイッと外へと放り出されてしまった。
リディアもきっと怒りを感じているに違いない。ソフィは椅子に座るリディアへと視線を向け、同意を得ようと尋ねた。
「リディアもそう思うであろう。まったく、リーゼの傍若無人ぶりには驚きなのじゃ」
「確かに、リーゼったらあたしのこと放ったらかしにしてソフィとお喋りばっかりしてるし、今度はシシィに夢中だし」
「うむ、けしからんのじゃ。リディアよ、もうあの乳を揉んでやるのじゃ」
「わかったわ、力一杯揉むわ」
「いや加減をせねば悲惨なことになるのでほどほどに揉むのじゃ」
「難しいこと言うわね、まぁいいわ。怒られたらソフィのせいにするから」
「いや、妾のせいにするでない。それはリディアがやったこと」
「ちょっと、心優しい女はどこにいったのよ」
リディアが文句をつけてくるが、リーゼに怒られるのは勘弁してほしい。別に激しく怒ってくるわけではないが、リーゼは時々ねちっこく責めてくることがある。
こちらの言い訳を先読みしてぶちぶちと潰しにかかってくるのだ。ああいう怒り方はよろしくない。
ここはリディアにすべての責任をなすりつけるのがよいだろう。
リーゼに対する文句を考えていても寒いだけだ。ソフィは椅子のせもたれに深くもたれかかった。
「うむこんなことであれば入会地とやらでの仕事についてゆけばよかったのじゃ」
一人でそう呟く。今頃村のみんなは入会地とやらでドングリを落とす仕事をしているのだろう。長い棒で枝を揺らすのだという。
自分ではそんな長い棒は扱えないから、遊びまわっているチビたちの世話をすることになったはずだ。
しかし、今日はカールがチビたちの世話を任されている。
「うぬぬ、卑怯なカールのことじゃ、今頃チビたちの尊敬を集めようとし、妾の地位を下げることに励んでおるに違いないのじゃ」
「またそんなこと言って。カールちゃんはいい子じゃない。そんな負けず嫌いじゃダメよ」
「む……」
負けず嫌いと言われてつい黙ってしまう。もしかすると自分でもそうではないかと思っていたので、ぐさりと釘を打ち込まれたような気分になった。
それでもカールに負けるのは悔しい。無論、カールに非は無いのだが、それでも腹が立つ。今日は身長で抜かされてしまったし、イレーネに足し算を教えるのにも失敗してしまった。
だがもうこれ以上の失敗をするつもりはないし、カールに対しても負けるつもりはない。
そのためには、やはりカールが大事にしている分野で勝たなければいけないだろう。
そう思い、ソフィはリディアに言った。
「リディアよ、妾も運動を教わってそれなりに経つ。もうそろそろ攻撃について学ぶべきじゃと思うのじゃ」
「えー? まだ早いでしょ」
「いやそんなことはないはずなのじゃ。妾も随分と体が動くようになってきたのじゃ」
「ソフィ、何回も言ったけど、別に攻撃なんか覚えなくてもいいの。危険を予知して、危険から遠ざかる。これが一番強いのよ」
リディアは呆れているのか、テーブルの上に肘をついて気だるそうにしている。リディアが乗り気でないのを見て、ソフィの心に小さな火が灯った。
今はこう言っているが、攻撃を覚えるということは重要なはずだ。せっかく凄腕の剣士がいるのだから、剣の扱いを覚えるのもいいことに違いない。
それに剣を扱うというのは見た目がかっこいい。やはりここはリディアを説き伏せなければいけない。
ソフィはリディアの言い分を理解したかのようなフリをして大きく頷いた。
「うむ、リディアの言いたいこともわかるのじゃ。しかし、それはそれとして学び、攻撃の手段も別に学べばよいだけではないか。妾も別に戦おうなどというつもりはないのじゃ。危なければ逃げるのじゃ」
「……でもソフィには必要ないわよ。大体ソフィには凄い魔法があるんだから、別に剣や拳でどうこうなんて考えなくてもいいでしょ」
「それはそうかもしれんが、妾とて常に杖を持ち歩いているわけではないのじゃ。今も杖を持っておらんから、こんな寒い思いをしておる」
急に追い出されたものだから、自分の杖を持ち出すことが出来なかった。それさえあればこの蔵の空気を暖めることが出来たはずだ。
そんなことが出来るほどに魔法は優れているが、それも杖があればの話だ。
ソフィは説得を続けるために、軽く体をテーブルへと乗り出した。
「妾の魔法は優れておる。しかし、それだけでは何かあった時に対処できんのじゃ」
「何かって何よ? そんな危ないことに近づかないのが一番でしょ。そんなことより、転んで怪我しないとか、疲れにくい体にするとか、そっちのほうが大事よ」
どうもリディアは攻撃について教えようという気は無いようだ。その理由がよくわからない。自分がまだ未熟だからそう考えているのかとも思えたが、どうも違うような気もした。
それを知る必要があるだろう。ソフィは椅子に座りなおして腕を組んだ。
「ならばリディアよ、いつになったら攻撃を教わることができるのじゃ?」
「……別に覚えなくてもいいんじゃない?」
「なぬっ?!」
驚きで思わず体を乗り出してしまった。リディアは涼しい顔でつまらなさそうに自分の髪を指先で弄っている。
それを見ていると苛立ちがふつふつと沸き上がってきた。運動に対して特に乗り気でなかった自分をその世界に誘い込んだのはリディアなのに、こちらがやる気を見せたら教えるのを拒否しようとしている。
沢山の知識を詰め込み、戦い方も学べば、自分はアデルが信頼を置くほどの大人になれるはずだ。そのためにはまだまだ学ばなければならないことが沢山ある。
それを教えてくれるはずのリディアがこの調子では、こっちはどうすればいいのかがわからない。
まずは理由を問いただすべきだろう。ソフィは苛立ちが声に紛れ込まないよう注意深く唇を動かした。
「リディアよ、なにゆえに妾に攻撃を教えることを躊躇うのじゃ?」
「だって必要ないでしょ? 戦うことなんて無いんだから」
「いや戦う機会など無いかもしれん。しかし以前リディアが言っておったではないか、攻撃を覚えることは他のことについても様々な効果を及ぼし、全体的な上達に繋がると」
「言ったっけ? まぁ別に間違ってないけど……」
「うむ、ならば少しくらい覚えたところで問題はないはずじゃ。なに、妾も才能溢れる女ではあるが、さすがにすぐさまリディアに近づけるわけではない。少しずつなのじゃ」
そう言ってからちらりとリディアの様子を見る。どうもリディアは呆れているようで、形のよい唇の間から長く息を吐き出していた。こちらのしつこさに辟易しているようではあったが、ここでもう少し押せばリディアの心もぐらつくだろう。
ソフィは声の調子を真面目なものに整え、声を置き並べるように話し出した。
「妾は優しく賢い女じゃ。わざわざ危険なことをするつもりなどない。攻撃というが別に人を傷つけるつもりなどないのじゃ、これもまた妾の更なる成長のためのもの。少しくらい覚えても損は無いはずなのじゃ」
「……はぁ、わかったわよ」
リディアはそう言ってさらに肩を落とした。乗り気ではないようだったが、リディアはついに折れたようだ。
ソフィは内心に走った喜びを押し殺し、浮いてしまいそうな唇の端をぎゅっと閉じた。これで自分はさらに大人に近づくことが出来る。
アデルも自分をただの幼い子どもではなく、自分の身を自分で守れる女だと思うことだろう。カールも棒を振り回して自身を鍛えているようだが、いずれカールは自身より背の低い女の子に負けるのだ。
きっと悔しがることだろう。その場面はイレーネにも見せてやらなければいけない。
ソフィはほくそ笑みが溢れそうになって、さらに唇をぎゅっと閉ざした。
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