名も無き農民と幼女魔王

寺田諒

文字の大きさ
上 下
26 / 586
第三章 誰かの目的地、誰かの帰り道

魔王、キスについて学ぶ

しおりを挟む


 アニーの部屋で、ソフィは自分を取り巻く状況についてアニーに説明をした。
 自分が変な男と出会ったこと、孤独な自分を引き取ってくれたこと。
 自分のような子の面倒を見るのは大変なはずなのに、大事にしてくれていること。

「そういうわけでじゃな、妾には、その男がどうしてそこまで妾に対して優しくしてくれるのかまったく理解できん」
「それはソフィのことが好きだからじゃないの? そう言ってたんでしょ?」
「う、うむ……。大好きじゃと言っておった」

 ソフィが顔を赤らめて、もじもじと太ももを擦り合わせる。

「それで、ソフィはその男のことが好きなの?」
「ふぇっ?! ど、どういうことじゃ?!」
「どういうことって、そのままだけど。まぁ反応見てればわかるわね、ソフィちゃんはその男のことが好きなんでしょう」
「う……、わ、わからんのじゃ、情けない話じゃが、妾には自分の感情になんと名づけてよいのかわからんのじゃ」

 赤い顔を伏せてしまったソフィを見て、アニーがニヤニヤと笑みを浮かべる。
 何か思いついたらしく、アニーが人差し指をピッと立てた。

「そうねぇ、じゃあソフィ、ちょっと考えてみて。知り合いでもこの町で見た人でもなんでもいいけどさ、なんか適当なおっさんを一人思い浮かべるの」
「ふ、ふむ……」
「でね、その人が、ソフィの手を握ってきたり、ソフィに抱きついてきたりとかしてきたら、嫌?」
「……それは嫌じゃのう、嫌すぎるのう」
「私もーっ!」

 アニーは杯を高く掲げて同意した。

「そんでねぇソフィ。そのソフィちゃんが想ってる男がソフィちゃんの手を握ってきたりしたら?」
「……前は好ましいとは思わんかったが……」
「その男ともっと一緒にいたい?」

 ソフィがこくりと頷く。

「そう。で、その男とキスしたいと思う?」
「き、キス? それはなんじゃ?」
「えっ?! 嘘、知らないの?」

 本気で驚いたのか、アニーが両目を見開いてソフィを見た。
 ソフィは俯き、つっかえながら話を続けた。

「う、うむ。その、妾は色々と知らぬことが多い、それゆえに色々なことを学びたいと思っておる。こうやってお主に尋ねているのも、それなのじゃ……」
「ふーん……、そっかぁ。それじゃ教えてあげるね、えーと、この辺りに……」

 アニーは机の引き出しを開けて、その中から一冊の小さな本を取り出した。綴じ糸はボロボロで今にも崩れそうなその本を、アニーはゆっくりとめくっていく。

「これは昔話とかが載ってる絵本でね、ええと、確かこのあたりに。あ、あった、これだ」

 アニーはその本の挿絵を指差しながらソフィに見せた。そこには冠を被った男女が口付けをしているところが描かれていた。

「キスっていうのは、こうやって唇と唇を合わせることを言うの、口付けともいうわね」

 その挿絵を見たソフィが、顔をさらに真っ赤にさせて、それでも食い入るようにその挿絵に視線を注がせる。

「な、なんと……。破廉恥ではないのか」
「あはは、破廉恥と来たか。ま、人前ですることじゃないねー」
「なんと……」

 驚きに目を丸くしているソフィを見て、アニーが微笑みを浮かべる。

「で、ソフィ、こういうことを見知らぬおっさんとかにされたら嬉しい?」
「そんなわけが無かろう! とんでもなく腹が立つわい! 気色の悪い、想像もしたくないわ」
「そうよね、じゃあ、そのソフィちゃんを大事にしてくれてる男とは?」
「なっ……?! そ、それは……、それは……」

 ソフィの顔は茹蛸のように真っ赤で、今にも蒸気を噴出しそうなほどだった。
 その反応を見て、アニーは満足したようだった。

「ほら、キスしたい人、したくない人がいるでしょ。それでね、好き同士になった男女はこうやってキスをするの。そうやって自分達の仲をもっと深くして、お互いをもっと大事に思っていくの」
「お、おぉ……」

 頭の理解が追いつかず、ソフィは声を漏らすことしかできない。そんなソフィを見ながら、アニーはワインをぐびぐびと飲む。
 杯を机に置いて、アニーはワインの瓶を持ったままソフィのすぐ隣に座った。

「じゃあソフィ、ちょっと想像してごらん」
「何をじゃ?」
「その、あんたの好きな男がこうやって隣に座ってくるじゃない?」
「う、うむ」
「それでこうやって、この綺麗な髪を撫でたりとか背中を撫でてきたら?」
「……な、なんじゃろう……、よくわからん」
「そう、でもその男がそういうことしてきたら嫌?」
「そういうわけではない……」
「むしろ嬉しいのよね?」
「あ……、そ、それは」

 口の中に渇きを感じ、ソフィはリンゴジュースを飲んだ。心臓が高鳴り、目が乾く。

 もしもアデルがそうやって自分の髪や背を撫でてくれたなら、どうなるのだろう。
 ソフィは想像してみた。きっとアデルは優しい笑みを浮かべて、髪を撫でてくれるだろう。この髪を綺麗だと言ってくれた。
 そして、あの挿絵のように口付けをするのだろうか。

「あわわわ……」
「あらまー、真っ赤になって、可愛いったらありゃしない」
「な、なんと……。このような、このようなことがこの世にはあるのか」
「あるのよー。それはもう大事なことよー。男女なんていういのはそういうものなんだから、むしろ、それが無かったらその男女はおかしいっていうくらい。好き合ってる同士でキスもしないなんておかしい」
「おおぉ、なんじゃ、そ、それは」

 言葉が上手く出てこなくて、ソフィはもじもじと指先を絡めた。

「ほらー、ソフィ、嫌じゃないんでしょ? じゃあ、ソフィはその男のことが好きなのよ。一緒にいたいんでしょ?」
「……なんと、妾はアデルのことが好きであったのか……。好き……、アデルのことが、好き」

 口に出してみると、再び心臓がどくどくと高鳴った。
 初めての感情に戸惑っていると、アニーは手の平を上に向けながら話を続けた。

「男だってね、そういうことを好きな女としたいと思ってるのよ。それ以上のことだってね」
「な、なんと言ってよいのかわからぬが……、そうか、妾は……」
「そうやって好き同士になった男女がね、結婚して一緒に暮していくわけよー。いやぁ、大変だねー」
「それはつまり、嫁になるということなのか?」
「そーそー」

 アニーはそう言ってワインの瓶に直接口をつけてワインを飲み始めた。
 漂ってきた匂いに、ソフィが眉を顰める。

「のうアニーよ、それはもしや、酒ではないのか?」
「え? そうよ、それがどうかしたの?」
「いかん、いかんぞ。酒というのは体に悪い、それに愚かになるのじゃ」
「そうねー、でもお酒っていうのは時には薬になるのよ。薬だって飲みすぎれば体に悪い、どんなものだって食べ過ぎたり飲み過ぎたら体に悪いっていうだけよ」
「むむ……、そうなのか?」
「まぁ飲んでみればわかるわよ」

 そう言ってアニーは瓶の口をソフィーの唇に押し付けた。

「ちょ、ちょっと待つのじゃ」
「ちょっとだけちょっとだけ、大丈夫だってお姉さんに任せて」
「んぐぐぐっ」

 口内に広がったワインの風味と、アルコールの匂いに、ソフィは驚かずにはいられなかった。今まで味わったことが無い奇妙な匂いと、かすかな甘み、それらがソフィの口内を満たす。
 注がれたワインを零してはいけないと、ソフィは思わずそれを飲んでしまった。

「ぶはっ、な、なんじゃこれは、こんなものを飲むとは、アニーよ、お主一体何を考えておるのじゃ」
「あらー、お気に召さなかった? 結構美味しい奴なんだけどねこれ」
「よい、もうよい。妾はこういうものは飲まん」

 けほっとひとつ咳き込んでから、ソフィは口元を指で拭った。

「それに、妾は酒を飲むことを、その男に対して禁止したのじゃ。ならば妾が飲むわけにはいかん」
「あらまー、それはまた、随分と酷い……」
「酷くなどない、こういうものは良くない。それに……」

 ソフィが言いよどむ。アニーは続きを促すようにソフィの言葉を繰り返した。

「それに?」
「なんというか、酒を飲むのを禁止した時……、なんじゃ、その、上手く言えんのじゃが、少しだけその男が手に入ったような気がした……。それが、少し嬉しかった」
「ふーん……、束縛って奴かな。まぁよくあるわよねそういうの」
「束縛?」
「恋愛にはよくあるのよ、相手にこういうことをするなって命令したりするの。それが守られてると、ほら、自分の意思とかが大事にされてるように感じられるじゃない?」
「むむ……、なるほど。しかし、それとは少し違うような気もするのじゃ。なんというか、その男がよくないことをして、それを禁止することで、おそらく妾は今までずっと妾より上だった男に対して小さな勝利を収めたような気がしたのかもしれん」
「ふーん……、勝利と来たか」

 アニーは天井を見上げて、感心したように一度頷いた。ソフィはさらに続ける。

「それでじゃな、その男がやらと自分のことを男前などと言うので、それも禁止しようとしたのじゃが、そちらはあまり嬉しくなかったのじゃ」
「ふーむ、何やら複雑ねぇ」
「う、うむ。自分でも説明しがたい……」
「そうか、自分の気持ちが、自分でもよくわからないのか。よーし、お姉さんに任せておきなさい。とことんまで優しく教えてあげりゅーっ!」

 目を閉じて胸を叩くアニーに、ソフィはこくりと頷いて見せた。










しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

愛されなければお飾りなの?

まるまる⭐️
恋愛
 リベリアはお飾り王太子妃だ。  夫には学生時代から恋人がいた。それでも王家には私の実家の力が必要だったのだ。それなのに…。リベリアと婚姻を結ぶと直ぐ、般例を破ってまで彼女を側妃として迎え入れた。余程彼女を愛しているらしい。結婚前は2人を別れさせると約束した陛下は、私が嫁ぐとあっさりそれを認めた。親バカにも程がある。これではまるで詐欺だ。 そして、その彼が愛する側妃、ルルナレッタは伯爵令嬢。側妃どころか正妃にさえ立てる立場の彼女は今、夫の子を宿している。だから私は王宮の中では、愛する2人を引き裂いた邪魔者扱いだ。  ね? 絵に描いた様なお飾り王太子妃でしょう?   今のところは…だけどね。  結構テンプレ、設定ゆるゆるです。ん?と思う所は大きな心で受け止めて頂けると嬉しいです。

完結 お飾り正妃も都合よい側妃もお断りします!

音爽(ネソウ)
恋愛
正妃サハンナと側妃アルメス、互いに支え合い国の為に働く……なんて言うのは幻想だ。 頭の緩い正妃は遊び惚け、側妃にばかりしわ寄せがくる。 都合良く働くだけの側妃は疑問をもちはじめた、だがやがて心労が重なり不慮の事故で儚くなった。 「ああどうして私は幸せになれなかったのだろう」 断末魔に涙した彼女は……

悪役令嬢の双子の兄、妹の婿候補に貞操を奪われる

アマネ
BL
 重度のシスコンである主人公、ロジェは、日に日に美しさに磨きがかかる双子の妹の将来を案じ、いてもたってもいられなくなって勝手に妹の結婚相手を探すことにした。    高等部へ進学して半年後、目星をつけていた第二王子のシリルと、友人としていい感じに仲良くなるロジェ。  そろそろ妹とくっつけよう……と画策していた矢先、突然シリルからキスをされ、愛の告白までされてしまう。  甘い雰囲気に流され、シリルと完全に致してしまう直前、思わず逃げ出したロジェ。  シリルとの仲が気まずいまま参加した城の舞踏会では、可愛い可愛い妹が、クラスメイトの女子に“悪役令嬢“呼ばわりされている現場に遭遇する。  何事かと物陰からロジェが見守る中、妹はクラスメイトに嵌められ、大勢の目の前で悪女に仕立てあげられてしまう。  クラスメイトのあまりの手口にこの上ない怒りを覚えると同時に、ロジェは前世の記憶を思い出した。  そして、この世界が、前世でプレイしていた18禁乙女ゲームの世界であることに気付くのだった。 ※R15、R18要素のある話に*を付けています。

あなた方はよく「平民のくせに」とおっしゃいますが…誰がいつ平民だと言ったのですか?

水姫
ファンタジー
頭の足りない王子とその婚約者はよく「これだから平民は…」「平民のくせに…」とおっしゃられるのですが… 私が平民だとどこで知ったのですか?

オーガ転生~疲れたおっさんが城塞都市で楽しく暮らすようです~

ユーリアル
ファンタジー
世界最強とも噂される種族、オーガ。 そんなオーガに転生した俺は……人間らしい暮らしにあこがれていた。 確かに強い種族さ! だけど寝ても覚めても獣を狩ってはそのまま食べ、 服や家なんてのもあってないような野生生活はもう嫌だ! 「人間のいる街で楽しく暮らしてやる!」 家出のように飛び出したのはいいけれど、俺はオーガ、なかなか上手く行かない。 流れ流れて暮らすうち、気が付けばおっさんオーガになっていた。 ちょこっと疲れた気持ちと体。 それでも夢はあきらめず、今日も頑張ろうと出かけたところで……獣人の姉妹を助けることになった。 1人は無防備なところのあるお嬢様っぽい子に、方や人懐っこい幼女。 別の意味でオーガと一緒にいてはいけなさそうな姉妹と出会うことで、俺の灰色の生活が色を取り戻していく。 おっさんだけどもう一度、立ち上がってもいいだろうか? いいに決まっている! 俺の人生は俺が決めるのだ!

巻き戻り令息の脱・悪役計画

日村透
BL
※本編完結済。現在は番外後日談を連載中。 日本人男性だった『俺』は、目覚めたら赤い髪の美少年になっていた。 記憶を辿り、どうやらこれは乙女ゲームのキャラクターの子供時代だと気付く。 それも、自分が仕事で製作に関わっていたゲームの、個人的な不憫ランキングナンバー1に輝いていた悪役令息オルフェオ=ロッソだ。  しかしこの悪役、本当に悪だったのか? なんか違わない?  巻き戻って明らかになる真実に『俺』は激怒する。 表に出なかった裏設定の記憶を駆使し、ヒロインと元凶から何もかもを奪うべく、生まれ変わったオルフェオの脱・悪役計画が始まった。

モブ兄に転生した俺、弟の身代わりになって婚約破棄される予定です

深凪雪花
BL
テンプレBL小説のヒロイン♂の兄に異世界転生した主人公セラフィル。可愛い弟がバカ王太子タクトスに傷物にされる上、身に覚えのない罪で婚約破棄される未来が許せず、先にタクトスの婚約者になって代わりに婚約破棄される役どころを演じ、弟を守ることを決める。 どうにか婚約に持ち込み、あとは婚約破棄される時を待つだけ、だったはずなのだが……え、いつ婚約破棄してくれるんですか? ※★は性描写あり。

俺の異世界先は激重魔導騎士の懐の中

油淋丼
BL
少女漫画のような人生を送っていたクラスメイトがある日突然命を落とした。 背景の一部のようなモブは、卒業式の前日に事故に遭った。 魔王候補の一人として無能力のまま召喚され、魔物達に混じりこっそりと元の世界に戻る方法を探す。 魔物の脅威である魔導騎士は、不思議と初対面のようには感じなかった。 少女漫画のようなヒーローが本当に好きだったのは、モブ君だった。 異世界に転生したヒーローは、前世も含めて長年片思いをして愛が激重に変化した。 今度こそ必ず捕らえて囲って愛す事を誓います。 激重愛魔導最強転生騎士×魔王候補無能力転移モブ

処理中です...