名も無き農民と幼女魔王

寺田諒

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第二部 第三章

味見

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 正午の影が鋭く北を指している。薄い空の下を歩いていると体温も段々と上がってきた。カールは額に浮かんだ汗を袖で拭い、それから後ろへと視線を向けた。

 ソフィが何か真剣な表情をしながら歩いている。その小さな肩には束ねた枝が乗っていた。さっき林で集めてきたものだ。

 こうやってソフィにも持たせるつもりはなかったのだが、ソフィも持つと言い出したのでこうなった。おかげで沢山の枝を一度に運べることになったが、それでも垣根を作るにはまだまだ足りないかもしれない。



 空気は冷たくて気持ちよい。もう少し肌に直接触れさせてやりたかったが、ソフィの前でそういう姿を見せるべきではないだろう。







 アデルの家の前まで到着すると、ソフィは背負っていた粗朶を放り投げた。疲れているからか、庭の長椅子に腰掛けて一息ついている。

 自分も粗朶を肩から降ろした。この量ではまだまだ広い囲いを作ることはできないだろう。



 大事にしていた鶏をアデルが引き受けてくれることになった。もうこれ以上生きていけないはずの家畜を、アデルはなんの利益も無いのに育ててくれることになったのだ。

 アデルがそこまでしてくれたのは、きっと自分に同情したからだろう。その上、アデルは鶏のためにわざわざ小屋まで作ってくれると言う。



 本当にありがたいことだった。自分のためにそこまでしてくれたのだから、自分もアデルの力にならなければいけない。もちろん、アデルは人格者だから見返りなどは求めていないだろう。

 それに、今の自分ではアデルの力になることはできない。まだ力も弱く、頭も良いわけでもない。ただ、いつまでもそんな自分でいてはいけない。もっと仕事を覚えて、アデルの役に立てるようになるのだ。





 そんなことを考えていると、蔵のほうからアデルが歩いてくるのが見えた。アデルは片手を上げると、爽やかな笑みを見せた。



「おお、二人ともお疲れさん。うむ、いい感じに枝を拾ってきてくれたようじゃな」

「でもまだまだ量が足りないから。少し休んですぐに」

「いやいや、そう焦るでない。まずは昼食にしようと話しておってな。カールも食べてゆくとよい」

「え? でも、もっと枝を拾わないと」

「ハッハッハ、そんなに急いでも仕方あるまい。それに、わしも腹が、いやお腹が空いたでのう。カールも手伝ってくれんか」

「うん、手伝うよ」



 アデルが手伝いを求めているのなら、手伝わない理由はない。自分も料理のお手伝いなら時々やっているから、アデルの力になれるだろう。

 他のことならともかく、ここならアデルにも頼られるくらいのことはできるかもしれない。



 そう思って一人でほくそ笑んでいた時、すぐ隣にソフィが立っているのが視界の端に入った。



「うわっ!」



 急に隣に立たれて驚いた。ソフィはじとーっとした目でこちらを見ている。一体どうしてそんな顔をしているのかはよくわからない。

 ソフィは呆れているのか、温度の低い声で言う。



「カールよ、そこまで張り切らんでよいのじゃ」

「え? そ、そうかな。でもやっぱり役に立ちたいし」

「殊勝な心がけなのじゃ。しかし、調子に乗るでない」

「え?」



 何を言っているのかよくわからない。ソフィは言うことは言ったとばかりに家の中へと引っ込んでしまった。

 その後を追おうとしたところで、アデルに肩を掴まれた。



「カール、先に枝をこっちに運んでくれんか」

「あ、うん」



 確かに庭に放りっぱなしはよくなかった。アデルに言われた場所に枝を運ぶ。どうやらアデルはこのあたりに鶏小屋を建てるつもりらしい。

 小屋作りは順調なのだろうか。さすがのアデルでも鶏小屋を一日で建てるのは難しいかもしれない。そうなると明日も手伝いに来たほうがいいだろう。





















 フライパンの中でベーコンが脂汗を流していた。パチパチと小さな音を立てながら気泡が弾ける。ベーコンはじっくりと弱火で炒められ、身は段々と固くなってきているようだった。

 その表面は少しずつ暗い色へと転じ、弾力も少しずつ失われている。

 アデルは短冊に切ったベーコンを木べらで動かした後、頷いた。



「うむ、良い感じじゃ。見ろカール、これぐらいまでしっかり火を入れたほうがよい」

「うん」



 アデルの隣に立ってフライパンの中身を覗き込む。料理の手伝いを申し出たのだが、手伝いというよりはアデルの教えを受けているような状況になった。一方、後ろでは美女三人が小麦粉と芋を練って団子を作っている。

 手伝いというのはああいうのを指すのではないかと思えた。



「さてカール、ここで一旦ベーコンを取り出す。その皿を取ってくれ」

「うん」



 言われた通りに皿を渡すと、アデルは炒めたばかりのベーコンを皿へと移した。ベーコンの表面はまだ泡立っている。



「よい薫香じゃ。ベーコンもやはりカリカリしたところを作らねば楽しくないでのう。このぐらいがわしの好みじゃ」

「そうなんだ」



 アデルは再びフライパンを火にかけた。中にはもう脂しか入っていないのにどうしてそんなことをするのだろう。

 そう思っていると、アデルが言った。



「カール、少々離れたほうがよい。わし、今からワインを入れるでの」

「ワイン?」

「うむ、ほれ、このフライパンの底、焦げ付いておるじゃろ?」

「うん」

「この焦げ付きがうま、……いや、この焦げ付きが旨味でな。美味しいところなわけじゃ。で、この焦げ付きを落とすためにワインを注ぐっと」



 そう言いながらアデルはフライパンの上にワインを注いだ。その瞬間に激しく水分が爆ぜた。これが危ないから離れてくれと言ったのだろう。そう思った時、フライパンが激しく燃え上がった。



「わわっ!」

「ハハハ、そこまで怖がらんでもよかろう」

「べ、別に怖がってないよ」



 そう強がった。アデルはそれ以上からかうつもりはないらしく、さらに説明を続けた。



「ワインというものには酒精というものが入っておってな、それはこうやって熱くすると飛ばすことができる。今のでワインの酒精を飛ばしたわけじゃが、酒精というものはよく燃えるでな。今のように火が立つ。別に火を出さねばならんというわけではないが、こっちのほうが早いし香りも立つでな」



 アデルはそう言ってから木製のスプーンを手に取った。フライパンの火はすでに消えて、中にはベーコンの脂とワインの混ざった液体が残っている。

 アデルはスプーンでその液体を少量掬った。それからそのスプーンの先をこちらの顔のほうへと持ってくる。



「まぁ言葉で言ってもわからんじゃろ。ほれ、まずは味見じゃ」

「うん」



 確かに言葉だけでは伝わらない。百回聞くよりも一度味見をしたほうがいいはずだ。

 そう思って少しばかり首を伸ばした瞬間、アデルと自分の間にぬっとソフィの顔が現れた。



「うわっ?!」



 急に現れたソフィに驚いて、ついのけぞってしまう。しかしソフィは何食わぬ顔でスプーンに食いついた。スプーンに乗っていた液体を口に含み、何度か唇を動かす。



「うむ、塩っけが足らんのじゃ」

「いやソフィ、この段階で味を決めるようなことをしては後で困るでな。今はまず焦げをワインで落としたことで生まれる味の複雑さを見ねば」

「複雑? なんじゃ、味が複雑とか言われてもわからんのじゃ」

「まぁそうかもしれん。しかしこういう複雑さが味に深みを出すわけで、それが料理をさらに美味しくするわけじゃ」

「ふむ、よくわからんがアデルがそう言うのであればそうなのじゃろう」



 ソフィは頷いた後、こちらに目を向けてきた。



「これカールよ、何を驚いておるのじゃ」

「そ、そういうわけじゃないけど」



 いや、ソフィの顔がぬっと現れて驚いたのは事実だった。あんな近い場所にソフィの顔があったら驚かずにはいられない。

 対してソフィには特に動揺した様子もなかった。



「カールよ、味見がしたければ妾が手伝ってやるのじゃ」

「ええ?!」



 ソフィはスプーンをフライパンの中に突っ込み、中に入っていた液体をすくい上げた。それからそのスプーンの先をこちらの顔の前へと持ってくる。

 そのスプーンを見つめて固まってしまう。なぜなら、そのスプーンはさっきソフィが思い切り口に含んだもので、きっとソフィの唾液がついていることだろう。自分がそのスプーンに口をつけたなら、当然ながらソフィの唾液も自分の口の中に入ってくる。



 それが嫌なわけではない。むしろ嬉しいというか、是非ともそうしたいと思う。ただ、ソフィの目の前でそんなことをすれば、ソフィはどう思うのだろう。

 そもそもソフィは自身が口をつけたスプーンをこちらの口に突っ込んでもなんとも思わないのだろうか。



 どうすればいいのだろう。ソフィがこうやって差し出しているのだから、言われた通りにしたほうがいいのだろうか。しかし、自分が澄ました顔でそんなことができるとは到底思えなかった。

 顔が赤くなって、うろたえてしまうことだろう。そうすればソフィに変に思われるのは確かだ。



 やはりここは拒否したほうがいいのだろうか。それはそれで意識しすぎではないかと思われてしまうかもしれない。

 ごくりと唾を飲み込んだ。目の前のスプーンにじっと視線を向ける。



 こんな機会はもう無いかもしれない。ソフィが味見しろと言っているのだから



「そ、そんな、僕」

「なんじゃ、妾がこうやって差し出すのでは不満と言うのか」

「そういうわけじゃなくて……」

「フン、まったく困った男じゃ」



 こうなったからにはそのスプーンにかぶりつくしかない。覚悟を決めた瞬間、ソフィはもう諦めたのかスプーンをすっと引いた。それからそのスプーンをアデルの口に突っ込む。

 アデルは唇でスプーンを挟んだ。ソフィがスプーンの柄から手を離したが、スプーンはアデルの口から落ちることはない。



「なんじゃその顔は」



 ソフィが目を細めている。今の自分はどんな顔をしていたのだろう。鏡が無いから断言はできないが、きっと残念そうな顔をしていたのだろう。

 そんな顔をソフィに見せるわけにはいかない。どうにか心を落ち着けて表情を整える。

 こちらの様子を見て、ソフィがじとーっとした視線を向けた。





「ちょっとソフィ、遊んでないで手伝いなさい」

「別に遊んでおらん。妾は味見をしておったのじゃ」

「はいはい、後で味見すればいいでしょ。ソフィもお団子作るの手伝うの。ただでさえソフィの作ったのは大きさがバラバラで全然ダメなんだから、練習しないと」



 テーブルの上ではリディアが小麦粉と芋とチーズを混ぜたものを団子状に丸めている。慣れているのか、団子の大きさもよく揃っていた。

 その隣でシシィが指の節を使って丸い団子の中央を潰している。ああやって平たくすることで火がすぐに通るようになるのだろう。



 シシィとはまったく関わりが無いので、あまり喋らない人だということくらいしかわからない。金色の髪は肩のあたりまでで止まっている。わずかに波打ったその髪に、今は小さな三編みの房が揺れていた。

 白い肌は透き通るようで、唇は血色がよく、まるで子どものそれのようだ。



 とても綺麗な人だと思えた。同時にまるで現実の人だと思えないほどに儚く見えてしまう。画家がシシィを描こうとすれば針先のように細い筆を使わなければいけないに違いない。

 おとぎ話の中から出てきたかのような容姿は、いつまでも見ていたくなるほどだったが、さすがにジロジロと見ていては失礼だろう。



 ソフィはしぶしぶといった様子で団子作りの作業に戻っていった。



「よしカール、そろそろ次の作業に移るでな」

「あ、うん」



 アデルはもうこれ以上余計な時間を使うつもりはないらしい。きっとアデルの中は料理にどれだけの時間がかかるのかを計算しているのだろう。急いでいるということは少し遅れ気味なのかもしれない。

 遅れの理由のひとつはこうやって自分に料理を教えていることにもあるのだろう。

 足を引っ張らないようにしないといけない。そう思って気を引き締めた。





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