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第二部 第三章
カールの秘密
しおりを挟む林の中は日光が遮られて暗いものの、そこまで寒くはなかった。枝や葉が長い時間をかけて積もったせいで、足元は少しばかり柔らかい。冬の太陽は遠慮するかのように横から光を投げかけていて、おかげで木々の間を通る度に目に光が飛び込んできたりして眩しかった。
木々の幹はその光を受けて輪郭だけを鈍い金色で縁取っている。おそらく幹がわずかに濡れているせいだろう。雨が降ったわけでもないのに、不思議なことだった。
ソフィは目の前に立つカールを見て頷いた。
「うむ、カールよ。妾は実に賢く、色々なものを見通す力を持っておるのじゃ」
「そ、そうなんだ」
カールは気のない返事をしつつも、一応こちらの話の続きを待っている。
その様子を見ていると、このまま話を続けてよいのかどうかが気になってしまった。カールはリディアに惚れているのだろう。しかし、その恋慕の気持ちがリディアに通じることは無い。早いうちにその淡い感情を断ち切ってやるのも優しさのはずだ。
しかし、カールが今ここで傷つくのは間違いないかもしれない。
「カール、妾はもちろん気づいておるのじゃ。カールには惚れた女がいるのであろう」
「えええっ?!」
カールは盛大にうろたえた。真実を言い当てられて驚いているのだろう。ここはもう少し待ってから話を続けたほうがいいに違いない。
あまり矢継ぎ早に話すと、カールの理解が追いつかないだろう。もしカールがリディアのことを諦められないのであれば、カールは満たされない思いを抱えたまま生きてゆくことになる。
カールのような少年にとってそれはあまりにも酷なことだろう。
「落ち着くのじゃ。妾にはわかっておる」
「いや、僕、それは」
カールの顔は真っ赤で、まるで茜で染めた布のようだった。カールの青い瞳が小刻みに揺れ動く。どこを見ていいのかわかっていないのだろう。
これからカールにとっては辛いことを告げなければいけない。カールも聞くのが嫌になるだろう。
しかし、カールに言わなければいけない。
「よく聞くのじゃカール、おぬしはリディアに惚れておるな?」
「え?」
「よい、みなまで言うでない。妾には分かっておるのじゃ。仕方がないのじゃ。カールも男、あのような美人に惹かれないわけがないのじゃ」
「いや、あの……」
「しかしカールよ、妾は言わねばならん。リディアの気持ちはカールへと向かんのじゃ。カール、リディアのことは諦めるのじゃ。なに、リディアに比べれば格段に劣るが町には可愛い子もいるのじゃ。エルナなどもそこそこ可愛いのじゃ」
そう言うと、カールは目をパチクリさせながら固まった。衝撃的すぎて情報の整理が追いつかないのだろう。もう少し待ってやったほうがいいかもしれない。
カールは何度か首を振ってからうーんと唸った。考え事もまとまったらしく、カールが口を開く。
「あの、僕、別にリディアさんに惚れてないけど」
「誤魔化す必要はないのじゃ。妾にはわかっておる」
「誤魔化すとかじゃなくて、本当に」
「なんじゃまだ認めぬつもりか!」
「いやそうじゃなくて」
「現実を見るのじゃ。リディアはカールに惚れることはないのじゃ。諦めるがよい」
そう言い放ってやると、カールは再びうーんと唸ってしまった。
やはり認めがたいのだろう。内心をズバリ言い当てられた恥ずかしさでいっぱいに違いない。
カールは首を振った。
「リディアさんはすごい美人だと思うけど、でも、僕はだからといって好きになったとか、結婚したいとか思ったりはしてないよ」
「なんじゃ、まだ言うのか」
「まだっていうか、誤解だよ。素敵な人だと思うけど、僕なんかじゃ全然リディアさんに釣りあわないし」
カールの表情には焦りのようなものは見てとれない。まるで当然のことを当然のように言っているかのようだった。
その反応を見ていると、カールの言っていることが真実なのではないかという気になってしまう。
「本気で言っておるのか?」
「本気だよ。だって僕は……、いや、その、とにかく、僕は全然、リディアさんみたいな美人とは釣りあわないし、ソフィちゃんが思ってるようなことは考えてないよ」
「……本当にー?」
「本当だよ」
カールは大きく頷いた。いつものカールなら何かあればすぐにみっともなく狼狽するものだが、今は平然としている。どうやら本気で言っているらしい。
ゆっくりと息を吸い込んだ。
「それならばもっと早く言うのじゃ! まぎらわしいことをしおって!」
「ええっ?! 最初っから違うって言ってたのに!」
カールが眉を上げた。
その後、二人でのそのそと枝を拾い集めた。二人で持って行くには十分な量だろう。
どちらか一人が粗朶を背負うだけでは効率が悪いが、二人で持っていけばその分だけ早く沢山運べる。
二人で家に向かって歩く。
「しかしカールよ、おぬしはなんなのじゃ」
「何って?」
二人して束ねた枝を背負っているから、距離が少し離れている。カールの声がいつもより大きかったのは、よく聞こえなかったというのもあるのかもしれない。
「いや……、さすがの妾も時には真実を見誤ることがあるのじゃ。それは仕方がないとしても、カールよ、リディアのような美人を見てなんとも思わんのか? よいか、あのような美人は村の外どころか世界を探してもおらんのじゃ。心が動いたりはせんのか?」
「もちろんすっごく美人だと思うし、性格も飾らなくて気さくだし、すごくいい人だと思うけど……。僕は、その、やっぱりほら、僕みたいなダメな男だとリディアさんみたいな人とは全然釣り合わないし」
「なんじゃさっきから釣り合い釣り合いなどとうるさいのう。リディアのような女に釣り合う男などこの世にはおらんのじゃ。大体、なんじゃカールは自分がダメダメなことを自覚しておったのか。妾はそれに驚いておる」
「えっと、別にダメダメというか、ダメだなぁって思うことはそれは、あるけど」
「うむ、聞くところによるとあの鶏が死ぬかもしれんと言って泣いたそうじゃな」
「えええっ?! な、なんでそれを、あ、アデル兄ちゃん、そんなこと言わなくても……」
「やかましい、妾の家であの鶏を世話することになったのじゃ。アデルがその経緯を家族に説明するのも当然であろう」
「そ、それはそうかもしれないけど……」
一丁前に恥ずかしがっている。たかだか鶏一匹のために大袈裟な男だ。自分だって鶏の肉くらい食べたことがあるだろうに。家畜を可愛がって、そのせいで愛着が湧いてしまった。
その尻拭いのためにこうやって枝を背負ってエッサホイサと歩いているのだ。
そんなことを考えていると、段々と腹が立ってきた。
この男のためにこうやって枝を運んでいるし、アデルも小屋を作るために時間を消費している。
「アデルもアデルじゃ、カールを甘やかしおって」
「う……」
どうやらカールにとっては痛いところだったようで、バツが悪そうに俯いてしまった。その横顔を見ていると、自分が悪いことをしているのだと思ってしまう。
だからといって手を緩めるのも違うような気がしてしまった。
「カールよ、大人にならねばならんのじゃ。泣いて主張を通そうとするのは子どものすることなのじゃ」
「うん……、わかってるよ。僕も、いつまでも子どもでいちゃダメだから。だから、僕、アデル兄ちゃんみたいになれるように、頑張らないと」
「アデルのようにじゃと?」
「うん、僕、アデル兄ちゃんみたいになりたい」
そう語るカールの瞳は輝いていた。遠くを見つめるその青い瞳に、アデルの姿が浮かんでいるのだろう。
「アデルのように……。うーむ、カールよ、そう思うことは悪いことではないのじゃ。しかし」
隣のカールを見た。もしカールの顔にアデルのように屈強な肉体があったら、相当気色悪いのではないかと思えた。カールの顔はやはり女の子のように可愛らしい。こうやって枝を運んでいるからか、頬にはわずかな赤みが差している。
そのまま成長すればきっとそこらの女の子より美人になりそうだと思えた。
「なんじゃ、カールはアデルのように逞しい肉体を手に入れるつもりでおるのか?」
「うん! 僕も毎日剣を振ったり、走ったり、沢山体を動かしてるんだ。いっぱい重たい物を持ち上げたりすると、段々筋肉がついてくるから、石とか持ち上げたり」
「それはまぁよいとしてもじゃな。アデルの良さは別に体の逞しさだけではないのじゃ」
「わかってる。アデル兄ちゃんは強いだけじゃなくて、すごく、優しいから。僕も、優しくて強い男になりたい」
「ふーむ……」
カールは理想に燃えているようだ。別にアデルを目標にすることは悪いことではない。しかし、少々持ち上げすぎではないかとも思えた。アデルにはアデルで多少情けないところもあるし、狼狽することも多い。シシィが都会から帰ってこなかった時など意気消沈していて実に情けなかった。
アデルのそういった面を知ってはいるが、それをカールに語っても仕方がないだろう。
「まぁよい、カールがアデルのようになりたいと言うのであれば程々に頑張るのじゃ」
「うん! 僕、いっぱい頑張る!」
程々と言っているのにまったく聞いていないようだ。カールは枝を肩に担いだままズンズンと大股で歩きはじめた。
そんなことをしても疲れるだけではないかと思えたが、指摘するのも野暮だろう。
しかし、カールも妙な男だ。一年ほど付き合いがあるが、よくわからない面も多い。
最初に出会った時、カールは握手を求めてきたはずだ。仲良くしようとか言っていた気もする。そう言っておきながらその後のカールはなかなか目を合わせてくれないし、話しかけてもなんだか反応が妙ちくりんだった。
やはりカールのような男の子にとって、余所者の女の子というのは仲良くできない相手だったのだろうか。
自分も自分でカールには度々突っかかっていたから、カールからすれば鬱陶しい女の子だったかもしれない。
結局、村のおチビちゃんたちの相手をしているうちに、チビたちを通じてカールとも話すようになった覚えがある。
カールは目を輝かせながら歩いている。その横顔を見ていると、ふと気になることがあった。
そういえば、カールはリディアを見てはいたが、今のようにキラキラした瞳では見ていなかったような気がする。
リディアのような美女と仲良くしていても惚れないのに、今はこうやって目を輝かせていた。
その横顔を見ていると、点と点の間に線が浮かび上がってゆくのが感じられた。同時に背筋に寒いものが滑り込んでくる。
「カ、カールよ」
「え?」
「おぬし、まさか、アデルのことが好きとか」
「え? うん、好きだよ」
「なんと?!」
カールはすんなりと認めてしまった。まさかとは思ったが、そのまさかだった。これでリディアのような美女に惚れなかった理由がはっきりとわかった。カールは実は男が好きだったのだ。
しかもその相手がアデルだと言う。
「僕、アデル兄ちゃんみたいに強くなって、それで、えっと、大切な人を守ったりとか」
カールは何事か言い続けているが、その言葉が頭に入ってこない。頭の中を支配するのは、カールがアデルに対して向けている気持ちについてだった。
「おお、なんということじゃ……」
きっとカールは知らないのだろう。男が男を好きになることなど許されていないのだ。そんなことが他の誰かに知られれば、あの鶏の時のような騒動とは比べ物にならない事態へと発展するだろう。
なんでも人間の神様は男同士で好きになることを禁じているのだという。カールはそのことを知らないから無邪気に告白してしまったようだが、その調子ではいずれ酷いことになるだろう。
「僕、体を鍛えて、それで、その……、ソフィちゃんをずっと、っていうか守るっていうか」
カールが照れ笑いを浮かべながら何か言っているが、その内容は耳を素通りしてしまう。
ここはカールのために言っておくべきだろう。
「カールよ、そのようなことを言ってはならん。絶対に言ってはならんのじゃ」
「え? ええ? どうして?」
「どうしてもじゃ」
「も、もちろんその、ソフィちゃんを守りたいっていうのは、それは、ソフィちゃんだけじゃなくて」
「よいかカール、妾たちが話したことは内緒にしておくのじゃ。もうそのようなことを言ってはいかん」
「え? な、なんで?」
「それがカールのためになるのじゃ。妾の言葉を信じるがよい」
「う、うん……」
カールは不承不承ではあったが頷いた。
しかし大変な秘密を知ってしまった。
どうしたものかと頭を抱えたい気分になる。
肩に負った粗朶の束がズンと重たくなった気がした。
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