名も無き農民と幼女魔王

寺田諒

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第二部 第三章

流れ

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 夜の寒さが体の奥にまで入り込んできて、シシィは身を震わせた。家から蔵へと歩いていると、足元に砂利が散らばっているのがわかった。リディアがちょうど良い砂利を集めてきたようだが、まだ量が足りていないらしい。

 とりあえず持ってきた分だけを敷いてみたようだが、舗装というには砂利が足りなすぎる。



 隣を歩くリディアが夜空を見上げて息を吐いた。リディアの息が月影の中で白く濁って闇へと掻き消えてゆく。さやけき空気の中、リディアが立ち止まった。

 どうしたのかと思ってこちらも立ち止まると、リディアが口を開いた。



「笑っちゃうわよね」



 いきなりそう言われて首を捻った。何か面白いことでもあっただろうか。

 今夜はアデルが雄鶏を一羽持って帰ってきた。どういう事情であの雄鶏がこの家に来ることになったかについて、アデルは懇々と説明をした。

 ソフィは気に入らなかったようだが、自分はアデルがそう決めたのであれば何も言うつもりはない。



 こちらが黙っているのを見て、リディアは軽く身を竦めた。



「ほら、アデル、言ったじゃない。家畜を殺すのが辛いかって」



 確かにアデルはそう尋ねてきた。アデルは自分たちが育てた動物を殺して食べることに抵抗があるのかどうかが気になったようだ。

 自分は食べるための家畜を育てたことがない。リディアについてはわからないが、おそらく同じだろう。

 エクゥやアトは家畜とも言えるかもしれないが、馬を食べようとは思わない。馬の尻尾、革、肉、それらには金銭的な価値はあるが、あの二頭を金に換えようとは考えていない。

 家畜と言うよりはむしろ仲間に近い存在だ。





 こちらが何も言わなかったのを見て、リディアが再び息を吐く。



「あたしたち、散々人を殺してるのに、家畜を殺すのが辛いかどうかって訊いてくるのよ」



 リディアが視線を逸らした。

 その言葉に少し戸惑ってしまう。確かにそうだ。アデルは自分たちが人殺しであることを知っている。アデルも自分たち二人によって殺されそうになったのだ。

 人を殺すことと家畜を殺すこと、その二つなら人を殺すほうが心理的抵抗は遥かに勝るだろう。家畜を屠る人々も、人を殺すとなれば躊躇するはずだ。



 人を殺すことは罪深いことで、誰もが忌避する。だが、自分たちは大勢の人や魔族を殺してきた。

 リディアが言うように、人殺しに向かって家畜を殺すのが辛いかどうかを尋ねるのは何か気妙な気がした。しかし、素直に受け入れがたい。

 立ち止まったままリディアの顔を眺める。



「賊に対して同情の念は持たない。彼らは罪びとだから。家畜は違う」

「そう? でも賊が相手でも普通の人は殺すことを躊躇うわよ。あたしたちも、普通の人に、賊を殺させたでしょ。その時、あの人たちはやっぱり抵抗があったじゃない」

「……確かに、そういうこともあった」



 ここに来るより前のことだった。ある強賊が村娘たちを攫ったことがあった。その娘たちを取り返すために賊を討伐したことがある。その時、娘たちを助けるために普通の村人たちも武器を持って駆けつけてきた。

 そしてその後、村人たちは、自分たちの手で、手を汚すことで賊から娘を取り返した。そうけしかけたのはリディアだ。



 あの村人たちは賊に強い敵意を抱いていた。それに関しては自分やリディアよりもよっぽど強かったはずだ。

 しかし彼らは賊を殺すことに対してしばしの躊躇を覚えた。人を殺すということは、罪深いことだからそれも仕方が無いのかもしれない。

 ただ、彼らは武器を持ち、賊を殺してても娘たちを取り戻そうとしていたのだ。

 それでも躊躇うほどに、人を殺すということに抵抗が生じる。





「確かに人の命は尊いかもしれない。それでも、わたしにとっては賊の命よりもエクゥやアトの命のほうが大事。エクゥやアトが殺されそうになっていたなら、わたしは賊を殺してでもそれを阻止すると思う」

「そうね、あたしもそうすると思うわ」



 これは酷い差別なのだろうか。しかし、自分にとってはこれ以上考える意味があることだとは思えなかった。散々人を苦しめた賊の命より、一緒に過ごしてきたエクゥやアトを大切に思うのは仕方が無いことだと思う。



 リディアわずかに唇の端を上げた。その冷笑の奥から言葉をこぼす。



「どっちにしても、あたしたちが人殺しだってことに変わりはないわ。わたしもあんたも、酷い罪人だもの」



 その言葉はどこか確認するような響きを持っていた。確かに、自分もリディアも罪人なのだろう。誰彼構わず殺したわけではない。だが、殺した者の中には死に値するほどの罪人でないものもいたかもしれない。

 それに、裁判で賊の罪を明らかにしたわけでもない。



 村の男がどれだけ家畜を屠ったのか正確に覚えていないように、自分たちもまたどれだけ殺したのか、どんな顔の男を殺したのかなど正確にはわからない。



 これらの罪を償う方法はもう無い。





 リディアは小さく足を進めた。



「ともかく、アデルも変なこと訊いてくるなぁって思ったの」

「そう……」



 蔵へ向かって歩く。夜ではあるが、時間はまだそれほど遅くないだろう。太陽は早々に寝入ってしまったが、人の体はまだ太陽についていけていない。

 ただ、夜が長いのは少しだけ喜ばしいことだった。





「リディア、今日も、ソフィと一緒に寝て」



 そう言うとリディアは大袈裟に足を滑らせた。リディアが足を滑らせるわけがないから、今のは故意にやったのだろう。



「あのね、あんた、まったく」

「今日はわたしの番」

「いやそれはわかってるけど、こんな話した後によくそんなこと考えられるわね。頭の中いやらしいことでいっぱいなんじゃないの? そのお胸くらい膨らみっぱなしなんじゃないの?」

「そんなことはない。それに、わたしが、その……、悦ばせることは、義務というか、とても大切なことだから」

「はいはい……、っていうかどうやってソフィを誘ったものかしら。最近ずっとだとさすがのソフィも変だって思うかもしれないわよ」

「ソフィは好奇心が強いから、何かソフィが知りたがるようなことを話すと言えばいい。以前も哲学に関する話に食いついていた」

「あたしにそんな難しい話できるわけないでしょ」

「それはわかっている」

「あっさり同意されるとそれはそれで腹立つんだけど」

「何か昔の話をすればいい。リディアが昔体験した面白いことを話すと言えば、ソフィも食いついてくる」

「昔のことねぇ……」





 蔵の扉を開けながらリディアがそう声を漏らす。蔵の中は真っ暗で、殆ど何も見えない。リディアは闇に怯むこともなくまっすぐ歩き、暗闇の中から魔法のランタンを手に取った。ランタンがほのかに光を放つ。

 あの暗い中でよく見えるものだと感心してしまう。





「わたしは色々と準備があるから、リディアは寝巻きに着替えて先に家に戻っていて」

「あらまぁ、どんな準備があるのかしら。やらしいわ」

「やらしくない。これもすべては、この家の将来のためのこと。大事なこと」

「はいはい、わかったわよ」





 リディアは自分のベッドに近づき、着替えを始めた。それから編んでいた髪を解いて櫛を通し始めた。



「それにしてもあれよね、アデルも段々変わってきたわね」



 リディアの言葉につい首を捻ってしまう。何か変わっただろうか。

 こちらも着替えをしなければいけなかったので、服を脱ぐために手を背へまわしたところだった。その状態でリディアの言葉の続きを待つ。



「アデルも頑固だったけど、ほら、情に流されたっていうか、そういう抑えが利かなくなったっていうか」

「……わからない」



 リディアが何を言いたいのかよくわからなかった。



「だってアデルったら、目先の利益よりもなんていうの、決まりを大事にするっていうか、そういうところあったじゃない」

「それは、そうかもしれない」



 アデルが高邁であることはよく知っている。そしてそういうところに惹かれたのだ。

 リディアはさらに続けた。



「でも、こうやって情に流されたりするし、我慢もできなくなったりしてるじゃない」



 リディアは喋りながらでも器用に櫛を通し、それから髪を後ろでひとつにまとめてしまっていた。対してこちらは背に手をまわしたままだった。

 この状態で止まっているのも辛いので、手を下ろしてベッドに腰掛けた。二人のベッドの間には衝立が置かれているので、それによってリディアの頭しか見えなくなる。



 リディアの言葉にはいくらか思い当たる点もあった。アデルは自身の肉欲を抑えることに困難を感じているようだ。もちろん、それは良い変化だと思っていいだろう。

 アデルが高潔であることは確かに素晴らしい美点だが、それだけでは物足りない。アデルの理性は不磨の城壁のようだったが、度重なる悦楽の熱で脆くなってきている。



 アデルの激しい求めに応え、そしてアデルを満足させること、それが自分の役目のはずだ。

 今はまだ至らない部分も多いかもしれないが、これから多くの時間をかけて肌を合わせていけば新しい道が開けるだろう。



 アデルは白昼であってもこの体を求めるほどに、崩れてきている。それはリディアが言うように変化なのだろう。

 そして自分たちにとっては良いことのはずだ。



 アデルは今のところソフィを自身の女として扱う気は無いようだ。ソフィが立派な大人となって巣立っていくことを望んでいる。しかし、その決意もいつかは脆く崩れ去ってしまうかもしれない。

 そうなるように仕向けなければいけないのだ。



 リディアはそれがわかっているからアデルの変化を歓迎したのだろう。アデルは情に流されて益にならないことを引き受けてしまった。

 それは同時にいつかアデルが情に流されて判断を変えることがあるかもしれないということでもある。





「確かに、良い方向に向かっているかもしれない」

「そうね、これからもそういうふうに持っていかなきゃ」

「そのためにはまず今日、ソフィとリディアが一緒に寝る必要がある」

「結局それ?! まったくもう……、わかったわよ、なんかソフィが知りたがるような話するとか言えばいいんでしょ」 



 リディアの頭が見えなくなった。どうやらベッドに腰掛けたらしい。ぶつぶつと独り言を口から漏らしている。リディアなら武勇伝はいくらでもあるから、話の種には困らないはずだ。ソフィも興味はあるだろうから、食いつくのは間違いない。





 そしてソフィが眠った後は、アデルとの熱い時間が待っている。

 アデルの求めも段々と激しくなってきている気がした。こちらの体もアデルを受け入れられるようになってきた。

 そうなれば、アデルはこちらの体を慮ることなく自身の獣の牙をこの体に思う存分突き立てるだろう。



 アデルも段々と変わってゆく。それは良いことのはずだ。



 しかしひとつだけ気になることがあった。



 自分やリディアやソフィは、あの人の高潔さに惹かれたのではなかっただろうか。

 それを失わせようとすることは果たして正しいのだろうか。



 ふと疑問が湧いた瞬間に、リディアが立ち上がった。





「それじゃあたしは先に家に戻ってるわね。あんたもあんまり準備に時間かけすぎないようにしなさいよ」

「わかった」



 リディアは蔵の扉を開けて出て行った。同時に冷たい風が入り込んできて、わずかに身震いしてしまう。

 わずかな眠気が出てきて、軽く首を振った。









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