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第二部 第三章
丹羽
しおりを挟む昼前の青白い空を速足で進み、アデルはカールの家へと向かった。そこでは多くの鶏が飼育されていて、この村や町に卵を提供している。
卵というものは必ず売れるし保存も利くので、鶏を飼育することはかなり多くの利点があった。
「わしの家でも鶏を飼おうかのう……」
足早に進みながらそんなことを考える。以前の自分は独り身だったし、独り身ゆえの身軽さで時折遠くへ仕事に出かけることも多かった。
そんな生活だから、家畜を飼うことはできずにいた。しかし今は違う。今なら家畜を飼っても問題はないだろう。
家族が増えてから何度か考えたが、これからもう少し真剣に考えたほうがいいかもしれない。
「ヤギも良いのう」
ヤギは飼いやすい上に乳も出る。しかも牛や馬と違ってそれほど多くのエサもいらないのだ。
牛一頭を養うエサでヤギなら七頭は養える。
「綿羊も良い気がするのう」
羊はやはりその毛が高く売れる。しかしもう少し乾いた土地でないと飼うのは難しいかもしれない。近くに羊を多く飼う村があるが、そこはやや標高が高く、気候がこの辺りよりも冷涼だ。
「うーむ、いや、やはり鶏かのう……」
色々と考えが浮ぶ。まずは数羽から初めて、慣れてきたら増やしていけばいいだろう。しかし、今の自分には鶏の飼育に関する知識が足りない。
そのあたりはこれから蓄えていけばいいだろう。
カールの家の前についたところで、ちょうどカールの父親の姿が目に入った。カールの父親はもうそろそろ四十に達しようという男だ。カールの父だけあって整った顔をしているが、顎を完全に覆う髭のせいで涼しげな輪郭が隠されてしまっている。
髭の色は収穫を迎えた麦のような薄い金色だった。今は庭先で腰をかがめて何かをしている。
中年ではあったが、その腹周りには脂肪は溜まっていない。どういうわけか昔からすっきりした体型を保っている。
彼の名前はグスタフと言う。
グスタフがいるのならちょうどいい。彼と交渉して鶏を売ってもらおう。
「こんにちはグスタフさん、ちょっといいかのう」
そう声をかけたところでグスタフがこちらに顔を向けた。整った顔立ちの中で、一際目を引くのが美しい青の瞳だった。結構な歳に達しているが、グスタフの顔にはまだ目だった皺が無い。
グスタフは片手を上げた。
「ああ、アデルか。こんにちは、どうしたんだ」
「実は頼みがあってのう。鶏を一羽売ってくれんか?」
「……そうか、アデル、ちょっとこっちで話そう」
「は?」
グスタフは何らかの作業を切り上げ、両手をパンパンと叩いた。それから家の裏のほうへ向かって歩き出す。グスタフはついて来いとは言っていないが、こっちが後に続くだろうと確信しているようだ。
グスタフが歩いていったほうへ自分も向かう。どこへ行くのかと思えば、家の裏手にある鶏小屋だった。
飼われている鶏は小屋から出て庭を歩き回っている。庭は垣でしっかりと囲まれていて、鶏が外へと逃げ出さないようになっていた。
多くの鶏たちがコッコッコと鳴いている。殆どの鶏は茶色で、人間の頭よりも大きい体をしていた。鶏たちはエサを啄ばんだり歩き回ったり、思い思いに過ごしている。
庭の一角には子どもの膝の高さほどの小山があった。その上に一際大きな鶏が立っている。
ああいう小山には何か意味があるのだろうか。
「グスタフさん、それでなんじゃ、どれを選んでもよいのか?」
「まぁ待てアデル、焦るな。ちょっと話でもしようじゃないか」
「ふむ、そうじゃな、グスタフさんと話すのも久しぶりじゃしのう」
正直なところ、早く鶏を手に入れて調理に取り掛かりたかった。何せガラを煮込むとなればそれなりに時間がかかる。それに鶏を絞めるのも解体するのも同じく時間のかかることだ。
しかし、グスタフは何かを話したいようだ。グスタフはそれほどお喋りな男ではない。人といても黙っていることが多い。しかし喋らないというわけでもないのだ。
向こうから何か言い出すかと思ったが、グスタフは押し黙っている。
話したいことがあるようだが、切り出しにくいようだ。こういう時は自分が何か適当に話してやったほうがいいだろう。
「鶏は良いのう……。実はわしも鶏を飼おうかどうか考えておってな、鶏を飼うのは難しいかのう?」
そう尋ねるとグスタフは自身のヒゲを撫でた。顔立ちのせいでヒゲがまったく似合わない。グスタフは鼻から長く息を吐いた。
「それほど難しくはない。まぁ過ごしやすいように気を使ってやったり、習性を考えてやったりしなきゃいけないが」
「ほう」
「そうだな、鶏ってのは実に非道徳的なことに、一羽のオスが何羽ものメスを囲うのが普通だな」
そう言いながらグスタフがこっちに視線を寄越す。
「ハハハ、けしからん話じゃのう。しかしまぁ動物の世界にはよくあることじゃ」
「フッ、そうだな。まぁともかく、鳥のオスというのは気性が荒くてな、他のオスと喧嘩をして序列を決める。メスも同じように序列を決める。エサを食べる順番だとか、鳴く順番だとか、そんなものも序列に従ってやってる」
「ほう……」
そういえばカールが似たようなことを言っていた。なんでも、一日の最初に鳴くオスはいつも決まっているらしい。
雄鶏の気性が荒いというのもどこかで聞いたことがあった。確か、雄鶏同士を戦わせる競技があるのだという。
「そうじゃ、闘鶏と言ったか。なんじゃ、鶏というのは平和そうにしておるが意外と好戦的なんじゃのう」
「そうだな、そうやって一番強いオスを決めて、そのオスが何羽ものメスを独占するわけだ。まったく、とんでもない話だよなアデル」
「ハッハッハ、いやまったくじゃな」
「とはいえ、群れの頭になった雄鶏もメスを守るために戦ったりはする。例えば蛇が入ってきたとかな」
「ほう、なんじゃ仲間思いじゃのう」
「もしかしたら性欲のせいかもしれない。何羽ものメスを囲っている不道徳な奴だからな。実によくないことだと思うだろアデル」
「ハッハッハ、いやまったく」
「まぁ冗談はともかく、人間の都合としてはそうやって一羽のオスが何羽ものメスを独占するのは悪い話じゃない。なにせ飼うオスの数を減らせる。オスは卵を産まないからな、無駄に飼育すればエサ代がもったいない。そういうわけで、序列の低いオスの鶏は若いうちに肉として処分するわけだ」
「不憫なことじゃのう」
鶏というものは歳を取れば肉が硬くなって、まともに食べられなくなる。そういうわけで、肉用の鶏というのは若鶏が主流だ。それは当然ながら、卵を産まないオスが圧倒的に多い。
メスの相手は出来ない上に若いうちに殺されるのだから、雄鶏というのは不憫極まりない。
グスタフはヒゲを撫でながら鶏たちを端から眺めた。
「とはいえ、一羽のオスだけにメスを独占させ続けるのもよくない。いつかオスを入れ替えないとな」
おそらく近親相姦のことを言っているのだろう。オスを減らしすぎるとそれはそれで不慮の事態に対応できなるわけだ。
「今の闘鶏はただ鶏を戦わせて賭けたりするものだが、昔は多分生き残らせる強いオスをそれで決めてたんだろうな。色んな養鶏者が鶏を持ち寄って、そこで雄鶏を交換したりして強い鶏を残そうとしてたんだろう」
「鶏も大変じゃのう」
暢気にコッコと鳴いているだけに見えるが、人間の都合でいいように振り回されているわけだ。
グスタフは溜め息を吐いた。
「それで、ちょうどこの時期に鶏を入れ替えるわけだ。雌鳥も冬は卵を産まないから、歳を取ってもう沢山卵を産めない雌鳥は冬が来る前に売るなり潰すなりする」
「ふむ、来年卵を産まない雌鳥にエサをやってもあまり意味が無いからのう」
「ああ、そういうわけで、この時期は櫛の歯が抜けるように鶏が抜けていく」
「まぁよいではないか、卵を産めぬ雌鳥など大した値段にはならんかもしれんが、売れんよりはマシじゃろ」
「そうだな……」
グスタフは再び鶏に目を向けた。鶏たちは暢気に首を振って歩き回ったり、エサを啄ばんだり、砂浴びをしたりと気ままに過ごしている。
その時、小山の上にいた一羽の雄鶏が一際大きな声で鳴いた。その声の大きさも長さも立派なもので、村中に響き渡るのではないかと思うほどだった。
グスタフは一度帽子を被りなおし、溜め息を吐いた。
「俺は結婚するのが遅くてな、それでようやく結婚したものの、なかなか子どもが生まれなかった」
「それは知らんかったが」
いきなりそんな話をされても戸惑うだけだ。鶏を買いに来て鶏の話をするのならまだ理解はできるが、グスタフの人生について話されてもどうしていいのかわからない。
「子どもが出来なくて、何度も教会に行って祈って、よくわからない祈祷師に金を払ったり、よくわからない薬を買ったり、そんなことを繰り返したよ。そして、祈りが通じたのかようやく授かった子がカールだ。ただ産まれてくれただけでも奇跡のようだったのに、カールはとても良い子に育ってくれた」
「そうじゃのう、優しくまっすぐじゃし、実に素晴らしい」
「ああ、本当に優しい子に育ってくれた。きっと神様は俺たち夫婦に試練を与えた代わりにカールのような子を授けてくれたんだろう。その後は子に恵まれなかったが、それでも構わないと思っている」
グスタフは本気でそう思っているのだろう。抑制の効いた声には深みがあり、その言葉に偽りが無いことを如実に匂わせている。そもそもグスタフが他人を騙しただとか傷つけたという話は聞いたことがない。
こうやってカールを褒め称えているが、そのカールを育てたのもグスタフなのだ。
「そうやって優しい子に育ってくれた。そしてよく鶏の面倒を見てくれている」
グスタフは一度目頭を揉んで目を瞬かせた。
それから軽く首を振り、話を続ける。
「だからだろうな、どうも鶏に愛情を持ちすぎてる。あの一番大きなオス、あれはヒナから孵してもう五年ほど経つ。まだ小さいカールがヒナから面倒を見てきたオスだ。それはもう大事にしてたよ」
「ほう」
「だが……、鶏は愛玩動物ではなく、家畜だ。いずれ手放さなければいけない」
「……まぁそうじゃな」
「あのオスは強く、群れの頭だった。毎朝最初に鳴き声を上げて、うちの家族を起こしてくれた。だが、もう老いた。見えるか? あいつの尾のほう、少し羽毛が抜け落ちているだろ?」
「ふむ……、ああ、そうじゃのう」
確かに立派な尾羽の下あたりを見ると、そこだけ羽が抜けて肌が見えていた。
もしかすると病気なのだろうか。
グスタフは首を振った。
「病気だと思ってるかもしれないが、違う。あれは他の鶏に突かれた跡だ。鶏は染みを突く習性があるらしくてな、相手がなんであれ斑点をエサだと思って突いてしまう。その結果があれだ。普通のオスならすぐ反撃して身を守るが、もう歳だからな。一旦ああやって禿げてしまうと、また突かれる。その繰り返しで、最後には尻の穴から内臓が飛び出るまで突かれる」
「な、なんじゃそれは……」
思っていたよりも凄惨な話だった。
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