名も無き農民と幼女魔王

寺田諒

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第二部 第三章

ベルタおばさん

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 ソフィは向こうから大股で歩み寄ってくるベルタを見て顔を歪めた。一方のベルタは唇に笑みを浮かべている。冷たい空気もベルタの歩みを止めるには軽すぎたようだ。樽のようなその体は普通の女と比べて随分と重たいのだろう。

 ベルタはこちらに寄ってくるとまるで手招きでもするように右手を振った。



「あーらソフィちゃん、こんなとこにいたの。もう、探したんだから」

「な、なんなのじゃ。妾に何の用なのじゃ」

「そうやって何でもかんでも用件から聞こうとしちゃダメよ。男の人はそういうことばっかり言ってね、ほんと嫌になるったらありゃしないわ。用件だけが話じゃないってことがわかんないのかねぇ」

「う、うむ……」



 自分としては先に何の用なのかを告げてもらったほうが話がしやすいのだが、ベルタの場合はそうではないらしい。ある意味ではすぐ隣にいるリーゼとよく似ている。

 リーゼはこちらのことなどもう構う気はないらしく、洗濯物を取り込む作業を続けている。



 そうだ、自分も手伝わなければいけない。



「おっと、妾もお手伝いをせねばならんのじゃ。ベラベラお喋りをしておってはリーゼに怒られるのじゃ」



 これを口実にしようと思ったが、リーゼが律儀に反応した。



「え? 別に手伝わなくてもいいよ。もう大体終わったもん」

「いやしかし妾のこのお手伝いによってもっと早く終わるのじゃ。それはそれは素晴らしいことなのじゃ」

「大丈夫だって、そんなに量無いし」



 リーゼはお喋りしながらもテキパキと洗濯物を取り込んでは畳んでゆく。なんとも恐ろしい話だが、リーゼは自分の巨大な胸を台代わりにして、そこに洗濯物を置いては綺麗に畳んでいるのだ。

 確かに空中で畳むよりやりやすいかもしれないが、そんな方法はよっぽど胸が大きくないと無理だろう。



 ベルタおばさんは痺れを切らしたように大きな口からダミ声を放った。



「ソフィちゃんったら、相変わらず細い体しちゃって。大丈夫なの? お腹空いてない?」

「いや、妾は問題無いのじゃ。それよりも妾を探しておったというが」

「そうなのよ、もう、あっちこっち探したんだけどなかなか見つからなくってねぇ。この辺りにいるって聞いたんだけど、全然見当たらないから、もうどこ行ったのかと思って、そしたらリーゼちゃんの体に隠れててビックリしたのなんの、全然体の大きさが違うんだから」



 まるで濁流のようにベルタの声が溢れ出す。その勢いについ流されそうになってしまう。わずかに後ろへ下がった時、自分の後ろにイレーネと軽くぶつかった。



「おっとイレーネよ、ぶつかってしまったのじゃ。怪我をしたかもしれんから、すぐに家に帰らねばならんのじゃ」



 そうまくしたてると、イレーネはキョトンとした表情で首をかしげた。その顔からは痛みの印はまったく現れていない。

 ここは姉貴分の心を察知して痛がる振りでもしてもらいところだ。



「そういうわけで妾はイレーネを家に連れて行くのじゃ」

「あらま、そういえばイレーネちゃんにも関係ある話だったわ。ほら、あたしもね、聞いたことがあるの。イレーネちゃんって将来はカールちゃんと結婚したいんでしょ?」

「は?」



 いきなり話があらぬ方向へ飛び去った。追うことさえ難しくて、つい眉を寄せてしまう。ベルタは深いほうれい線をさらに深くして唇の端を横へと引いた。ニヤニヤと笑みを浮かべているのはわかるが、一体何が面白いのかサッパリわからない。



「ほら、ソフィちゃんの家に美人さんがいるでしょ」

「うむ」

「こんなこと言っていいのかほんと悩むんだけど」



 そう言ってベルタは急に辺りを見回した。本当は喋りたくて仕方が無いくせにどうしてこんなことを言うのかよくわからない。ここで話を打ち切ろうとすればまた絡んでくるに違いない。

 ここはベルタを促すしかないだろう。



「そこで話を止められると続きが気になるのじゃ」

「あらそう? んまー、ソフィちゃんがそこまで言うんだったら仕方ないねぇ」



 別にそこまで熱を篭めたつもりはないが、ベルタは待ってましたとばかりに食いついてきた。



「あのねソフィちゃん、ビックリしちゃダメよ」



 ベルタはいきなり小さめの声を出した。それから再び辺りを見る。

 驚くなと言っているが、本当はその内容に驚いてほしいのだろう。内容に関わらず大袈裟に驚いてやったほうがいいのかもしれない。

 そう思って身構えていると、ベルタがわざわざ顔を寄せてきて小声で続けた。



「ソフィちゃん、大変よ、カールちゃんがね、お宅の美人さんに惚れちゃったみたいなのよ」

「……ほう」

「あらま! 全然ビックリしないんだから!」



 ベルタは目を見開いた。眉が上がっているせいで額にビッシリと沢山の皺が刻まれている。

 自分は驚かなかったが、リーゼは驚いたようだ。



「えーっ! カールちゃんがリディアに惚れちゃったの?!」

「そうなのよーっ! 大変でしょ! でもね、カールちゃんがあんな美人に惚れるのも無理ないでしょ。だってあんな綺麗な人、もう絶対に他にいないし!」



 ベルタは嬉しそうに声をあげた。どうやら理想の反応がリーゼから得られて喜んでいるらしい。

 リーゼとベルタは二人でわいわいと話し始めた。

 今なら少し離れても大丈夫だろう。そう思ってイレーネの手を引いた。こそこそと歩いて二人から離れる。





「うーむ、まさかとは思っておったが、そのまさかとは。カールめ、リディアに惚れおった」

「もーっ! どこいくのソフィちゃんったら!」

「ぎゃああっ!」



 後ろから肩を叩かれて心底驚いた。振り向いた先にはベルタがいた。まったくこっちを見ていないと思っていたが、ベルタはなかなかに目ざといようだった。

 さすがに逃げられそうにない。



「今日ね、カールちゃんがあっちこっちであの美人さんのこと聞きまわってたのよ」

「ほ、ほう……。なんじゃカールめ、そんなことをしておったのか」

「そうよ! それでね」



 その後もベルタはベラベラと喋りはじめた。幸いなことに、ベルタの話相手はリーゼが大半を務めてくれたので、自分はほとんど横で聞いているだけで済んだ。

 イレーネは退屈だったのかもはやこっちに興味を無くして変な踊りを一人で踊っている。

 その珍妙な踊りを眺めているほうがよっぽど楽しいのだが、ベルタが一方的に話してくるせいでそういうわけにもいかない。



 ベルタの話を統括すると、どうやらカールはリディアについて村の人たちに尋ねて回っていたらしい。その数は不明だが、数人という規模ではないようだ。

 どうしてカールがそんな行動をしていたのかはよくわからない。ベルタはカールがリディアに惚れたからだと思っているようだ。ベルタの主張だけならば果たしてその推測は正しいのだろうかと疑問を抱くだろうが、自分もカールがリディアを見ていたことを知っている。



 あのキラキラした瞳は恋をしているからに違いない。もともと綺麗な目をしていたような気もするがとりあえず置いておこう。

 カールからすれば、あれだけ綺麗なお姉さんが剣の振り方や走り方を丁寧に教えてくれたりしたのだから、好きになってもおかしくない。むしろあれで嫌うのであればどんな悪い性格をしているのか気になるくらいだ。





 リーゼとベルタはまだ話し続けている。リーゼなどもう洗濯物をすべて取り込んでいるのだから、さっさとこの場を離れたほうがいいはずだ。

 自分は何も話さずにいた。イレーネは踊るのにも飽きたらしく、かわいらしく欠伸をしていた。

 その後、イレーネは母親の姿を見つけて去っていってしまった。

 自分もさっさと帰ってしまいたい。ベルタとリーゼはいつまでもお喋りを続けている。

 今なら離れても大丈夫だろう。

 忍び足でその場から逃げ出した。ベルタはどうやらもうこちらに興味は無いらしく、いなくなったことにも気づいていないようだ。







「うーむ、カールめ……」



 洗濯物の入ったカゴを胸に抱いて歩く。そうしているとちょうどカールが遠くを歩いているのが目に入った。足を止め、目を細めてカールの姿を見る。

 遠くから見ると本当に女の子のように見えた。あれで髪が長かったら何を着ていても女の子にしか見えないだろう。しかもとびきり可愛い女の子だ。



 この世に神がいるのかどうかは知らないが、いたとすればカールの性別を間違えたのではないかと思ってしまうほどだった。

 カールもこちらに気づいたようだ。視線は合ったがすぐに逸らした。今はカールと話す気にはなれない。

 この話が本当なのかどうかカールに問いただすことも出来たが、今はそっとしておいたほうがいいだろう。おそらく、ベルタおばさんはさっきのことをあちこちで話して回るに違いない。

 そうなればいずれカールの耳にも入るはずだ。

 カールは男のくせに少しばかり繊細なところがあるから、自分の気持ちが沢山の人に知られたことを恥ずかしがるかもしれない。









 カールに背を向けて歩き出した。

 今日はリディアとの特訓や洗濯の手伝いで疲れた。少し早いが家に帰ってゆっくりしよう。





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