名も無き農民と幼女魔王

寺田諒

文字の大きさ
上 下
535 / 586
第二部 第三章

調査開始

しおりを挟む



 カールは荷台を引きながら川沿いの道を歩いた。午後に入ってから陽光のおかげで寒さはいくらか和らぎ、荷台を引いていることもあって体は段々と熱くなってきた。

 額にはわずかな汗さえ滲む。清らかで冷たい空気が体に心地よかった。薄い青に澄んだ空では、薄い雲が幾条も棚引いている。



「洗濯物みたいだなぁ」



 雲を見ているとそんな感想が出てきた。白く長い布がいくつも空の上で干されているかのようだ。ああやって空の上で風に吹かれたらきっと気持ち良いに違いない。

 天気の良さに心が軽くなる。



「さぁ、頑張るぞ」



 さらに力を込めて荷台を引く。村の中央から目的地まではさほど離れていない。自分でもどうにか荷台を押していける距離のはずだ。

 これからアデルから引き継いだ仕事を済ませないといけないし、リディアに頼まれたことも済ませないといけない。しばらく進んでゆくと、目的地の川辺が見えてきた。

 川から少し離れた場所では焚き火が行われていた。その焚き火の周りには、子どもが入れそうな大きさの壷がいくつも並べられている。

 壷の中は水で満たされていて、焚き火の熱で中のお湯が揺らめいていた。

 川辺では沢山の女の人が忙しそうに働いている。今日は村の人たちが集まって大きな洗濯物をする日だ。細々とした洗濯物ならいつでもできるが、シーツなどとなると各家庭で行うよりみんなで集まって一斉に済ませたほうがいい。こうやってお湯を沸かし、その中に洗濯物を漬け込めば水で洗うよりもずっと汚れも落ちるし、目では見えないほど小さな虫も完全に殺すことができる。







 荷台を川沿いまで引いていくと、村の女の人がこちらに視線を向けた。



「あらカールちゃん、お手伝いなの?」

「はい、落ち葉とか枝とか持ってきました」

「助かるわぁ」



 外で行う焚き火は暖炉とは違ってわざわざ薪を使う必要がない。いくら煙が出てもいいし、不完全な燃え方をしたところで関係がなかった。そういうわけで、燃えそうならものならなんでも放り込むことになる。

 今日の仕事で出た枝や、拾い集めた落ち葉なども燃料として使うことになっていた。



 すでに多くの洗濯が終わっていたようで、あちこちで洗濯物が干されている。横槌でテーブルの上に置いた洗濯物を叩いている人もいた。

 タンタンタンという心地よい音の中に、女たちのお喋りの声が混じっていた。



 さすがに焚き火の近くまで荷台を引くことはできない。道の上ならともかく、あそこまで引っ張ってゆく力は今の自分には無かった。











 箕を使って落ち葉を焚き火の中へと放り込んだ。

 その隣で、女の人が船を漕ぐ櫂のようなもので陶器の中をかき混ぜている。汚れが落ちているのか石鹸のせいなのか、その水は随分と濁っていた。

 枝などは足裏で体重をかけてちょうどいい長さに折り、それから焚き木の中へと放り込んだ。そうやって枝や落ち葉を追加してゆくと、火勢も盛り上がる。炎が腹の高さにまで飛び上がった。



 このくらいで一度止めておいたほうがいいだろう。荷台の上に箕を戻して、それから周りを見渡した。



「よーし、リディアさんに頼まれたことやらなくちゃ。えっと、なんだっけ」



 確か、リディアは自分の評判を調べて欲しいとかそんなことを言っていたはずだ。リディアは村の人たちと仲良くなるために、まずは村の人たちがリディアのことをどう思っているのかを知りたがっている。



 早速手近な場所にいた人に尋ねた。



「あの、アンナさん」

「なぁに?」



 アンナさんは近所に住む若い奥さんだ。洗濯の邪魔になるからか、長い茶髪はスカーフでひとつにまとめて後ろに垂らしている。

 垂れ目なせいかどこかおっとりした感じの人で、動作もひとつひとつがゆっくりだった。今は沸きたっている熱いお湯を大きめの柄杓で掬って少し離れた場所のタライへと移している。



「実は聞きたいことがあって」

「わたしに? なぁに?」



 熱いお湯を運んでいるせいか、アンナはゆっくりと歩いている。それに付き合いながら、まずリディアについてどう思うか尋ねてみた。



「すっごい美人さん」



 予想通りの答えが返ってきた。しかし、この答えをリディアに伝えても納得はしないだろう。そんなことくらいはバカな自分でもわかる。



「えっと、他にもっとこう、色々と」

「いろいろぉ? うーん、どう思うかって言われても、よいしょ」



 アンナは掬った湯をタライの上へと移した。そのタライの中には亜麻色のシーツが入っている。もう一度お湯を移すつもりらしく、アンナは再び焚き火のほうへと向かう。



「でも、あの美人さんって貴族じゃないの? だって、すっごくお金持ってそうだし」

「貴族?」



 貴族と言われても正直ピンと来ない。貴族といえば偉い人のはずだ。リディアは偉い人なのだろうか。気さくだし、偉ぶったところは無いと思う。



「だって、みんな言ってるわよぉ、すっごく良い馬に乗ってて、すっごく上手に乗るんだって。ただのお金持ちだったらそんな上手に馬に乗れないって、昔から乗ってるからじゃないかって」

「へー」



 よくわからない。もしかして貴族でないと馬に乗れないのだろうか。しかし貴族ではないロルフも最近は馬に乗っている。

 リディアの乗馬がどれほど上手なのか判断できないが、少なくとも普通に乗っているということはそれなりに練習したのだろう。

 それだけの環境に居たということは、やっぱり偉い人なのだろうか。



 アンナはタライにお湯を移し終えてから、タライの中に手を入れてその温度を確かめた。ほこほこと白い蒸気が上がってはいるが、それほど熱くはないらしい。アンナは靴を脱ぐと、スカートの裾をまくりあげてタライの中へ足を入れた。



 その足につい視線が行ってしまう。



「よいしょ、よいしょ」



 そんなことを言いながらアンナは細い足でタライの中に入っているシーツを踏み始めた。こうやって踏み洗いをすることで、力の無い女でも洗濯物の汚れが外へと出るのだ。その変わり何度も何度も踏まなければいけない。



 アンナが足踏みをする度に、アンナの胸が上下に揺れた。アンナは気温の割に随分と薄着だ。さっきまで火の近くにいたり、こうやって足踏みを始めたせいか、顔もやや火照っている。



 そんな姿を見ていると心臓がドキドキしてしまう。つい視線を逸らした。



「えっと、何か他には?」

「えー? なんだろぉ、なんだっけ? なに訊かれてるんだっけ?」

「いやだから、あの、リディアさんのことをどう思うかって」

「すっごい美人」



 それはもう聞いた。













 アンナとの話を切り上げ、今度は川から少し離れた場所へと移動した。そこでは棒が何本も立っていて、間にロープが張られていた。

 そのロープに白い洗濯物が干されている。風がほとんど無いから、そうやって干されている洗濯物もまるで凍っているかのように止まっている。



「よーし、次は……」



 ちょうど洗濯物を干している中年女の人が目に入った。あれはベルタおばさんだ。

 背が低く、まるで樽のような体つきをしている。太腿にはでっぷりと肉がついていて、尻や腹も相当な脂肪を溜め込んでいるようだ。

 そんなベルタおばさんに近づいた。



「こんにちはベルタおばさん」

「おーや! カールちゃんじゃないの。どう? 元気?」

「え? うん、僕は元気だけど」

「あははははは、そうかい、男の子は元気が一番だよ元気が! カールちゃんなんか男の子なんだから、もっと元気に遊びまわったらいいんじゃないかい! ほら、あのバカのアデルを見習ってさ!」

「いや、うーん……」



 ベルタおばさんの声の大きさについたじろいでしまう。すぐ近くで話しているのに、ベルタおばさんは何十歩も離れた人に話しかけるかのようだった。

 尻込みしている場合ではない。





「あの、訊きたいことがあって」

「なんだい?」



 ベルタおばさんにリディアのことをどう思うのかを尋ねてみた。ベルタおばさんはカゴに入った洗濯物を次々と干しながら、大きな口から大きな声を発する。



「あたしもね、今まで綺麗な人なら沢山見てきたけどね、あんな美人はほんと初めて見たよ! しかもなんだい、アデルのバカと一緒に住んでるんだって? そりゃもう根掘り葉掘り訊きたいこと山盛りあるけどね、村長がさ、あんまり関わるなとか変なこと訊くなとかあたしにうるさいのよ。それはもう口を酸っぱくしてね、あたしに言うわけ。なんでそんなにうるさいんだろうねぇ」

「村長が?」



 村長がそんなことで釘を差しているとは知らなかった。こちらの疑問をよそにベルタは辺りを見渡してから、一気に声を小さくした。



「あたしが思うにね、あの美人さん、結構ヤバイ状況にあるんじゃないの? それでこんな村に逃げてきて、アデルが匿ってるとかね。あれだけ美人だったら、手に入れようとしてヤバイ連中が追っててもおかしくないでしょ。やっぱ訳有りよ訳有り」

「は、はぁ……」

「村長は何か知ってるんでしょ。それで村が巻き込まれないようにあんまり詮索するなって言ってんのよ、絶対」

「なるほど」



 ベルタの意見に同意はできなかったが一応頷いておいた。リディアが何者かに追われているのだとすれば、村の人たちと交流を持ちたいとは思わないだろう。追われているのであれば、出来るだけ隠れるのが普通のはずだ。

 しかし、リディアはこの村のことが気に入っていて、この村で暮らしていきたいと思っている。



 ベルタは喋り終えた後でニヤリと笑みを見せた。



「カールちゃんも気をつけたほうがいいよ」













 ベルタに話を聞き終えた後も何人かにリディアをどう思うのかについて尋ねて回った。女の人だけでなく、男の人にも何人か尋ねて回る。

 みんなの反応はアンナとベルタの意見とよく似ていた。リディアには何かしらの秘密があって、そのせいでこの村に住むことになった。

 あまり深入りすると余計な問題に巻き込まれかねない。村長も余計な詮索をしないよう忠告してきた、などといったものだった。



 村長が村の人たちにリディアと関わらないように言っていたのは意外だった。村長はどうしてそんなことをしたのだろう。

 リディアは村の人たちと仲良くしたいと思っているのだから、村長のやっていることはそれを妨げることになる。誰かと仲良くしないように言うだなんてきっと間違っているはずだ。

 村長の言葉のせいでリディアが村の人たちと仲良くできないのは良くない。





「うーん、やっぱり村長と話したほうがいいのかな……」



 村長にはどんな考えがあるのだろう。



 直接村長に訊いてみるべきか、それともここは何もしないほうがいいのか。

 少しずつ伸びてきた影を見下ろしながら、腕を組んだ。



 もし村長がリディアについて色々と知っているとしても、自分には教えてくれないだろう。他の大人たちにも言わないことを自分のような子どもに言うとは思えなかった。

 村長だってそんな秘密めいたことを聞き出しに来られたら嫌な気持ちになるかもしれない。それに村長には深い考えがあって、そうすることがみんなのためになると考えている可能性もある。

 子どもが興味本位で聞き出そうとするのはよくないかもしれない。



 ただ、そのまま放置しているとリディアと村人たちの距離が縮まらないだろう。村の人たちの中には、リディアと関われば何か大変な事態に巻き込まれるのではないかと思っている人もいる。

 それに、リディアのような美女に対しては近づきがたいと思っている人もいた。あんな美人と話したりすれば緊張するし、それも仕方が無いことだと思う。



 それでも、リディアは気さくだし明るくて素敵な人だと思う。とんでもない美しさを差し引いてもとても魅力的な人だ。

 そんなリディアが変な誤解で村の人たちと仲良くできないのはあまり良くないことだと思えた。





「よし、やっぱり村長と話してみよう」



 腕組みをしたまま大きく頷いた。





 村長の家へ向かおうとした矢先、村の女たちにソフィが混じっているのが遠目に見えた。

 ソフィはカゴを持ったままこちらのほうを見ている。遠くてよく見えないが、ソフィは不機嫌そうな顔をしていた。すぐに顔を逸らし、カゴを持ったまま歩き出した。



「なんだろう?」



 よくわからないが、今はそれを確かめている場合ではない。

 まずは村長に訊いてみよう。



 腕を解いて歩き出した。



















しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

道産子令嬢は雪かき中 〜ヒロインに構っている暇がありません〜

荒瀬ヤヒロ
恋愛
「レイシール・ホーカイド!貴様との婚約を破棄する!」 ……うん。これ、見たことある。 ゲームの世界の悪役令嬢に生まれ変わったことに気づいたレイシール。北国でひっそり暮らしながらヒロインにも元婚約者にも関わらないと決意し、防寒に励んだり雪かきに勤しんだり。ゲーム内ではちょい役ですらなかった設定上の婚約者を凍死から救ったり……ヒロインには関わりたくないのに否応なく巻き込まれる雪国令嬢の愛と極寒の日々。

ルルの大冒険

睦月初日
ファンタジー
冒険が好きな少女ルル。 そんなルルは昔無くしたというダイヤモンドを探して旅に出る。 旅をする中でいろんな出来事を繰り返してルルは強くなっていく。

異世界召喚された回復術士のおっさんは勇者パーティから追い出されたので子どもの姿で旅をするそうです

かものはし
ファンタジー
この力は危険だからあまり使わないようにしよう――。 そんな風に考えていたら役立たずのポンコツ扱いされて勇者パーティから追い出された保井武・32歳。 とりあえず腹が減ったので近くの町にいくことにしたがあの勇者パーティにいた自分の顔は割れてたりする? パーティから追い出されたなんて噂されると恥ずかしいし……。そうだ別人になろう。 そんなこんなで始まるキュートな少年の姿をしたおっさんの冒険譚。 目指すは復讐? スローライフ? ……それは誰にも分かりません。 とにかく書きたいことを思いつきで進めるちょっとえっちな珍道中、はじめました。

大和型戦艦、異世界に転移する。

焼飯学生
ファンタジー
第二次世界大戦が起きなかった世界。大日本帝国は仮想敵国を定め、軍事力を中心に強化を行っていた。ある日、大日本帝国海軍は、大和型戦艦四隻による大規模な演習と言う名目で、太平洋沖合にて、演習を行うことに決定。大和、武蔵、信濃、紀伊の四隻は、横須賀海軍基地で補給したのち出港。しかし、移動の途中で濃霧が発生し、レーダーやソナーが使えなくなり、更に信濃と紀伊とは通信が途絶してしまう。孤立した大和と武蔵は濃霧を突き進み、太平洋にはないはずの、未知の島に辿り着いた。 ※ この作品は私が書きたいと思い、書き進めている作品です。文章がおかしかったり、不明瞭な点、あるいは不快な思いをさせてしまう可能性がございます。できる限りそのような事態が起こらないよう気をつけていますが、何卒ご了承賜りますよう、お願い申し上げます。

チートな転生幼女の無双生活 ~そこまで言うなら無双してあげようじゃないか~

ふゆ
ファンタジー
 私は死んだ。  はずだったんだけど、 「君は時空の帯から落ちてしまったんだ」  神様たちのミスでみんなと同じような輪廻転生ができなくなり、特別に記憶を持ったまま転生させてもらえることになった私、シエル。  なんと幼女になっちゃいました。  まだ転生もしないうちに神様と友達になるし、転生直後から神獣が付いたりと、チート万歳!  エーレスと呼ばれるこの世界で、シエルはどう生きるのか? *不定期更新になります *誤字脱字、ストーリー案があればぜひコメントしてください! *ところどころほのぼのしてます( ^ω^ ) *小説家になろう様にも投稿させていただいています

称号チートで異世界ハッピーライフ!~お願いしたスキルよりも女神様からもらった称号がチートすぎて無双状態です~

しらかめこう
ファンタジー
「これ、スキルよりも称号の方がチートじゃね?」 病により急死した主人公、突然現れた女神によって異世界へと転生することに?! 女神から様々なスキルを授かったが、それよりも想像以上の効果があったチート称号によって超ハイスピードで強くなっていく。 そして気づいた時にはすでに世界最強になっていた!? そんな主人公の新しい人生が平穏であるはずもなく、行く先々で様々な面倒ごとに巻き込まれてしまう...?! しかし、この世界で出会った友や愛するヒロインたちとの幸せで平穏な生活を手に入れるためにどんな無理難題がやってこようと最強の力で無双する!主人公たちが平穏なハッピーエンドに辿り着くまでの壮大な物語。 異世界転生の王道を行く最強無双劇!!! ときにのんびり!そしてシリアス。楽しい異世界ライフのスタートだ!! 小説家になろう、カクヨム等、各種投稿サイトにて連載中。毎週金・土・日の18時ごろに最新話を投稿予定!!

異世界召喚されて捨てられた僕が邪神であることを誰も知らない……たぶん。

レオナール D
ファンタジー
異世界召喚。 おなじみのそれに巻き込まれてしまった主人公・花散ウータと四人の友人。 友人達が『勇者』や『聖女』といった職業に選ばれる中で、ウータだけが『無職』という何の力もないジョブだった。 ウータは金を渡されて城を出ることになるのだが……召喚主である国王に嵌められて、兵士に斬殺されてしまう。 だが、彼らは気がついていなかった。ウータは学生で無職ではあったが、とんでもない秘密を抱えていることに。 花散ウータ。彼は人間ではなく邪神だったのである。 

天才女薬学者 聖徳晴子の異世界転生

西洋司
ファンタジー
妙齢の薬学者 聖徳晴子(せいとく・はるこ)は、絶世の美貌の持ち主だ。 彼女は思考の並列化作業を得意とする、いわゆる天才。 精力的にフィールドワークをこなし、ついにエリクサーの開発間際というところで、放火で殺されてしまった。 晴子は、権力者達から、その地位を脅かす存在、「敵」と見做されてしまったのだ。 死後、晴子は天界で女神様からこう提案された。 「あなたは生前7人分の活躍をしましたので、異世界行きのチケットが7枚もあるんですよ。もしよろしければ、一度に使い切ってみては如何ですか?」 晴子はその提案を受け容れ、異世界へと旅立った。

処理中です...