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第二部 第三章
辛辣
しおりを挟む「なによそれ! ほんと信じられないわね!」
リディアの大きな声にソフィはギョッと目を開いた。隣に座るリディアは憤懣やるせないと言った様子でスプーンの柄を握り締めている。その横顔からでもリディアの眉が釣りあがっているのがよくわかった。
テーブルの上に置かれたランタンがリディアの顔へと光を投げかけている。染みひとつ無い滑らかな肌に光が踊り、柔らかな曲線となって輪郭を彩っていた。
ちょうど夕食の最中だった。話の種として、今日ハンスがやってきたこと、二人でタブラという遊びを行ったことをかいつまんで話した。
ハンスについて話していると、リディアは段々と怒りが溜まってきたらしく、ついに爆発した。
「ほんと、何よその男、ほんと、信じられないわ。ソフィ、大変だったわね、今度あの男が来たらお姉ちゃんが力づくで追い払ってあげるわ」
「力づくではハンスが死ぬのじゃ。別にそこまでムキになって追い払わんでもよい」
「ダメよ、大体ね、女の子一人しかいない家に勝手に上がりこむ時点でもう信じられないわ。その時点で顔面がボコボコになるまで殴ってもいいってくらいよ」
「なんじゃ厳しいのう」
確かにハンスは女の子しかいない家に許可無く上がりこんだわけで、そこは非難されてしかるべきだろう。しかしハンスは阿呆ではあるが悪人というわけではない。自分も別に危害など加えられていないし、ハンスにもそのつもりは無いだろう。
しかしリディアにとっては許しがたいことのようだった。
「ダメよ、そうやって甘やかすからあんな寄生虫みたいな男が出来上がるのよ、心を鬼にしてキッパリ拒絶するのがあの男のためよ」
「辛辣じゃのう」
リディアの声には熱と怒りが篭っている。よほどハンスのことが許せないらしい。
この発言にアデルが宥めるように優しい声を出した。
「まぁまぁ、リディア落ち着いてくれ。確かにハンスの行為は褒められたものではないが、別にそこまで怒ることではなかろう」
アデルの発言は妥当な気もしたが、リディアには通じなかった。
「そうやって甘やかすからあの男が駄目になるのよ。アデル、ここは厳しくしてあげるのが優しさよ。そうよ、三年くらいどこか遠いところに働きに行かせればいいのよ。そしたら平和になるし、あの男も成長するし、いいコトずくめじゃない」
思い切りハンスを遠ざけようとしてる。リディアはハンスのためになるなどと言ってはいるが、これっぽっちもハンスの成長のことなど考えてはいないだろう。
自分にもわかるようなことなら、アデルにもよく分かっているはずだ。しかしアデルは特に柔和な表情を崩そうともせず優しく諭す。
「まぁそう厳しいことを言わんでもよかろう。ハンスには今度言っておくでな」
「あんまり甘いこと言っちゃダメよ、大体、許可も取らずにいきなり人に家に来るとか非常識もいいところよ」
リディアはそう言ったが、そもそも人の家を訪れるのに許可を取る人などこの辺りにはいないはずだ。そういうのは都会だったり貴族がやることで、田舎では人を訪ねるのにわざわざ許可など取ることはない。
アデルもそう思っているはずだが、怒っているリディアに対して反論する気は無いようだった。アデルは顎の下を軽く掻き、さらに優しい声音で言う。
「そこらへんのこともハンスに言って聞かせておくでな、うん。しかしタブラか、ハンスにはもう賽を握るなと言っておいたとのに、まったく。ああ、賽を握るというのは賭け事をするという意味じゃな」
アデルは話を逸らそうとしているようだった。このままリディアを怒らせていても面白くは無い。こちらもそれに乗るとしよう。
「しかしアデルよ、妾とハンスは別に何も賭けてはおらんのじゃ」
「うむ、賭け事はいかん。ハンスもそれで痛い目に遭っておるし、わしも……、いや、わしは関係ないが」
「なんじゃ、アデルも賭け事で失敗したことがるのか?」
「別にそういうわけではないが」
ハンスが賭け事で失敗したというのは理解できる。あの程度の男では普通の相手にも負けるに違いない。しかし、アデルも似たような失敗でもしたのだろうか。
詳しく聞いてみようかと思った瞬間、リディアが口を開いた。
「ねぇ、そのタブラっていうの後でやりましょうよ。なんだか面白そうだし」
そう言ってからリディアがこちらの肩をポンと叩いてくる。
「なんじゃ、妾相手にか?」
「そうよ、まぁ見てなさい。運が絡むんだったらあたしだって勝てるかもしれないんだから」
「それはそうかもしれんが」
「あら、随分冷静ね、ソフィのことだから負けるわけ無いとか言っていきり立つかと思ってたけど」
「妾は負けず嫌いではないのじゃ。別に負けたところでどうということはないのじゃ」
「あらま、ソフィったら……、成長したのね。やっぱりあのカールちゃんとの勝負を通じて色々学んだのかしら。カールちゃんに頑張ってもらった甲斐があったわ」
リディアは感動したように大きく頷いている。しかし、負けず嫌いの克服に関してはカールの影響よりもハンスの影響のほうが大きい。ただ、何やら感激しているリディアにそれを伝える必要は無いだろう。
それよりもリディアが自分の負けず嫌いをそこまで重要視していたのが意外に感じられた。
リディアは前に座るシシィにも声をかけた。
「シシィもやるでしょ?」
「わかった」
シシィはさっきからずっと黙っていたが、話は聞いていたようだ。
夕食が終わってから後片付けを済まし、それから寝支度に入った。着替えをしたり歯を磨いたりした後で、今日の昼と同じように暖炉の前に座った。
盤の上にはサイコロが3つ、そしてお互いに使う木製の駒が合計30個あった。
盤の向こう側ではリディアが椅子に腰掛けてやや体を前のめりにしている。盤を見下ろし、興味深そうにサイコロを持ち上げて矯めつ眇めつしている。
アデルはそんなリディアの隣に椅子を持ってきて深く腰掛け、足を組んでいた。どうやらアデルも勝負の様子を見守るつもりでいるらしい。
ここでシシィがいないことに気づいた。
「ん? シシィはどうしたのじゃ?」
「シシィだったらもうちょっとしてから来るわよ」
「ふむ……」
シシィはまだ蔵にいるらしい。支度に時間がかかっているのだろうか。そのうち来るというのであれば気にする必要もないだろう。
リディアは3つのサイコロをじっくりと眺めた後、盤の上にまとめて放り投げた。
盤の上でサイコロが硬い音を立てる。その出目を見下ろしてから、リディアが尋ねてきた。
「で、どうやって遊べばいいの?」
「うむ、では妾が説明するのじゃ」
リディアはタブラで遊んだことはないらしい。自分も今日初めて遊んだのでタブラに精通しているというわけではないが、どうすればいいのかくらいは説明できる。
決まりについては特に難しいところは無いはずだ。自分もすんなり理解できたし、リディアも問題が無いようだ。
「じゃあこういう時はこう動かせないってこと?」
「うむ、出目の合計の場所にいきなり動かせるわけではないのじゃ。こうやって一旦こう進んで、それからこう動くことになる。そうなると、この一旦進む場所に二枚重ねの駒があった場合は動けないのじゃ」
「ふーん、ややこしいわね」
「特にそんなこともないのじゃ。何せハンスでもやっておったくらいなのじゃ」
「そう言われると出来そうな気がしてきたわ」
リディアは安心したように何度か頷いた。これですべて説明し終わったはずだ。
念のためアデルにも訊いておこう。
「アデルよ、他に何か言い忘れておることなど無かったかのう」
「そうじゃな、先後の決め方と、先に動かすほうが黒を持つことくらいか」
「なんじゃそれは?」
「ん? ハンスから聞いておらんのか? タブラはサイコロの目の合計が偶数奇数かで先手か後手かを気めることになっておる。まぁ別にどっちでもよいのなら話し合いで決めてもよいが、一応先手は一手分有利になるでな」
「なるほど……、まぁよい、今回はリディアに先手を譲るのじゃ」
別に一手くらいで勝敗を左右するような展開にはならないだろう。
そう言うとリディアはムッと唇を尖らせた。
「あら、余裕ね。手を抜いてたらあたしが勝っちゃうわよ」
「勝てばよいではないか」
「あらま、負けず嫌いを克服したのはいいとして、勝負にかける熱い気持ちまで無くしちゃダメよ」
「なんとも勝手な理屈じゃのう」
「そうね、じゃあ賭けをしましょ。あたしが勝ったら今夜はソフィはね、あたしと一緒に寝るの」
「賭けなどするつもりはないのじゃ、別に妾は勝って何かを得たいとも思わん」
「ただのお遊びよ、あたしだってそんな本気じゃないし。ソフィが勝ったら剣の振り方教えてあげるわ。カールちゃんには教えたけど、ソフィには教えてないし」
「なぬ?」
カールに剣の振り方を教えたというのは初耳だ。リディアは自分には剣の振り方など教えてくれなかったのに、どうしてカールにそんなことを教えたのだろう。
リディアは小さく頷いた。
「ソフィも成長したし、それに合わせてってことよ」
「その理屈で言うと妾よりカールのほうが成長しておったかのようではないか」
「そうかもしれないわね」
その言い分には腹が立つが、その感情を表面には出したくなかった。表情を変えないように努める。
「まぁよい、それよりも始めるとするのじゃ」
「わかったわ、真剣勝負よ」
盤を挟んだ先でリディアが笑みを見せた。自信がありそうだが、負ける気はしない。
何事もなく勝利を収めて終わることだろう。
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