名も無き農民と幼女魔王

寺田諒

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第二部 第三章

金風習々

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 息が弾む。小さく開いた唇から熱い吐息が零れて白く棚引いた。体はどんどん前へと進む。苦しさは段々と心地よさに変わり、頭の中身はまるで青空のように澄み渡ってゆく。

 昼過ぎにも関わらず太陽に力は無く、黄ばんだ色の光線が斜め上から差し込んでいた。

 ソフィは小さく呼吸を繰り返しながら前へ前へと走った。



 前には誰もいない。競争相手のカールは遥か後ろにいるようだ。町で折り返した後、家の前を通り、再び村の中央へと近づきつつある。残りわずかというところになって、ソフィは後ろを振り返った。

 視界にカールの姿は無かった。大きく遅れているのだ。それだけの差がついたことで気分も良くなった。



 最後の力を振り絞って速度を上げる。圧勝しているのだからこれ以上力を振り絞る必要も無いかもしれない。それでも、村長やイレーネに自分が圧倒的な勝利を収める場面をしっかりと見せてやりたい。

 やがて村の中央へと辿り着いた。



「妾のっ! 勝ちなのじゃーっ!!」



 声を上げながら線を飛び越えた。思わず両手を高く上げてしまう。

 ここで待つ村長やイレーネの反応を見ようと首を横に向けた。



「って、誰もおらんではないか?! なぜじゃーっ?!」



 いるはずの村長やイレーネの姿は見当たらなかった。せっかくカールに圧勝し、かっこいいところを見せてやろうと思ったのに、誰もいなかった。





















 カールは呼吸を整えながら歩いた。さっきまで走っていたが、リディアに歩こうと提案されてそれに従った形になる。歩き始めた後から急に体が熱くなってきて、額に大玉の汗が滲んだ。

 風の冷たさが今は心地よい。



 勝負には負けたが、体を動かしたせいか爽やかな気分ではあった。隣のリディアは長く赤い髪を風に靡かせながら歩いていた。陽光を受けた髪はまるで光を宿したかのように煌いている。髪の先に流れた光が風に舞って流れてゆく。

 リディアの横顔をチラチラ眺めていると、何か悪いことをしているのではないかという気になってしまう。



 カールは大きく首を振った。



「いやいや、僕にはソフィちゃんが……」



 確かにリディアは美人だが、見とれている場合ではない。こうやって歩こうと提案してきたのはリディアだった。おそらく何かしらの話があるのだろう。

 それはリディアが以前言っていた頼みごとに関係するのかもしれない。リディアは自分に何かを頼むつもりでいるらしいが、その内容についてはまだ聞いていない。

 自分のような子どもがリディアの力になれるとは思えなかった。自分に出来るようなことであれば、アデルに頼んだほうがよっぽど良いはずだ。

 心臓はいつもより速く弾んでいる。緊張の中で神経を研ぎ澄ましていると、リディアが口を開いた。



「平和ね」

「えっ? あ、はい……」



 予想外のことを言われて一瞬戸惑ってしまった。



「うんうん、いい村よね。平和でのどかで豊かだし、村の人たちもいい人が多いみたいだし」

「はぁ……」



 自分の村が褒められるのは嬉しいが、素直に頷けなかった。そもそも、自分は世の中のことをあまり知らないから、この村が他の村と比べてどうなのか判断はできない。

 世の中は広いけれど、自分は世界のことはまったく知らない。生まれてから今までの間、ずっと遠い場所に行ったことはなかった。



 大人になればもっと遠い場所に行ったりすることもあるかもしれない。アデルも遠くに行ったこともあるし、海も見たことがあるらしい。

 自分にはそんな経験はない。ただ、そんなアデルにとってもこの村は良いものだと言うから、きっと広い世の中でもこの村は良い村なのだろう。



 リディアは細い指を顎の先に当てて小さく頷いた。



「あたしもね、色んな土地に行ったことあるから色々知ってるのよ。生きるだけで大変なところも沢山あったわ。災害とか色々あって、もう食べるものが無くなって大変な村とか見たことがあるし、ルゥ……、じゃなかった、あたしの知り合いと救恤に行ったこともあるわ」

「きゅうじゅつ?」

「貧しい人を助けて施すことらしいわ」

「へー」



 よくわからないが人助けをしたということで間違いないのだろう。リディアがそんなことをしていたとは知らなかった。いや、リディアという人間について自分はまったく知らないのだから、知ることすべて新鮮なのは当然かもしれない。

 しかし、人助けが出来るのは余裕がある人間だけだ。リディアは人に施すほど余裕のある生活をしていたのだろうか。



「ともかく、いい村だわ」

「はい」

「あたしもね、この村で生活していくわけでしょ。この村の村人として生きていくわけじゃない」



 リディアはこの村でずっと生きてゆくつもりらしい。アデルと一緒に暮らしてゆくということは、アデルと結婚するのだろうか。もしそうだとすれば、アデルを尊敬せずにはいられない。

 あまり詳しく尋ねたことは無いが、アデルもそのつもりなのかもしれない。こんな美人と一緒にいたら、好きにならずにはいられないだろう。



「それでね、あたし思うのよ。やっぱり、この村で生きていくんだったら、村の人たちと仲良くしたほうがいいんじゃないかって」

「はぁ……」

「まぁ、気の無い返事だわ」

「いえ、別にそんな」

「あたしもね、やっぱり村の人たちと仲良くしたいと思ってるわけよ」

「それは、いいことだと思います」



 リディアがそうやって村の人たちと仲良くしたいと思うのは良いことだろう。



「でもね、どうも上手くいかないのよ」

「そうなんですか?」

「そうよ、本当だったら今頃ね、村の人たちからリっちゃんリっちゃんって呼ばれていっぱいお話とかしたりしてるはずなのよ」

「はぁ……」



 そういえばそんな呼び方をしてくれと播種の日に言っていた気がする。



「でもなんだかこう……、みんなに避けられてる気がするのよ」

「そうなんですか?」

「そうなのよ」



 リディアが頷く。少し驚いてみせたが、村の人たちの心情も理解できる。リディアのような美人が相手なら、近寄りがたいと思っても仕方が無いはずだ。自分だってリディアがこうやって話しかけてこなければ、気軽に話をすることもなかったかもしれない。



「そこでね、カールちゃんにはちょっと協力して欲しいの。あたしがね、村の人たちともう少し仲良くなれるようにね」

「協力ですか」

「そうそう、村の人たちがあたしのことをどう思ってるのかとか、そういうのを内緒で調べて欲しいのよ」

「調べる……」



 そんなことに何の意味があるのかよくわからなかった。村の人たちと仲良くしたいのなら、こんなことをしなくてもアデルやソフィの仲介で話せばいいだけのように思えた。

 わざわざ調べるようなことでもない気がしてしまう。



「あの……、村の人と仲良くなりたいのなら普通に話しかけたりとか、アデル兄ちゃんとかソフィちゃんと一緒になって話したりとかすればいいんじゃ」

「うんうん、まぁそう思うのも無理はないわ。でもね、アデルは忙しいし、ほら、変なことで心配させたくないし。ソフィはほら、あれよ、ソフィにこんなこと相談するわけにはいかないでしょ」

「どうして相談できないんですか?」

「決まってるじゃない、ソフィにこんなこと言えるわけないでしょ。いい、ソフィには内緒よ」

「え? は、はぁ……」



 まったく説明になっていなかったが、リディアは当然とばかりに念を押してきた。こうなってくると自分の察しが悪いのではないかという気がしてきた。

 リディアには何か深い考えがあるのだろうか。



 しかし、リディアの目的が村の人たちと上手く付き合っていきたいということであれば、わざわざ調べさせたりする必要は無いはずだ。

 リディアの取ろうとしている方法はまったくもって遠回りだとしか思えない。



 もしかすると、リディアは案外人付き合いが苦手なのだろうか。あれほど美しいと逆に人間関係で苦労するのかもしれない。

 自身の美しさゆえに人には理解されない苦悩を抱えたこともあったのだろう。

 確かに、普通の人はリディアほどの美人に気後れするはずだ。リディア自身は気取ったところもなく、明るい性格で偉ぶったところもない。好ましい性格で、ソフィにも随分と慕われているようだ。

 やはりこの美しさが人を遠ざけてしまっているのだろう。



 そうなると、リディアが取るべき道は人に調べさせるのではなく、普段通りのリディアで村の人たちと接してゆくことではないかと思えた。



「あの……、やっぱり普通に話しかけたりとか、そうしたほうが早い気が」

「うんうん、でもね、やっぱりまずは色々準備とかしてからのほうがいいわ。カールちゃんがね、村の人たちがあたしのことどう思っているのか調べて、その結果を知ってから話しかけたほうが上手く行く確率も高いと思うの」

「はぁ……」



 なんだか筋が通っているのか通っていないのかよくわからない論法だった。

 リディアは歩きながらさらに続けた。



「例えばよ、カールちゃんが町で可愛い女の子と知り合いになって、惚れちゃったとするでしょ。その子が自分のことどう思ってるのか先に知っておいたほうが、後々上手く立ち回れると思わない?」

「う、うーん」



 首を傾げてしまう。確かに、相手が自分をどう思っているのかコッソリ知ることが出来たら、対策も立てやすいかもしれない。ただ、村の人たちと話すのはそこまで大変なことだとは思えなかった。

 好きになった相手が自分をどう思っているかは重要なことかもしれないが、村の人たちとはそうまでしなければいけない相手だとは思えない。

 渋っていると、リディアが人差指を立てながら言った。



「とにかく、そんな気負わなくていいから、誰にも内緒で調べてね。上手く行ったら今度はもっと強くなれる方法教えてあげるから」

「はぁ……」



 なんだかよくわからないまま押し切られてしまった。

 まだ正午を過ぎて間もないにも関わらず、まるで夕方のように日差しが傾いていた。眩しいほどに黄色がかった光が長い影を作る。



 不安を抱えながら、ゆっくりと村へ向かって歩く。冷たい風がさーっと流れた。









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